魏帝の徒花

起ノ章 4章

4章 4-3話

数刻前
袁紹の私室に、配下の審配が現れた。
室内には袁紹と側室の一人がいたが、審配に気づいた袁紹により退室させられる。
側室の姿が見えなくなり、気配が遠のくまで両者は無言。

「何か用か?この私の寛ぐ時間を割いてやってるんだ用件なら早く済ませろ」

戦時下に生まれた僅かな寛ぎの時間を奪われた袁紹は見るからに不機嫌だ。
その様子には全く意に介さない態度で、審配は用件だけを口にした。

「数日前、袁紹殿に仕官を申し出た地方役人の娘の事です」
「・・永の娘がどうかしたのか?」
「あの娘の評価を耳にしましてね・・・」

目の端で主君の様子を見ながら、今の主君が最も気にしている者の話題を口にしてみた。
すると分かり易いくらいに反応を示した袁紹。

それを見た審配、一瞬だけ口許に笑みを作ると
話に乗ってきそうな袁紹に、更に審配は言葉を続ける。

「大変聡く、また聡明で賢い娘だと評判だったそうですな」
「ああ、確か永も溺愛し『女子の中の王』とまで評して可愛がってたいたな・・それがどうかしたのか?」
「そこまで頭がいいのなら・・袁紹殿の幕府へ下った事も、白馬の地付近にいた事にも作為があったのでは?」
「・・・ここに至るまでの全ての行動に意味があり、何らかの企みを持って配下になったとでも言いたいのか?」
「流石袁紹殿は聡明でいらっしゃる・・兎も角あの者には注意しておくべきかと」

尤もらしく聞こえる話な為、袁紹はうーむと唸った。
策謀を胸に下ったとしても永の娘、は未だ16~7歳の子供。
幾ら賢くても、子供の考えなどたかが知れている。

審配が言うほど、この時の袁紹はについて強く警戒はしていなかった。
地方役人とは言え、の父母は袁紹の国に仕える役人と官吏だったのだ・・
それに、あの娘は父母の死の真相を知らない。
全く警戒していないから自分の元に仕官して来たのだろうし、そこを此方が警戒すれば逆に聡い娘に勘付かれる。

どちらかと言うとその事を袁紹は案じていた。
注意はしておくが、と前置きし、意見して来た審配へ返答した。

「聡い娘をわざわざ真相に辿り着かせるような事はするべきではない」
「ではこうしましょう、あの娘が本当に心服して袁紹殿に仕官したのか・・評価に相応しい策を考えさせるのです」
「策?つまり、あの娘を試すという事だな?」
「その通りです、二心が無ければ殿の為になる策を講じるでしょう」
「だが献策させるとはいえ・・何の策を考えさせるつもりか決まっておるのか?」

手の内を晒す必要はないと渋っていた袁紹だったが、娘を試す、という提案には乗って来た。
それさえ確認出来れば後はもうどうとでもなる。
実は審配にとってという娘の存在は、左程重要ではなかった。

名より実を取る審配にとっては、ただの利用できる駒、程度の認識。
審配自身がもっと上へ上り詰める為だけの駒でしかない。

袁紹に自分の考えを承認させると、すぐに退室し新たな目的地へ移動。
政を司る官吏らが生活する区画を歩く事数分、目当ての部屋を見つけ迷うことなく扉をノックした。
中からは二人ほどの声が聞こえていたが、ノックと共に声が止み、数秒して扉は中から開けられる。
顔を見せた家主ともう一人、家主と同郷の者も見つけた。


そして現在、審配から用向きを託された政治家は大長秋の許可を経て
皇后府に初めて足を踏み入れた事に些か緊張と、居住まいの悪さを感じながら人を待つのだった。


++


所変わって此方曹操軍。
旧友の墓参りから帰還した郭嘉は、荀攸と会話したあの後
荀攸と話した孫呉の動きについてを曹操へ進言しに赴いていた。

「江東の若き虎、孫策が我々の留守を攻めるという事は無いでしょう」
「ほう・・?それは何故言い切れる?」
「孫策は驚くべき速さで江東を平定しました、粛清も大分あったでしょう・・その事に反感を感じている者も多いはず」
「ふむ・・・」
「その事に対し彼自身が無頓着すぎる・・やがてはその命を失う事態になってもおかしくはない」

そう郭嘉は曹操に進言した。
今、殿が注視すべきは背後ではなく袁紹のみだと。

「なれば郭嘉の言に従おう、我らが戦うべき相手は袁紹ただ一人だとな」

迷いも見えた曹操の顔に、再び壮健さと威厳が戻るのを郭嘉は確認。
あの曹操ですら迷わせる程、袁紹の勢力は強大で高い壁だった。

荀彧殿が今、内情を探らせに楽進殿を向かわせているらしいが・・・流石の判断だね。
私も考えるに、袁紹陣営は一枚岩と言うには程遠い。
辛抱強く待ち機を見誤らなければ・・この状況は打破出来る。

それと・・こちらの思惑とは別に、あの荀攸殿に珍しい顔をさせた者たちも動いているようだし
此方の意図するまま囮軍にされたと思わせ、その上で逆に此方を利用したあの見事な動き・・
決して手の内で踊らされるだけではない・・裏をかく動きを指揮した者・・・
この先の戦に参戦すれば・・・その知者に会えるだろう。

何より偵察に行かせている楽進が戻れば、彼からもその者の事を聞けるかもしれない。
知らずに郭嘉の心は弾み、心待ちにし始めた。

「付いて参れ郭嘉、そなたが居ればこの戦・・勝利に終わるだろう」
「ええ・・では参りましょう、殿。」

曹操が今の郭嘉の胸の内を知るすべは無いが、嬉々とした雰囲気だけは察した。
元々華やかな雰囲気で、常に温和な笑みを浮かべている男だが
今の様子は作られた笑みではなく、心の底から楽しみ、何かを心待ちにしている笑みだった。


心待ちにした楽進からの報告が郭嘉と曹操に届くのはもう間もなく。
白馬の地でと別れ、保護した螢惷を撤退する劉延に託した後
袁紹軍の陣の一つを焼き払い、兵力を削ぐ貢献をした于禁と楽進は今別行動をとっていた。

荀彧直々に役目を託された楽進は于禁と別れ、僅かな供を連れ
役人に扮すると袁紹の居城、曉に近い県へ侵入を果たしていた。

人柄もよく、佇まいも丁寧な楽進は県の民の心を簡単に開き
袁紹の政はどうなのか、や、暮らしについて聞きだし
その中から気にかけていた人物の行方を知った。

「そういえば最近、甄姫様の傍仕えを志願して袁紹様に仕官した娘御が現れたみたいだよ」
「――!」

曉に近いだけあって、民には縁のない内情も噂として届いたのだろう。
楽進にはその娘が誰なのかが瞬時に分かった。
あの白馬の地で出会い、袁紹に目的を持って近づく為に見事な策を立てたの事だと。

あれから彼女は目的を達成したのだ・・内城に入り込む、と言う目的を。
その為に彼女自らが策を考え、黒山賊の先方に扮してまで囮となり勝利を齎した。

こんな時期に仕官を申し出るなんて珍しいから、覚えてたんだよ。と民は話を続ける。
南郡太守のお嬢様なのにどうして危険も伴う傍仕えを希望したんだろうねえ・・と
楽進だけは、そんな彼女・・の目的を知っている。
どうしても確かめたい事がある、袁紹の返答と、今後の情勢でどうするかを決めると話し・・

自分の家族が無事だと分かればそれでいい、もし私のしたことが気に食わないなら戦に出る事でそれを贖おう

そう強い瞳で言った
だが楽進にはその姿がとても儚く映った。

目的全てを達成したら、そのまま花と散っても構わないと
そう覚悟してしまっているような気がして、生きる事を諦めている部分を感じた。
だから無性に放っておけなくてあのまま立ち去らず、彼女に同行したいとすら思った。

芯が強く賢いのに、妙に悟っていて潔く散る覚悟すら持っている。
まるで淡雪のような、雪花のような娘だと楽進はという娘を称していた。

まだ散るには早い・・・。
彼女の人柄も彼女の才も失くすには惜しい。
楽進は話してくれた民に丁寧に感謝を述べると、伴って来た部下に書くものと筆を用意させすぐさま届けさせた。

手紙には、袁紹陣営内で軍師や武将らの権力争いやら内輪もめが目立つようになった事や
曉に近い県や郡では戦に怯える風もない事などを書き連ね、したためた。

という者について報告すべきか悩んだが、郭嘉や荀彧なら悪いようにはしないだろうと考え
自分自身が感じた事や、と言う者の才媛ぶりに加え、白馬の地での振る舞いを細かくしたため
最初の手紙とは別に書き直し、伝令役を任せた部下に持たせて曹操の待つ本陣へ向かわせた。
残った部下と楽進はもう少しだけ偵察を続行し、伝令を任せた部下が去った数刻後に楽進も帰還した。


++


握り締めた拳で扉をノックする音が、静かな皇后府の廊下に響く。
私に面会に来るような人・・居ただろうか。

そう感じながら中からの応答を待つ。
一瞬だけ思い浮かんだのは一番上の兄、浮。
だが彼の位は県令・・流石に面会に来る事も、入城する事も難しい。

特別な地位も無ければただの地方役人に過ぎないのだ。
・・・母方の氏族なら出来なくもないが、母方の方の親族とは懇意ではなかった。

名門袁家の治める城に入れるのは一握りの者だけ。
官吏をしていた董氏の親族なら来る事も可能だが、それこそ今更である。
は知らないが、生前の董氏は秘書省に勤める秘書監(図書寮の長官)をしていた。
其処には全ての証書、書簡などの記録文が集められている。

地方役人の夫や息子より階級は上だった。
実は遠戚にとんでもない人物がいたりするのだが、董氏はそれを明かさないまま亡き者に。
死に目にも会えなかった・・扉が開くまでの数分でぼんやりと思案に耽っている前で扉が開かれ・・・

自分を出迎えた者の姿を目にしたは、事態を理解するのに数秒を要した。
だが、すぐに納得する事になる。

「――昱姉さ・・いえ、昱姐姐 お久しゅうございます」

出迎えたのは双子の姉、昱だった。
驚いたのは一瞬、彼女が何処に嫁いだのかを思い出せば此処に居ても何ら不思議はない。
呂強を舅に持つ昱は呂家の縁者となったのだから。

大長秋呂強の私室に待つ面会者、とは・・昱の事だったのだろうか?
でも確か、もう一人信頼出来る相手を立会人として召喚してあるとも言っていた気がする。
つまり姉が面会者で、立会人は呂強の部下だったりする可能性も・・・
いやでも部下が立ち会うと言うのもそれはそれで・・・などと思案しながら室内へ入ると、室内で誰かが立ち上がるのが見えた。

扉が閉まり、昱姐姐から席に座るよう促される。
立会人と目される人は、席に座って待っていたのだろう。
客人より先に座って待っていると言うのは中々に違和感を覚えた。

うん?ちょっと待てよ?はもう一度立会人の男性が座る様と昱を確認。
上座にあたる室内の奥側に男性が腰掛け、昱は部屋の奥に立ったまま。
立会人は上座に座ったりはしない・・つまり、面会人がこの男性で昱が立会人なのだ。

「お初にお目にかかります美人、私は荀諶と申す者 袁紹殿の参謀を務めています
この度は大長秋殿にこの場を用意して貰い、美人と面会する機会を得られました」

が本来の面会人が男の方だと察したタイミングで
一度立ち上がった男性は、一介の女官であるに拱手しながら名乗った。
袁紹の参謀、つまりは軍師として召し抱えられているなら女官より立場は上。

軍師っぽくない柔らかな雰囲気の荀諶に気後れしつつも拱手を返す。
少し引っ掛かりを感じたが、それより気になったのは荀諶が軍師だという事。

袁紹はが現れる事を好ましく思っていなかった。
そして永の娘だというのも知られている、荀諶が此処に来た目的を何となくだがは察した。

「才媛と名高い美人の知識を活かした袁紹殿の為の献策を頼めないだろうか」

やっぱりそうかと、この瞬間では自分の予感が的中した事を悟る。
恐らくそれは方便だろう、本当の目的は別にあるでは?そう思わずにはいられない・・
それにしても大人は狡い・・荀諶のような人当たりの良い人を寄越して言わせるのが。

私がきちんと献策するか否かで、私の真意を探るつもりなんだろう。
何となくだが謁見の間で対面した袁紹陣営の人達を目にした時、感じた印象はとても悪い。
我の強そうな武将二人に、権力に固執してそうな軍師が一人・・自分の意見を曲げなさそうな頑固そうな軍師も一人。
恐らくそのような人員しかいない場に献策しても、棄却されるのがオチだ。

そんな人らの中で、荀諶という人は唯一まともな軍師の一人なのだろう。
袁紹の性格からしても・・真っ当な意見を進言してくる人は口煩い存在でしかなさそうだ。
意見=利益や保身と言った所だろうか、如何に袁紹自身が尊く映るか如何に得を得れるのか基準で判断してそう・・

屋敷にいる頃なら知る事もなかった名君の実。
自分自身の評価を上げる為だけに民衆に手を差し伸べ、民達を思った政をして来たのが丸見えだ。
確信は無いが、旗色は良くない・・息は短いかもしれないと感じた。

「難しそうな様子だね・・才媛たるあなたの事だ、その理由も浮かんでいるんじゃないかな」

静かに荀諶が口を開いて出た言葉に、は心の底を覗かれたようにギクリとした。
上げた視線が目の前に座る、涼やかな目とぶつかる。

不思議と嘘を付いたらいけない気持ちにさせる目をした荀諶。
正しきを見定める、軍師として必要な資質 慧眼がそうさせるのだ。

この人の前ではどんなに尤もらしい言葉を並べても
どんなに取り繕って正論をひけらかしてもこの人はそれすら見定め
言葉に隠した真意を見抜かれてしまう気がしては自分の言葉で感じたままを伝える事にした。

「――!・・少しばかり他の同年代の者より知識があるとはいえ、軍師としての経験は皆無です。
そのような者に大事な策を組み立てさせるより貴方様のようなきちんとした方に頼まれる方が正しいでしょう・・
何より他者の真意を計る為の行為を献策で試すなど、袁紹様の御身を危険に晒す可能性もあるのではないでしょうか
少なくとも私が本当に埋伏の毒なら、策を立てろと言われたのを利用し袁紹様に不利になる策を立てます。
なればこそ策などではなく、行動で示す方が目に見えていいのでは?」

私なら不利になる策を立てる、と言い切ったのは敢えてそう言う事で逆に信じ込ませる為だ。
そこまで公言したなら危険を冒してまで不利になるような策はしない、実際献策をしたとて採用される事は無いから。
と袁紹陣営に思わせる事が出来、信を得られるきっかけに出来る。

が、その流れも織り込み済みで信を得られた所からが本当の策謀の開始だ。
相手は裏切るはずもないと思っているから逆に信を置かれる前より自由に動き回れる。
慧眼を持つ荀諶なら、この言葉を鵜呑みになどせず裏の裏まで読むだろう。

「いい目をしているね、そんな眼差しで言われたらどんな相手も頷きたくなる」
「いえそんな・・・」
美人、貴女も素晴らしい慧眼をお持ちのようだ・・疑われるのを承知で不利になる策を立てると言い切れる辺り・・・中々の策士でもある」
「・・失礼にあたっているのなら覚悟も出来ています」

が感じた印象通り荀諶という軍師は皆まで語らずとも、此方の言葉に込めた意図を汲み取った。
一瞬だけ涼やかな眼差しが鋭くなったが、それもすぐに消え精悍な眼差しに変わる。

自ら疑われるような危険を冒し、自分ならそうする、と言ってのけた部分を策士だと言う荀諶も相当頭が切れる人だ。
二人の切れ者が繰り広げる舌戦?を、ちんぷんかんぷんだが中国茶を用意しながら昱も聞いていた。


魏帝の徒花
2019/4/11 up
着地点が見えないまま長いので無理矢理終わらせましたあああ文才が欲しい。
後半に出て来た荀諶さんは正史にはチラッとしか出て来ない、荀彧さんの兄です。
後の人に「荀彧・荀攸・荀衍・荀諶・荀悦は、現代まったく匹敵する者がいない」と言わしめた才人ですな!
最近無双8を再開したので更新ペースが落ちている・・・w
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