魏帝の徒花

起ノ章 3幕

起ノ章 3幕

「埋伏の毒」

黒山賊の別動隊の二人が天幕に入って数分。
本来の急襲部隊として到着した楽進らは、天幕を挟んだ河北側の草むらに身を潜めていた。

”楽進殿、貴殿には先に来ている黒山賊の別動隊らと天幕を挟んだ反対側に身を潜め袁紹軍を背後から急襲して下さい”

そう自営の軍師が文ではなく自ら赴いて楽進に策を伝えた。
同じように直接本人から策を伝えられた于禁と共に、その時を待つ。
黒山賊の方は上手くやれるかもしれないが、同行していた少女の方が気がかりで天幕から目が離せない。

気にはなるが、自分達の存在を気づかれれば策は失敗してしまう。
それを考えると無暗に動けず、ただ遠くから気にかけるだけに留めた。
誰からも気配を悟られないよう集中して待つ事数十分後、ついにその時は来た。

地面を踏み鳴らし、土煙と共に近づいて来る音。
歴戦の武将と成った元文官の楽進、音に逸早く気づき潜ませた身を一層屈ませる。
存在を隠そうともせず雄叫びを上げ、馬を走らせ向かって来るのは
猛将と名高い袁紹軍の宿将、顔良だった これはまた大物が釣れたものだ。

『袁紹軍は兵数は多いですが軍法は整っておりません
顔良と文醜の二枚は勇と言うより”暴”に依る大将であり、策を用いれば容易に討ち取れるでしょう』

これまた荀彧の言葉通りの事が目の前で起きようとしていた。


++


「劉延様!敵襲にございます!」

静寂は打ち破られ、一斉に天幕内の視線は駆け込んできた兵士へ注がれた。
兵士の言葉にの体に僅かな緊張が走る。
慌てたら駄目、冷静に動いてこそ策の成功に繋がるのよ。

瞬間的に自身を鼓舞したはすぐ動き、天幕の外へ。
急な展開に一瞬気後れした白繞だが、自らも劉延へ拱手してから走り出す。

「私が注意を引きます!皆さま方はお見方を信じて迎え撃って下さい!」
殿!?」
「あれは私が助ける、貴殿は早く戦支度を」
「あ、ああ・・」

機敏な反応に驚いたのは劉延だけでなく、居合わせた全員が驚かされた。
南郡太守の娘として温室育ちかと思っていた予想を裏切られたのだから。
それから妙に焦った様子の劉延へ、の事は任せて早く迎え撃てとなるべく丁寧に白繞は指示した。

視線をへ戻すと、既に少女の小さな背は陣容の入口側
即ち身体検査をした女官のいる天幕方面に在った。
で、今までにないくらいの全力疾走でもつれそうになる足を懸命に動かし
自分と歳の近い女官が待機している天幕へ飛び込んだ。

突然の来訪者に、中に居た女官が小さく喉を引きつらせたような悲鳴を上げる。
驚かせてしまった侘びを手短に済ませるや、少女の手を握りしめた。

「貴女は先程の――」
「驚かずに聞いて、今袁紹軍の先方隊が此処へ駈け込んで来るのが見えたわ」
「えっ」
「すぐ此処は戦場になる、貴女は一刻も早く此処を離れて国に帰りなさい」
「で、でも」
「泳げるなら黄河に身を潜ませて逃げるのよ、少しでも遠くへ!」

矢継ぎ早に言われ、女官の少女は目を白黒させている。
天幕の外では白繞の声で、急げ、と急き立てられた。
混乱した様子の女官に、何とか分かって欲しくても必死だ。
そうこうしてる間にも蹄の音は近くなり、鬨の声も聞こえ始める。

この音が少女にも聞こえたのだろうか、ハッとした顔になると夢中で頷き簡単に荷物をまとめる。
目に光の宿った少女へ笑みを返したもその手伝いをした。
慌てて荷造りを済ますと、少女の無事を祈る言葉を残し思い切り地面を蹴って天幕の外へ。

天幕の中ではなく自分自身に注意を向ける為にそうした。
入れ違いに白繞が中へ入り、天幕を捲って女官を黄河側へ逃がす。
途端にワッと喧騒が耳に飛び込んでくる。
一度だけ白繞は黄河に入って此方を見ている女官の少女を見やり、早く行けと追いやるような仕草だけ返した。

「・・・」

白繞自身が動くのはここまでだ。
視界の先では無事注意を引けた様子のの背が見える。
何故あんな危険を冒してまで袁紹軍に潜り込もうとしているのか・・

運を天に任す外ない、自分の役目は潜り込む為の補佐。
曹操軍の女官として捕虜になり、袁紹軍の懐へ潜り込むのを確認したらそれで終いだ。


女がいるぞ!

と響く大声、無事目を引けたと分かる。
後はこの乱戦の中命を失う事なく捕虜になればいい。
女官と白繞の無事は辛うじて確認出来た。

連絡に使う鷹は付近の木々に待たせてある。
後は無事捕虜となって甄姫の傍仕えに納まり、ささやかなご恩返しを・・
わざと怯えるような動きをし、西へ走る。
の策とも知らずに踏み込んで来た袁紹軍の顔良が、沮授らに指揮して捕らえるよう命じた。

その際振り向いた劉延の天幕からも、冷静に迎え撃つように現れる彼らが見える。
剣や槍を構え立つ劉延らに、勢いを殺さず乗り込んで来た顔良らに僅かな異変が起きた。
前触れなく顔良らの背後からも鬨の声が上がり、数十名の精鋭が突如現れたかと思うと
挟み撃ちをするかのように一気呵成に急襲したのだ。

これにはギリギリで気づけた沮授ら三名の武将と僅かな手勢以外を残し
既に陣容深くまで乗り込んでいた顔良だけが孤立させられたのである。

「!?」

予期せぬ事態に、逃げ回るふりをしていたも足が止まる。
丁度そこへ勢いのまま駆け込んだ顔良の軍馬が。
更にその顔良を追うように駆けて来た曹操軍の部隊が後詰めをするように雪崩れ込んだ。

顔良の軍馬越しにだが、突然現れた曹操軍とも対面する事に。
しかしこの位置はどうも危険な気がする・・・
包囲されようとしている顔良から距離を取ろうと少し足を動かした瞬間
猛将と名高い顔良が気付き、身を反転させを盾にしようと手を伸ばして来たのだ。

これはマズイ!と捕まるのを覚悟し、双眸をギュッと閉じた直後 一陣の風が真横を通り抜けた。
と思ったのと同時に、真上から聞こえる悲鳴。

「ぐあっ!」
「今です!」

ハッと開いたの目に飛び込んだのは、思ったより間近に迫っていた顔良の姿。
馬上から落ちなかったのは流石と言えよう、左腕を庇うようにして呻いたその腕には一本の矢が。
驚愕の表情で顔良を凝視するに、顔良の腕から飛び散る鮮血が飛ぶ。

一瞬だけ膠着した空気が一転、顔良の腕を弓矢が射抜いたのを皮切りに誰かの指示が飛び
得物を構えた曹操軍の兵士たちが此方へと一斉に駆けだして来る。

顔良も迎えうつ覚悟で残された利き手に得物を構え、には目もくれず軍馬の腹を蹴った。
間近で行われる命のやり取りと殺意を肌で感じ、は言い知れぬ感覚に足が震え、動けなくなる。
の後方から更に軍馬が現れ、顔良の方へと駆けるとそこからの光景は悪夢のようにも見えた。

赤い馬が一直線に顔良へ近づいたと思ったら、数秒後に鮮血の花が咲き
背中を切り裂かれた顔良の体は、乗っていた軍馬から落下。
力なく浮遊するように落ちる体から、首だけが無くなっていた。
全てがスローモーションのように熾り、全てを見ていたは悲鳴を上げる事なくそれを見つめ少しだけ意識を飛ばした。

へ手を伸ばした顔良の腕を射抜いたのは、同行していた白繞だった。
咄嗟にやっていたが、に戦争の非情さを見せる結果になった。
ショックな光景にさすがのも堪えたようだ・・それでも助けには行けない。
この策を決めたのは自身、此処で終わるようならそれまで。

頭では割り切っても、白繞の心が折り合いを付けれず
数分だけ延津の陣から立ち去れずにいたが、曹操軍がに近寄るのだけ目視し音もなく立ち去った。

今です、と発したのは楽進。
于禁や兵士らが顔良を目指し、楽進は少女の保護に軍馬を走らせていた。

見かけた時と変わらぬ服装もこの騒ぎで汚れてしまっている、それより先ずは保護しなくてはと。
頬から胸の辺りを顔良の血に染めた少女、顔良の最期を目撃してしまったのだろう双眸をこれ以上ないくらいに見開き
叫ぶでもなく取り乱すでもなく、ただ茫然と立ち尽くし・・

「――あっ!」

楽進の目の前で微かに揺らいだ少女の体は、地面へと沈んだ。
が、その寸前に駆け込んだ楽進が腕の中に受け止める。

差し出した腕の中にふわりと倒れ込んだ少女は羽のように軽く
今の状況は現実なのか?と楽進が疑うほどだった。
だが今も周りは怒号や断末魔の響き渡る戦場、受け止めた少女を抱えた楽進は近くの天幕へ運び込む事に。

天幕の内部に寝かせ、乱戦が収束するまで楽進はこの天幕の前で守る様に戦った。
乱戦が収束を迎えたのは体感で言うと1時間は経過した後だったと思われる。

自分達の奇襲に逸早く気づいた事で、顔良以外の武将らは戦線を離脱していた。
まあ猛将と名高い顔良を討ち取れたのだ、他の武将たちと戦う機会はまだあるだろう。
見事に顔良を討ち取った客将の美髯公を振り向けば、切り離した首級を持参した様子の布に包み布口を縛っても長い紐ごと肩に担いでいる。
他に袁紹軍らしき兵士の姿はなく、曹操軍の損失も少なく済んだようだ。

それから東端の天幕辺りに立つ劉延を見つけ、その無事を確認してから楽進は天幕へ戻った。
中に入って改めて気づいた事がある、この天幕には食糧などが保存されているのだ。
つまり誰かがこの天幕で、劉延や兵士達に食事を用意していたという事になる訳で・・

「楽進殿、本当に援軍に来て下さったのですね!」
「―えっ?」
「いやあ良かったです本当、あの娘が言った通りだったよな!」
「最初に聞いた時はこの小娘何言ってやがるって思ったけど、ホントに攻め込まれた時は肝が冷えたぜ」
「うんうん」

手伝いの者も駐留していたのか?と考えながら天幕を出た時だ、突然わっと囲まれた楽進。
驚いて一瞬目を見開く、するといつの間にか来ていたのか東郡太守の劉延からの言葉を皮切りに
やいのやいのと詰め寄せた兵士達が興奮冷めやらぬ様子で口々に話し始めた。

落ち着かせようとしたが、それよりも気になる言葉を耳にした為そのまま聞き手に回る。
兵士らが言うには、此処が襲撃される一時間程前に曉の南郡太守の娘と名乗る少女が1人
付き人だけを伴ってこの天幕を訪問した・・恐らく楽進らも目撃したあの二人だろう。

劉延に伝えたい事があると話した少女は、此処へ袁紹軍から先発隊が放たれ向かって来ている事
だがお味方も此処に向かっているから慌てず迎え撃って欲しいと話したそうだ。

これだけ聞くと実に怪しい言動ではある。
もしかして策謀なのでは?と劉延や兵士達も懐疑的だったらしい。
しかし現にこうして襲撃があり、援軍として楽進達が駆け付け急場を凌いだのは事実。
何故あの娘はそれを知っていたんだろう・・純粋にそれが気になった。

「そうですか・・取り敢えず皆さん一度許都へ引き上げて下さい、例の少女の事は私がきちんと殿に報告しておきます」
「それと楽進殿、私の気のせいだと思うのですが少し気になった事が」

一通り話を聞いて天幕を片付け、許都へ撤収するように指示。
彼らの話は恐らく本当だ、だとしたら凄い事になるんじゃないか?と楽進は思案。
実は劉延にこの場へ天幕を張らせたのは荀攸の策のうちだった。

敢えて誘い込み、背後から挟んでの挟撃で顔良を討ち取るようにとの。

目的は知らないが同時に延津を目指した黒山賊の別動隊に、囮軍として動いて貰うというのも荀攸の策だ。
だがあの少女は、自分達が知らないうちに囮になっていた事を知らないはず。
なのにこの延津へ現れ、楽進らと同じ目的でもあるかのように身を潜めていた。
そればかりか楽進らが背後から詰めて来ると分かっていたかのような迷いのない虚の突き方で顔良を引き付け、隙を誘った。

少女は謀らずも荀攸の策の通りに動いたのだ・・普通に暮らす民にこのような動きは難しいだろう。
下手をすればあの瞬間顔良に捕らわれ、楽進らに対する盾にされるところだったのだ。
そうなるのを覚悟して戦場と化する場所に、若い娘が来たりなどするはずがない。

頭に浮かぶ疑問符、残った謎。
それらをどう整理するべきか悶々とした様子の楽進に、劉延が幾つか気になる事を報告した。

「楽進殿こっちを頼まれてくれ、天幕の娘が目を覚ます」

それは確かですか?と劉延からの言葉に対し、念を押している所を于禁に呼ばれた。
もう少し楽進としては確認したかったが、渦中の少女の意識が戻りそうとの事
逸る心を落ち着かせながら楽進は少女を寝かせてある天幕へと向かった。


魏帝の徒花
2019/3/8 up
于禁の口調がよく分からん(*'▽')そして曹丕が出て来なくてごめんなさいホントごめんなさい
ちゃんと出逢うんで気長にお待ちください( ;∀;)魏陣営好きキャラ多いなワシ。
若手?と軍師が好きなの多いなーと最近実感してます。もう数話先で曹丕が出るかなー?頑張ります;
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