3幕 3-6話
◇
延津の地は、地獄絵図のようになった。
敵も味方も分からなくなる程の混戦。
流れを変えたのは鬨の声と共に雪崩れ込んできた第三者の軍。
これにより一方的な殺戮が形成を変え、文醜に不利な戦況へと変えた。
見るからに統率力も動きも、文醜軍を上回るもので指揮する者から曹操軍だと知れた。
総大将自ら前線に出て来る辺り、相当攻め込まれていたのだろうか?
だが張燕らに収束するまで眺める余裕などない。
圧倒的に不利な状況では流石に撤退する外なかった。
この混戦の中、流れに逆らい別方向を目指すのはかなり無理がある。
だが自分達が生き残るにはそうするしかない。
張燕は仲間の姿を捉えるべく目を凝らし、襲い来る兵士をいなしながら探す。
認めたくはないが恐らく珪固は助からんだろう・・
それでも全員また会えると信じ、孫軽と杜長と共に離脱するしかなかった。
「あいつらしつけぇなぁ!」
「追われるのは承知していただろ?兎に角今は此処から離れるしかない!」
思わず悪態をつく孫軽を牽制し、先陣を切る杜長。
彼も黒山賊の在籍期間が長い古株で、張燕が頭領を継いだ辺りから付き従う武将だ。
孫軽より一回り年上の武将であり、生意気盛りな孫軽に武術や偵察などのイロハを指南した兄のような存在。
その杜長から牽制されると素直に口を噤み、背後からの攻撃を警戒する事に務める。
粗野で口は悪いが仲間思いで人情に厚い孫軽の良し悪しを理解する数少ない人物だ。
現時点で孫軽らを追跡して来るのは見た所・・5~6人。
杜長と孫軽の武があれば問題なくやり過ごせるだろう。
今は黄河沿いを西へ向かっている、運が良ければ渡し船の乗り場が在るはず。
最悪そこから張燕だけでも逃がさなければ・・・
自分達は替えが利くが、黒山賊の荒くれものらを束ね、養える能力を持つ張燕の替えは利かない。
ただ頭脳明晰でも、ただ強いというだけでも頭領は務まらないのだ。
高い統率力や、冷静な判断、部下の意見を聞く寛容さ・・ついて行きたいと思わせる人間力。
それら全てを兼ね備える者は多くない。
先代張牛角は高い統率力と頭のキレる張燕あっての頭領だった。
張牛角はどちらかと言うと・・頭で考えるより行動だ!というタイプ。
高い行動力があり、当時右腕を務めた張燕の人間力が多くの人間を呼び込み
猪突猛進型の張牛角を補える張燕の冷静な判断、的確な指示があってこその黄巾の乱の活躍だ。
賊軍を率いる頭領で終わらせては勿体ない・・張燕にはもっと別の道が在るはず。
杜長は思案する傍ら、斜め後ろを走る張燕をチラ見した。
再度後方を見ると、追跡を諦めたと見える文醜軍の兵士らが2人延津の陣へ戻って行くのが見えた。
恐らく半分が本陣を見に戻り、残る3人が此方を追うつもりなのかもしれん。
しかしたかが賊軍の残党をこんなに執拗に追跡するものか?
「しつこい追跡だが、もしかすると奴ら・・我らを曹操軍の別動隊か何かと勘違いしてる可能性もあるな」
ふと沸いた杜長の疑問に、タイミングよく同じことを感じたらしい張燕が呟くのが聞こえた。
それにしたってしつこいと思う追跡、徹底的に芽を摘むつもりなのか?
「あれか!?船着き場ってのは!」
そろそろ走っているのも限界を迎えつつある時、視力に長けた孫軽が声を張り上げる。
一見偵察に不向きな印象のある孫軽が偵察を任されているのは、この視力の良さもあるのだ。
一般的な視力で良い方だとしても、まだ黒い点のようにしか見えないソレ。
だが同じ黒い点でも孫軽の目で見る点は、まだ小さくても船着き場だと目視出来る。
彼のこの視力に助けられ、張燕はどの軍より早く目標に迫る事も出来、素早く備える事が出来た。
頭領である自分がこんな風に思うのは弱さかもしれない、だが思わずに居られなかった。
今こうして撤退する時に、独りでなく、彼らが共に居てくれて良かった・・と。
今までなら仲間に感謝したり有り難いと思う心すら否定していた。
胸中ですら『仲間』などという単語で彼らを表したりなどしなかっただろう。
歳でも取ったか・・と自嘲し、孫軽が見つけた船着き場を目指して走る。
その船着き場が近づき、目と鼻の先まで距離を詰めた時だ。
「やっぱり来たな?曹操軍の残党め!」
「!?」
「うん?いや・・違うな、その風体・・・まさか袁紹様に仇なす黒山賊か!」
ヒュン!と空気が唸ると咄嗟に後方に避ける張燕。
その足先付近の地面にしなる矢が突き刺さった。
杜長や孫軽もこれに警戒し、足を止め、張燕の付近に集まる。
両手を広げるようにして守る体勢の中鋭く辺りを見渡すと
黄河沿いに茂る木々の間から弓幹を手にした兵士らが4~5人姿を現した。
ここで張燕の読みが的中、彼らは自分達を曹操軍の兵士だと思い追跡しているようだった。
それならそれで都合も良かったのだが、後から出て来た袁紹軍の兵士に黒山賊だと気づかれてしまう。
不味いな・・と思ったのは杜長。
曹操軍の者だと思われたままなら奴等も均等に自分らを攻撃するだろう・・・
しかし黒山賊と知れてしまえば自分達の素性、そして張燕が頭領だと気づかれる。
そうなれば彼らは真っ先に頭領である張燕を狙い、袁紹への手土産にするに違いない。
仕方ない、ここは素性を見抜かれる前に張燕だけでも逃がさねば。
結論を己の中で出した杜長は、袁紹軍の兵士らが思案する隙を与えぬよう予備動作すら気づかせない速さで武器を振り下ろしていた。
一歩踏み出した足に重心を掛け、体ごと捻るようにして近くに立つ兵士を袈裟斬りにする。
「ぎゃあああ!!」
袁紹軍兵士の絶叫と断末魔が河沿いに響く。
これにハッとした他の袁紹軍も剣を抜いて構え、戦闘態勢に入った。
勿論孫軽も張燕も武器を構えて睨み合う。
が、兵士と向かい合ったまま少し後退して張燕に耳打ちする。
此処は私と孫軽が引き受けるから、一足先に此処を離脱して欲しいと。
「何を言う、この人数相手なら3人で対処する方が適切だ」
「いいですか張燕殿、常山郡には貴方を待つ仲間が固唾を飲んで待っているはず。」
「だが俺はお前たちを見捨てたりなど――」
「貴方の代わりは誰にも務まりません、黒山賊の仲間は貴方の下に集った。貴方だから、賊軍と知りながらも残っているんです」
じりじりと距離を測るように視線は相手を見たまま、淡々と杜長は話す。
此処が黄河の河沿いで、今自分達は袁紹軍に包囲されている。
そんな状況を忘れさせるくらいの落ち着いた声だった。
途端に妙な胸騒ぎを覚える張燕。
視界に映る杜長の顔は凪のように静かで・・嫌な予感しかしない。
少しすると、杜長とは反対側から張燕の横に立つ孫軽にも気づく。
「張燕、ここは素直に古参の言う事聞いといてくれや」
「孫軽・・お前まで何言ってる」
1人斬り掛って来た兵士の武器を弾いていなしながら軽口を叩く孫軽を思わず睨んだ。
揃いも揃って妙に静かな雰囲気で、何を覚悟したような目をしてやがる・・と。
杜長は上手く気取らせないよう立ち位置を少しずつ船着き場へと変えた。
孫軽が反対側から自分の体で張燕を押すようにして船着き場側に誘導。
二人は本気で張燕だけを逃がそうとしているのが肌で分かった。
「常山郡で落ち合おう、そう言ったのは張燕アンタだ。
先に逃れた仲間もその言葉を守り、待ってる。
なのにこんなところで時間取られたら、待ってる仲間に悪りぃだろ?」
俺達なら大丈夫、白繞達と合流したら後を追うから。
そう自信満々な笑みで孫軽は張燕に言った。
ここまで言われてはそうするしかない・・か?
だがこのまま離脱していいものか、張燕の心が躊躇う。
「あの男・・黒山賊頭領の張燕じゃないか?」
「袁紹様を散々攻め立てた奴だ!討ち取って袁紹様への手土産にするぞ!」
「応!!」
船着き場への階段を躊躇いながら上った矢先、袁紹軍の面々に張燕の素性が知れた。
これに舌打ちする杜長と孫軽、沸き立つ袁紹軍の兵士らを迎え討たんと武器を構え
通せんぼするかのように船着き場への階段の前に立った。
「貴様ら其処を退きやがれ!」
「よく見ればこいつら張燕の腹心と右腕の将だ、皆まとめて討ち取ってやれ!」
自分達の素性が完全に知れると、開き直った様子の孫軽は挑発的な笑みを浮かべた。
リーチの長い槍を構える杜長、力技だけでなく素早い動きを得意とする孫軽の武器は車旋戟。
戟の刃先より少し下辺りに、歯車のような物が付けられその歯車についた刃先ごと敵を屠れる。
腕力と器用さが求められる武器を操り、杜長と二人船着き場を守る殿を務めるつもりだ。
わっと立ち向かう袁紹軍の兵士を容赦なく二人の武技が薙ぎ払い
掃討は早くつきそうだと張燕も判断、じきに後方から追跡している三人の兵士も合流するだろう。
そうなってもこの二人なら背中を預けられる、頭領として常山郡で待つ部下にも指示しなくてはならない。
だから戻らねば、と張燕は自分自身に言い聞かせた。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、一気に繋いである船へ乗り込むと
櫂を両手に持ったところで視線を陸に向ける。
「杜長!孫軽!」
後方の3人が合流し、追手が七人に増えた光景を前に名のある二人を呼ぶ。
二人なら負ける筈もない、そう信じているが何故か胸騒ぎがする。
「なんだ張燕まだいたのかよ早く行けっての!」
「二手に分かれた二人の兵士が更に増援を呼ぶ可能性もあります、ここは我らに任せて早く!」
「――く・・っ!二人とも、死ぬな・・・無事離脱して来い!お前たちに今後の事を話したい」
「その話を聞く為にも早く行け張燕!」
「ある程度いなしたら離脱しろ!」
ハイハイ、とこんな時まで孫軽はいつも通りだった。
兄と弟のような関係の二人が、息の合った動きで連携し代わる代わる張燕に言葉を飛ばす。
そんな二人を信じて、二人を死地に残して離脱しなければならない事を悔しく思いながら張燕は強く櫂で水をかい込む。
次第に岸は遠のき、河辺の喧噪も怒号も遠くなる。
船着き場から小さくなって行く小舟を見送り、残った二人は改めて敵兵士らと向き合った。
これで思う存分戦える、心おきなく・・・我らの希望は無事託した。
「よっしゃ、久し振りに暴れるぜ!」
「張燕が逃げたぞ!」
「おっと!追わせると思うか?」
「お前達には此処で我々の相手をして貰うぞ」
目の前で黒山賊頭領に逃げられ、憤る袁紹軍の兵士。
船着き場へ乗り込もうとする兵士は孫軽が車旋戟で防いだ。
行く手を阻まれ歯噛みする兵士。
既に一人二人と倒れ、追手の人数は六人に減っている。
延津自体の様子も気掛かりだ・・あっちに残ったままの三人が無事かをも確かめねば。
それには此処での戦いを終わらせる必要がある。
数では負けていても、二人の実力ならそれを覆せると孫軽は自負していた。
幼き頃から杜長に武芸と偵察能力を叩き込まれた日々。
師匠というより実の兄のように杜長を慕った孫軽。
久し振りに肩を並べて武器を取るのが嬉しくてたまらない。
仕合形式で武芸を磨き、学び、共に生活した記憶はとても温かく大切な思い出だ。
袁紹軍の兵士らは、実力差を埋められず討ち取ると豪語したにも関わらず被害を増やしただけだった。
何せ杜長の槍でリーチを活かした攻撃をされ、手が出せない所を死角から近づいた孫軽に倒される。
この連携を崩せず袁紹軍の兵士は減って行きやがて殲滅された。
「ったく討ち取るとか豪語しといてこのザマかよ」
せせら笑うように言う孫軽が車旋戟の血を掃う。
暫く追手の増援は到達しそうになく、少し息をつく事が出来た。
「疲れたか?」
「まさか、このくらい朝飯前だぜ」
「それは何よりだ、延津の様子を見に行って貰うとしよう」
えええー!と文句を言うのは予想通り。
だが不満そうな声を出している割に、頼まれてくれるつもりなのは顔で分かる。
俺の方が若いから仕方ねぇな、と引き受けてくれるのが微笑ましい。
まだ年若い身ながら頭領の右腕と呼ばれるまでに強くなり
去年には奉公に来た曉の南郡太守の娘を自分の妹のように気にかけ、杜長から受けた処世術を指南するのをよく見かけた。
お前なら、弱き者にも等しく接しられるお前なら・・・これからを任せられそうだ。
恐らく杜長だけでなく、張燕も悟っているだろう。
だから去り際に張燕は言い残した、話したい事があると。
これが私の思った通りの内容だとしたら、尚の事、孫軽に託したいと思う。
「孫軽」
「おう?」
決意は言葉と成り、延津へ歩き出した若者の名を呼ぶ。
呼び止められた孫軽はくるりと振り向き、武芸の兄の言葉を待った。
「常山郡での日々が実を結んだな、よく此処まで私の期待に応えてくれた」
「何だよ改まって照れるじゃんかよ」
「そんなお前に頼みたい、張燕殿がどんな決断をしようと誰が反対してもお前だけは味方で居てやれ」
厳しくも優しい兄のような杜長の期待に応えたくて、がむしゃらに突っ走って来た18年間。
目標にしていた相手から認められたようで無性に照れる。
照れる孫軽を微笑ましく見つめ、杜長は穏やかな声で言葉を続けた。
まるで先を見越したような意味深な言葉に、少し怪訝そうに杜長を見やる。
「さあ行ってこい、もし行った先で干毒らの骸を見つけたら葬ってやれ」
「あ、ああ・・杜長は?」
「俺は河を渡る為の船でも見つけておくさ」
「分かった、行ってくる」
孫軽に表情を読ませないかのように笑みを作り、話題を変える。
その話で未だに追い付かない残りの仲間の死を悟った孫軽の顔が悔しさに歪む。
それでも気持ちを切り替えると笑顔で応え、少し内陸側に茂る木々に身を隠しながら来た道を戻って行った。
見えなくなる姿と、遠のく気配。
奴に教えられる事は全て教えた・・いや、まだまだ教えが必要な若者だが
「俺はここまでのようだ、孫軽」
淡く微笑む顔が苦痛に歪み、ガクリと膝をつく。
気づかれないように戦い抜いた杜長の腹部には刺し傷があり
手を添えたそこから鮮血が滲み、服を赤く染めて行く。
船で離脱する間際のやり取りの時、孫軽と張燕が言葉を交わしていたあの時に負ったものだ。
誰が悪いわけではない、自分自身が防ぎきれなかっただけの事。
弟のような存在の孫軽を狙った一突きを、槍で防ぐには分が悪い近さで気づけば己の体を盾にしていた。
何故か清々しい気持ちだ・・孫軽。
今まで賊軍として民を襲い人を傷つけて来た己が、初めて生かしたいと思える若者に出会えた。
強さに対する貪欲さと、普段の時の人懐っこさを好み・・やがては彼の成長を楽しみにする己が居た。
家族のような情を持つ事が出来た、そんな相手の盾になれた事を誇りに思う自分がいる。
目を掛けると期待に応えてくれる素直さが孫軽の武器だろう。
体を起こしていられなくなり、手に馴染んだ愛槍を支えに船着き場に続く階段の柱に凭れて座るとこれまでの事に思いを馳せる。
黒山賊の有り様は・・・今日以降大きく変わるだろう。
その節目に立ち会えず、張燕を支えてやれない事・・孫軽に教える時間が失くなる事だけが心残りかな。
「さらば孫軽、さらば張燕・・・私は一足先に隠居させて貰うよ」
杜長の双眸は色を失くし、柱の感覚すら遠のいていく。
似つかわしくない晴れた日の下、後に残る仲間達に思いを馳せながら目を閉じる。
まだ若い腹心の男は、誰に看取られる事なく静かに黄河の河辺にて32歳の生涯に幕を下ろした。
敵も味方も分からなくなる程の混戦。
流れを変えたのは鬨の声と共に雪崩れ込んできた第三者の軍。
これにより一方的な殺戮が形成を変え、文醜に不利な戦況へと変えた。
見るからに統率力も動きも、文醜軍を上回るもので指揮する者から曹操軍だと知れた。
総大将自ら前線に出て来る辺り、相当攻め込まれていたのだろうか?
だが張燕らに収束するまで眺める余裕などない。
圧倒的に不利な状況では流石に撤退する外なかった。
この混戦の中、流れに逆らい別方向を目指すのはかなり無理がある。
だが自分達が生き残るにはそうするしかない。
張燕は仲間の姿を捉えるべく目を凝らし、襲い来る兵士をいなしながら探す。
認めたくはないが恐らく珪固は助からんだろう・・
それでも全員また会えると信じ、孫軽と杜長と共に離脱するしかなかった。
「あいつらしつけぇなぁ!」
「追われるのは承知していただろ?兎に角今は此処から離れるしかない!」
思わず悪態をつく孫軽を牽制し、先陣を切る杜長。
彼も黒山賊の在籍期間が長い古株で、張燕が頭領を継いだ辺りから付き従う武将だ。
孫軽より一回り年上の武将であり、生意気盛りな孫軽に武術や偵察などのイロハを指南した兄のような存在。
その杜長から牽制されると素直に口を噤み、背後からの攻撃を警戒する事に務める。
粗野で口は悪いが仲間思いで人情に厚い孫軽の良し悪しを理解する数少ない人物だ。
現時点で孫軽らを追跡して来るのは見た所・・5~6人。
杜長と孫軽の武があれば問題なくやり過ごせるだろう。
今は黄河沿いを西へ向かっている、運が良ければ渡し船の乗り場が在るはず。
最悪そこから張燕だけでも逃がさなければ・・・
自分達は替えが利くが、黒山賊の荒くれものらを束ね、養える能力を持つ張燕の替えは利かない。
ただ頭脳明晰でも、ただ強いというだけでも頭領は務まらないのだ。
高い統率力や、冷静な判断、部下の意見を聞く寛容さ・・ついて行きたいと思わせる人間力。
それら全てを兼ね備える者は多くない。
先代張牛角は高い統率力と頭のキレる張燕あっての頭領だった。
張牛角はどちらかと言うと・・頭で考えるより行動だ!というタイプ。
高い行動力があり、当時右腕を務めた張燕の人間力が多くの人間を呼び込み
猪突猛進型の張牛角を補える張燕の冷静な判断、的確な指示があってこその黄巾の乱の活躍だ。
賊軍を率いる頭領で終わらせては勿体ない・・張燕にはもっと別の道が在るはず。
杜長は思案する傍ら、斜め後ろを走る張燕をチラ見した。
再度後方を見ると、追跡を諦めたと見える文醜軍の兵士らが2人延津の陣へ戻って行くのが見えた。
恐らく半分が本陣を見に戻り、残る3人が此方を追うつもりなのかもしれん。
しかしたかが賊軍の残党をこんなに執拗に追跡するものか?
「しつこい追跡だが、もしかすると奴ら・・我らを曹操軍の別動隊か何かと勘違いしてる可能性もあるな」
ふと沸いた杜長の疑問に、タイミングよく同じことを感じたらしい張燕が呟くのが聞こえた。
それにしたってしつこいと思う追跡、徹底的に芽を摘むつもりなのか?
「あれか!?船着き場ってのは!」
そろそろ走っているのも限界を迎えつつある時、視力に長けた孫軽が声を張り上げる。
一見偵察に不向きな印象のある孫軽が偵察を任されているのは、この視力の良さもあるのだ。
一般的な視力で良い方だとしても、まだ黒い点のようにしか見えないソレ。
だが同じ黒い点でも孫軽の目で見る点は、まだ小さくても船着き場だと目視出来る。
彼のこの視力に助けられ、張燕はどの軍より早く目標に迫る事も出来、素早く備える事が出来た。
頭領である自分がこんな風に思うのは弱さかもしれない、だが思わずに居られなかった。
今こうして撤退する時に、独りでなく、彼らが共に居てくれて良かった・・と。
今までなら仲間に感謝したり有り難いと思う心すら否定していた。
胸中ですら『仲間』などという単語で彼らを表したりなどしなかっただろう。
歳でも取ったか・・と自嘲し、孫軽が見つけた船着き場を目指して走る。
その船着き場が近づき、目と鼻の先まで距離を詰めた時だ。
「やっぱり来たな?曹操軍の残党め!」
「!?」
「うん?いや・・違うな、その風体・・・まさか袁紹様に仇なす黒山賊か!」
ヒュン!と空気が唸ると咄嗟に後方に避ける張燕。
その足先付近の地面にしなる矢が突き刺さった。
杜長や孫軽もこれに警戒し、足を止め、張燕の付近に集まる。
両手を広げるようにして守る体勢の中鋭く辺りを見渡すと
黄河沿いに茂る木々の間から弓幹を手にした兵士らが4~5人姿を現した。
ここで張燕の読みが的中、彼らは自分達を曹操軍の兵士だと思い追跡しているようだった。
それならそれで都合も良かったのだが、後から出て来た袁紹軍の兵士に黒山賊だと気づかれてしまう。
不味いな・・と思ったのは杜長。
曹操軍の者だと思われたままなら奴等も均等に自分らを攻撃するだろう・・・
しかし黒山賊と知れてしまえば自分達の素性、そして張燕が頭領だと気づかれる。
そうなれば彼らは真っ先に頭領である張燕を狙い、袁紹への手土産にするに違いない。
仕方ない、ここは素性を見抜かれる前に張燕だけでも逃がさねば。
結論を己の中で出した杜長は、袁紹軍の兵士らが思案する隙を与えぬよう予備動作すら気づかせない速さで武器を振り下ろしていた。
一歩踏み出した足に重心を掛け、体ごと捻るようにして近くに立つ兵士を袈裟斬りにする。
「ぎゃあああ!!」
袁紹軍兵士の絶叫と断末魔が河沿いに響く。
これにハッとした他の袁紹軍も剣を抜いて構え、戦闘態勢に入った。
勿論孫軽も張燕も武器を構えて睨み合う。
が、兵士と向かい合ったまま少し後退して張燕に耳打ちする。
此処は私と孫軽が引き受けるから、一足先に此処を離脱して欲しいと。
「何を言う、この人数相手なら3人で対処する方が適切だ」
「いいですか張燕殿、常山郡には貴方を待つ仲間が固唾を飲んで待っているはず。」
「だが俺はお前たちを見捨てたりなど――」
「貴方の代わりは誰にも務まりません、黒山賊の仲間は貴方の下に集った。貴方だから、賊軍と知りながらも残っているんです」
じりじりと距離を測るように視線は相手を見たまま、淡々と杜長は話す。
此処が黄河の河沿いで、今自分達は袁紹軍に包囲されている。
そんな状況を忘れさせるくらいの落ち着いた声だった。
途端に妙な胸騒ぎを覚える張燕。
視界に映る杜長の顔は凪のように静かで・・嫌な予感しかしない。
少しすると、杜長とは反対側から張燕の横に立つ孫軽にも気づく。
「張燕、ここは素直に古参の言う事聞いといてくれや」
「孫軽・・お前まで何言ってる」
1人斬り掛って来た兵士の武器を弾いていなしながら軽口を叩く孫軽を思わず睨んだ。
揃いも揃って妙に静かな雰囲気で、何を覚悟したような目をしてやがる・・と。
杜長は上手く気取らせないよう立ち位置を少しずつ船着き場へと変えた。
孫軽が反対側から自分の体で張燕を押すようにして船着き場側に誘導。
二人は本気で張燕だけを逃がそうとしているのが肌で分かった。
「常山郡で落ち合おう、そう言ったのは張燕アンタだ。
先に逃れた仲間もその言葉を守り、待ってる。
なのにこんなところで時間取られたら、待ってる仲間に悪りぃだろ?」
俺達なら大丈夫、白繞達と合流したら後を追うから。
そう自信満々な笑みで孫軽は張燕に言った。
ここまで言われてはそうするしかない・・か?
だがこのまま離脱していいものか、張燕の心が躊躇う。
「あの男・・黒山賊頭領の張燕じゃないか?」
「袁紹様を散々攻め立てた奴だ!討ち取って袁紹様への手土産にするぞ!」
「応!!」
船着き場への階段を躊躇いながら上った矢先、袁紹軍の面々に張燕の素性が知れた。
これに舌打ちする杜長と孫軽、沸き立つ袁紹軍の兵士らを迎え討たんと武器を構え
通せんぼするかのように船着き場への階段の前に立った。
「貴様ら其処を退きやがれ!」
「よく見ればこいつら張燕の腹心と右腕の将だ、皆まとめて討ち取ってやれ!」
自分達の素性が完全に知れると、開き直った様子の孫軽は挑発的な笑みを浮かべた。
リーチの長い槍を構える杜長、力技だけでなく素早い動きを得意とする孫軽の武器は車旋戟。
戟の刃先より少し下辺りに、歯車のような物が付けられその歯車についた刃先ごと敵を屠れる。
腕力と器用さが求められる武器を操り、杜長と二人船着き場を守る殿を務めるつもりだ。
わっと立ち向かう袁紹軍の兵士を容赦なく二人の武技が薙ぎ払い
掃討は早くつきそうだと張燕も判断、じきに後方から追跡している三人の兵士も合流するだろう。
そうなってもこの二人なら背中を預けられる、頭領として常山郡で待つ部下にも指示しなくてはならない。
だから戻らねば、と張燕は自分自身に言い聞かせた。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、一気に繋いである船へ乗り込むと
櫂を両手に持ったところで視線を陸に向ける。
「杜長!孫軽!」
後方の3人が合流し、追手が七人に増えた光景を前に名のある二人を呼ぶ。
二人なら負ける筈もない、そう信じているが何故か胸騒ぎがする。
「なんだ張燕まだいたのかよ早く行けっての!」
「二手に分かれた二人の兵士が更に増援を呼ぶ可能性もあります、ここは我らに任せて早く!」
「――く・・っ!二人とも、死ぬな・・・無事離脱して来い!お前たちに今後の事を話したい」
「その話を聞く為にも早く行け張燕!」
「ある程度いなしたら離脱しろ!」
ハイハイ、とこんな時まで孫軽はいつも通りだった。
兄と弟のような関係の二人が、息の合った動きで連携し代わる代わる張燕に言葉を飛ばす。
そんな二人を信じて、二人を死地に残して離脱しなければならない事を悔しく思いながら張燕は強く櫂で水をかい込む。
次第に岸は遠のき、河辺の喧噪も怒号も遠くなる。
船着き場から小さくなって行く小舟を見送り、残った二人は改めて敵兵士らと向き合った。
これで思う存分戦える、心おきなく・・・我らの希望は無事託した。
「よっしゃ、久し振りに暴れるぜ!」
「張燕が逃げたぞ!」
「おっと!追わせると思うか?」
「お前達には此処で我々の相手をして貰うぞ」
目の前で黒山賊頭領に逃げられ、憤る袁紹軍の兵士。
船着き場へ乗り込もうとする兵士は孫軽が車旋戟で防いだ。
行く手を阻まれ歯噛みする兵士。
既に一人二人と倒れ、追手の人数は六人に減っている。
延津自体の様子も気掛かりだ・・あっちに残ったままの三人が無事かをも確かめねば。
それには此処での戦いを終わらせる必要がある。
数では負けていても、二人の実力ならそれを覆せると孫軽は自負していた。
幼き頃から杜長に武芸と偵察能力を叩き込まれた日々。
師匠というより実の兄のように杜長を慕った孫軽。
久し振りに肩を並べて武器を取るのが嬉しくてたまらない。
仕合形式で武芸を磨き、学び、共に生活した記憶はとても温かく大切な思い出だ。
袁紹軍の兵士らは、実力差を埋められず討ち取ると豪語したにも関わらず被害を増やしただけだった。
何せ杜長の槍でリーチを活かした攻撃をされ、手が出せない所を死角から近づいた孫軽に倒される。
この連携を崩せず袁紹軍の兵士は減って行きやがて殲滅された。
「ったく討ち取るとか豪語しといてこのザマかよ」
せせら笑うように言う孫軽が車旋戟の血を掃う。
暫く追手の増援は到達しそうになく、少し息をつく事が出来た。
「疲れたか?」
「まさか、このくらい朝飯前だぜ」
「それは何よりだ、延津の様子を見に行って貰うとしよう」
えええー!と文句を言うのは予想通り。
だが不満そうな声を出している割に、頼まれてくれるつもりなのは顔で分かる。
俺の方が若いから仕方ねぇな、と引き受けてくれるのが微笑ましい。
まだ年若い身ながら頭領の右腕と呼ばれるまでに強くなり
去年には奉公に来た曉の南郡太守の娘を自分の妹のように気にかけ、杜長から受けた処世術を指南するのをよく見かけた。
お前なら、弱き者にも等しく接しられるお前なら・・・これからを任せられそうだ。
恐らく杜長だけでなく、張燕も悟っているだろう。
だから去り際に張燕は言い残した、話したい事があると。
これが私の思った通りの内容だとしたら、尚の事、孫軽に託したいと思う。
「孫軽」
「おう?」
決意は言葉と成り、延津へ歩き出した若者の名を呼ぶ。
呼び止められた孫軽はくるりと振り向き、武芸の兄の言葉を待った。
「常山郡での日々が実を結んだな、よく此処まで私の期待に応えてくれた」
「何だよ改まって照れるじゃんかよ」
「そんなお前に頼みたい、張燕殿がどんな決断をしようと誰が反対してもお前だけは味方で居てやれ」
厳しくも優しい兄のような杜長の期待に応えたくて、がむしゃらに突っ走って来た18年間。
目標にしていた相手から認められたようで無性に照れる。
照れる孫軽を微笑ましく見つめ、杜長は穏やかな声で言葉を続けた。
まるで先を見越したような意味深な言葉に、少し怪訝そうに杜長を見やる。
「さあ行ってこい、もし行った先で干毒らの骸を見つけたら葬ってやれ」
「あ、ああ・・杜長は?」
「俺は河を渡る為の船でも見つけておくさ」
「分かった、行ってくる」
孫軽に表情を読ませないかのように笑みを作り、話題を変える。
その話で未だに追い付かない残りの仲間の死を悟った孫軽の顔が悔しさに歪む。
それでも気持ちを切り替えると笑顔で応え、少し内陸側に茂る木々に身を隠しながら来た道を戻って行った。
見えなくなる姿と、遠のく気配。
奴に教えられる事は全て教えた・・いや、まだまだ教えが必要な若者だが
「俺はここまでのようだ、孫軽」
淡く微笑む顔が苦痛に歪み、ガクリと膝をつく。
気づかれないように戦い抜いた杜長の腹部には刺し傷があり
手を添えたそこから鮮血が滲み、服を赤く染めて行く。
船で離脱する間際のやり取りの時、孫軽と張燕が言葉を交わしていたあの時に負ったものだ。
誰が悪いわけではない、自分自身が防ぎきれなかっただけの事。
弟のような存在の孫軽を狙った一突きを、槍で防ぐには分が悪い近さで気づけば己の体を盾にしていた。
何故か清々しい気持ちだ・・孫軽。
今まで賊軍として民を襲い人を傷つけて来た己が、初めて生かしたいと思える若者に出会えた。
強さに対する貪欲さと、普段の時の人懐っこさを好み・・やがては彼の成長を楽しみにする己が居た。
家族のような情を持つ事が出来た、そんな相手の盾になれた事を誇りに思う自分がいる。
目を掛けると期待に応えてくれる素直さが孫軽の武器だろう。
体を起こしていられなくなり、手に馴染んだ愛槍を支えに船着き場に続く階段の柱に凭れて座るとこれまでの事に思いを馳せる。
黒山賊の有り様は・・・今日以降大きく変わるだろう。
その節目に立ち会えず、張燕を支えてやれない事・・孫軽に教える時間が失くなる事だけが心残りかな。
「さらば孫軽、さらば張燕・・・私は一足先に隠居させて貰うよ」
杜長の双眸は色を失くし、柱の感覚すら遠のいていく。
似つかわしくない晴れた日の下、後に残る仲間達に思いを馳せながら目を閉じる。
まだ若い腹心の男は、誰に看取られる事なく静かに黄河の河辺にて32歳の生涯に幕を下ろした。
魏帝の徒花
2019/3/19 up
杜長あああ、が「もりおさ」なのか「もりなが」なのかで悩んでます。
もりながだと森永・・・になってしまうからもりおさ読みにしようかな!まあもう旅立ってしまいましたが・・
ホントは孫軽を庇って弓矢に倒れ、孫軽に看取られる予定でしたが今回初出たらお亡くなりになった人なので
読み手の皆さんからの感情移入は難しいなと判断し、孫軽を敢えて送り出させてからの没としました。
wikiには名前だけ載ってる張燕の部下ですね(・∀・)師弟関係にしてみたら中々の存在感?に?なってませんよねハハハハ・・がんばります。
もりながだと森永・・・になってしまうからもりおさ読みにしようかな!まあもう旅立ってしまいましたが・・
ホントは孫軽を庇って弓矢に倒れ、孫軽に看取られる予定でしたが今回初出たらお亡くなりになった人なので
読み手の皆さんからの感情移入は難しいなと判断し、孫軽を敢えて送り出させてからの没としました。
wikiには名前だけ載ってる張燕の部下ですね(・∀・)師弟関係にしてみたら中々の存在感?に?なってませんよねハハハハ・・がんばります。
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