起ノ章 2幕
2-1話「熾り」
父母の死を経験し、生前の母に恩義を感じている袁紹が次男の夫人 甄姫の伝手では奉公先を見つけた。
時は西暦211年の暮れ、季節は秋を迎えていた。
甄姫の親族の伝手で見つかった銅鄭候家は、家が在る冀州南部に対して北部の常山郡に在る。
地理と歴史に対する知識があれば、そこを奉公先には選ばなかったであろう。
近頃は治安が悪く、よくない輩も居るとか居ないとか。
そこに並行してまたも戦が起こる気配も見え隠れしていた。
と、噂される常山郡へ奉公に入った、さぞ不安だろうと思った表。
「どうやら上手くやってるみたいだな」
今朝も届いたからの近況を伝える文を受け取り、常山郡方面を眺めた。
あれから数ヵ月が経過し、甄夫人から家の父母の亡骸が運送され
奉公で不在のに代わり、表との姉弟たちと葬儀と埋葬を済ませた。
数日間の喪の間、甄夫人と袁煕までもが弔問に訪れ
焼香や、僅かだが見舞金も残して行かれた。
昱はその金子を始めこそ頂けないと言っていたが、恩人の家族へせめてもの気持ちだと言われ
断るに断れず昱はその金子を受け取った。
正直なところ、この金子は有り難かった・・。
からも奉公先からの給金が送られてくるが、その金子だけでは家族3人分の食費やら生活費は賄えない。
袁煕や甄姫の手前、社交辞令として遠慮はしたが本心から言わせてもらえば物凄く有り難い申し出だった。
今現在は、時折表も見に来ているが何とかやれているらしい。
昱の嫁ぎ先の官吏は、幸い憐憫の心を持っており
彼女が嫁いでからも家に残された弟二人の面倒も見てくれる事になった。
常山郡へ奉公に就いたを除いて・・。
は知らないが、数日経過したある日、安否不明だった長兄 浮も無事が確認された。
何と永の後任として南郡の太守に任命され、混乱していた任務を片づけたりと忙しなく過ごしているとの事。
表は勿論この知らせを奉公勤めをしているへ文で送った。
無事表からの喜ばしい知らせを今まさに受け取った。
この時代で郵便を扱うのは、郵と言う名の中継所である。
中継所は伝令や文書を取り次ぐ場所で、国境ごとに配置されていた。
今の手元に届いた文も、郡の国境付近に在る中継所から伝令兵の手で運ばれた。
ある程度の地位にいる者は直接中継所から伝令兵を呼び寄せ
その場で届けさせる文書や文を書き、直接伝令兵に持たせている。
兄の無事と、現在の状況を届けてくれた伝令兵に礼を述べ大事そうに文を荷物にしまう。
丁度いいタイミングでは威厳ある声に呼ばれる。
「やけに嬉しそうだな、良い知らせでも来たのか?」
「張燕殿、いらしてたのですね。はい、以前の暁襲撃の際 所在不明になっていた兄の居場所が分かったとの報でした」
を呼んだのは、奉公主で銅鄭候の名を継いだ武将その人だ。
人里離れた山岳地帯に中々の豪邸を構える豪族で、抱える使用人は数名だが
彼の元に居る軍団は100万に届く軍勢となっている。
前任は張牛角で、を雇用した本来の雇い主であった。
張牛角はを雇用した僅か数ヵ月後、以前より患っていた持病で世を儚んだ為
そして、張牛角と軍団立ち上げの頃からの付き合いがあった張燕が軍団の頭 銅鄭候を継いだのだ。
彼らがどのようにして富を築き、この豪邸を造ったのかは聞かないでおこう・・・
そう・・は既に全て気づいている。
知った時は一瞬己の聡さを呪った程の衝撃だった。
常山郡、の名が出た時点で銅鄭候が何者なのかを悟ってしまったのである。
甄夫人の伝手で探し当てたというのに、何故彼らのような存在を探し当ててしまったのか・・・
「そうか、良かったな」
常山郡を取り仕切る銅鄭候、その正体は今現在も戦の渦中に居る・・・・賊軍だ。
目の前で一女中の家族の無事を”良かったな”と笑む男は、如何にしても賊軍を率いる頭領には見えない。
奉公初日こそ身構えたが、出発前に言われた表の一言のお陰で操は死守出来たのが幸いした気もする。
”ブスになって行け”
この突拍子もない表兄の言葉が無ければ
私自身がその言葉を聞き、素直に実践してなければ・・今頃私は肉便器ry(言い方ァ
自分の顔が美人とは思えないが、実践して良かったと、今回ばかりは心の底から表兄に感謝している。
何を実践したのかというと、至極簡単な事しかしていない。
「しかしお前もその雀斑(ソバカス)さえなければなあ」
折角良い背格好してるのに勿体ない。
心底残念そうな口調で張燕はの鼻頭上にある雀斑を示す。
この雀斑こそが、の実践した防衛策だった。
まあ・・この雀斑だけで残念な娘、と判断してくれた単純な彼らにも感謝しなければね。
賊軍には犯罪者や盗人も多く在籍し、そんな中に奉公に行けば
例え不細工でも女は女だ、と商品にされるかまたは集団の慰み物行きになっていただろう。
何故、名門袁家へ嫁いだ夫人の遠戚が彼らと繋がりがあり なぜそこへ奉公させたのかは考えたくもない。
考えたくなくても可能性の一つとして頭に浮かんでしまうのだ。
袁家にとって、家は目障りだったのではないか・・・と。
そう考えると疑問が一本の線で繋がってしまう。
障害と考えた永、董氏を戦場と化すと分かっていながら暁へ呼び
戦の混乱に紛れて殺害・・残った子供も袁家と敵対する賊軍の屋敷へ奉公に出し
公孫讃共々賊軍の根城を急襲し、亡き者にしてしまえばいい・・・という怖い考え。
兄浮は太守を継がせる事で見張り、大長秋の息子へ嫁ぐ事が決まった昱は大ぴらに処断出来ない。
下二人の弟も同様に、揃って大長秋の世話となる為、手出しは出来なくなる。
となれば賊軍へ奉公に行かせた私一人なら、秘密裏に消せるという事よ。
でもこれは私の推測・・・真実ではない・・
仮にこの考えの通りだったとしても母を恩人と話し、わざわざ自ら出向いて遺品を届けに来た甄夫人は関わっていないはず・・
美しいその人の目は、彼女の言葉が誠だと信じられる目をしていたから。
そこまで思案した時の前に影が生まれ、視線を上げた途端バチーンと眉間を突かれた(デコピン
「あいたっ」
「奉公主の前で堂々思案に耽るとは、流石才媛と名高い家の娘だな」
「あっ、申し訳ございません!」
「別に問題ない、そうだ・・先に伝えておこう」
「ご容赦有り難うございます、はい、何でしょうか」
思い切りデコピンされてヒリヒリ痛む眉間をさすりつつ控える。
拱手して控えたを一瞥してから緩慢な動きで張燕は話し始めた。
「秋が終わる頃、我らは再び袁紹を討つべく出陣する・・志半ばで果てた公孫讃殿の為にも」
その間屋敷の留守を任せたい、と張燕は語った。
実は先日の戦い、の父母も亡くなったあの戦いで
張燕が頭領を務める賊軍、黒山賊も痛手を負っていた。
いいところまで攻め込めていた彼らを、退却に追い込んだ武将が居たのである。
謀殺された董卓の養子として、過去虎牢関で矛を振るった猛将・・
一日に千里は駆けるとの呼び声高い名馬、赤兎を駆る呂奉先・・・通称呂布。
暁には居ないと思われていただけに虚を突かれた張燕は破れ、その影響で黒山賊は離散した。
その戦いを生き延びた張燕と存命だった当時の頭領、張牛角は散り散りになった黒山賊をまとめ
ついて来る意思が強い者だけを引き連れ、現在の根城、常山郡へと落ち延びた。
更なる出陣を約二ヵ月後に決めたという事は、呂布に負わされたケガも完治したのだろう。
今の張燕は、袁紹への憎しみを更に強くしたように見える。
かく言うも、憶測でしかないが・・袁家に対する不信感を抱きつつあるのは間違いない。
幸い兄や姉、弟たちも袁家に懇意がある訳でもない。
世話になったのは一族の遠戚表と、袁家に嫁がれた甄夫人だけだ。
袁家には何の思い入れも、仕える気持ちもない・・・・
反して黒山賊頭領、常山郡の銅鄭候が張燕らには何だかんだで良くして貰った。
犯罪者や盗っ人が多く集まる割に、意外と人格者も多く粗野な者は少ない。
女中として仕えてからは、彼らの日常の姿も垣間見た。
皆、それぞれに家族が故郷に居て、悪政に苦しめられたり権力者に振り回された過去を持っていた。
世情だから、と言うのは理由にもならない。
何故彼らのように犯罪に手を染める者が後を絶たないのか・・・
上に立つものは彼らの立場になり、親身に考えるべきだ。
奉公人として正しいのは、与えられた命令を遂行しこの屋敷を守る事だと思う。
けれどは当たり前の考えに否を唱えた。
もっと違う形で役に立てないものか・・・と。
戦場に出る武将としては役に立てなくても、頭を使う側なら?
知識を使う場と、それを体現してくれる者が居なければ意味がない
そう嘆いてたあの頃と今は違う・・ここを守るだけが奉公人ではないはず。
などと考えるあたり、もまだ未熟な子供に変わりはない。
ただ、役に立ちたくて、ただ残して来た姉弟たちの助けになりたい・・その一心だった。
その一心から、は緊張した声で申し出てみる事にした。
不興を買って処罰される事も覚悟して。
「張燕殿、1つお願いがございます」
「何だ?改まって」
「私を、私も・・張燕殿たち皆と出陣させて頂きたく存じます」
「・・・・意味、ちゃんと分かった上での申し出か?」
「はい」
呼び止めると穏やかな顔をして張燕がを視界に収める。
賊をまとめる頭領とは思えない柔らかな空気の中、先を促す張燕。
その空気に後押しされるように、心に沸いた気持ちを言葉にした。
すると、穏やかな顔と柔らかな雰囲気が少し薄らぐ。
軽く目を閉じ、すーっとゆっくり見開いた双眸に鋭さを湛え
少し低くなった声音が真っ直ぐにへ向けられた。
底冷えするような鋭さと圧に、ピシッとは背筋を伸ばす。
そこに見え隠れする黒山賊を率いる頭領としての冷酷さ、カリスマ性を見た気がした。
屈しそうになる心を奮い立たせ、決して反らす事なく冷たく鋭い張燕の目を見つめ続ける・・
まるで時が止まったかのように微動だにしない双方。
息が詰まるような沈黙が永遠に続くかと思われたその時
この張り詰めた空気に合わない間の抜けた声が、ピンと張り詰めた空気を解かした。
「おいおい張燕、何こえぇ顔して睨みつけてんだよ」
「―――孫軽か」
「孫兄・・」
嘆息と共に現れた人物を見る張燕、同時に雰囲気と纏う空気は通常に戻っている。
蛇に睨まれた蛙の如く目を反らす事も動く事も出来ないままだったも漸く息を吐く。
よっと口にしながら段差を降り、縁側に立つ張燕へ拱手し
裏口の戸の前で硬直したままの姿勢で息を吐くをニコニコと手招きした。
この青年の名は孫軽、年齢は22歳だ。
実兄の一つ下、という年齢に自然と兄を重ねたが此処に来るなりすぐ懐いた相手。
仮にも別の勢力をまとめていた経歴を持つ武将だが
孫軽自体が持つ面倒見の良さと懐っこさにより全くその経歴を感じさせない。
僅か16歳の若さで父母を亡くし、他家(しかも賊軍の根城)へ奉公に出たを不憫に思い
孫軽自身が屋敷にいる間や、偵察やらから戻った際には必ず顔を見せに伺うようになり
何かと助け船を出すようになって行き、今ではすっかり義兄と義妹のような関係になっている。
孫軽の存在も助けとなり、は今日まで無事にここで過ごせていると言っても過言ではないだろう。
孫軽は張燕が誰よりも信を置く相手であり、腕も立つ若き武将だ。
実戦での実績もある為、他の者はおいそれとに近寄る事も出来ない。
「意味なく睨んでいた訳ではない」
「ふーん?睨んでたのは認めるんかい・・、怖い事されてないな?」
「おい孫軽「はい!大丈夫です」」
「おお息ぴったり」
「孫軽、俺の怒りを買いたいなら止めやしないが先に報告をしろ」
「おーこわっ、へいへい」
言い訳にも聞こえる言葉を口にした張燕をチラ見した上で敢えて火に油を注ぐ問いを口にする。
質問するや否、半ば食い気味で自分を睨む張燕をハイハイと諫めると
元気よく答えたの頭を撫で、軽くイラつき始めた張燕に向き直る。
それから怒りの矛先をホホイと避けつつ張燕に頼まれていた事の報告を始めた。
孫軽は今の今まで、河北、つまりは冀州の曉へと偵察に行っていたのである。
全ては袁紹を追い、戦を仕掛ける為に。
「ふむ、おい」
「は、はい!」
「さっきの言葉が本気だと言うなら、証明して貰おうか・・」
「証明・・?ですか」
うん?と1人事態について行けていない孫軽が疑問符を頭の上に浮かべる。
「本気で戦について来る覚悟があるなら、お前を連れて行く価値を証明しろ」
「はぁ!??」
「俺達は数でも兵力でも袁紹に劣る、どんな戦の結果になるにしろ足手まといは連れて行けぬ」
「・・・・」
「だから、連れて行くに値する覚悟と価値を示してみろ」
話について行けてない孫軽が見守る中、張燕から突き付けられた課題。
私を連れて行くに足る価値・・それを示せたら皆の助けになれる。
ふと孫軽と目が合う。
かなり心配しているのか何故かより孫軽の方がオロオロしていた。
その様子を見ていると何だかリラックスしてしまう自分が居た。
孫軽は居るだけで場を穏やかにしてくれるし、いい意味で張り詰めた空気をぶち壊してくれる。
私の事を兄のように見守り、助けくれた。
張燕は張燕で、時折頭領らしく凄みを感じさせるけど、それは仲間を守る為 慎重になっているから。
己の命を賭して自分達の価値観や大切なものを守る為に戦う戦場。
その戦場に年端も行かぬ子供を連れて行くのだ・・
敵陣に知れれば間違いなくそこを狙われる。
そうされてしまえば最悪皆を巻き込み、黒山賊は全滅してしまう。
そんな危険を承知でを連れて行くに足る価値。
思い返しても私には16年の間に読み耽った書物の知識くらいしかない。
度胸試し・・・・してみる・・?
静かには自分に覚悟と価値を説いた張燕を見据える。
その眼差しに強い意思を見出すと、張燕は報告の為孫軽が手にしていた書簡を抜き取ると
「これは次に控える袁紹と、最近頭角を現し始めた許の曹操が交戦する可能性のある白馬という地の図面だ」
「・・・・」
「お前なら、どのような布陣を敷き、どんな策で袁紹を攻める?」
丸めてあった書簡の紐を解き、縁側の板の上に広げた張燕。
すぐに孫軽の横から広げられた書簡の前に立つ。
画図面を目にした瞬間、何とも心が高揚するのをは感じた。
初めて目にする白馬という地と、その様相を簡素だが書簡に再現した画。
何て素晴らしいんだろう、要塞から兵糧に至るまで細かく描かれている・・
嬉々とした顔で画図面を見つめるへ
縁側の上座から、揺らぐ事のない静かな水面を湛えた湖のように冷静な声の張燕が再度問うた。
「示してみろ、お前の覚悟と価値を」
時は西暦211年の暮れ、季節は秋を迎えていた。
甄姫の親族の伝手で見つかった銅鄭候家は、家が在る冀州南部に対して北部の常山郡に在る。
地理と歴史に対する知識があれば、そこを奉公先には選ばなかったであろう。
近頃は治安が悪く、よくない輩も居るとか居ないとか。
そこに並行してまたも戦が起こる気配も見え隠れしていた。
と、噂される常山郡へ奉公に入った、さぞ不安だろうと思った表。
「どうやら上手くやってるみたいだな」
今朝も届いたからの近況を伝える文を受け取り、常山郡方面を眺めた。
あれから数ヵ月が経過し、甄夫人から家の父母の亡骸が運送され
奉公で不在のに代わり、表との姉弟たちと葬儀と埋葬を済ませた。
数日間の喪の間、甄夫人と袁煕までもが弔問に訪れ
焼香や、僅かだが見舞金も残して行かれた。
昱はその金子を始めこそ頂けないと言っていたが、恩人の家族へせめてもの気持ちだと言われ
断るに断れず昱はその金子を受け取った。
正直なところ、この金子は有り難かった・・。
からも奉公先からの給金が送られてくるが、その金子だけでは家族3人分の食費やら生活費は賄えない。
袁煕や甄姫の手前、社交辞令として遠慮はしたが本心から言わせてもらえば物凄く有り難い申し出だった。
今現在は、時折表も見に来ているが何とかやれているらしい。
昱の嫁ぎ先の官吏は、幸い憐憫の心を持っており
彼女が嫁いでからも家に残された弟二人の面倒も見てくれる事になった。
常山郡へ奉公に就いたを除いて・・。
は知らないが、数日経過したある日、安否不明だった長兄 浮も無事が確認された。
何と永の後任として南郡の太守に任命され、混乱していた任務を片づけたりと忙しなく過ごしているとの事。
表は勿論この知らせを奉公勤めをしているへ文で送った。
無事表からの喜ばしい知らせを今まさに受け取った。
この時代で郵便を扱うのは、郵と言う名の中継所である。
中継所は伝令や文書を取り次ぐ場所で、国境ごとに配置されていた。
今の手元に届いた文も、郡の国境付近に在る中継所から伝令兵の手で運ばれた。
ある程度の地位にいる者は直接中継所から伝令兵を呼び寄せ
その場で届けさせる文書や文を書き、直接伝令兵に持たせている。
兄の無事と、現在の状況を届けてくれた伝令兵に礼を述べ大事そうに文を荷物にしまう。
丁度いいタイミングでは威厳ある声に呼ばれる。
「やけに嬉しそうだな、良い知らせでも来たのか?」
「張燕殿、いらしてたのですね。はい、以前の暁襲撃の際 所在不明になっていた兄の居場所が分かったとの報でした」
を呼んだのは、奉公主で銅鄭候の名を継いだ武将その人だ。
人里離れた山岳地帯に中々の豪邸を構える豪族で、抱える使用人は数名だが
彼の元に居る軍団は100万に届く軍勢となっている。
前任は張牛角で、を雇用した本来の雇い主であった。
張牛角はを雇用した僅か数ヵ月後、以前より患っていた持病で世を儚んだ為
そして、張牛角と軍団立ち上げの頃からの付き合いがあった張燕が軍団の頭 銅鄭候を継いだのだ。
彼らがどのようにして富を築き、この豪邸を造ったのかは聞かないでおこう・・・
そう・・は既に全て気づいている。
知った時は一瞬己の聡さを呪った程の衝撃だった。
常山郡、の名が出た時点で銅鄭候が何者なのかを悟ってしまったのである。
甄夫人の伝手で探し当てたというのに、何故彼らのような存在を探し当ててしまったのか・・・
「そうか、良かったな」
常山郡を取り仕切る銅鄭候、その正体は今現在も戦の渦中に居る・・・・賊軍だ。
目の前で一女中の家族の無事を”良かったな”と笑む男は、如何にしても賊軍を率いる頭領には見えない。
奉公初日こそ身構えたが、出発前に言われた表の一言のお陰で操は死守出来たのが幸いした気もする。
”ブスになって行け”
この突拍子もない表兄の言葉が無ければ
私自身がその言葉を聞き、素直に実践してなければ・・今頃私は肉便器ry(言い方ァ
自分の顔が美人とは思えないが、実践して良かったと、今回ばかりは心の底から表兄に感謝している。
何を実践したのかというと、至極簡単な事しかしていない。
「しかしお前もその雀斑(ソバカス)さえなければなあ」
折角良い背格好してるのに勿体ない。
心底残念そうな口調で張燕はの鼻頭上にある雀斑を示す。
この雀斑こそが、の実践した防衛策だった。
まあ・・この雀斑だけで残念な娘、と判断してくれた単純な彼らにも感謝しなければね。
賊軍には犯罪者や盗人も多く在籍し、そんな中に奉公に行けば
例え不細工でも女は女だ、と商品にされるかまたは集団の慰み物行きになっていただろう。
何故、名門袁家へ嫁いだ夫人の遠戚が彼らと繋がりがあり なぜそこへ奉公させたのかは考えたくもない。
考えたくなくても可能性の一つとして頭に浮かんでしまうのだ。
袁家にとって、家は目障りだったのではないか・・・と。
そう考えると疑問が一本の線で繋がってしまう。
障害と考えた永、董氏を戦場と化すと分かっていながら暁へ呼び
戦の混乱に紛れて殺害・・残った子供も袁家と敵対する賊軍の屋敷へ奉公に出し
公孫讃共々賊軍の根城を急襲し、亡き者にしてしまえばいい・・・という怖い考え。
兄浮は太守を継がせる事で見張り、大長秋の息子へ嫁ぐ事が決まった昱は大ぴらに処断出来ない。
下二人の弟も同様に、揃って大長秋の世話となる為、手出しは出来なくなる。
となれば賊軍へ奉公に行かせた私一人なら、秘密裏に消せるという事よ。
でもこれは私の推測・・・真実ではない・・
仮にこの考えの通りだったとしても母を恩人と話し、わざわざ自ら出向いて遺品を届けに来た甄夫人は関わっていないはず・・
美しいその人の目は、彼女の言葉が誠だと信じられる目をしていたから。
そこまで思案した時の前に影が生まれ、視線を上げた途端バチーンと眉間を突かれた(デコピン
「あいたっ」
「奉公主の前で堂々思案に耽るとは、流石才媛と名高い家の娘だな」
「あっ、申し訳ございません!」
「別に問題ない、そうだ・・先に伝えておこう」
「ご容赦有り難うございます、はい、何でしょうか」
思い切りデコピンされてヒリヒリ痛む眉間をさすりつつ控える。
拱手して控えたを一瞥してから緩慢な動きで張燕は話し始めた。
「秋が終わる頃、我らは再び袁紹を討つべく出陣する・・志半ばで果てた公孫讃殿の為にも」
その間屋敷の留守を任せたい、と張燕は語った。
実は先日の戦い、の父母も亡くなったあの戦いで
張燕が頭領を務める賊軍、黒山賊も痛手を負っていた。
いいところまで攻め込めていた彼らを、退却に追い込んだ武将が居たのである。
謀殺された董卓の養子として、過去虎牢関で矛を振るった猛将・・
一日に千里は駆けるとの呼び声高い名馬、赤兎を駆る呂奉先・・・通称呂布。
暁には居ないと思われていただけに虚を突かれた張燕は破れ、その影響で黒山賊は離散した。
その戦いを生き延びた張燕と存命だった当時の頭領、張牛角は散り散りになった黒山賊をまとめ
ついて来る意思が強い者だけを引き連れ、現在の根城、常山郡へと落ち延びた。
更なる出陣を約二ヵ月後に決めたという事は、呂布に負わされたケガも完治したのだろう。
今の張燕は、袁紹への憎しみを更に強くしたように見える。
かく言うも、憶測でしかないが・・袁家に対する不信感を抱きつつあるのは間違いない。
幸い兄や姉、弟たちも袁家に懇意がある訳でもない。
世話になったのは一族の遠戚表と、袁家に嫁がれた甄夫人だけだ。
袁家には何の思い入れも、仕える気持ちもない・・・・
反して黒山賊頭領、常山郡の銅鄭候が張燕らには何だかんだで良くして貰った。
犯罪者や盗っ人が多く集まる割に、意外と人格者も多く粗野な者は少ない。
女中として仕えてからは、彼らの日常の姿も垣間見た。
皆、それぞれに家族が故郷に居て、悪政に苦しめられたり権力者に振り回された過去を持っていた。
世情だから、と言うのは理由にもならない。
何故彼らのように犯罪に手を染める者が後を絶たないのか・・・
上に立つものは彼らの立場になり、親身に考えるべきだ。
奉公人として正しいのは、与えられた命令を遂行しこの屋敷を守る事だと思う。
けれどは当たり前の考えに否を唱えた。
もっと違う形で役に立てないものか・・・と。
戦場に出る武将としては役に立てなくても、頭を使う側なら?
知識を使う場と、それを体現してくれる者が居なければ意味がない
そう嘆いてたあの頃と今は違う・・ここを守るだけが奉公人ではないはず。
などと考えるあたり、もまだ未熟な子供に変わりはない。
ただ、役に立ちたくて、ただ残して来た姉弟たちの助けになりたい・・その一心だった。
その一心から、は緊張した声で申し出てみる事にした。
不興を買って処罰される事も覚悟して。
「張燕殿、1つお願いがございます」
「何だ?改まって」
「私を、私も・・張燕殿たち皆と出陣させて頂きたく存じます」
「・・・・意味、ちゃんと分かった上での申し出か?」
「はい」
呼び止めると穏やかな顔をして張燕がを視界に収める。
賊をまとめる頭領とは思えない柔らかな空気の中、先を促す張燕。
その空気に後押しされるように、心に沸いた気持ちを言葉にした。
すると、穏やかな顔と柔らかな雰囲気が少し薄らぐ。
軽く目を閉じ、すーっとゆっくり見開いた双眸に鋭さを湛え
少し低くなった声音が真っ直ぐにへ向けられた。
底冷えするような鋭さと圧に、ピシッとは背筋を伸ばす。
そこに見え隠れする黒山賊を率いる頭領としての冷酷さ、カリスマ性を見た気がした。
屈しそうになる心を奮い立たせ、決して反らす事なく冷たく鋭い張燕の目を見つめ続ける・・
まるで時が止まったかのように微動だにしない双方。
息が詰まるような沈黙が永遠に続くかと思われたその時
この張り詰めた空気に合わない間の抜けた声が、ピンと張り詰めた空気を解かした。
「おいおい張燕、何こえぇ顔して睨みつけてんだよ」
「―――孫軽か」
「孫兄・・」
嘆息と共に現れた人物を見る張燕、同時に雰囲気と纏う空気は通常に戻っている。
蛇に睨まれた蛙の如く目を反らす事も動く事も出来ないままだったも漸く息を吐く。
よっと口にしながら段差を降り、縁側に立つ張燕へ拱手し
裏口の戸の前で硬直したままの姿勢で息を吐くをニコニコと手招きした。
この青年の名は孫軽、年齢は22歳だ。
実兄の一つ下、という年齢に自然と兄を重ねたが此処に来るなりすぐ懐いた相手。
仮にも別の勢力をまとめていた経歴を持つ武将だが
孫軽自体が持つ面倒見の良さと懐っこさにより全くその経歴を感じさせない。
僅か16歳の若さで父母を亡くし、他家(しかも賊軍の根城)へ奉公に出たを不憫に思い
孫軽自身が屋敷にいる間や、偵察やらから戻った際には必ず顔を見せに伺うようになり
何かと助け船を出すようになって行き、今ではすっかり義兄と義妹のような関係になっている。
孫軽の存在も助けとなり、は今日まで無事にここで過ごせていると言っても過言ではないだろう。
孫軽は張燕が誰よりも信を置く相手であり、腕も立つ若き武将だ。
実戦での実績もある為、他の者はおいそれとに近寄る事も出来ない。
「意味なく睨んでいた訳ではない」
「ふーん?睨んでたのは認めるんかい・・、怖い事されてないな?」
「おい孫軽「はい!大丈夫です」」
「おお息ぴったり」
「孫軽、俺の怒りを買いたいなら止めやしないが先に報告をしろ」
「おーこわっ、へいへい」
言い訳にも聞こえる言葉を口にした張燕をチラ見した上で敢えて火に油を注ぐ問いを口にする。
質問するや否、半ば食い気味で自分を睨む張燕をハイハイと諫めると
元気よく答えたの頭を撫で、軽くイラつき始めた張燕に向き直る。
それから怒りの矛先をホホイと避けつつ張燕に頼まれていた事の報告を始めた。
孫軽は今の今まで、河北、つまりは冀州の曉へと偵察に行っていたのである。
全ては袁紹を追い、戦を仕掛ける為に。
「ふむ、おい」
「は、はい!」
「さっきの言葉が本気だと言うなら、証明して貰おうか・・」
「証明・・?ですか」
うん?と1人事態について行けていない孫軽が疑問符を頭の上に浮かべる。
「本気で戦について来る覚悟があるなら、お前を連れて行く価値を証明しろ」
「はぁ!??」
「俺達は数でも兵力でも袁紹に劣る、どんな戦の結果になるにしろ足手まといは連れて行けぬ」
「・・・・」
「だから、連れて行くに値する覚悟と価値を示してみろ」
話について行けてない孫軽が見守る中、張燕から突き付けられた課題。
私を連れて行くに足る価値・・それを示せたら皆の助けになれる。
ふと孫軽と目が合う。
かなり心配しているのか何故かより孫軽の方がオロオロしていた。
その様子を見ていると何だかリラックスしてしまう自分が居た。
孫軽は居るだけで場を穏やかにしてくれるし、いい意味で張り詰めた空気をぶち壊してくれる。
私の事を兄のように見守り、助けくれた。
張燕は張燕で、時折頭領らしく凄みを感じさせるけど、それは仲間を守る為 慎重になっているから。
己の命を賭して自分達の価値観や大切なものを守る為に戦う戦場。
その戦場に年端も行かぬ子供を連れて行くのだ・・
敵陣に知れれば間違いなくそこを狙われる。
そうされてしまえば最悪皆を巻き込み、黒山賊は全滅してしまう。
そんな危険を承知でを連れて行くに足る価値。
思い返しても私には16年の間に読み耽った書物の知識くらいしかない。
度胸試し・・・・してみる・・?
静かには自分に覚悟と価値を説いた張燕を見据える。
その眼差しに強い意思を見出すと、張燕は報告の為孫軽が手にしていた書簡を抜き取ると
「これは次に控える袁紹と、最近頭角を現し始めた許の曹操が交戦する可能性のある白馬という地の図面だ」
「・・・・」
「お前なら、どのような布陣を敷き、どんな策で袁紹を攻める?」
丸めてあった書簡の紐を解き、縁側の板の上に広げた張燕。
すぐに孫軽の横から広げられた書簡の前に立つ。
画図面を目にした瞬間、何とも心が高揚するのをは感じた。
初めて目にする白馬という地と、その様相を簡素だが書簡に再現した画。
何て素晴らしいんだろう、要塞から兵糧に至るまで細かく描かれている・・
嬉々とした顔で画図面を見つめるへ
縁側の上座から、揺らぐ事のない静かな水面を湛えた湖のように冷静な声の張燕が再度問うた。
「示してみろ、お前の覚悟と価値を」
魏帝の徒花
2019/2/25 up
わー(*'▽')さん賊軍ハウスに奉公してたーー!
出て来た二人の武将は正史にも登場する本物です、ただし、性格と喋り方は捏造です(笑)
董氏から受けた恩を返す為に自らの伝手を頼った甄姫、彼女が黒山賊り根城と知った上で紹介したのか否か
それとも氏の懸念した通り、袁紹の思惑が働いたのかについては追々分かるようにしたい。
出て来た二人の武将は正史にも登場する本物です、ただし、性格と喋り方は捏造です(笑)
董氏から受けた恩を返す為に自らの伝手を頼った甄姫、彼女が黒山賊り根城と知った上で紹介したのか否か
それとも氏の懸念した通り、袁紹の思惑が働いたのかについては追々分かるようにしたい。
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