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参加アーティスト
海外アーティスト  
 
 
 
  <経歴>
   1996年から1998年まで、私はカタリスト・アートの企画したイベントに参加。 1998年から現在まではフラックス・アートスタジオの国際的レジデンス・プログラムを運営している。そして2003年に火事でそこが焼けてしまった後、1年半の日々、組織の運営とスタジオの再建に専念。2001年にベルファストのパフォーマンス・アート活動を促進するためBbeyondを設立、現在まで6つのパフォーマンスイベントを企画した。
 1996年から、インスタレーション作品をベルファスト、デリー、ポーランド、ニューヨーク、スペイン、ケベックで発表し、2005年には、ポーランド、北アイルランド、ベルリン、メキシコでパフォーマンスの公演をした。
<タイトル>
 純化  III
ブライアン・パターソン <コンセプト>
Brian Patterson  バランス
( 北アイルランド )
 
 
  <経歴>
 

 1960年、イングランドのダービーに生まれる。アーロン・ウィリアムソンは難聴である。彼は、1997年サセックス大学において「Physiques of Inscription」というタイトルの原論で博士号を取得した。彼は、ヨーロッパ、北アメリカ、中国、日本各国でパフォーマンス公演を行っており、ロンドンで生活している。2002年にローマでヘレン・チャッドウィック奨学基金を与えられ、現在、中部イングランド大学のバーミンガム美術デザイン学院BIADで創造とパフォーミングアーツの美術史リサーチセンターの3年間特別研究員(2004年から07年)である。
  アーロン・ウィリアムソンは、最近のプロジェクトである身障者アーティストの15ミリフィルムコレクション「The Staircase Miracles」の芸術監督である。それはバーミンガムのイコン・ギャラリーやロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで上映された。(2005年12月)

アーロン・ウィリアムソン <タイトル>
Aaron Williamson  ミミ ガ トオイ
( イギリス ) <コンセプト>
 私の耳は大変遠いです
 
 
  <経歴>
  ツールーズに 1950年7月6日生まれる。
雑誌「感動」を1975年につくり、1981年に「部族」を出版する。
そのほかにも現代詩について理論、評論、詩集など出版も多い。ガリマール出版で20世紀の詩の項目を書く。ポンピドーウセンターで詩のパフォーマンスもおこなう。アレン・ギンズバークと共作でCDを作成。
1980年以来、ツールーズで世界現代詩会議のキュレーターもつとめ、トゥールーズ大学でも教える。フランス語圏内での国際詩人賞を2001年に受賞。
2006年には彼のパフォーマンスについての本が出版される予定である。
<タイトル>
  形而上学的詩
セルジ・ペイ <コンセプト>
Serge Pey   動作のたびに、今日の世界における哲学的視点を提示しつつ、足でリズムを
  とりながら、体と思考が一体である事をしめす
( フランス )
 
 
  <経歴>
   私はポーランドのウッジ芸術大学で勉強した。そして 1995年にアートとデザイン視覚コミュニケーションの修士号を取得した。次の8年間イングランドと北アイルランドに住み、ベルファストのFlaxart Studiosで働き、私はそこでパフォーマンスアートを常に「求めていた」ことがわかった。2000年Bbeyondという独立アート協会をベルファストで共同設立、3年間共同運営していた。その目的は、活発なアートイベントとフェスティバルを国際交流を基盤として組織する事であった。
 現在(2003年から)ポーランドのクラコフに住んで「芸術の砦」協会のメンバーであり、「芸術の砦」アートマガジンの編集チームでもある。またいろいろなアート系出版社の印刷物やインターネットに活発なアートに関する文章を書いている。
 私は、最初のアクションであった2003年10月の「芸術の砦ーニパフ交流祭」から、パフォーマンス・アートを活発に実践している。これまでにポーランド、スペイン、スウェーデン、ケベック/カナダ、そして実験的な9ヶ月のプロジェクト「9&1/2 Fridays」を含む25のパフォーマンスを行なっている。
マルゴシア・バタウック <タイトル>
Malgosia Butterwick  「パ フォー ウーマン ス」
( ポーランド ) <コンセプト>
   私にとってアートとは質問したり、探求することです。それは内的な自由の肯定的力を持っています。私のパフォーマンスでは、因習的な意味を越えようと試みる事と、精神面そして視覚的/肉体的な両方で私たちの意識に多かれ少なかれ関係し、しかし深く考えるべき「質」を想像する。それは自分の誠実さと好奇心を伴う遊びであり、そして観客にも最も開かれた歓迎すべきセンスにおいてのものだ。
 ニパフのフェスティバルではパフォーマンス同士の相互関係の連続性を実現したい。私が知っているように、私たちは旅するだろう。私は最初述べたコンセプトを発展させたい。もっともアクチュアルな表現、瞬間の感覚、旅行中の新しい場所や状況の間の開放的なコンテキストの中で。
 
 
  <経歴>
  1978-82 Ion ANDREESCU美術大学絵画学生
1991-  高等美術学校教師、絵画クラス
1991-99 国際リビングアート祭Ann Art企画者、ルーマニア
1994-97 現代美術トリエンナーレMEDIUMキューレーター、ルーマニア
2005 ウィザウト、国際パフォーマンス祭、ニューヨーク
     テレフォンカード、国際パフォーマンス祭、スイス
     テレフォンカード、ナビンキ、ベラルーシ
     テレフォンカード、アートアクション、イタリア
2004 テレフォンカード、FIX04、北アイルランド
     リンゴの影、国際アートキャンプ、台湾
     KARFIOL、IMAF04、セルビアモンテネグロ
2003 リフレクシブル、第8回国際パフォーマンス会議、ドイツ
     ファイアープール、Eruptio、ルーマニア
1995 トランシルバニア、ニパフ95、日本
ウトー・グスタフ <タイトル>
Uto Gusztav  マーク。特徴たち
( ルーマニア ) <コンセプト>
   このアイデアの出発点は会場のサイト・スペシフィック(場所性)のスピリチュアルな特徴を、物や液体やそして体の最小限の動きでどのように実現するか、です。
 
 
  <経歴>
   インディペンデント・アーティスト。著名なアルゼンチンアーティストの工房でアートを学ぶ。演劇アシスタント。パフォーマンスは1998年から。以前はブエノスアイレスのアンダーグラウンドシーンでボディアートの展示を行っていた。都市計画やパフォーマンスの展示やフェスティバルに参加。2000年と2002年にはA. BocquelやN.J.Martinezと共に「行為とパフォーマンスに出会うブエノスアイレスアート」を企画した。 「In transit(En transito)」の企画運営にチリのアーティスト、A. デル・レやアルハンドラ・エレーラそしてアルゼンチンのアーティスト、J. ソブリノそしてG. ネベスと共に参加。また「日本ーアルゼンチン・チリ・ウルグアイ交流展(ニパフ南米ツアー、2005年10月)」にも参加する。教員。
<タイトル>
モニカ・ガルシア   天気は2 ,3日で変わるだろう(El tiempo cambiara en unos dias)
Monica Garcia <コンセプト>
( アルゼンチン )
   自分のアートをするために、私は日常的な品々を使う。私は人々の話を使い、それを疑問詞として使う。私たちは、自分たちが行うと自分たちで言っているすべてのことをしていますか?私たちは、変わるものの一部ですか、あるいは私たちは何かを生み出すことができないという要求を持ちますか?私たちは、他人の痛みに気を配ってますか?自分の作品はただ尋ねるだけです、しかしいまだにいかなる答えも見出してません。
 
 
  <経歴>
  1973年6月16日ウルグアイのFray Bentos生まれ。
 現在、モンテビデオに住んでいる。彼女は国立芸術学校の6年制の5年生。そしてBardo Kanと Pollo Peizによる<Portavoz>のような詩や音楽に関係した公演に参加した。2004年から彼女は彼女の作品で社会と美学に関する事柄、違った表現言語(写真やビデオ、そしてパフォーマンス)を、そのフィールドに含まれる倫理や美
学同様、彼女の芸術的な実践の数々を対話させるために、研究をまとめ続けていた。
 現在、彼女は実践の実行とその分析、現代視覚美術(ローカルなものと地方的なものの両方)の美学を明確に発表することに焦点を当てたアカデミックグループの一員である。
<タイトル>
マリアナ・ピカルト
Mariana Picart <コンセプト>
( ウルグアイ )
   化学と社会科学は、彼女の主観的生産のための最初の学術的基盤であった。
しかし近年においては、芸術的実践として彼女の美的センスにより社会不安を変えようとしている。
 彼女のアートアクションでは、個人や集団の痛みを感性のためのゲームに錬金術者のように変えようと、煽動的な行動をしている。病を持ちながら生きる事は、まず第一に、受け入れがたい医学が主導する言い方やその実践を彼女の体の上に投げ捨てる事を彼女に知らせた。身体は、その限界や形を維持するために、様々な色や形を持つ薬を使う事を必要とした。地図を作る事は人生の時間を一つにあるいはいくつかのものに均一化する。
 このように彼女は、神話とその力を無効にする事の乱入を行なうかもしれない、関係のあるイメージのレパートリーを探している。彼女のパフォーマンスでは、瞬間が現れる。時間は、その過程へと開かれる。それらの瞬間が、世界をひらめかせます。それらは通常の図式からの遁走です。
(このコンセプトは、フルグランド・ムンドスの「閃く世界:此岸と彼岸でのマリアナの物語)」というエッセイを基にしている。)
 
 
  <経歴>
   1993年東亜大学を卒業、彫刻の学士を取得、さらにドイツのハンブルク自由芸術大学Claus Boemler教授の指導の下で、勉強を続ける。2000年にはハンブルク現代美術研究奨学金が下りたアーティストとして選ばれる。これまで私のインスタレーションやパフォーマンスや彫刻、ビデオで、評判の高い国内やそして海外のアートフェアやグループ展におよそ600回ほど参加。自作による3回の個展、10回のインデペンデント展覧会を選考実施した。
  国際的なアートシーンではパフォーマンスアーティストとして広く知られているが、私はその快適なところにずっと留まることなしに、絶え間なく自分自身を変えるよう努めている。
<タイトル>
 何か、そして/か、何もない
イー・サンジン <コンセプト>
Lee Sang-Jin
  現在生きている私たちは、いい服やいい家やそして多くのお金を得るために多くの争いごとを生み出してます。アーティストでさえもそれらのために自分を売っている。
私はどのような空間でも、自分自身だけを表現する。
私の服、私の体、私の銅貨、私の観客、空気でさえも・・・すべてが自分の小道具になる。私はアーティストの魂が現れることを望みます。私は何もないことを使って多くのものを表現する。しかし私が表現する事は何でもない。輝いているのは、唯一生きているアーティストの魂だ。
( 韓国 )
 
 
  <経歴>
  2004 「撃つ事の禁止」台北ニュースタートスタジオ
2004 「撃つ事の禁止」ニパフ04、TIPAF04
2004 「私は野の百合が好きだ」台北
2004 「さつま芋とタロ芋は私の母の匂いを持つ」台北
2004 「バイクの情熱」TIPAF04
2005 「私の近代化1」TIPAF05
2005 「私は先祖の顔を見て、先祖は私の顔を見る」台北、マカオMIPAF05
2005 「私の近代化2私の母の味」チリ
2005 「近代化のための血の小屋」ウルグアイ
2005 「私の国のための饗宴」アイルランド
<タイトル>
ワタン・ウマ   1、国家のための祝宴 
  2、グローバリゼーションへの流血
Watan Uma <コンセプト>
( 台湾 )
 
 
  <経歴>
  マカオ工科大学美術学院で絵画と石版画、写真を勉強。
1990年より、50以上の中国や国際的なグループ展に参加する。
1992年 ポルトガルの東洋美術事業のポルトガル協会による企画運営した
     「マカオ文化の対話」コンテスト美術部門で2位受賞。
1993年 美術部門で2位賞、写真部門で、3位賞。
1999年 第16回マカオ・アーティスト団体展示で、一位賞。
1999年 第4回マカオ・アート・ビエンナーレで写真が、一位賞。
1999年 個展「マカオ製品、個人的メモ」香港のフリンジクラブ、アグファギャラリー。
2001年 NIPAFとKIPAFに参加する。
2001年 台湾での「アジア若手アーティスト交流展」にインスタレーション作品で
     参加。
現在、マカオ美術館で展示コーディネイターとして働いている。
ング・フォンチャオ <タイトル>
Ng Fongchao   なし
( 中国 ) <コンセプト>
   この作品は、グローバリゼーションにおいては、常に西洋の価値が一番という事への皮肉を表す。
 
 
  <経歴>
   ヤンゴン大学で 1983年より美術展を始めている。20以上のグループ展やおよそ5のパフォーマンス公演において自分の作品を展示している。
 2005年にヤンゴンのサクラタワーでソロ公演。
 2005年1月ダッカの国際アーティストワークショップに出席。
 そしてミャンマー日本パフォーマンスアート交流展(2005年)に参加。
小説家や詩人として自作による4冊の詩集や2冊の小説を出版している。
<タイトル>
 ただこの世界を食べること
<コンセプト>
サンウー
  蛇もまた互いを飲み込み、
魚もまた互いを食らう、
人もまた互いを(法律により、お金により、血により)食い、
木や果物は、食べるものはないが、しかし人や動物に食べられる、
おお!果物よ、
あなたは、ただこの世界を互いに食べて飲み込まなければいけません。
San oo
( ミャンマー )
 
 
  <経歴>
   Maricris "Maki" Calilungは、まず最初に自分で書いた世界を通じて、フィルム開発基金脚本制作ワークショップやAteneo National Writerscワークショップ協会、そしてTsubiboと題名がつけられた短篇物語へのNCCA(国家芸術文化委員会)bod 新人作家賞によって絶賛された事で、その創造的な表現を展開させた。その後、このコミュニケーション・アートを卒業した彼女の、短いフィルム「Alat」や、その他のフィルムである彼女が助監督をしてシネマラヤ・フィルムフェスでベスト映画を勝ち取った「like Pepot Artista」などで、言葉の世界を動画に翻訳した。
 パフォーマンス・アートを通じ、マキは彼女にとって新しく異なる媒体とは何かと探ることをを一箇所に集中させる。
 2005年のトゥパーダ国際パフォーマンス・アート祭で、彼女のパフォーマンス「螺旋」は、現在の反響しているイメージと退廃思想のためのビデオとキネティック・アートを結合したものだった。彼女は経験に基づいた詩を創り出し、フィリピン人のアイデンティティと感受性を来るべきパフォーマンス公演のなかに取り入れることを望んでいる。
現在、マキはマニラのラサール大学コミュニケーション・アート学科で教えている。
マキ・カリルン <タイトル>
Maki Calilung
( フィリピン ) <コンセプト>
 
 
  <経歴>
 
   シンガポールのインスタレーション/パフォーマンスアーティスト。彼女はカーネギーメロン大学で芸術学士、サンフランシスコアート研究所で芸術修士をそれぞれ取得した。そして現在、日本の外務省の全額奨学金制度による東京の武蔵野美術大学での博士の受験生である。1995年からリンはアメリカ、フランス、シンガポール、日本、タイ、ポーランド、そしてドイツと広範囲にわたって展示や公演をしてきた。彼女の現在の研究は、いろいろな文化と時代からの精神的な伝統の調査を介して、身体性を持った体を通じての体験としての現実の本質を探究することにある。
  <タイトル>
   時を作る
  <コンセプト>
リン・ルー  
    人の体は、日常的な人間の経験の研究を通じて、自分たちの存在
の本質を理解するやり方を観察する主な道具として使われる。
Lynn Lu  
( シンガポール )  
 
     
   
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