魏帝の徒花

起ノ章 4幕

起ノ章 4幕

「標」


甄姫の傍仕えとなる事が決まった。
これを早く張燕達に報せねばならない。

焦らずとも、寝泊まりする事になる部屋に着いた時にでも鷹を飛ばせぱいい。
最大の難関を無事クリアした事で、少しの心に一息つくゆとりが生まれた。
番いの鷹は指笛で飛んで来るよう張燕に躾けられている。
伝言を書けたら宵の入りくらいにでも呼び寄せよう。

漸く胸に溜め込んでいた疑問を本人にぶつける事が出来た・・・が
それをぶつけた相手は、狼狽し青褪め、更には自分を手に掛けるそぶりすら見せた。
あまりにも滑稽なその様から、父母は・・殺される為に・・・この城へ出仕したのだと確信させた

まさか、殺される事になろうとは露にも思わない父母を反乱軍との争いに乗じて・・
自分達は此処で死ぬと意識した時、父母は何を思っただろう。
袁紹を憎んだり恨んだりしただろうか、私達の事を思ったかもしれない。
最期の瞬間何を思ったのかなんて・・・もう知る術はないんだ。

じんわりと視界が滲みそうになるが今ここで泣く訳には行かない。
此処はまだ廊下だ、官吏っぽい人間と擦れ違う時もある。
そして何より、自分に付き添って歩く劉備らの姿もあるのだ。
此処に入り込んだからには弱さなんて見せてたら前に進めない。

傍仕えになれたからには、役目もきちんと全うする気でいる。
劉備らは多分甄夫人にお目通りさせる前に、恐らく宛がわれる予定の部屋に案内してくれるはずだ。
客将の身でありながらそういった事も任されるなんて、彼らは余程袁紹から信頼されてるのだろう・・

感心する事に気持ちを切り替え、湿っぽい考えと気持ちを打ち払う
それから案内してくれている劉備と張飛へ視線を向けると
見上げた彼らが自分を見ている事に気づいた。
どうしよう、まさか泣きそうになったのを見られたんだろうか?

「こんな時にすまないが・・1つ聞いても良いだろうか」
「・・・私で分かる事なら」
「兄者、また質問かあ?」

口を開いた劉備が言ったのは、泣いた泣かないではなく1つの疑問だった。
張飛だけはまたかよ、とうんざりした様子で此方を見ている。

そして少しだけ開けたスペースに立ち止まり、改めて劉備が聞いた事。
それは先程の謁見の間でのやり取りだった。

「螢惷殿、あ、いや・・殿だったな」
「劉備殿の呼び易い方でいいですよ?」
「いや、そうも行かぬそなたのご両親が付けてくれた名だ・・愛の籠った真名を呼ばぬのは失礼にあたる」
「・・・・有り難うございます」

あと、劉備はとても真面目な性格だという事も分かって来た。
真名は親からの贈り物、そう言ってくる相手は今まで皆無だったのもあるが
自身も正直そういった事を意識した事は無く、今、その父母を亡くしてみて初めて意識した。

もう、誰にも呼んで貰えないと覚悟していた名前。
不思議と心が揺さぶられるような、そんな感覚を感じた。
劉備は人の心を動かすような言葉を自然に言えてしまう人なんだろう・・

「話を戻すとだな、謁見の時袁紹殿が”顔良の死に様でも話しに来たとでも?”と口にした時」

話を戻した劉備が問うたのは最初にまみえた時の問答だ。
横柄な態度の袁紹に腹が立ち、その感情のまま何なら話しましょうかと言い返した事を聞きたいのだと察する。

聞き流していなかった辺りが劉備らしいというか、何というか。
疑問に思った事は間を置かず直ぐ聞いてくる辺りに何ともこう言ったら失礼だが、子供のようだなと思った。
疑問を疑問のままにしておけない性分なのかもしれない。

「仰る通りです、白馬での戦い・・私は此処に来る為に・・・」

劉延殿の陣を襲う顔良殿の動きを利用し、曹操軍に囲ませ、襲撃のきっかけを作りました。
そう説明するはずだった、独りで思案していた時には自覚して死に至らしめたと言えた。

私の策、だけでない要素もあったが私の策で一人の武将を死に至らしめた事は間違いようもない。
此処に来る為だけの目的で考えた策が・・・人の命を。

何故か急に今更ながらに体が震え、当時の恐怖が甦ってくる。
放たれた矢が顔良の腕を射抜き、毀れた血が頬と服の鎖骨辺りを汚した・・
その後入れ違うように赤い馬が割って入り、あっという間の出来事だった。

張燕殿や孫兄さん達の役に立ちたい、私の16.7年で身に付けた僅かな知識を活かし
お世話になってる人や、大切な家族の為に役に立ちたかった・・ただそれだけだった。

それが、その思いで献策した策は仲間や自分を生かしはしたが同時に敵とは言え人の命を奪う事になった・・・
これも戦乱の世だから仕方ないと言ってしまえばそれまでになるだろう。
軍師とは時に非道になる策を考えなければならない、仲間や主を生かす為に。

殿?」
「何でもないです、劉備殿が思ったように白馬の戦いで私は此処に来る為に顔良殿を・・窮地に陥らせる策を考え実行しました」

心配そうに窺って来る劉備を見上げ、真実を話した
割り切ろうとしてみたが、やっぱり言葉が少し震えてしまった。
一瞬だけ思ってしまったのだ、何て恐ろしい策を考えてしまったんだろう・・って。

この事で分かった事もある・・皆の役に立ち、策を考えるという事の意味。
献策をする為に私も行くと、常山郡の屋敷で張燕殿に申し出た時聞かれた問いの意味も。


”・・・・意味、ちゃんと分かった上での申し出か?”


浅はかにも、同行を申し出た時張燕に問われた言葉。
あの日の私はこの言葉の意味を、真に理解しないまま肯定していた。
意味を、戦う者達に策を提示する事の本当の覚悟を張燕は問うていたのを私は理解してなかった。


”本気で戦について来る覚悟があるなら、お前を連れて行く価値を証明しろ”


張燕殿・・私はちゃんと自分自身の心と向き合わないままでした・・・
ただ役に立つ為だけを考えて無我夢中で策を考えました。

殿、そなたが考えた策は確かに顔良殿を討った それは違えようもない事実
しかしそなたの策は味方を生かし、また殿自身も生かして此処へ来る為の導になった事も事実だ。
結果を広く見過ぎない事も今は必要だろう・・だが、命を奪う事の重みをそなたは知ったのだ
献策は、奪われる命の重さを知らずして他を生かす策を考える事など出来ないと私は思う。
痛みを知り得た者が考えるからこそ、打ち破り難く、多くを生かす策を導き出せるのではないか?」

問いの答えになったかは分からない。
今更ながらに事の大きさに気づいてしまい、震えそうになるのを我慢しながら答えたつもりだ。
そのに対し、劉備と張飛は一瞬だけ目を合わすと静かな口調の劉備が上記の言葉を話した。

私に言い聞かせるみたいな、そんな口調で。
結果を広く見ると、の策で確かに顔良は死に白馬は包囲を解かれた。
だがそこを敢えて狭く見なさないと劉備は言ったのだ。
真実から目を反らすのは得策ではない、が、敢えて先に真実を認めさせた上で劉備は視野を狭めさせた。

策が齎す結果を見た事は辛いかもしれない、それでもその辛さを知った者が考え出す策は緻密で隙は無い。
若くしてあれほどの献策が出来るのは誇ってもいいものだと。
にはそういう策を考える事が出来る、命の重さを知った機会を得たのだと劉備の言葉から励ましと慰めを感じ取った。

「悔いてはならぬ、覚悟を以て今この場に立っているなら尚の事だ」

そなたの才は正しく役立てるべきだ しかし女子である前に少女であるそなたは戦場に立つべきではない
死に急ぐのは亡き父母が悲しむ、命を大切にせよ と劉備はに言い聞かせた。
劉備は言葉の結びをそう締め括り、体を屈ませ、と同じ目の高さにすると幼い双肩に両手を乗せた。

とても親身に気にかける姿に、兄や従兄、孫兄を重ね胸が熱くなる。
目覚めてしまう望郷に蓋をするように目を閉じ
何を以て是とするかは己自身で決めます、とだけ返事とした。


++


日が傾き、紅の光が山々を赤く染め行く頃。
死地を生き延びた者達の姿は、1つの屋敷の庭にあった。

その人数は14・・1人1人疲労しているが、大きなけがもなく無事。
だが1人だけこの山へ帰る事は叶わなかった。
逃げ延びた全員がやきもきしながら待つ者は、あと7人。

逃げ延びた彼らを束ねる頭領、張燕にその右腕の孫軽
それから張燕に古くから従う腹心の武将、杜長。
後は前頭領の頃から黒山賊に属していた古参の将、干毒、珪固。
最後は孫軽の次に若く、仕事の腕は良いと称される白繞の7人だ。

あの混戦を逃げ延びたのは頭領である張燕の飛ばした指示のお陰。
輜重を横倒しにし、盾代わりにして戦えたから被害を出さずに済んだ。
忘れちゃならない・・逃げきれた大きな要因はやはり残った7人のフォローがあったからこそ。

まさかあの場で文醜に襲われるとは予想外だった・・・
そもそもあの延津で待機していたのは、白馬の地にて策を実行した奉公人からの報を待つ為。
指笛で呼べる最低限の範囲から導き出した結果の待機場所だった。
子供の身でありながら見事に策を成功させ、鷹を飛ばしたに誰もが感嘆させられた。

延津の地が混戦の渦となるとは誰も予想してなかった・・誰が悪いわけではない。
それでも全く悔やまなかった訳でもなかった。
公孫讃の志を受け継いだ張燕が袁紹を追い詰める為の策の一端としてが献策した訳だが
此処に逃げ延びた末端、或いは武将以下の兵卒辺りの彼らに策の全てが知らされた訳でもないのだ。

ただ待つしか出来ない彼らは、数刻の間不安と恐れに苛まれた。
傾いていた日は沈み始め、夜の帳と静寂がやって来る。
誰が言うでもなく、待つのは夜が明けるまでだと覚悟した。

朝になって、7人が戻らぬ場合・・新たに頭領を決めるのかそれとも解散するのかを話し合わなくてはならない。
出来ればそのような話し合いはしたくないが、その可能性も覚悟しなくてはならない頃になっていた。

完全に日は落ち、屋敷に居る女中が気を利かせて室内の燭台に火を灯し
縁側に面した庭に簡易的な篝火を熾して少しでも明るくなるよう努めた。
そうして待つ事数刻・・・月の位置で時刻を予想しつつ彼らは待ち人を根気強く待った。

待機している女中が中華饅を用意し始めた頃、僅かな気配が屋敷へと近づいて来る事に気づく。
待ち人か、それとも役人か・・はたまた袁紹軍に居場所を突き止められたか・・・
何れにせよ14人は疲れ切った体で武器を構えて警戒する。
何者か分からない緊張感が屋敷を満たす中、真上に来た月が地上を照らし・・

「――頭領!!!」

ふと14人の中の誰かが、感極まった声で現れた気配の人物を呼んだ。
篝火の近くに居た者が松明に火をつけて駆け寄る。
その火に照らし出された人物は、紛れもなく黒山賊の頭領 張燕の姿だった。

「頭領!よくご無事で!」
「お前達も無事退却出来たようだな・・」
「今何か用意させます!お疲れでしょう!」
「今、此処に居る者で全員か?」
「へい!延津で死んだ一人を除いた全員が無事です!」

わっと駆け寄る部下達1人1人と目線を合わせ、無事を喜んだ張燕。
皆傷ついてはいるが、全員の目は生気で満ちているようだ。

張燕との再会で一気に屋敷は賑わい、活気づいた。
貴方の代わりは誰もなれない、そう言った杜長の言葉と光景が重なる。
だが俺がこうして頭領として座せるのも、支えてくれる孫軽ら6人と皆が居るからだ。

見た所、俺以外の武将クラスは到着していない・・
今居るこいつらに俺の指示を満遍なく伝えられ、時に指揮を執れるのが孫軽ら6人だった。
奴等の誰が欠けても、指示は滞るし指揮を執る武将もいなくなる。

「頭領・・孫将軍達は・・・」
「珪固の死は間違いない・・が、孫軽と杜長は俺を逃がした後必ず追いつくはずだ」

白繞と王当だけが所在不明・・干毒もどうなったか定かではない。
だがただでさえ不安そうな部下達に全てを報告するのは躊躇われた。
生きているのか死んだのかすら張燕も分からないのだ。

どいつもこいつもただでは死なない奴等ばかりだった。
何処かで無事、袁紹軍をやり過ごしてるんなら焦らさずさっさと姿を見せろ・・バカ共・・・

流石の張燕も不安という物に心が埋め尽くされようとしていた。
その時だ、またも屋敷へ続く坂道を何者かが歩く気配がしたのは。
すぐさま張燕は坂道方面を睨み、武器を構えると部下達にも構えるよう促した。
死なば諸共、だ――

いつでも振るえるよう構えた武器、神経を研ぎ澄ませ気配を探る。
そうする事数秒・・・やがて1つの影が闇の中より現れた。

まだ警戒したままの張燕らの前に現れたのは、血塗れの白繞。
これには息を呑むと、張燕は素早く白繞へ駆け寄った。

「白繞!!よく無事でいてくれた!」
「ちょ・・張燕・・・殿」
「「白将軍!」」

張燕の叫びを皮切りに、後ろに居た部下達にも誰が来たのかが分かり
歓声と喜びの声を上げ14人も白繞へ駆け寄った。

近くで見た白繞の顔は紙のように白く、怪我の重さを感じさせる。
名前を表すかのように白い生地を主に織られた衣は、彼方此方が破れてほつれ所々に鮮血が。
ついでによく見ると、二の腕や腰に刀傷のような物が見てとれた。

顔が白くなるほどに出血したと見える背中の傷は、簡易的に応急手当てをした様子が伺える。
恐らく途中で白繞自らが止血したんだろう。

張燕は部下達に傷の手当をさせるよう指示、それから何枚かの布かお湯を用意させた。
それらが届くのを待ちながら、問うのが辛い言葉を憔悴した白繞へ向ける。

「ゆっくりでいい、珪固や他の者達の最期を知っているなら・・我々に教えてくれ」

そう言葉を掛ければ、背後の部下達の気配が沈む。
言葉を向けられた白繞は数秒だけ俯き、意を決して報告を始めた。
その報告はとても辛く、また武将達からの託された思いを受け取るものとなった。

袁紹軍の文醜らに囲まれ、襲い掛かられたあの瞬間。
怒り狂う孫軽をフォローしようと駆けだした白繞は、圧倒的数の多さに孫軽を助ける処か自らが危機に瀕した。
何とか近くの袁紹軍を数人斬り伏せはしたが、圧倒的不利は変わらない。
辛うじて張燕の指示を聞き、輜重を横倒しにして壁は作ったものの背後はガラ空きで何がどうなっているのかすら分からなくなった。

身動きも取れないまま体は傷を負い、混戦で足元を掬われ地に伏した時
死、という言葉が白繞の脳内を巡った。

起き上がった所を斬られ、燃えるような背中の痛みに膝を着いた。
混戦で訳も分からない兵士が敵味方関係なく武器を振るう中
強い力で引き起こされた白繞は、背面を誰かにフォローされるようにして混戦の外へと抜け出し

何とか顔を上げた先に見えた干毒と、珪固。
彼ら二人もボロボロに傷つき、戦い続けるには難しいくらいに疲れ切っていた。
そんな二人が混戦の波から白繞を守るようにして言ったらしい。

”張燕と仲間達を頼むぞ――”

あまりにも眩しく、晴れ晴れとした笑顔で白繞に託した古参の二人。
怒号と絶叫に支配された混戦の中、不思議と二人の言葉がクリアに聞こえた。

他の仲間の無事も分からない、自分も残ると訴える白繞は自分が泣いている事に気づいた。
敵を押しとどめていた珪固が刃に倒れ、よろめく体に幾つもの剣を生やし混戦の中に消えて行く。
声無き絶叫を白繞は初めて体験した、残った干毒が強引に白繞を混戦する延津の脇にある森へと突き飛ばした。

”白繞、お前は俺らの分も生きろ――・・生きて俺らみたいなならず者に居場所をくれた頭領や仲間たちを守ってくれ”

頼んだぞ?・・最期まで干毒も珪固も晴れ晴れとした顔をしていた。
やがて干毒の姿も混戦の中見えなくなり、逃がされた白繞は泣きながら常山郡を目指して森の中を走ったのだという。

話を聞きながら張燕は先に姿を見失っていた珪固の死を悟った。
聞き手の部下達も次第に嗚咽を洩らし、偉大な武将二人の死を嘆き悲しんだ。

話し終えた白繞も涙に暮れ、肩を揺らしている。
6翼在った翼のうち、張燕は内2翼を失った。
残る所在は孫軽と杜長、そして白繞からも報告の無い王当のみ。

未だ所在不明の三人の事を思う中、夜は更けて行った。


魏帝の徒花
2019/3/26 up
別れの章となってしまいましたなあ・・まあ、読み手の皆さんからすると孫軽と白繞以外は初めて名前の出て来た武将なので
またも感情移入の難しい感じだったと思われます(・∀・)この話から4章に突入となります。
書ける時に更新出来るスタンスを崩さないよう頑張りたいですな~・・・・劉備は感情に走りやすい人らしいですが管理人の中のイメージは仁君ですね。
好奇心旺盛で、知りたい事や疑問に思った事はストレートに聞くという子供みたいな部分もあり でも思慮深い。
その好奇心に辟易した張飛のうんざりした感じを書くのとか楽しかったっすw 次もがんばりまーす
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