魏帝の徒花

起ノ章 3幕

3幕 3-5話


官渡の戦いへ繋がる白馬・延津戦が意外な幕切れを迎えつつある頃。
曹操の本拠地、許都でも動き出す者が居た。

弓術を磨く演習所にて、1人黙々と弓を放つ人物。
短い黒髪を、矢を放つ度に揺らす。
静寂の中幾本も矢羽を番えて放つ事数十分・・・
その人物へ近づく姿が声を上げた。

「子桓殿、あまりに肩を酷使しては本戦に差し支えますよ」
「――荀彧か・・案ずるな、そこまで愚かではない」

字で呼ぶ相手、それは曹子桓・曹操の側室が生んだ子息にあたる。
彼を字で呼べるのは父親の曹操、懇意にしている荀彧、従子の曹休のみ。
実はこの曹操の従子の中には、夏侯淵の息子、夏侯覇も含まれている。

(正史でもゲームでも字呼びはしません)

荀彧が子桓、曹丕の所を訪ねたのは戦況の報告の為でもあった。
兵数では劣る自軍、しかし優れた軍師を多く抱える故
撤退こそはしたものの、被害は少ない。

弓幹を漸く手放し、荀彧の報告に耳を傾けた曹丕。
壁際に置かれた長椅子に脚を組んで座る相手へ
簡潔だが現在の戦況を報告した。

「白馬に陣取った東郡太守、劉延殿ですが荀攸の策もあり楽進殿らの援軍にて包囲を解かせる事に成功しております」
「・・確か、荀彧の甥だったな」

どのような策だったのだ?と座る姿勢は崩さず、目線も合わさないまま問われる。
殿に似た冷涼な眼差しの子桓へ拱手した後、これまた簡潔に説明。
客将関羽、張遼らと呼応させるべく奇襲部隊として楽進・于禁を向かわせ

囮軍が顔良部隊を西側から陽動、すぐさま楽進らが東側より背後を突き
突出していた顔良を孤立させた所を関羽が討ち取った。

「皆の活躍で顔良は討ち取られ、白馬の包囲も解く事が出来 民達も無事避難させたとの事です」
「・・・・我が軍以外の何者かが囮役を担った、という事か?」
「――・・・そのようです」
「ほう・・我らの動きに合わせて聡く動ける者らがいたのか、或いは知らずに動かされていたのかどちらにせよ興味深いな」

流石お前の甥、荀淑家の者達だ。と曹丕は口許だけで笑む・・
曹丕も曹丕で幼少の頃より知勇に優れる辺り、物事の本筋を読むのが早い。
今のやり取りの中で受けた疑念から別の動きを担った者たちが自軍ではないと気づいたようだ。

これは興味を持たれた、という事になりますね・・・
曹丕に知れれば曹操も知る流れになりかねない・・が、その事を上手く使えば
図らずも曹丕に擁護してもらえる可能性も出てくる。

上手く事が運べば、万が一の事態になっても、恩赦となる・・・
賭けてみますかね・・・。

自らが恩赦となる為でなく、あの者がそうなるよう荀彧は画策を開始。
敢えて曹丕に興味を抱かせるべく報告を続けた。

「子桓殿は流石ですね、ご指摘の通り、囮軍となったのは自軍ではなく」

黒山賊と呼ばれる者達の別動隊です、言いながら曹丕の表情を盗み見る。
言葉こそ発せずだったが、明らかに反応を示したのが僅かに動いた気配で察せられた。
自軍は黒山賊の別動隊が動いたのを知り、荀攸が策の一旦として囮軍の代わりに顔良の注意を引かせた・・

そのはずだったが、別動隊を率いた一人の知者の奸計に
知らず知らず此方も乗っかる形となり、利用したはずが利用させる流れを作られていて
逆に此方が黒山賊の別動隊に助けられる形で顔良を討ち取り、白馬の包囲を解く事に成功した。

「なるほどな、つまり貴様らは互いに同じ視点で策を組み立てていた訳か」
「そうなるでしょうね・・と言う事は、黒山賊の目的も我々と同じと言う事に」
「・・・あの荀攸が一泡吹かせられたか・・その者、黒山賊に座したままなのが惜しまれるな」
「戦況次第ですが、何れは殿と袁紹軍は大きな戦場でぶつかる事となりましょう」
「・・ふ・・・軍師とは時に恐ろしいな、その戦の際はこの私も出る事となろう」
「御心のままに」

袁紹を敵と見なすなら、彼らもその大きな戦に参戦するつもりでいる。
そうなれば、賊軍の軍師としてあの者もまた参戦する可能性が高い。

この話を耳に入れた曹丕も参陣するとなれば、結論は一つ。
暗に荀彧の思惑を察した曹丕が、シニカルな笑みと共に応えて立ち上がった。
仕え主の子息にして聡い友である曹丕の背に対し、此方も笑みを湛えて拱手した。


++


同じ頃、乱戦を極めた地にてこの場を終結させた者らの姿があった。
眼前に広がる惨状と、血だまりに伏す複数の死体。

文醜らの配下の兵らと曹操軍の兵士らの死体が複数あり
その中に点在するように両軍どちらでもない者達の亡骸も見つける。
号を発したその時、輜重を盾にするようにして奮戦していた者達だ。

荀攸にとっては報告として受けた黒山賊の者達だが、曹操から見れば初めて見る者達になる。
延津へ到着した時には黒山賊の者達が丁度輜重隊を率いて撤退して行くところだった。
察するに、白馬の地で囮軍となった者らとは違う、別動隊が報告を飛ばす側と見た荀攸。
恐らく白馬から報告を受け、一旦撤退する事にしたんだろう。

だが不運にも、文醜らから発見され襲撃された。
襲い掛かる文醜軍に先頭の男が斬り捨てられたのを皮切りに
黒山賊の一人が発した慟哭と怒りの声が合図となり、乱戦が幕を開けた。

目の前で繰り広げられる一方的な殺戮にも近い戦い。
到着した曹操らも、これにはどうするべきか二の足を踏んだ。
襲撃を受けた彼らは無関係な民かもしれない、だが服装と戦慣れした様子から民ではないのは分かる。
だが圧倒的に不利で、幾ら戦慣れしてるとは言え転がる死体は文醜軍より多いと予想できた。

「皆、輜重を倒して壁にするんだ!」

そこに響いた何者かの指示。
次ぐ言葉は”仲間とてめぇの命を優先しろ”だった。

指示を飛ばした者が誰なのかは、この乱戦の中確認するのは難しく
この指示で間違いなく黒山賊の者達は命を繋いだだろう。
乱戦にも関わらず、冷静で的確な指示・・この事から黒山賊を率いる立場の者だと読んだ。

的確な指示が功を奏し、目に見えてな不利はずの黒山賊は数名を残して撤退を果たす。
だが、仲間の退路を助ける役目を果たした7人は退却に失敗。
ついには数百の文醜軍に包囲されてしまった。

此方が動くなら今この時だろう。
数千を誇った文醜軍だが、黒山賊の的確な戦い方で数百に数を減らしている。

これを受け、荀攸は動いた。
騎馬にて潜む曹操へ近寄ると、文醜軍は今黒山賊の残党に意識を奪われ
背後に対する注意が散漫になっている今が襲撃の好機、だと。

曹操らが突撃の為、隊列を整えると荀攸も武将の一人として乗馬。
鬨の声が発せられるのを待つように、目の前で絶体絶命に陥った黒山賊の者達を見つめる。
公孫讃らと共に戦い、袁紹を度々脅かした賊軍の最期・・浮かべる表情は怒りと悔しさが数名いたが
一人、また二人・・包囲された数名だけは強い意志の宿る眼差しと、何故か笑みを浮かべていた。

死に瀕して笑うか、と内心驚かされる。
そして文醜軍の武器が閃く瞬間、先頭に立つ曹操が鬨の声を発した。

「狙うは今ぞ!」

瞬間的に意識を今へ戻すと、掛け声と共に手綱を握り騎馬の腹を蹴って飛び出す。
先ず目に入ったのは、自分達の奇襲に目を剥いた文醜軍の姿。
反撃をさせる前にと荀攸が振るう硬鞭が近くの兵士を打ち据える。

後方に控えた歩兵達も勇ましく騎馬に続いて突撃。
これにより乱戦は混迷を極め、敵味方入り混じっての戦いとなった。

己が武器をかち合わせるのがどの軍の者なのかすら判別着け難い程。
荀攸はなるべく曹操から離されないよう、近辺を守るようにして硬鞭を振るって奮戦した。

そして現在、数千から数百に数を減らされていた文醜軍は
此方の登場で完全に隊を乱し、敵将文醜も曹操の振るった剣に貫かれ地に伏した。
配下の兵士達の処遇は、戦いの中死んだ者以外
従軍を誓った者達のみを拘束しその他の者は全て斬られている。

またしても荀攸は意図せずに黒山賊の者達と共闘する形で、延津の戦いも勝利に終わらせた。
ザッと見渡す地に、黒山賊の指導者らしき遺体はない。
運よく逃れたのだろう・・ただ、7人全員が生き延びた訳でもなかった。

あの乱戦の中を諸ともせずに、指導者を逃がそうと奮戦したらしき黒山賊の武将が落命。
瞳は開いたまま、無事指導者が落ち延びる姿を映しながら彼は果てたのだろうか・・・
彼の憂いが晴れる日はもう二度と来ない・・。
気づけば荀攸体は動き、絶命した黒山賊の将の開いたままだった瞼を閉じさせてやっていた。

「・・・お主の知己か?」
「いえ・・彼らは、私の策の一つに組み込み彼らの意図しない形で囮軍となるよう扱わせていただいた功績者です」
「黒山賊の者か」

荀攸の行動に気づいた曹操の問いに対し否定と肯定し、返す言葉で関わりを説明。

「彼らの属する黒山賊の中に、どうやら私と似た立ち位置で物事を考えられる知者がいたようで
逆に私の策を読み、囮軍扱いされる事も承知で動いていた・・その者と連絡を此処で取り合っていたのでしょう」

「利用されると承知で敢えて乗せられてやりつつ、逆に此方の動きも利用したか」

以前出発前の許都で報告した、黒山賊の別動隊の話を思い出したと見え
その知者、中々の策士よのう。と満足そうに笑んだ。
面白い、と言葉にしなくても曹操の顔を見れば思っている事が出ている。

このままいくと、曹操があの者に辿り着くのも時間の問題なのでは・・?
荀攸はあの者に対し、曹操に興味を抱かせても大丈夫なのかが気になった。
いや寧ろ・・・興味を抱かせ、欲しい人材だと思わせた方が・・

あの者の事を憂う叔父を思うと、そうする事が最善な気がして来た。
そして意を決し、曹操へ提案したのはその知者の寄る辺になっていたこの者達を先ずは手厚く葬りましょう。
さすれば遠からずこの処置は噂と成り、その者へ届くかもしれない。
そうした事から知者本人が曹操と面会を望み、軍門に下りやすくなるのでは、と。

冷酷さもある曹操だが、本来の気質は優れている。
どちらにしても軍門に下るのが得策だ・・
だがあの者の動きから察するに、袁紹に対し心服している風はない。
どちらかと言えば、貶める為の策を組み立てていた。

なら一層此方に下りやすくなるかもしれない。
曹操に対する利を約束するにあたり、賊軍の知者と接触する法を説いた。
荀家に匹敵する献策をしたその者が気になっている曹操、優秀な人材は是非にも欲しいと考えている為応を示した。

以前軍門に下らせる事叶わなかった者の事を思い出した曹操。
手に入れられなかったその者と似た立ち回りを、新たな知者に感じ取り
今度こそは我が軍門にて下らせ、わしの為に献策をして貰うぞ。と自身に誓っていた。

荀攸は数人の兵士を呼び寄せると、両軍どちらにも属さない風体をした亡骸を見つけさせ
自軍の兵士を葬る際と等しい手厚い埋葬を行わせた。

「それでは殿、一先ず兵を休ませるべく後退しましょう」
「うむ、賊軍にいる知者の件・・お主に任すぞ」
「御意に」

自軍の兵達の墓の少し後方に、黒山賊の者達を埋葬した墓が2つ。
全ての墓に向け、祈りを捧げた後 荀攸は曹操へ後退を進言。

墓から視線を荀攸へ向けると先程の話を一存し
未だ戦力差のある袁紹軍を前に、戦略的撤退をせざるを得なかった曹操軍
二つの郡から後方に在る官渡の地へ後退を開始した。

後退する際、文醜を討ち取った証にと曹操は文醜の手から武器を回収。
それを騎馬の鞍に括り付けさせ、それごと後退して行った。

この延津では彼ら黒山賊の者達を囮とする予定はなかった。
にも関わらず幸か不幸か、彼らは輜重隊を引きつれ文醜の軍を釘付けに。
仲間を欠いた彼らがどう動くのか・・全てを握るのはあの者という事でしょう。

だが、左程間を空けずに事態は動くかもしれない。
様々な者の思いや思惑が交錯する中、荀攸も騎馬にて後退の路へ戻って行った。


魏帝の徒花
2019/3/15 up
時折荀攸と楽進の一人称が分からなくなる`,、('∀`) '`,、とりま皆さん!前回のフラグから即曹丕登場!!!
何か管理人の思惑に反して荀攸さんも何か勝手に動きましたねえ。
仕向けようとしてる事は相手が違うだけで叔父と甥は同じ事してます!流石身内。
この先は正史だと4ヵ月くらい空くんですよ・・官渡の戦いに至るまで・・・それは辛い、管理人の力では無理。
なので4ヵ月もしないうちに何とか官渡の戦いへ繋げられるよう頑張ります。
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