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 ウクライナの教育    2010年頃から、継ぎ足しながら記述しています


 旧社会主義国ウクライナの教育について紹介します。
 この国では就学から卒業まで一つの学校で学びます。
 一つの学校に1年生から11年生まで在籍し、17才前後で
 卒業する(旧社会主義国は修学11年17才で卒業する)、
 2023年文部省は17才での日本国内大学の受験を認めた。
 
なぜ17才前後かというと 就学年齢を親は選択できるからだ。
 早い子は5才、普通は6才、遅い子は7才で就学するが、
 成績が悪ければ留年させられるから、5才で就学することが
 良いわけではではない。しかし2年続けて留年すると特別 
 支援学校に転校させられる(幼くても留年する)。
 特別支援学校に入学制限はなく 大人から子どもまで通い、
 昼夜開校している。年齢に無関係に学力相応の学級に入る。
 この転校なら生徒は授業についていけるので良いことです。
 健康や家庭の事情などの原因による成績不振でも転校させられる。
 まれに特別支援学校から一流大学に進学する子もいる



キエフなど大都市の人々はアパート住まいなので
大自然と日光を求めてダーチャ(別荘)を持っている。
 6月~8月の3か月に及ぶ長い夏休み中はダーチャ村で暮らす。
  野菜や果物栽培、魚釣り、泳ぎ、キノコ採りなど楽しみは一杯です

 
  ダーチャの東端を流れる川
 
  約2,000戸のダーチャ村
 
   500m東のキエフ湖で遊ぶ
 
   キエフ湖で魚釣り
 
  渡辺イワンさんのダーチャの家
 
 500m東の川 平らで流れはない


 
 能力が高い子のために首都キエフには 3つの学校に特別な数学コース、英語コースがある(定員各22名)。
  入学希望者は多く入試倍率は高い。
  その3校中最難関のキエフ第17学校(ギムナジウム校)には特に優秀な生徒が集まる。
  その3校は大都市キーフに存在するので 地方の子には 無料の寄宿舎が用意されている。
  数学コースの学習内容のレベルは 高く(下の写真参照)、学習についていけない子は 退学させられて
  普通学校に戻る。 毎年学業不振で数名の退学者が出て転入学希望者にテストを課して補充する

  ちなみに2013年のキエフの第17学校
数学コース1年生の退学者2名に対して転入試験実施未公表にも
  かかわらず応募者は28名であった(合格者1名、その1名は渡辺イワンさん、
2005年生まれで7歳の時)。
  さらに3学年修了時だけは 全在籍生徒も含めてもう一度入学試験があり 例年生徒半数位が
  入れ代わる。学年が進むにつれて学習内容は高度になり、退学者は出るが転入者は少ない。 
  だから
数学コース卒業することは 生徒にもその家族にも名誉なことなのである
 

 
授業料は 無料である。 しかし2014年にロシアがウクライナに侵攻した、この防衛戦遂行のため
  国家経済苦境になり毎月数千円の寄付金を収めるようになった
 

  数学コース中学年の成績上位者は 国内数学オリンピックに参加する
 
  数学コース高学年の成績上位者は 国際数学オリンピックに参加する 
  もちろん数学コース卒業生は世界の一流大学に進学することができる、
 
 特にキエフギムナジウム校の数学コース卒業生は世界の超一流大学に進学する。



 ウクライナで 学ぶ日本の子ども

   
        サーカス学校で空中回転中の渡辺イワンさん 5才
   親たちは真剣でした。「遊びじゃないんだよ!
   ドイツサーカスなど外国の団員になればウクライナの数倍かせげるのさ」

   
     9月1日 普通小学校入学式後の教室  不安そうな渡辺イワンさん 6才

     
 
  9月1日の渡辺イワンさんの数学学校始業式
    
イワンさんは 7才で中央右にいます。
  
 渡辺さん14才
 
今回も数学オリンピックで優勝


  13才の教科書これ日本では高校生レベル  
 
  13才(7年生)の教科書

 

新型コロナウイルスのためインターネットで学習をしているディスプレイ画面(2020 April)




左も13才の学習内容

  教室、今日は机が寄っている 渡辺さんは中央後ろ
 
 自宅で勉強中の渡辺イワンさん 13才
        
   以上は数学教育の紹介でした。


 
    以下は音楽教育の紹介です。  


  この国には 子を伸ばす仕組みがある
 
 
 以上数学教育について 説明しましたが、この国は子どもの能力を伸ばす仕組みがある。

  例えば
音楽 4才以上の子に国立音楽塾がある、指導者は国家公務員。


  国立音楽塾 正面      国立音楽塾 側面


    幼稚園や学校の放課後 ここに通う。 五十嵐健太さんはここで音楽を始めた。
  親たちは真剣であった。「将来 ちゃんとした生活を送るためさ。」
  定期テストがあり、優秀な子は無料になり、他の子は3千円ほどの月謝必要。
  特に優秀な子は
国立音楽学校(6~17才 記事と写真は下)に進学する。
  五十嵐健太はキエフの自宅アパートから歩いて20分この国立キエフ音楽塾に通い
  ピアノ・サクソフォン・クラリネットなどを学んだ。
  彼は優秀だったので授業料常に無料であった。


      五十嵐健太のラッキーな出会い
 
キエフの市民はスターリン時代に建てられた鉄筋の狭いアパート住まいなので
  夏の3ヶ月をダーチャで過ごす。

  2002年生まれで9才の健太は夏休み(6月から8月)キエフ北100Kmのキエフ湖の
  ダーチャにいた。  このダーチャ村には2000戸ほどの別荘がある。

  健太は
9月1日キエフの普通小学校4年生に進級するので 3ヶ月過ごした別荘で荷物を
  まとめていた。
その時近くに住む大工さんが健太のダーチャの修理に来ていて、健太の
  サックスを聴いた。大工さんは帰宅し、近所のサックス教師に健太の話をした。
  才能ある生徒を探していたその教師は早速健太を自宅に呼びテストをした。
  その先生はユーリー・ワシリビッチという世界的に有名なサックスとクラリネットの
  演奏家であり リセンコ記念国立音楽学校(小中高校がひとつになってる、6才から
  17才)とチャイコフスキー記念ウクライナ国立音楽大学の教授だった! 

  そのときユーリー教授の音楽学校の生徒は一名だった。
  教授は気に入った子だけを生徒にしていた、そんなわがままOK? 
  演奏技術・読譜・理論すべて良しの健太に惚れ込み「私の推薦で4年生に編入させる!」、
  そして2日後
のリセンコ記念国立音楽学校編入試験が決まった。

  昔 健太の母は水泳を始めたところ、オリンピックに出られる才能があった。ある夏、
  大洗海水浴場の沖合300m位に 「この先遊泳禁止」の赤旗ブイが揺らめいていた。
  大波が上下し、海に泳者は一人もいない。
  しかし健太の母はいきなり泳ぎだし、赤旗にタッチして悠然と戻ってきた。昔水泳部
  部長であった私は「すごい、オリンピック泳者だ!」と驚嘆した。

  しかし健太の母はその母に水泳をとめられ、国立バレエ学校入学を強要された。
  チェルノブイリ原発事故で中止していた入学試験が再開したキエフバレエ国立
  学校のとてつもなく高倍率の入学試験を
健太母は祖母受験させられ、合格してしまった。
  
20数人の同級生に寺田宜弘(現ウクライナ国立バレー団総監督)がいた。
  その学年20数人で 卒業できた者は8人だった、きびしい訓練!
  健太母は
サンクトペテルブルグ国立バレエ学校に留学もした。
  そして難関のウクライナ国立バレエ団に入った。

  母は学問をしたかったずーっと
後悔していた(母の父は有名な理学博士で研究者で権威者)。
  
祖母に勝手に人生を決められた健太の母は9才で健太の人生を決めてしまって良いか迷って
  いた。だから この日まで健太の母は健太に
センコ記念国立音楽学校を受験させなかった。
  編入試験までの2日間 二人は話し合って 健太の気持ちが固まっていることを母は確認した。

 
そして8/28に編入試験を受け 合格した。健太は9/1にリセンコ記念国立音楽学校に入学した。
  キエフ中心部 横長の校舎中央に玄関が有り、
  玄関を入って左は健太の音楽学校、右は母が通ったバレエ学校。

  校長が「日本人な
だから授業料を支払え」と言った。世界の国は外国人を理由に
  子どもを差別をしない国際協定があるので弁護士を頼んで解決した。多分校長は
  ポケットマネーが欲しかった(汚職大国ウクライナ、警察官も”お金、お金”)。
  
サクソフォンはオーケストラの楽器でないから健太は将来の備えとしてクラリネットもユーリ
  ー教授から学び優勝をしたこともあった、友人は「クラリネットもか! ずるい!と漏らした。



  サックスの須川先生の指導を受けたくて東京芸術大学入学を望んでいた健太だったので、
  私は6月卒業の10ヶ月前から芸大と連絡をとった。
  日本の大学入学要件に「12年の学校教育を受けた者」という条件があったので私は抗議した。
  旧共産圏は教育期間11年です。どうやって12年に? 文科省にも電話した。2020年にこの条件
  はなくなった事を知った。私が東京芸大と文科省に抗議したことはプラスだったかな。
  健太の演奏をYouTubeで須川先生に見て欲しいという願いも事務員に冷たく拒否された。
  私が芸大受験をあきらめた後、私の強い要望に負けたのか芸大から「受験を認める、11月5日
  午前10時のテストに来い」。え! ええ! ウクライナから日本へあさって午前10時!! 
  日本行き航空券取れるか? それで間に合うか? 明日朝の飛行機ならOK??
 明日夕方の飛行機
  ならOUT! 
何曲? 曲目は? 長旅、睡眠不足、疲れ。芸大は1日の延期も認めない。結局あきめた。
  健太の日本語力はあいさつ程度、英語力もたいしたことない(私;外国人留学芸大生も居るでしょう?
  芸大職員;彼らは日本語授業を受けられる日本語能力が入学条件です、授業はすべて日本語です)
  ということで受験をあきらめました。
  しかし芸大は結果として私の要望を認めてくれて受験の機会を与えてくれました、誠意に感謝。

  ウクライナ国以外の次の大学を考えていたときに ウクライナ教育大臣から「ウクライナの音楽大学
  は強く貴方のウクライナ国立音楽大学入学を欲している、授業等すべてを無料にするから
  
チャイコフスキー記念ウクライナ国立音楽大学に入学して欲しい。」と連絡があって入学した。
  そして
引き続きユーリー教授の指導を受けることになった。
  ウクライナのテレビに度々出演し有名になった。
  2022年2月22日のロシアによるウクライナ侵攻で2022年3月に生まれ故郷の日本に帰国した。
  
  帰国のためキエフから電車でハンガリーの首都ブダペストに行き、
搭乗飛行機待ちで滞在していたとき、
  健太はブダペストで音楽の友人に会って日本行きを伝えた。そのことは音楽家に次から次へと伝わり
  東京音大の波多江先生に「すごいサクソフォニストが日本に行く」と伝わった。
  日本到着後 波多江先生は健太に会って
、東京音大受験が決まった。
  編入試験に健太は合格し、歴史ある立派な音楽大学に入学させて頂いた。
  健太はなんと幸運な男でしょう。皆さんありがとう!
    



  リセンコ記念国立音楽学校10~17才で学ぶ五十嵐健太さん

 
 国立音楽学校でレッスン中の健太さん17才

健太さんのYOUTUBE動画多数あります。
 
   演奏会の健太さん15才

検索は KENTA IGARASHI SAX

   国立音楽学校も数学コースも 入学・進級・卒業は難しい。
   けれど 「才能がないから プロにはなれないよ、
早く別の道に行きなさい」と 
   やさしく人生案内をしてくれているのではないだろうか。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆総理大臣賞◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
   ウクライナで音楽を学んでいた健太さんは キーフから日本に避難し、
   2022年 東京音楽大学に入学した。

   その年の8月末 第37回日本弦管楽器コンクールに出場し、
   サクソフォン部門で優勝し文部大臣賞、
   コンクール全部門でも優勝し、特別賞と総理大臣賞を受賞しました。

 
  
ウクライナの教育の良さとレベルの高さが証明されました。
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

   体操・美術なども子どもの才能を伸ばすシステムがある。
 

  このウクライナ国は 2014年ロシアから戦争を仕掛けられ 紛争中だ。

  そのため国家経済は困窮している。

  よって大幅に税率を上げた。年間国民所得は100万円以下で 生活は貧しい。 
  2019年 ウクライナ政府は財政難から 才能ある子のための教育制度を廃止しようとしたが、
  国民の反対により制度は守られた。
 


     ウクライナの公立大学
  この国の公立大学の月謝は1万円です!! 最近 一部の人気公立大学の月謝は1万5千円
  になりました。日本の大学では当たり前の入学金・設備費その他の支払い金はありません。
 
  健太の兄アレクシイさんは 11才で日本からウクライナに帰国したがウクライナ語をしゃべれず
  いじめられて、暴力を受け、不登校になり上記特別支援学校に転校しました。
  この学校でも不登校で 起きているときは自宅のパソコンをいじっているだけでしたので、
  筋肉が衰えフラフラ歩いていました。 
  2年後 特別支援学校に通うようになっても登校から3時間後には自宅に戻ってきました。
  16才の時 大学でコンピューターを学びたいと言い出し 数学塾と英語塾に通いました。 
  でも大学入試(旧共産諸国は17才で受験)まで1年、
  家族は「無理だろう、もし受かるとすれば三流の大学」と予想した。
  予想に反して彼は三流の大学に合格しました。家族は驚きました。もしかしたらと二流の大学に挑戦し
  予想に反して彼は二流の大学に合格しました。家族は信じられませんでした。ダメ元で超難関大学を受験。
  予想に反して彼は超難関大学に合格しました。家族は腰を抜かしました。彼はコンピューター科を卒業した。
                                     (2012年頃の話)


  アレクシイさんが通った首都キエフにある
ウクライナ国立航空大学

   卒業生はソビエトの優れた戦闘機・ロケッなどを設計・製造。


ソビエト社会主義国は崩壊し、ウクライナは1991年12月に独立した。
ソビエトの優れた戦闘機・ロケット・旅客機などの航空機産業を支えたのは 
この航空大学出身者達で、昔この大学に世界から3万人の学生が集まった。
旧ソビエトの航空・宇宙・軍事産業の中心地はウクライナでした。 
それなのに 衣類が製造できず 今も100%輸入している歪んだ国です。
ウクライナ生まれの卒業生
セルゲイ・コロリョフ(左)はこのウクライナ国立
航空大学の卒業生で、ソビエトの宇宙開発の主任設計者でICBMミサイル、
世界初の人工衛星スプートニク、ソユーズ、月ロケットなどを開発した。
彼はソビエトの最重要人物で、生前彼の存在は秘密にされ死後に存在が知られた。
彼はアメリカのフォン・ブラウンと並ぶ米ソ宇宙開発競争の双璧を成した人物である。
 



   最貧国ウクライナは教育を頑張っている。
             優秀な人材は国外流失してしまうのに。

  経済大国日本は受益者負担という屁理屈で
              教育費/GDPは貧困国レベルである。



 
  教育こそ  日本の生きる道


このウクライナの子どもの才能を伸ばす教育の結果は 以下のようです。
    音楽
セルゲイ・プロコフィエフ ウラジミール・ホロヴィッツ
スヴァストラフ・リヒテル(ピアノ) グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ)
アイザック・スターン(ヴァイオリン) ダヴィッド・オイストラフ(ピアノ)
ナタン・ミルスタイン(ピアノ) エミーリ・ギレリス(ピアノ)
    画家
イリア・レーピン(ロシア史上最大の画家) カジミール・マレーヴィッチ
ヴァーツラフ・ニジンスキー(アヴァンギャルドの創生者)
   その他
シャローム・アレイヘム(屋根の上のヴァイオリン弾き) ジュセフ・コンラッド(文学)
イリア・メチニコフ(免疫学 ノーベル賞) ジョージ・ガモフ(宇宙創生Big ban,DNA)
セルマン・ワクスマン
(抗生物質スプレプトマイシン発見 ノーベル賞)
イゴール・シコルスキー(ヘリコプター)
セルゲイ・コロリョフ
(人口衛星・ヴォストーク・ソユーズ他) 


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登場したアレクシ、健太、イワン(伊王)たちは兄弟です。

   
彼らの曽祖父はスターリンのお抱え弁護士でした。

    曽祖父は常に身の危険を感じピストルを持参してたそうです。

       彼はスターリンから逃れるためにモスクワからキエフに転居しました。 


    *****    ***********    *****

   プーチンは身分を隠したロシア軍人を使って2014年クリミヤ半島を奪った

   そして2022年2月24日プーチンは突然理不尽なロシア軍によるウクライナ侵略を開始した

   独裁者プーチン 精神異常者プーチン 

   己の保身のためならウクライナ人もロシア人も子ども女性老人一般人も殺す

   民主主義破壊 世界・国連・国際条約すべて無視  ヒットラーの再現    

   ウクライナ侵略を 止められない 止めない 

   21世紀に たった一人の男が 民主主義も 未来も 破壊する 

   それを EU・アメリカ他は 止めない 止められない

           人類はいつになったら安心して暮らせるのか

   


 

Grip