魏帝の徒花

起ノ章 3幕

3幕 3-2話


確かにあの時自分は躊躇った。
乱戦の中、意識を手放したあいつを見て。

咄嗟に放った矢も、殆ど無意識にやっていた。
これも、不要などではない・・持っていて当たり前の感情なのだろうか?


++


現れた、とだけ荀彧への報告として楽進は伝令書を送り出す。
そうしてから改めて楽進は少女を避難させた天幕へと戻り始めた。

どんな考えで動いたのか、また、誰の指示で囮役を任されたのかを確かめたい。
少女と会う事でこれらの疑問が払拭される。
そう思うと楽進は胸の鼓動が強く高鳴るのを感じた。

既に白馬に残るのは楽進と于禁、それから自分達の部下。
関羽は首級を劉延らの兵士に託し、遅れて合流した張遼と共に別の方面へ発った。
残った楽進と于禁は此処の床払いを担い、白馬に残る民達を避難させねばならない。
その後にもう1つすべき事もある為、ゆっくりしてる間は正直無い。

焦りもあるが少女に無理を強いるのは躊躇われる。
それに聞きたい事を尋ね、少女の真意を確かめたい気持ちが強かった。

いざ天幕に到着、入り口の前に憮然とした顔の于禁が立って待っていた。
現れた楽進に視線だけ寄越すと頷いて見せる。
その仕草から任せた、という意思を受け取り楽進も頷き返してから天幕を潜る。

「目が覚めたみたいですね」

なるべく怯えさせたり警戒させたりしないよう、明るめの声で話しかけた。
天幕に入る事で遠目でしか確認していない少女の表情もよく見える。

先ず無意識に息を呑む自分がいた。
確かに少女だと感じ、背格好からそう判断したが・・
目にしてみればそれはとても目を惹く容姿をした少女だと分かる。
寧ろ少女、と形容するには大人っぽい外見だ。

少女の抱えるものがそうさせるのか何なのか。
取り敢えず楽進は一瞬だけ少女の容姿に見惚れた。

「あの・・?大丈夫ですか?」
「はっ!あ、大丈夫であります!」
「――ぷっ・・・ふふ」

見惚れたのは一瞬だったが、すぐ下の方から気遣わし気に問う声にハッと我に返る。
何故か妙に慌て返す言葉は敬語に・・これには表情の無かった少女から弾けたような笑い声が上がった。

笑う顔は年相応に感じ、とても可愛らしい。
か、可愛らしいなどと何をこんな時に考えているんだ私は!

まあヘタレな所を垣間見せてしまったが、結果空気も和らいだように見える。
軽く咳払いをしてから楽進は話の本題を少女へ問う事とした。
此処に何故来たのか、何故自己を危険に晒してまで囮のような動きをしたのか・・またそれは誰かからの指示なのか否かを。

この問いの答えを楽進を始め、天幕の外で待つ于禁も神経を集中させて待った。
一呼吸置くと、少女は視線をスッと楽進へ合わせ話し始めた。

「先ず、私は曉の南郡太守を務めた永が娘 と申します」

過去形で父親の事を話す口振りから、既にこの世に居ない事が察せられる。
こんなにも落ち着いて話せるという事は、深く悲しみ、涙も枯れ果てた段階を乗り越えたからだろう。
それからと名乗った少女は楽進の問うた質問に答えて行った。

此処に来たのは、自分が奉公先として勤める主の願いを助けたかったから。
の主が誰なのかは既に楽進たちは把握している、が敢えて口は挟まず聞き手に徹した。
次いでの問い、何故危険を冒してまで囮役をやったのか。
誰からの指示なのか、も込みでは問いに答えた。

「誰からの指示でもないです、これは私が主の助けになればと献策したものですから」
「――!?え・・君自身が?」

はい、未熟な子供の私が出した策です。
と、うそぶるそぶりもなく話す少女に聞く側の楽進が何故か狼狽えた。
楽進らは陣営内の優秀な軍師、荀攸が自ら挙げた献策で今回の襲撃に成功・・

今目の前にいる少女は、その軍師と並ぶ策をその若さにして自分で打ち出したのだ。
荀攸の策の一部として使われてしまったとは言え、陣容と攻め来る袁紹軍との位置関係や立地を考えて組み立てられた策だと感心。
16.7歳にして見事な策を立てれる知識と、度胸、行動力を素直に褒め称えた楽進にも孫兄や父、浮を重ねた。

更に今後どうするのかを問えば、袁紹にどうしても確かめたい事があり城内に潜り込むつもりだとは打ち明けた。
女官の服が残ってるかもしれないからそれを着て、戻って来るであろう袁紹軍の武将に捕まり
捕虜として潜り込めたら 質問の答えと反応次第ではそれを利用し、貴人の傍仕えに納まる。

その後どうするかは、今後の情勢と袁紹の態度で決める、と。
自分の家族が無事だと分かればそれでいい、もし私のしたことが気に食わないなら戦に出る事でそれを贖おう、とも

ここまで素直に話す気になったのは、楽進の人柄の良さが一役買っていた。
の硬い決意を聞き留め、報告だけに留めたのは吉と出た感じる楽進。
去る前に劉延から報告された気になる事と名前も違うし、劉延の思い違いでは?とも思う。
憶測の範囲でしかない事を報告するのも如何なものかと思ったのだ。

贖おう、などという言葉がまだ少女でしかないの口から出て来る辺り
普通に生活していたら先ず縁がない言葉のようにも感じた。

「君は・・袁紹殿を憎んでいるんですか?」
「・・・・・楽進さん、貴方は袁紹殿を憎んでいるから戦うとしているんですか?」
「――・・私は、殿の志に惚れ込み・・・殿が進む道を切り拓く為に袁紹殿と戦おうとしています」
「私も、私自身の気持ちと主の願いの為に戦うと決めました。」

貴方もそういう心のある人で良かったです

そう笑む少女に、またも楽進は言葉を失くし見惚れた。
何ともハッとさせられる事を口にする少女、言葉に詰まりかけるくらいに虚を突かれる質問返しだった。
恨み辛みで戦を始めても何にもならない・・ただ新たな憎しみを生み、虚しさしか残らない。
その事を少女は知っているかのような、澄んだ目をしていた。

不思議ともう少し言葉を交わしたくなる雰囲気を持っている。
こちらの意図を理解し、且つ、彼女自身が抱いた疑問を真っすぐぶつけてくる。
望む答え以上に返って来るものが大きい・・兎に角、話していて飽きない気がした。

このまま袁紹軍に潜り込めたとして、身の危険がないとも言い切れない・・・
気がかりだけが残りそうではあるが彼女の意思は固そうだ。
何とも立ち去り難い魅力のある人材と知り合ってしまった・・と頭をぽりぽり。
そこでふと、黄河側の天幕の陰から此方を伺うこれまた少女と目が合った。

楽進はのいる天幕の入り口入ってすぐの位置に、体の右側を入り口側に向けて会話していた。
新たに目が合った少女は右を向いてた際、視界に入った事になる。
見たところ女官服を着ている・・・もしや?

「于禁殿、あちらにいる少女を呼んでみてくれませんか?」
「うん?ああ、彼女か・・おいそこの女官!」

いやもっと優しく・・・言うのは遅かった。
楽進が言うのもあれだが、中々に于禁は厳しい武人そのものの表情をしている。
この顔で呼ばれれば幼い少女は怯えてしまうのでは?

案の定いきなり于禁に目を合わせられ、こちらに来いと指示されるとビクッと震えてその場に固まってしまった。
これは不味い、とさすがに呼ばれた少女が不憫になりに待つよう合図する。
素直にそれに頷いた後、立ち去る楽進が歩く先を 座った体勢から前屈みに両手を前へ伸ばして覗き込む。
そうする事で楽進が何を見つけたのかが判明、それは自身も数分前に対峙した相手だった。

瞬間考えるより先に体勢を戻して立ち上がると
あの時と同じように勢いのまま天幕から駆け出た。

「楽進さんその子は――」

駆け出て女官の子は敵じゃないと説明しようと思った所
天幕の入り口横に立っていた于禁が咄嗟的にを拘束。
ガシリと腕を掴まれ、滑らかな動きで後ろ手に回されてそのまま動きを封じられた。

さすが名将と呼び声高い于禁の為せる業である。
が、これに青褪めたのは楽進と保護されたばかりの女官。

拘束されたはあまりの素早い動きに何が起こったのか分からずキョトンとしてしまった。
顔だけ向ければ、斜め後ろに立つ強面の人が見える。
少し驚いたけどもまあこの人の反応としては当たり前かなとも思ったので大人しくしておこう・・
突然中から人影が飛び出して来たら吃驚して反射的に捕まえちゃうよね、と納得。

于禁は于禁で、咄嗟的に拘束してしまってから既に確認済みの少女だと気づいて固まっていた。
すまない、とか言いながら拘束を解くのも考えたが、于禁の中でこの少女に対する警戒は解いていない。
警戒対象に断りを入れる必要はあるのだろうか?軍紀の模範たる将軍位にいながらそれは部下への示しがetc

何でしょうかこの微妙な空気は。
拘束した側と拘束された側が揃いも揃ってそのまま硬直し合っている。
何より拘束された少女の顔に怯える様子すら見られない・・・・だと!?
強面で威厳溢れる于禁殿の発する近寄るなオーラを全く意に介さないとは・・・

驚きのあまり心中でボケと突っ込みを繰り広げた楽進。
そんな楽進の心中が、向かい合う形のには手に取るように分かってしまい口元が緩む。

「あのう、楽進将軍」

妙な空気の中勇気を出して声を発したのはいつからそこに居たのだろう軍門の兵士だ。
これにより変な空気は解かれ、楽進も表情を引き締めると現れた兵士に向き直る。
それを見た于禁も、漸く自然な流れでの拘束を解いた。

「その、咄嗟の事とは言え・・脅かせていたらすまん」
「いいえ、気になさらないで下さい。いきなり飛び出した私が悪いのです」
「いやいきなりだとしても、私は将軍位を預かる身・・すぐに貴殿だと判ずる事が出来たにも関わらず怠っていたようだ」
「ふふ・・ではお相子としましょう、これでこの話はお終いです」
「相分かった」

ええええー・・・あの于禁殿と会話が成立している・・!
何とも思っている事が顔に出やすい楽進、であった。

兵士からの声掛けは、自分達は先に次なる目的地へ向かいましょうか?と言う事だ。
確かに気づけば数十分は経過している感覚ではある。
自分か于禁殿が彼らと次の目的地へ先行する事も出来るが、あの任務を一人で指揮するには少し心許ない。

意を消した楽進、兵士にもう少し待機するよう指示してから女官とに向き直り
出て来ていたに、彼女がこの天幕にいた女官かを確認。
問われるとはすぐ肯定した、劉延殿が連れて来ていた女官の子です、と。
顔良が襲撃して来る直前に逃げるよう言ったはず・・と女官を見やる。

「すみません、折角逃がして下さったのに・・でも黄河を越えた先で振り向いた時皆さんが見えたので」

なるほど、とも内心納得した。
少女の足では黄河を越えるのが精一杯で、息をつこうと振り向いた時楽進らが駆け付けたのが目視出来
ならば一人で帰るより味方の軍に紛れて帰還した方が安全だと判断したとの事。

「それから殿に、これを」

おずおずと女官が手渡したのは、真新しい許都の女官服。
借りて潜り込もうとしていただけに、は女官の差し出した服を見てギクリとした。

その反応を、困惑しているのかなと受け取った女官は
変な理由ではなく、と区切り、遠慮がちにの着る服を見つめる。

この視線では漸く自分の見てくれが酷いものだと気づいた。
頬に付いた血で肌が引っ張られるような感覚と、襟元から鎖骨の辺りまで染みた赤黒い汚れ。
数刻前に飛び込んだ乱戦の場で浴びた顔良の血だ。

わざわざ女官の少女が戻ったのは、味方と戻る為との為の着替えを手渡す為だった。
久しぶりに感じる他者の好意を、は涙が出そうなくらい嬉しく感じた。

「有り難う、とても助かります」
殿は私と歳が近いように思います、どうか命を粗末になさらず・・生きてまたお会いしまょうね?」
「・・・貴女も、悔いのないよう生き抜いてまた同じ空の下会いましょう」

胸がギュッと締め付けられるような郷愁を感じつつ、は少女へ言葉を贈った。
女が強く生きるには過酷な世情だ・・荒波のような乱世で、同じ相手と再会出来るというのは奇跡に近い。

だからこそ互いに絶対、とは口にしなかった。
女官の少女は螢惷(けいしゅん)と名乗ると
先に現れた兵士に案内され軍列の半ば辺りの馬に乗せられた。

螢惷の背を見送るへ楽進が再度歩み寄る。
それから于禁が一歩だけの横から楽進側へ移動。

「我々も此処から移動します、殿はやはり向かわれるのですね?」
「はい、自分で決めた事ですから」
「・・あの者も言っていたが命は粗末にせぬように」
「もし、別の寄り地へ立ちたいと望まれました時は・・・許都まで来て頂けたら私が迎えに参ります」
「え・・・?」
「于禁殿、そのように睨まないで下さい その時はきちんと殿にもお伺いを立てるんですから」
「ならばよいが・・くれぐれも軍紀は乱さぬようにな」

話が逸れたが咳払いして紛らわし、このやり取りを見ているに微笑まれながら楽進は言った。
張燕たちといつまで居られるのか分からないしこの先ずっとと言う訳にも行かないだろう・・・
そうなった時、いつでも訪ねて来て欲しいと楽進は言ってくれた。

いつその日が来るのかは分からない、けれど、間違いなく楽進がくれた言葉は媛殊の助けとなった。
言葉の代わりに頷く事で意思を示し楽進と于禁の背を見送る。
1人残る白馬の地、去り行く彼ら(楽進と螢惷)は軽く片手を上げてこの場から撤退して行った。

静寂に満ちる白馬の地、確実に人の気配が無くなると懐に忍ばせていた蔡候紙を取り出し
襲撃の際割れた壺の破片で文字を書くと徐に片手を上げ、もう片方の手で指笛のように吹き鳴らす。

空気が音の波紋で振動する・・数秒後、微かに舞いきたる羽音。
空からの日差しを全身に受け、気持ちよさそうに舞い降りて来たそれは
張燕の鷹と番いにされたもう一据の鷹だ。

弓掛(鷹を乗せる際の防具)を嵌めた腕に乗せ、器用にその脚に結び付ける。
後は腕を体ごと遠心力に任せて空へ羽ばたかせるだけ。
きっと張燕達に届けてくれると信じて、は戦場となったこの場の確認に来るであろう袁紹軍を待った。


魏帝の徒花
2019/3/12 up
長くなった(*'▽')途中楽進さんが性格破綻してますねハイ好きです。
于禁の喋り方が相変わらず分からんとです(・∀・)でもまあ楽しかった。
この回に出て来た女官はオリキャラですね、何処まで活躍させるかは追々で!
いよいよ、順調に行けば袁紹軍に潜り込み何れは官渡の戦いですな!
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