魏帝の徒花

起ノ章 1幕

1幕 1-3話


家の次女、の姿は数分の間庭に在った。
父母と長子の兄がそれぞれ出仕し、姿はない。
混乱は続き、それは恐らく中国全土に広がって行くだろう。

力をもたない女子供、それから老人たちは
変動する世の中に振り回され、望まずとも乱に巻き込まれ命を奪われる。
平民より階級が上でもそれは関係なく巻き込まれるのだ。
今まさに、平穏を過ごして来た家も、その渦中に引きずり込まれようとしている・・

私に何が出来るだろう――

得て来た知識を活かし、献策くらいは出来るかもしれないが所詮は女。
それらを活かす場も体現してくれる者も持たない。
結局のところは無力なのだ・・・

先ずはこれからどうするのが正しいのか、見極めなくてはならない。
出仕したまま戻れないなら、仕事は出来てるはず・・
なら父母と兄が留守の家を私なりの方法で守ればいい。
身に着けた知識を何とか活かせないだろうか・・・

―もしもの時どうにもならなくなったら、家の遠戚を頼りなさい―

ふと出立する寸前言われた兄の言葉を思い出す。
どうにもならないなんて事態にはまだ早いけども・・使える物は使わなくては。
と、頼る事は決めたが正直一度も言葉を交わした事はない。

それでも何とかなるだろう、何か良い働き場はないか?と それだけ聞ければいい。
姉の昱には留守を守って貰い、家事を任せ・・成には都の面倒を見て貰わなくては。
よし、そうと決まれば早速行動だ。
決意を新たにし、パンと両頬を軽く叩いて気合を入れる。

目標があるというのは実に良い、気持ちを向上させ、奮い立たせてくれる。
何かしていないと不安になってしまいそうだから。

行動を起こす為、は家へと戻り先ずは昱たちを起こす事にした。
踵を返し玄関に向かう時、ふと誰かの姿が坂の向こうに見え隠れする。
おかしな風貌ではなさそうだが兵士でもない。

ここら辺は中流階級の者が多く住む県だ。
それもあってか乗合馬車のような移動手段が使える。
今こちらに向かう人物も、表通りの方から乗合馬車を降りて歩いている所だ。

表通りから上る坂の上に居を構えるのは家しか存在しない。
つまりは此処に用事のある人物という事になる。
一体誰だろう?と目を凝らして道の先の人物を眺めているうち
全く知らない者ではない事に気づき、声を掛けていた。

「表兄?」

声を掛けると言うよりは、呟くように口にした人物の名。
丁度家の門前に辿り着いていた”表兄”が、目線を向けてニカッと笑む。

か!暫く見ないうちに偉く別嬪になったな」

人好きする笑みを浮かべて近寄り、の頭を容赦なく撫でる。
彼は一族の遠戚、表、昱の1つ上の従兄だ。
幼い頃から発揮されてたの聡明さや賢さを評価し、父と共に称賛してくれた理解者でもある。
今の世は男尊女卑、女が男より優れる事は認めない風潮がある。

そんな中で父や表の存在は稀、彼らの理解があったからは書物や儒学に兵法書を好きなだけ読めた。
太守という地位に父が居ながらも、手元にある書物がボロボロになるまで読み
新しいものをすぐすぐ買って貰うような事はしなかった、恐らく無意識に遠慮していたのだろう。

「また冗談を」
「冗談などではないぞ?お前は美人なんだから自分の身は自分で守れるようにならんとな」

何ともタイムリーな台詞に、一瞬内心を突かれた気がして固まる。
確かに表兄の言う事は一理ある・・容姿云々を抜きにしても今後その自己防衛力も身に付けねば・・
などと考え込む、その様子を表も眺めていた。

実はただただ従妹をからかう為に来たのではない。
勿論別嬪になったな!は表の素直な感想だ。
昱やは、母親である董氏に似て成人未満ながらに美しく成長している。
姉の昱は嫁ぎ先が決まっているものの、聡明で美しいはそれすら決まっていない。

独り身という言い方もおかしいが、誰の手付きにもなっていない未婚の娘。
更に賢く聡明、更には美貌も伴うとなれば引く手数多だろう・・
しかし今の世は、それらが全てまともな人間からの求婚とは限らない。

よくない考えの人間も近寄って来る。
そんな訳で、何故表が此処を訪ねたのか それは

「表兄は何故またここへ?」
「お前の父、永殿と董氏殿に・・見た所浮も出仕したと聞いてな」
「はい・・伝令書を携えた伝令兵の方が昨夕尋ねて来られて・・・」
「朝になったら永殿も董氏殿も居なかった、て事か」

問いかけに肯定として1つ頷く。
改めて確認すると、不安になりそうで落ち着かない。

「俺んちも同じだが伝令兵は今朝来てな、都は混乱状態だから出仕は控えろって内容だったな」
「表兄のところも・・でも今朝で良かったわ、昨日だったら表兄のところも――」
「・・・俺の父親も県令だが・・そうだな、緊急なら永殿と同じく昨日出仕を促されてもおかしくないよな・・?」

表の父親も、浮と同じく東郡の県令を務めている。
曉は北郡、永は南郡、わざわざ北から遠い南郡太守を出仕させたにも関わらず若干近い東郡には出仕命令が翌朝に届いた?

伝令を走らせるにしても南郡へ向かわせるより、東郡に行かせた方が断然早い。
何故・・わざわざ南郡太守の父を?父だけでなく官吏の母まで呼び出したのは何だったのだろうか。
途端に心臓が掴まれるような、そんな息苦しさを感じた。

嫌な感じがする。
兄は大丈夫だろうか、まだ問題が継続していたら?
父や母は都での用向きが終えたら戻って来れる?
心臓が早鐘を打ち、体の内側から鼓動が響いてくる。

兄を向かわせずに止めるべきだったのだろうか・・
だがもう後の祭りだ。
無事に戻る兄や父母を待つしかない・・・何ともどかしいのだろう。

動揺を表に出さぬよう心を落ち着かせる。
先ずは昱たちを起こし、表を交えて話をしなくては。
だがそう思い立ち、中に入ろうと表を促すにまたも声が掛けられた。

永太守のご息女殿ですか?」

掛けられた声に、鳥肌のようなうすら寒いものが背中を下りて来る。
騒ぎ出した心を何とか落ち着けようと、腹に力を入れ現れた兵士に応えた。

「はい、そうですが」

振り向いた先には昨夕も現れた伝令兵。
昨夕の人とは声が違うので別人だろう。
表もの隣に並び立ち、伝令兵からの言葉を待つ。

「心苦しいですが、訃報の知らせを届けに参りました」

この人は誰の話をしているんだろう。
聞いた直後、は頭の理解が追い付かなかった。

訃報・・?誰の?
心がパニックを起こしそうになりながら差し出される伝令書を受け取る。
伝令書に巻き付けられた黒い紐、その色が伝令兵の言葉を裏付けた。

開きたくない気持ちから手が震える。
伝令書は受け取って開き、中を検めるまで見届けるのが伝令兵の役割だ。
なので送られた先の者が中を検めるまで、届けた伝令兵は待機している。
分かっているのだが心が竦み、動作を止めてしまった

気づいた表が険しい表情での手から伝令書を取り
検めるのを待つ伝令兵の前で黒い紐を解き、中身に目を通した。

【昨夕から昨晩に掛けて起きた反乱軍との激戦にて、南郡太守永、並びに董氏の死を確認したものとする】

ついては後日両名の遺品と遺骸を搬送する・・・
信じがたい事に・・そこにはの父母の死が記されていた。
だが疑問も沸いた表は、確認した、という言葉を待つ伝令兵に問う。

「亡くなったのは、他にも?」
「・・・城に出仕していた官吏や、兵士が多く戦死しております」

まあそれはそうだろう、袁紹がいる城だ、兵士は多く死んだと想像も容易に出来る。
が、表が聞きたいのはその事ではない。
先程と話していて沸いた疑問だ、核心に迫る可能性のある問いを改めて口にした。

「大事な事を聞くが、正直に答えてくれ」
「私に答えられる範囲であれば・・」
「出仕した太守、並びに官吏は何人いた?」
「・・・・・・太守殿も官吏も、お一人ずつです・・夫妻のみでした」

返って来たのは考えたくない方の回答だった。
隣のが息を呑むのが伝わって来る。

「!?」

冷静に問い質そうとしたがそれも徒労に終わった。
相手は末端の伝令兵だと分かっていても、問わずには居られなかったのだ。

「どういうことだ?何故反乱軍が攻めて来ると分かっていて2人を、2人に伝令書を届けた!?」
「そればかりは我々末端の者には聞かされておりません!」
「くっ・・・!」
「・・今、伝令書を届けたと言いましたか・・・?」

掴みかかる勢いで糾弾する表に、驚きながらも弁明する伝令兵。
悔しいが予想の範囲の弁明だ・・。
ちらっとを見やれば、青ざめた顔で横に佇んでいる・・卒倒しないだけでも気丈な娘だと感じた。

それからあたふたしていた伝令兵だったが、表の言葉に引っ掛かりを感じ
訝しむように怒気を纏う表へ聞いてくる。
この様子にはまたも察知したは隣に立つ従兄の服をぎゅっと握り締めた。
袖を握られる重さを感じながら何か言いたそうな伝令兵の先を促すと

「出仕の伝令は何刻頃に?」
「―・・昨夕です、都尉殿から火急の知らせだと申していました」

問いかけには何とかが答えた。
奥から覗き見ていただけだったが確かに夕食後の夕方に、知らせを手にした伝令兵が訪ねて来た。
最近の世情で警戒した父と兄が伝令兵を出迎え、受け取った伝令書を兄が父に渡した所までだが・・・

「うん?その伝令兵は渡した後すぐ帰還したのですか?」

の回答に伝令兵は疑問を深くしたらしい。
もう一度改めるように問いを重ねる。

問われるまま記憶を思い返してみるが、伝令書を受け取った兄が室内に戻ったのは早かった気がする。
検めを確認しました、のようなやり取りも聞こえてこなかった・・・
覚えている範囲の事を答え、それを聞き終えた伝令兵は首を傾げながらこう言った。

「変ですね・・昨日はどの郡にも伝令は向かわせてなかったはずです」と。


魏帝の徒花
2019/2/23 up
最後の台詞を言わせたいばかりに長めに書いてしまった。
この後もう少し家での今後を書いておきたい・・・
因みに甄姫はより一回り年上です(正史だと1つ年上です)この話用により生まれた年の差!
彼女の正史もこの話用に改ざんしてますのであしからず(・∀・)
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