魏帝の徒花

起ノ章 3幕

3幕 3-4話


大空高く羽ばたいた一据の鷹の鳴く声。
それは延津に潜む張燕らに届いた。

眼下にいる文醜らに聞こえるかと気にしたが
彼らは彼らで何やら慌ただしく、気づく風はない。
それを確信した後、張燕は自分の肩にいる一据に応えさせる。

決して大きくない声を聞きつけたのか、旋回して空を切るように低空で接近して来た。
此方の状況を理解してるのかと思うくらい目立たないように滑空。
弓掛を嵌めた方の腕を前へ出すと、滑り込むように滑空して来た鷹がそこへ下りた。

「張燕――」

その直後身を潜ませながら戻った孫軽に気づく。
奴も鷹の下りて来る姿を見つけたんだろう。

脚に括り付けられた蔡候紙を解く張燕の前へ膝を折る。
ふとつい数分前にぶん殴った白繞と目が合うが
ポリポリと頬を掻いて口パクだが短く”悪かった”と伝えた。
対する白繞も、自分にも思う所があった事に気づいた為気にするなと返す。

そんなやり取りを視界に入れつつ、結んである蔡候紙を開くと
其処には赤茶けた筆跡で”これより袁紹軍へ潜り込むべく捕虜になる”
簡素だが強い意思を感じる筆跡で書かれていた。

無理をしがちな16.7歳の少女からの意思宿る文面。
ならば自分達は次の動きに徹するべく、此処から移動するとしよう。
の策は成った、次は袁紹軍へ潜り込んだ彼女が貴人の傍仕えで戦に出陣となるのを待ち

大きな戦に挑む袁紹軍の作戦を知り得た上で袁紹軍へ運ばれる兵糧部隊を追跡し
袁紹軍の要、烏巣の兵糧庫の位置を特定する事にある。
しかし物事が順調にとんとん拍子で進むとは思っていない・・
これは次なる連絡があるまで一度常山郡へ戻るべきかもしれん、と張燕は思案した。

いつが傍仕えになれるのか、戦に従軍させて貰えるのかなどの確証もないのだ。
となると運に任せる他なくなる・・それらをこのまま身を潜めたまま待つにも限界がある。

は無事白馬を脱した、このまま袁紹軍の偵察隊に捕らわれる予定らしい」
「流石だな、んで俺らはどうする?ここで待機は難しそうだぜ?」
「そうだな・・提案だが一度常山郡へ帰還しようと思う」
「賛成です、このまま此処にいるのは危険も孕むばかりか食糧も尽きる・・・帰還すべきでしょう」
「んー・・・確かに一理あるな、草を付けるのも考えたがあいつ1人の方が動きやすいかもしれねぇ」

思ったまますぐその事を皆に告げると、先ず同意して来たのは白繞。
合理的な考えを持つ奴の事だ、この地にいても利が無いとなれば撤退を口にするのは想像出来る。
その中でも意外だったのは、真っ先に反対しそうな孫軽が撤退に同意した事だ。

一度高ぶった激情も、この場を離れる事で冷静さを取り戻したのだろう。
無理に此処に残っても他を生かす事すら出来ずに自分達も死ぬ。

「ああ、俺達が居る事であいつの動きに支障が出ては意味がない」
「・・・白繞、意外だなお前の口からそんな言葉が出て来るなんて」
「どちらも成す事は容易くないが、あいつの策ならそれが出来ると感じただけにすぎん」

要はを生かす為、滞りなく策が成せるよう一時引くべきだと言いたいようだ。
孫軽の言葉を後押しし、更に利を説く言葉の中にに対する理解を張燕は感じ取る。

「あいつの度胸と聡明さは失くすには惜しい」

あの白繞に此処まで言わせるとは・・・
はどうも人たらしなようだな。
共に行動させた事が白繞の考え方に変化を齎したんだろう。

白繞自身も自分の言葉に驚いた。
言っている事の根本は変わらないが、そこに感情が加わっただけ。
自身が策に込めたもの・・その全てを理解した訳ではない。
普通なら尻込みしてしまうような状況になっても、は何一つ諦めようとしなかった。

己の手に触れた命は、可能な限り救おうとした。
俺が甘さだと切り捨てた女官の命すら、懸命に救おうとあいつは走った。
人の死というものを初めて見つめ、恐怖すらも初めて体験した様子だった。
あの度胸の良さはいつ身に付けたのか・・・。

倒れたあいつを見た時、間違いなく俺は無関心を貫き
の命より、他を生かす為 策の成功だけを念頭に動こうとしていた。
すぐ立ち去れたのに、何故か動けなかった。

あの瞬間から・・俺にも孫軽と同じように疑問が芽生えていたんだろうか?
不思議な娘だな関わった相手の心へ自然と入り込み、相手を変えてしまうんだから。

「ふ・・・答えは出たようだな」
「頭領、先程の態度を詫びさせて下さい」
「何も謝る必要はないだろ?輜重隊も追いつきそうだ、撤退するぞ」
「――は!」

いつの間に思案していたのか、ふと顔を動かせば正面に居る孫軽がニヤニヤと白繞を見ている。
何故か無性に殴り返したくなった所に差し込む張燕の穏やかな声。
言葉の意味を察した後、張燕に報告する際の自身の振る舞いを詫びていた。

侘びを受ける謂れはないと笑う張燕の姿に、じんわりと広がる胸の温かさを感じる。
仲間の言葉に助けられる、という感覚がこれだとしたら初めての体験だ。
他を生かす事ばかりに捉われ、人間らしい感覚を甘さだと切り捨てていた頃にはもう戻れそうにない。

今までより言葉に力の入った白繞の応を受け、他の者も帰還の体勢に入る。
孫軽も嬉しそうな様子で(少し嫌そうな)白繞と肩を組み、輜重隊を先導しに向かった。

その時だった。
こうもタイミングが重なるとは、誰も思わなんだったろう。

帰還する為、来た道を戻り始めた輜重隊が草叢を抜け畦道へ出た時
突然の鬨の声と共に現れた兵士らに襲い掛かられた。
先頭にいた輜重隊の仲間は不意打ちで武器を構える間すら無く、斬り捨てられる。

「――!!!っ、てめぇえええ!!」
「待て孫軽!」

先導する為近くまで来ていた孫軽の目の前で起きた悲劇。
これには体を怒りに震わせると、迷いなく武器を構えて仲間を斬った兵士へ向かって行く。
そのその様子に気づいた白繞も武器を片手に其方に走る。

後方に居た張燕や他の仲間らも駆け付け、帰還するはずが大乱戦へと発展した。
戦う合間に相手を見れば、それがさっきまで陣容に居た文醜の軍だと気づく。
勇より暴力に依る事で知られる文醜の軍となれば、容易に退却する道を見出せはしないだろう。
だがこのままでは確実に仲間は死ぬ。

少しでも多くを救うには、囮になる存在が必要。
しかしその考えは究極の究極に陥らない限り取りたくはない手段だ。
となれば、これしかないな。

仲間を助けつつ応戦する傍ら、思案し、最善策を導き出した張燕。
自分達にとって必要なものだが、命には代えられない。

「皆、輜重を倒して壁にするんだ!物資なんざどうにでもなる!仲間とてめぇの命を優先しろ!」

出した決断は簡単なものだ。
運んでいた食糧を積ませた輜重を横倒し、盾代わりに用いて時間を稼ぎ
その隙に何としてでも撤退しろ、仲間と自分の命を守れ、そう張燕は命じた。

20人ほど残っていた仲間らも、切迫した顔ではあったが命令に応え
次々と輜重を横倒しにする事で相手との距離を確保
その方法で何とか10人前後が方々に散る。
まとまって逃げるのは危険な為、散り散りにはなるが落ち合うのは常山郡だ。

突然間合いに輜重を横倒しされた文醜の軍は、虚を突かれ隙を作ってしまう。
文醜の軍の何人かは、追撃ではなく倒された輜重に集まり持ち去る者まで居た。

上手く逃げれたのは張燕らを除いた14人までだった。
数が減って来るにつれ、逃げるのが難しくなる為である。
未だ輜重を盾に睨み合うのは、張燕、孫軽、白繞、珪固、王当、杜長、干毒の7人。

文醜らは嘲るような笑みを浮かべながら包囲を狭めて来る。
ついに黒山賊軍も年貢の納め時か?と死に瀕する状況に関わらず張燕の口許には笑みが浮かぶ。

囲まれながら自分について来てくれた仲間の顔を眺めた。
悔し気に睨む者も居たが、孫軽や白繞の二人は何の曇りもない強い眼差しを向けている。
まだ諦めていないのが伝わった、死中に活でも見出してやりたくなるな・・

と張燕が笑みで応えた直後、これまた不思議な出来事が。
近くに在った茂みが揺れたかと思った瞬間、何ら前触れもなく騎馬が飛び出して来たのだ。
これにはさしもの文醜も、張燕たちも度肝を抜かれ体勢が乱れる。

「!?」
「張燕!今のうちに!」

乱入して来た騎馬隊と、始まる乱戦に一瞬呆けた張燕へ強い声が飛び込む。
パッと振り向く先にいたのは孫軽と杜長だ。
付近には戦う白繞や文醜の軍、それと蒼に身を包んだ・・・・曹操軍の姿。

どうやら彼らの軍も此処に接近していたようだ。
気付かなかったのは盲点だが、今はその急襲を利用させて貰うとしよう。

文醜の軍が自分達より曹操軍を相手取りした事に気づいた張燕や孫軽、杜長は撤退を開始。
撤退しつつ他の4人を探すように見渡せば、まだあの中にいるらしき白繞らの姿が。

「白繞!干毒、王当!」

咄嗟に目に入った3人の名を叫ぶと、目立つ色の髪をした白繞が気付く。
何とか振り向いた白繞に、引けと手で合図を送る。
それをするのだけで精一杯の乱戦だった。

辛うじて頷く白繞が見えたのを最後に、彼らの姿は乱戦の中に消えた。


++


「そなたは何者だ?」

人気のない白馬の地を歩いていると、狙い通り事後処理の為に遣わされたと思しき武将が現れた。
今、割と丁寧な尋問を馬上からに向けたのがその武将である。

楽進や螢惷と別れた後、白馬の地からゆっくり歩き始めた
事後処理に来るであろう袁紹軍に見つかるように歩調を遅く歩いていた。
彼らに捕らわれ、上手く曉へ入り込み袁紹と謁見するのが当面の目的。

張燕殿に無事届いただろうか・・皆は無事にしているだろうか。
奉公先とはいえ、今は皆が私の家族になりつつあった常山郡の人達。
私は私の目的を達成したいが為に張燕殿の気持ちを利用してしまった・・・

公孫讃殿の遺志を継ぎ、袁紹と戦うと告げた張燕殿の気持ちを。
だからせめてもと、策の要は自分自身で務めると決めた。
言い訳にすらならない後付けの理由・・
でも、利用する形になってしまったけど皆の役に立ちたい気持ちはずっと持ってた。

今この瞬間死ぬ事になっても、死すら皆の助けになるなら。
駄目だ、それでは役に何か立たない。
皆の助けになるなら生きて果たさなきゃ意味がないもの。

父母の死の真相、不平等さ、無念さ、怒り。
それらを袁紹に問う、楽進殿に話した気持ちは変わらない。
やり方が気に入らないと言われたらそれすら口実にして甄夫人の傍仕えに納まるんだ。

「私は・・・・螢惷、白馬の地に陣を敷いていた曹操軍が東郡太守 劉延殿の女官です」

迷わず私は螢惷の名を借りた。
捕虜として入り込めば、先ずは袁紹にその対処を問うだろう。

「なんと――」
「戦に巻き込まれた末 こうして身の恥を晒しています・・」
「そなたのような幼子まで従軍させられているとはな・・・」

そうか、劉延殿の――・・と眉宇を下げ痛ましげにを見つめるその人。
何やら毒気を抜かれそうな雰囲気の、武将らしからぬ様子に
身構えていたも気が抜けそうになった。

だが袁紹軍として此処へ来たのだろうから油断は出来ない。
仮に軍門が異なったとて、武人に変わりはないのだ。
どことなく劉延を知っている様子のその人は、再度を見つめ口を開いた。

名を、劉玄徳と発し 現在は袁紹の下に客将として世話になっているのだとか・・・・
うん・・?劉玄徳・・・・もしかして、孫兄の偵察報告の中に名が挙がった徐州を追われた身の?

自身も、今後に待つ大きな戦の際に関羽の無事さえ分かれば矛を収めるだろうと読んだ。
その本人が今まさに目の前で馬上の人となり、と言葉を交わしている。
これは・・・何かの思し召しだろうか?と目がぱちくりさせてしまう。

「どうかされたか?」
「――あ、いえ・・その、武人の方にも劉備殿のように親身になられる方がいらした事に驚いていました」

楽進殿や劉延殿のように・・と言いかけ、すぐさま劉備の名だけ挙げる。
その間を警戒しているのだと受け取った劉備は、優し気な笑みを浮かべた。
このまま袁紹軍へ下るのなら私が取りなしてあげよう、と言ってくる。
自然と相手を気遣う言葉が出て来る辺り、劉備が持つ気質なんだろう。

他者を惹き付ける魅力を持つ御仁だと感じた。
あまりにも穏やかな雰囲気だから、武器を構えた劉備が戦う様など想像もつかない。
劉備と共に現れたもう1人の武将にも気づいた。

黒髪を短く切り揃え、眉毛の厳めしい偉丈夫は劉備と同じ新緑色の服に身を包んでいる。
眺めていたら目が合った・・眼光鋭く睨まれ、無意識に体が委縮していた。
するとその様子に気づいた劉備が、少し後ろに控える偉丈夫に視線を移すと諫めるように言った。

「翼徳、この者は勇気を以て投降されたのだ・・怯えさせては駄目だろう?」
「兄者別に俺は怯えさせたつもりはねぇよ」
「だが現に怯えてしまっている、翼徳の顔は厳めしいからもう少し目線を優しく――」
「そればかりは無理難題ってもんだぜ兄者、俺の顔は生まれた時からずっとこうだぞ」
「・・っ、ふふ・・・私こそすみません吃驚してしまっただけです」

何だかやり取りを見ていると更に憎めない組み合わせの二人に、つい口許が緩む。
そろそろ行きましょう、とから二人を促し
翼徳と呼ばれた偉丈夫、張飛の助けで劉備の前に乗せてもらい曉の城を目指すのだった。


魏帝の徒花
2019/3/15 up
迷った結果、を捕らえるのは劉備と張飛に!二人は丁度官渡の戦いが起こる前から袁紹軍に身を寄せていたので出してみました。
張燕らの命運も気になる感じで書いてみましたが、果たしてどうなるのか!
7人は全員wikiに名前の載ってる人達ですね、ただ、白繞、杜長、王当達は詳しい記述が無いので捏造です(性格とかが)
何か展開が進むの遅くて申し訳ないっすなホント(・∀・)まだ曹丕出て来ねぇ・・・・会話に名前しか出てないっていう・・頑張ります;
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