魏帝の徒花

起ノ章 3幕

3幕 3-3話


何故危険を冒してまで、囮役をやったのか――

真っすぐな目でそう聞いて来た曹操軍の武将。
どこか人好きのする雰囲気を持つ楽進は、孫軽と似ている気がした。
だから正直に答えた、問いの答えを。

張燕殿や孫兄を含めた彼らの役に立てば、と。
でもそれは本心だけど真実とは違う。

囮役をかって出たのは勝算があったから。
あなた方が進軍し向かっている事を予め知り、その上で策を組み立て、敢えて囮となり注意を引いた。
そうすればきっとあなた方は兵を動かし、猛将を討ち取れるだろうと。
上手く事を運ばせ、安全且つ怪しまれずに袁紹軍へ潜り込む口実も作れる・・

まるで私達と示し合わせたかのように背後から現れた時点で
天幕側から呼応して攻め込む囮役として、私達が使われたのだと何となく理解した。
その事に気づいたのは私もあなた方を利用したから。

全ては自分自身の策を円滑に進める為に。

顔良という武将は、私とあなた方の仕掛けた罠に嵌っただけの事。
と、誰も居なくなった白馬の地にの独白が発せられた。


++


青天に鷹が舞う数十分前。
楽進が届けさせた伝令書を天幕にて受け取る者が居た。
現れた、とだけ記されたやけに短い報告文を手にした荀彧である。

短い文のみの報告をそうとしか記せない出来事があったのでは?と推測。
眼差し涼やかで整った容姿、文面に注いでいた眼差しを上げると
同じ室内に居る者へ向けて口火を切った。

「楽進殿の報告が真実なら、その者は此方の動きを加味した上で顔良を我々に討ち取らせたのでしょう」
「つまり・・?」

口元に笑みを浮かべて質問者、荀攸の問いに荀彧はそれは楽しそうに答えた。
此方の手の内を読まれ、その上で利用されたも同然だと言うのに。

利用された、と言うのは正しくない表現だ。
そもそも利用したのは此方も同じ。

「袁紹軍と戦う我々が、白馬の地に陣を敷く劉延殿が襲われるのをただ見ている筈がない
そして白馬の地を囲む複数の水源と地形・・虎穴に入れば自然と孤立させられてしまう。
この状況を敢えて我々に作り出させ、袁紹軍の背後を取らせ囲む合図はかの者自身が囮となる事で成した・・・」

見事ですね・・荀攸に策の一端として利用されるのも織り込み済みだったのでしょうか・・・
我々は黒山賊の別動隊を利用し囮役をさせたつもりでしたが、実の所、そう成るようにかの者が始めから仕向けていたとしたら・・

これは是非とも、その者を我が軍に迎えたいですね・・
例え違う者だとしてもほぼ間違いないだろう。
それに、この才は無視出来ないものだ・・他の勢力にその資質が知れる前に何としても保護したい。

一方で分かりやすいくらいに上機嫌な叔父、荀彧を眺めていた荀攸。
利用させてもらった気でいた此方の思惑に敢えて乗ったばかりか、逆に此方の動きすら利用した策を立てた少女。
その少女こそが、叔父から頼まれた相手であったという二重の驚きに晒されていた。
始めから少女に備わる資質を見抜いていたからこそ、自分に頼んで来たのだと思っていただけに少し意外だった。

―公達殿、少し頼まれて貰えますか?―

軍師で集まり、策を出し合ったあの日。
立ち去ろうとする自分に、声を落した叔父が頼んで来た事。

―貴方も知っての通り、私には兼ねてから気にかけている方が居ます―

確かに荀攸は叔父が気にかける事になった事情も経緯も見て来た。
敢えて背き、動いた叔父は正しかったと荀攸も認めている。
非道と分かってはいても、叔父のように行動に移せなかった者が多数だ。

英断とも取れる決断をした叔父を手助けしたのは荀攸自身。
頷けば、微笑を浮かべて叔父は言葉を続けた。

―その者を見出した際には必ず私に報せて下さい―

恐らく見つけ出したら保護するつもりなんだろう。
背いたとしても受け取ってしまったものに対する贖罪から出た言葉なのだろうか?
だが保護したとして・・・彼は少女に何をさせようとしているのだろう。

あの才を活かし、殿の前で献策を・・?
流石それは危険な気もするが・・諸刃の剣とならない事を祈るばかりだ。

取り敢えず、かの者について論ずるのは此処までだ。
今は戦の最中、一分一秒も無駄に出来ない機敏さを求められる。
話を変えるべく白馬・延津を記させた地形図を卓へ広げると思考を切り替えた。

白馬の地での戦は、思わぬ結果となりはしたが善戦で幕を閉じた。
恐らく顔良の死を知らせる報告が袁紹にも届いている頃だろう。
この際に生まれる動揺を上手く使わない手はない。

「荀彧殿、顔良を討ち取られた袁紹軍は必ず動き 此方に仕掛けて来るでしょう」
「ええ、間違いなく我々を攻めて来る筈です・・荀攸、貴方の策をお聞かせ下さい」

話を戻そうと状況の話を始めれば、意外とすぐ荀彧も話に加わって来た。
呼び方を字から直した様子から、この場に伝令兵が控えている事を気づかせる。
荀攸が献策すればすぐさまそれを届けさせる為に呼んだのだと察した。

顔良の仇でも何でも大義名分に掲げ、袁紹軍から此方へ攻撃が始まった時
此方が用いるものとして、輜重隊を囮に使う策を挙げた。
どう立ち向かって来るのか予想するに、方法は限られている故容易い。
騎兵部隊、並びに奇襲か歩兵で攻めるしかないだろう・・

どの方法で何処を攻めるのか、今此方が袁紹軍側に敷いた陣容の中で相手に近いのは引いたばかりの白馬の地。
白馬の次に敵地に面している延津・・・顔良の死を報告した上で陣形を整え且つすぐ襲撃出来る場所となると

「恐らくここを攻めるのが妥当でしょう」

地形図に書かれた一点を目で捉え、脇に置かれた自軍の色をした駒をそこへ進める。
示された其処は、偶然にも張燕らがからの知らせを待つ待機場所とした延津の地だった。
荀攸は直ちに延津へ向け輜重隊を向かわせるよう指示、待機している伝令兵には蔡候紙に延津へ向かうよう書いたものを持たせた。

事態が既に動いた事を荀攸が知るのは数刻先となる。
伝令兵を送り出したのと入れ違うように、殿の帰還!という知らせが陣内に響いた。
実は白馬より数キロ後方に曹操を大将と据えた本陣が敷かれていた。
流石にもそこまでは想定していなかったが、それは曹操も同じ事。

楽進らに白馬の民を避難させた後、曹操自身も後退して来た。
本来なら荀彧は後方支援なのだがこの戦いを見届けた後、許都へ帰還する予定でいる。

やがて知らせがあった通り馬の嘶きが聞こえると、後退して来たらしき曹操が馬を降りる所だった。
待っていた兵士に手綱を預け、天幕へ向かって来る際二人の軍師に気づきあまり表情は変えないまま口を開く。

「荀彧に荀攸ではないか、我が子房に知謀の荀攸 うぬら二人が揃っているとは心強いのう」
「殿、お戻りになられたばかりの所申し訳ありません、荀攸からの提案をお聞き届けくださいますよう」
「ほう?」

申してみるが良い、と快く曹操は言を聞き入れ
奥に鎮座した組み椅子に腰を下ろす。

腰掛けた曹操を確認、話を聞く体勢と見た荀攸。
では、と断りを入れ戦況から導き出した事を言葉にし始めた。

白馬の地は、策を体現してくれた武将達の活躍で勝利を収めた。
次いでの目的地を割り出した結果、白馬からほど遠くない延津の地だろうと目星がついている事。
殿には是非その延津へ総大将として出陣して頂きたい、と荀攸は拱手しながら口にした。

ただ、現時点で献策と呼べるものは完成していない。
現地へ荀攸も従軍し、相手の出方とその場の様子で殿に相応しい献策をしましょうと話をまとめた。

これを聞いた曹操、少しだけ考えるそぶりを見せた後
楽しみにしておるぞと荀攸を労い、出陣の用意をしてまいれと指示し
それからこの場に残っている荀彧を視界に捉える。

「時に荀彧よ、お主は人知れず何かを探しておるようだが・・それは何なのだ?」
「・・流石殿はお耳が早いですね、私が今探しているのは殿の為になる新たな知謀者候補です」
「お主や荀攸、郭嘉、賈クという素晴らしい知謀者がわしにはおるぞ?」
「我々が責務や出陣等で殿に献策が出来ない時にその穴を埋める者は多いに越したことはありません」
「ふうむ・・まあお主の事だ、わし以上にこの先を見据えた上で申しているんだろう」
「然り、やがては見つかりましょう・・・殿の軍門に下った暁には面通しさせていただきます」

鋭利な目線に含みが宿ったのは一瞬だったが、一般兵や民がこの視線に晒されでもしていれば怯えるのみだっただろう。
軍師や賢人に劣らず曹操も中々の審美眼を持っている。
何れは気づくかもしれない・・背きはしたが、受け取った事実は残っているのだ。

それでも構わない、殿に知れたら知れたで正直に話すのみだ。
勅使が現れ、勅命を授かった事・・・摘み取られるのを無視出来なかった事全てを。

冷酷な一面も持つ殿だが、確信している事もある。
この乱世を治められるのは目の前に座す、曹孟徳ただ一人だという事を。
その為に私は・・とても非道で残酷な決断を下した。

「荀彧、荀攸の策だが組み立てられそうか?」

静かな目で天幕内ではなく、どこか違うものを見ているような目をした荀彧を曹操が呼ぶ。
問いの意味から曹操が少なからず心配をしているのだと読み取れた。

確かに荀攸の策はまだ組み立てられていない。
策も完成していないうちから出撃してもいいのかと、暗に問うている。

王佐の才と称されし荀彧、儒学に精通し、神君と称された荀淑を祖父に持つ荀彧の父 荀コンは
八龍と称された荀淑の子だ、その祖父の血を引く荀彧や荀攸に曹操の問いや憂いはすぐさま論破された。
乱世の好雄を弱気にさせる袁紹軍の規模と物量、恐らく曹操は白馬では顔良を討ち取れた。
白馬の封鎖も解けたのだから、この辺で一度引き、兵糧などを補給して仕切り直すのが得策なのではと考えたのだろう。

そうしたい気持ちも、兵糧に対する憂いも理解が出来る・・が。
劉邦も且つて兵糧に憂いがある状況でも引かずに踏み止まり、大業を成した。
袁紹軍の陣営は、軍師も武将も性格面で弱点も多く袁紹は彼らすべてを一枚岩にする為の実力はない。

「殿、今引かれれば兵糧の憂いは失くせたとしても袁紹軍が此方へ詰める隙と猶予を与える事になりかねません」
「むう・・」
「総大将として引かれるのも賢明です、が今回はまだその時ではありません」
「・・・・だが顔良を亡くせどまだ兵力差は大きいぞ?」
「必ず袁紹軍に変事が熾り 殿が奇策を用いる時が来るでしょう、我が甥ならそれすら可能にし必ずや殿の助けとなります」

ですから今は武将らを信じ、延津へ出陣して下さいますよう。
そう言葉を重ね、荀彧は曹操を励ました。
冷酷な姿の方が多いが、曹操自身の心を汲める者に対してはこういった姿を見せる事も多い。

下の者に対しても構わず弱音を吐いてしまえる所も、曹操の美徳だろう。
決して驕らず、ひけらかす事もしない。
ただ己の目指す信念に向け邁進する姿は、多くの者を惹き付けている。

「お主がそうまで言うのならわしは出陣するとしよう」

お気をつけ下さい、と立ち上がった曹操へ拱手。
後方は任せたぞ、そう力強い声で言い残し天幕を出て行った。

先に発った荀攸も既に延津付近へ着いている頃だろう。
優れた甥が居れば憂いは無い、後方には賈ク殿や郭嘉殿も控えている。
気になるのは楽進殿が現れた、とだけ記して送って来た伝令書だ。

多くを書かなかった事の真意は?
名が違う可能性は頭に入れてある、恐らくあのままの氏で生き延びられるとは思えないから。

「『女子の中の王』・・そう称される永殿の娘御、お会い出来るのが楽しみですね」

楽しみではあるが、その日が来るという事は
才媛に育った少女に酷く重い現実を知られてしまうリスク
並びに、あの日に隠されたものに主君が気付くかもしれない日となるだろう。

出来れば来て欲しくない日には違いなかった。
そうなった日に、私も生きていられると良いのですが・・
才ある者なら出自に関係なく取り立てる、そういう殿の善き部分が死を賜る心を上回るのを願うばかりですね。

主の去った天幕で1人、荀彧は天に願いを籠めた。
天に乞う荀彧の切なる姿を天幕の外より眺める者がその場を立ち去って行く。


魏帝の徒花
2019/3/14 up
ちょっと核心に踏み込む感じの描写を入れてみましたあああ(察しのいい人は分かってしまうかも???
色々な核心部分を伏せたまま話を引っ張るのが辛くなってきたらこぼりこぼり書き出します。
項羽と劉邦の兵糧話は管理人詳しく知りません(・∀・)踏みとどまって戦って大業を成したのかは正直捏造ry
調べると、再三項羽に打ち負かされても逃げ切り、関中?で兵糧を補給出来たから踏みとどまって何戦もしたとか書いてあった気も
まああくまでも三國無双の話が主軸なので!(逃げた)この部分で書きたかったのは延津の勝敗を決める布石を匂わすのと
曹操を励ます荀彧さんが書きたかっただけでした!郭嘉と賈クが空気になってるからどっかでまた出したい。
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