魏帝の徒花

起ノ章 1幕

1幕 1-2話


夜が明ける頃、反乱の全貌が明らかに。
曉の県奥地に建てられた袁家の要塞にも朝の日差しが注ぐ。

名門として知られる袁家の家督は、袁紹に継がれ
三代続けて三公(管制の最高位)を輩出した家を守っていた。
これから幾世創を見、また見届ける曉という都。
そこの都を守る城壁の内側や外側にもうず高く死体が積まれ、また転がされていた。

宛ら墓場だ。

朝の日差しの中、命を取り留めた負傷兵らの搬送や
負傷を免れた兵士や傷病兵らが駆け回っている。
もう何度目になるか分からない程、この曉は反乱軍の攻撃を受けている。

ここ最近は特に頻繁だ・・、反乱軍を指揮する公孫讃は曉を都に置く袁紹と敵対しており
異民族に対する政策で劉慮と対立したが、黄巾の乱で数々の功績を上げる事で頭角を現した武将である。
何故名門袁家に弓引く事態になったのかは、今より十数年前に遡る。

公孫讃は異民族対応策について、劉慮のやり方が気に入らず常に気に入らない態度を取っていた。
そんな時、劉慮を皇帝に立てようと袁紹と同じ一族の袁術が現れる。
が、劉慮は袁術の案に対し首を横に振り、彼らの意見を受け入れなかった。
この時点で既に皇帝は献帝(劉協)が勤めていたからだ。

劉慮はどうせなら献帝から必要と思われ呼ばれる側になりたいと望んでおり
その時が訪れるのをひたすらに待っているという控えめ?な人物だった。

数年後劉慮の願いは叶い、帝の使者、劉和が到着。
袁術はその使者を捕えて尚書台にて偽の手紙を書かせ、劉慮の軍を奪取したのだ。
それを何処かで耳にした公孫讃、意見の合わない劉慮は目の上のたんこぶでしかない。
すぐさま自分の従弟、公孫越を袁術の軍幕へ送り込み 袁術と交流を深めるようになった。

この頃対する袁紹も勢力を拡大しつつあり、名門袁家の威光は大陸全土に広がる勢いだった。
が、袁紹は洛陽に入った孫堅の力を削ぐ為 部下を仕掛け戦に発展させる。
その戦の援軍で、公孫越が参じたが儚くも落命してしまった。

これをきっかけに公孫讃が表立って敵意を剥き出しにし
数年に渡る袁紹と公孫讃との戦いが幕を開けたのである。

とまあ、このような経緯もあり双方の戦は頻繁に起きているのだ。
だがその度に巻き込まれる曉の民にしてみれば、いい迷惑でしかないだろう。
戦となれば作物や鉱石の値段も上がり、農民が納める年貢も跳ね上がる。
それまで難なく納められていた税を滞納しなくてはならなくなり、時に追い立てられるのは堪ったもんじゃない。

今回の戦の死者は過去を上回る規模だ。
思いの外攻め込まれ、曉の中枢にある袁紹の城付近まで入り込まれたのだ。
運悪く出仕していた官吏や、各地の県令太守なども巻き込まれ女性も巻き込まれたとの事。

「これは流石に、旗色が悪すぎますわね」

血の臭いや何かが燃える脂の臭いが立ち込める戦場には似つかわしくない冷涼な声が響く。
先ず戦場に立つ事は少ないはずの女性が、涼やかな目元を死体の転がる風景に向けていた。

意思の強さを伺わせる声が呟いた旗色が悪いとはどういう意味なのか、今回の戦は被害は多かれ袁家に致命的なダメージはない。
寧ろ反乱軍を追い返した功労者として、袁紹は民から賛辞を受けている。

すらりとした長身、均整に整った体躯を包む衣は金に近い黄色。
艶やかな黒髪は長く、頭の米神よりやや後ろでひとまとめにされ
絢爛華麗な華の簪で挿しとめられている。

戦場には不向きそうな裾の長い衣、しかも脚の付け根辺りから深いスリットが入っている・・・
これはかなり自分の容姿に自信がなければ着る事も躊躇う装いだ。
この女性は何故ここに居るのか、自然に沸くこの疑問は何れ知れるだろう。

「甄姫さま、そろそろ城へお戻り下さい」
「分かりましたわ・・けどその前に、お別れを」

敬称を付けて呼ばれた甄姫は、黄色を纏う姿から袁家の関係者と分かる。
且つ、勝敗のついた戦場をうろつけるばかりか敬称で呼ばれる身分に居る女性。
甄姫の体型に合う体にフィットする衣の腰には、優美な笛が差し込まれているが・・・武器には見えない。

それでもこの美しい立ち姿と表情には凛とした糸のような緊張感が伺える。
鋭い眼差しは相手を委縮させるのは十分だ、でも今は、その瞳に微かな憂いが見てとれる。
近しいものが亡くなりでもしたのだろうか・・・そう呟いて城へ戻る甄姫を兵士も追った。


城に戻っても視界に入る方々に、兵士や巻き込まれて亡くなった官吏の姿が見受けられる。
内部ではそれらの処理に追われる袁家の武将や宦官が齷齪と動き回っていた。

勿論甄姫も武将として、内部に入り込んだ公孫讃軍と交戦している。
甄氏の出である甄姫が何故袁家側として戦ったのか。

「甄氏!お前に言われた通り、かの者の亡骸は保護しておいたぞ」

通路の端に寄せられた遺体を避けながら歩く事数分。
突如後ろから呼ばれ、足を止めると駆けて来る大柄な武将が1人。
一瞬男を目を細めて見た後、華のように笑み、甄姫は一礼した。

「これは袁煕さま、わざわざ有り難うございます」
「良いのだ、他ならぬ甄氏の頼みとなればな」

華も恥じらうような笑みに心を蕩けさせながら上機嫌で応える袁煕。
傍目にも分かりやすいほど袁煕はこの美しい甄姫に骨抜きにされている。
武将に昇りつめる程の強さも持ち、且つ肌は珠のようと称えられる美しさも兼ね備えた女性。
そのような女性を娶れたばかりか、傍に置ける誇らしさたるや 天にも昇るようだろう。

慎ましく淑やかで戦う姿は美しい妻、だが、袁煕は甄姫の内面までは知らずにいた。
名門袁家へ嫁いだが、どうにも甄姫は満たされず夫の様子を常に見定めようとしている。
武将として強さはあれど、何かこう・・・強く惹かれるものはないのだ。

甄姫が抗えない程の強烈な磁力・・何を差し置いても添い遂げたい。
共に傍で戦い、徒花として散れたらと思える確たる物はまだ見出せないのだ。

自分を愛してくれているのは分かる。
だからこそ余計に、強烈な強さでグイグイ惹かれるような何かを心の奥底で甄姫は求めていた。

袁煕へ短く礼を言い、その足ですぐ保護した亡骸の安置された部屋へ急ぐ。
不運にも、その人はこの場に出仕し、命を散らしてしまった。
かの者は甄姫にとっての恩人で、嫁いで来たばかりの頃を支えてくれた人。

かの者が居なければ、わたくしは当に袁家を去っていたでしょう・・・
愚痴を零しによく訪ねたものです・・
今日まで本当に、感謝してもしきれませぬわ・・・

探し当てた室内は袁煕が気を利かせたのか、厳かに飾られ、亡骸には上質な衣が掛けられている。
どう亡くなったのかすら読み取れないくらい綺麗に。

「まるで眠っているようですわね・・・」

そう言いたくなるほど穏やかな死に顔だった。
もうこの世ですべき事は全て終わらせたと言わんばかりの。
穏やかで急すぎる別れに、目尻に滲む涙を指先で払う。

そうしながら視線を亡骸横に置かれた卓へ向ける。
亡くなる直前までかの者が持っていた遺品だろうか・・

卓に置かれたものは、実に少なかった。
かの者が此処に出入り出来る許可証と、身分証。
それから・・どこか不釣り合いな巾着が1つ。
検分するつもりはないが、妙に気になった。

指で持ち上げてみると程よく重い。
金子・・ではなさそうだ。
本来なら許可なく他人の荷物を検める行為は武将の仕事ではない。
だが今、持ち主は落命し俗世の持ち物は親族へ手渡される。

そうなる前の持ち物確認ですわ。

妙に卑しい気持ちになる自分への言い訳としてそう考え
思い切って甄姫は手にした巾着の紐を緩め、巾着の閉口部分を広げて中を確認。

「これは・・・花押?――!!」

取り出したのは重さのある花押だった。
それならば左程驚くものでもない。
身分ある官吏や武将は皆、自分を示す花押を持ち歩き 証明や確認などの手続きの際に捺す。

宮仕えを仕事としていたかの者がそれを持っていても何ら不思議はない。
一通り花押を眺めた後、甄姫はとんでもないものを見た。

思わず持ち主だったかの者と、花押を見比べて二度見するくらいに。
これはこの花押は、一介の官吏が手に出来るものではない。
何故これをこの者が?揃いの巾着ごと持っていたのか、想像するのも躊躇う。

思えば疑問に思う事はこの花押以外にも甄姫の胸中には芽生えていた。
驚く事がいっぺんに襲ってきて判断に困りますわね・・・
一番悩むのは、見つけてしまった花押と巾着の存在だ。
本来なら伴侶である袁煕または、袁煕の父、袁紹へ報告するのが筋だろう。

だが今これを見せれば、間違いなく袁紹は利用する。
きな臭い事態がすぐ起こるだろう・・且つて孫堅が見つけ、騒乱を招いた伝国の玉璽のように。
なれば、親族へ届けるべきか・・・?しかしその行為は規律に反する。
嫁であり妻であり女である前に、甄姫は袁紹軍に属する武将・・上官への報告は原則だ。

数十分苦悩した末、見つけた花押を巾着に戻し
そのまま自分の衣の袷に隠した。

これをどうするのかは、来たるべき日に決めましてよ。
だからその時まで、これはわたくしがこの身を以て守りましょう。

そう心で語り掛けると、甄姫は横たわる亡骸に拝手して部屋を出た。
花押の件は一時預かる事にし、先ずは亡骸を遺族へ返す手筈を整えるべく
身元の確認の為、甄姫は大司徒(民事、戸籍、租税を管理する)へと足を向けた。

数年に渡り、隠されて来た真相への扉に手を掛けた事は知らずに。


魏帝の徒花
2019/2/22 up
今回は都である曉で起きていた戦後を中心に甄姫さんを出して意味深なやり取りをさせてみました!
まだ全てを語らすには早すぎるので伏せてますが、察してしまった勘のいい人は頭の片隅に押しやっといて下さい
何処までノリノリで更新出来るか未知数ですが頑張ります(・∀・)
BACK← →NEXT(coming soon...)