魏帝の徒花

起ノ章 3幕

3幕 3-1話


が白馬の地にて、楽進らと対峙した頃から数刻。
一人その地から移動し、延津方面にいる張燕らと合流を果たした白繞。
この地にも袁紹軍の猛将が陣を構えていた。

此処へ身を潜めるまでに既に2ヵ月あまりを要した。
白馬の地から届く知らせはまだ来ない。
現地(白馬)までは白繞も同行させるから問題なく着けるだろう。
問題はそこから先だ・・幾ら献策に長けた才媛でも、あれは戦う術を持たない。

猛将のどちらか、それは此処に到着したことで向こうに現れるのは顔良だと分かっている。
その猛将どちらかが現れると分かっていながら、戦えない身の上で何故ああも自ら行くと志願したのか。
答えは簡単だ、あれは分かっていたのだ。
戦えなくとも命を失わず袁紹軍へ潜り込めるという事を。

しかし白馬の地で起きている事を知るすべはない。
と別れ、此方に向かってるであろう白繞からの報告を待たない限り・・または

「鷹、来ねぇな」

そう、張燕の肩にいる番いの鷹からの文で知る方法もある。
と言うかあまりにもタイムリーに呟く孫軽の発言と、張燕自身の思案が全く同じものでドキリとさせられた。
所謂これがにとっての初陣とも取れる、目を掛けた妹分の動きが孫軽は気がかりなんだろう。

「まだのようだな、だが別のものは届いたようだぞ」
「ふぇ~?」

何とも緊張感のない奴だな・・・

とても黒山賊頭領の右腕、には見えない気の抜けた返事。
顎でしゃくるように腑抜けた孫軽に視線で見ろと促す。

そっちを見た孫軽にも示されたそれが見えた。
身を隠している所へ向けて、草叢を分け入るように進んで運ばれてくるそれ。
張燕や達とはまた別に遅れて常山郡を発った部隊、輜重隊(しちょうたい)の姿だ。

彼らには張燕らに配る潜伏時用の兵糧を積ませている。
後は後に合流する手筈の白繞の武器なども運ばせていた。
自分達のやる事は生憎と、目と鼻の先に敷かれた陣容に居る文醜ではない為
ただの様子見に徹しつつ此処でからの報告と白繞を待つだけ。

ならば食える時に食っておかねばならない。
だからこそ張燕は常山郡から食糧などの輸送をさせていた。

相変わらずぬかりないな、と腑抜けた声を出した後に輜重隊を見つけた孫軽は内心思う。
この用意周到さときめ細かい手筈があったからこそ、彼は頭領を任され
孫軽を含めた武将らを集め、武将らもまた張燕に付いて来たのだろう。

そこまで孫軽が考えた時、輜重隊と共に歩く仲間の中に気がかりな事を解決させられる人物を見つけた。
白繞と呼ばれる男の特徴的な髪の色を。

一方で張燕もまた、孫軽の表情の変化に気づく。
凝視するような様子にそちらを見て納得した。

「白繞、無事戻ったか」

決して大きくない声で呼んだにもかかわらず
白繞は輜重隊の横から飛ぶように素早く移動し、草叢を縫うように駆けたと思ったら
その姿はあっという間に張燕と孫軽の真横に現れる。

彼は黒山賊の草だ。
相手の懐深く潜り込み、情報を仕入れたり或いは偽報を流したりする。
諜報に長け、とても身軽に動く事も出来る。
その為、相手の陣や作戦を探りに偵察へ行く孫軽とも行動を共にする機会が多い。

「で?は無事潜り込めたんか?」

白繞が近くに来るなり、食い気味で問う孫軽。
兄バカを見るような目で孫軽を見た後、白繞は事の報告を始めた。

「見事に袁紹軍の様子を言い当てた」
「すげぇなあいつ、流石才媛ってとこか?で?それから?」
「おい孫軽、お前は少し黙って聞いていろ」
「へいへい」

呆れられてるとも知らず、身を潜めてる事を忘れていそうな勢いで報告の先を知りたがる孫軽。
不機嫌極まりない様子でそれを諫め、目線だけで報告の先を張燕が促す。
黙れと言われると常山郡でも見せた仕草で肩を竦め、大人しく報告を聞く。

「あいつの献策した通り、袁紹軍の顔良が現れ白馬の地を急襲」

は自らの出自を餌に劉延と面会し、襲撃されると忠告。
と対面し、出自を聞いた瞬間顔色を僅かに変えた事から
劉延はの父母が謀殺された事を知っているとも見えた。

となると、自身が仮説の段階だからと言いつつも話した袁紹の企み説が濃厚になるな・・
報告を聞きながらそう思ったのは張燕と孫軽。
二人は出発する前のから直接その仮説を聞いていたから。
益々末恐ろしい娘だなと再実感させられ、少しだけ背筋に冷たいものが流れたのは気のせいと言う事にした。

間を取った後、再開される報告。
報告を続ける白繞の声は、途中から別の色味を帯び始めた。

「だが襲撃される直前に居合わせた女官を逃がしたりと、少し甘い部分もある」
「それは関係ないやつを巻き込ませたくないっていうの気持ちだろ」
「しかし戦時に置いてその甘さが自らの死を招く事にも繋がるだろう?」

「死ってまさか」

少し嘲るような、何とも言えないもの。
聞いているだけの孫軽だったが、米神辺りがピクっとするのを感じた。
同行したならの頑張りや、策を成功させ何としても潜り込み目的を達成しようとする姿勢も見ただろうに。
よくない可能性をチラつかせながらも尤もらしい意見、且つ、正しい事のように言い綴る。

自然と浮かぶ可能性に、聞き手自らが辿り着くように仕向ける言い方が今回ばかりは妙にイラつかせた。
今回もまた自分で最悪の結果を口にさせられ、先を言う事に躊躇いを見せる孫軽。
少し青褪めてすら見える頭領の右腕に、揶揄する笑みを湛えた白繞が先を話した。

「死んではいない、が、顔良が殺され討ち取られる瞬間倒れるのは見た。」

姿を確認出来たのはそれが最後だな、安心したか?と。
白繞がそう言い終わるか否かの段階で、張燕と白繞の間で空気が唸った。

唸りの正体を確認するまでもなく、張燕の横に居た白繞が地に勢いよく伏せるのが見えた。
左横から張燕の前に移動した孫軽の姿があり、その顔は怒りでいっぱいになっている。

16.7歳というまだ子供と見なされる身でありながら戦場に乗り込み
その身を餌に猛将の注意を引き、結果人間の死を目撃・・その衝撃から倒れ
1人取り残されたの事を思う孫軽の怒りはそれは凄いものだった。

怒りの余り白繞を殺してしまうのではと思う程に。
白繞を殴り飛ばした孫軽の拳は震え、まだ残る怒りに震えている。

客観的に見れば、白繞の行動は黒山賊として正しい。
作戦成功の為なら仲間の行動全てを確認している間がない時もある。
仲間の無事を確認している間があるなら次の行動に移らなくてはならない事も。

分かってはいる、だからこそ孫軽は怒らずにいられなかった。
今まで孫軽自身も白繞と同じ行動を当たり前のように取って来た。

仲間、という集団の中に居ながら、仲間を切り捨てる実情を当たり前の事だと思ってきた自分。
気にかける気持ちは当然なのだとに知り合うまで当たり前に在る感情を、自分はいつの間にか不要なものとして扱い
白繞の行動を聞き、初めて不要なものにしていた感情が当たり前のものだと気づかされた。
いつの間にか人として当たり前の感情を失い、ただ、相手を倒す事だけを優先していた己に対して言葉に出来ないくらいの苛立ちが生まれた。

今に対する疑問に、孫軽が初めて目を向けた瞬間にもなった。
殴り飛ばした白繞には様々な感情が溢れてしまい、何も言う気にならず
そのまま孫軽は輜重隊の方へと歩き、輜重隊の一人から1つだけ食べ物を受け取ると姿を消した。

辺りに漂う微妙な空気。
残されたのは殴られた白繞と張燕、それから行き場のない視線を漂わせる部下数名。
ペッと血反吐を地面に吐き捨て、姿勢を正す白繞の表情からは孫軽が殴った理由すら理解してないのが伺える。

それを見た張燕、なんだか無性に虚しい気持ちを抱いた。

「白繞、お前は俺に対しても愚かしいと嘲るか?」
「そのような事は・・」

決してしません、と言葉を切った白繞の顔が言っている。
その彼に対し、白繞の行動や決断を否定出来ない自分たちがいるのもまた事実。
何故ならここにいる誰もが迷うことなく、白繞と同じ決断をしていたから。

己がダメな時は迷わず他を生かせ

こんな教えがあった訳ではない、が気づけばその行為が英雄的かのように当たり前になっていた。
組織の中に在りながら、自分達は常に孤独で命すら軽んじる事が当たり前に・・

「俺が何のためにここにいると思う?」
「それは、志半ばにして逝かれた公孫讃殿の分も袁紹を屠る為・・でしたかと」

そう、張燕は自分の為でも曹操軍の為でもなく公孫讃殿の遺志を継ぐ為に立った。
ただの犯罪者集団でしかなかった黒山賊の集まり、その頭領でしかない自分自身。
利がない限り動く必要も無かった今回の作戦・・

元々社会から弾かれた犯罪人だ、夢もなければ希望もない。
そんな張燕が自分の為にならなければ理にもならない事だとしても動くと決めた。
決め手になったのは衝動、突き動かした衝動の正体は不要だと捨てた感情だった。

今までの自分なら、くだらないものだと目を向けようともしなかったばかりか
公孫讃の遺志を継いで袁紹軍と戦う、などと思ったりはしなかっただろう。

感情のままに行動を起こしたい、そんな自分自身に目を向け
そんな自分を赦してもいいと思えたのは、やはりあの少女と知り合ったからだと思った。
これは孫軽にも当て嵌まる事だ、あれも今までは力に任せ敵を穿つ事や
潜伏し、対象の情報を集め、それを利用し時に利の為に仲間を犠牲にしたり自分自身を危険に晒して来た。

だがそんな策謀とは無縁の少女と知り合い、言葉を交わすうち
自分達の考え方や理念そのものに疑問を抱くようになった。
相手を生かしつつ、尚且つその上で自分自身をも生かす策を恥ずかしげもなく打ち立てた少女に知らないうちに感化された。

「相手方の考えを意のままに介し、利用してきたお前にすらの考えや気持ちは理解できなかっただろう」
「・・・はい」
「それはお前自身が、他を生かす事に固執し自分をも生かそうとするの策を理解出来なかったからだ
お前の成すべきことの中に自分を生かす、という考えが元々無かったからだろう」

白繞に話している事を自分にも当てはめながら張燕は語った。
目を反らせない眩しさは、きっと自身が真っ新で穢れていないから。

汚れ切った自分達に、の真っ直ぐさは眩しすぎる。

「他を生かそうとし、且つ自分を生かす策を
恥ずかしげもなく口に出来てしまうという人間にいつの間にか我々も感化されてたのかもしれんな」

視線は白繞から既に外し、様子を窺うだけに留めた文醜の陣容を見つめる。
言うなればあの文醜とやらも、自分達と考え方は近しい相手だと。
奴等は袁紹という男の人柄に惚れ込んだ訳じゃない、己の利だけを見出して召し抱えられたにすぎない。

「お前の仕事が諜報なのは分かっている、その上で埋伏の毒となり相手方に深く潜り込むのがお前のやり方だ」

だが、それでも。
年若い妹分の献策の正確さを自分の事のように喜び
またその生死を気にかけ、肉親を案ずるかのような孫軽に対する言葉の選び方ではなかった。

会話の結びをそう締めた時、陣容の方が俄かにざわめいた。

「お前が諜報の任に就き、自らを毒と称するのはこの件で最後にしようや」

もう一言だけ添えると、白繞の反応は待たず
ざわめいた陣容を注意深く見つめ、近くにいた別の仲間に孫軽を呼び戻しに行かせた。

自分も孫軽も、気づいてしまったんだ。
今まで当たり前のように他を生かし、時に他を見捨て自分を生かして来た方針の虚しさを。
仲間の為に動く事やその感情をくだらないと一蹴して来た自分自身への虚しさに。

自他共に生かせないなら、そんな作戦は必要ない。
始めは疑問に感じていたのに気づけば当たり前をおかしいと感じるようになっていた。

そんな俺達には違う方法もあるんだと、自ら示してくれたのかもしれない。
頭を使うのが得意な奴もこの中にいるんじゃないか、力押しだけでは他を生かせても自分を生かせない。
犠牲がつきものなんてのは作戦でも理念でも何でもない、と。

いつしかそんな当たり前の考えも不要だと片付けるようになっていた。
適材適所を行う事すら面倒だと思うようになっていたのかもしれないな・・

今から俺達は利害に関係なく生きる為に頭を捻ってやろうじゃないか、と陣を見据えた。
陣容の様子からして、また事態が大きく動こうとしてると判断した為だ。
よく見とけ白繞、お前が嘲り愚かだと決めつけたの策の結果を。
他を生かし、己も生かす策が齎した利って奴をな。

陣容を伺う張燕の目に、青空を飛ぶ鷹が飛び込んで来たのはまさにこの瞬間だった。


魏帝の徒花
2019/3/11 up
中々集中して一気に書いた気がする。
先をちょろっと明かすなら、この出来事が今後の張燕らの道を決めるきっかけになるものにしたかったのですよ。
しかしこうもっと書きたい描写があったんすけどねー技術がない管理人にそれは難しい(・∀・)
黒山賊の彼らを書くのは中々に楽しいですな、性格捏造だけど!
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