魏帝の徒花

起ノ章 1幕

起ノ章 1幕

1話 動乱の幕開け

その報せは、永を驚かすには十分すぎる内容だった。
手にした伝令書を、茶を運んで来た董氏や息子の浮に見えるように置いた。

「・・・ただちに永、董氏両名は曉へ参じよ」

目の前に置かれた伝令書を浮が読み上げる。
伝令書を読み上げる浮に気づかれないタイミングで指名された二人は顔を見合わした。
ついに、来てしまったか と永は瞼をゆっくり閉じた。

永は県を管轄する太守だ。
恐らく呼び出されたという事は、南郡にも反乱軍が攻め寄せつつあるのだろう。
目線を伝令書から上げた浮も両側に居る父親と母親を交互に見やる。

少しばかり不安そうな浮の目と永の視線がぶつかった。
微弱な眼球の揺れが見てとれた、不安に感じているのだと分かる。

「都尉からの呼び出しではあるが、南郡に反乱軍が迫っているなら太守である私は駆け付ける義務がある」

敢えて息子に笑って見せ、その場に立ち上がる。
そんな父親を追うように見上げる息子へ、少し目を細めた後 永は息を吐くように言った。

「それに、郷や里・・県に住む力なき民達の盾とならねばな」

お前たちの住むこの家も守らねば、と。
その言葉も父親の任務も理解しているつもりだ、が・・
今日このまま父親を曉へ向かわせてはならない気がして浮の胸は騒ぐ。

「そうね・・家族と民達を守る盾となる術を持つなら、それを果たす義務がある」
「母上・・・・」

何故今日に限ってこんなに胸が騒ぐのか、理由の分からない感覚にただ母と父を見る。
不安げな浮の視線を正面から母は受け止めると
そっと浮の両肩に手を乗せて静かな声音で言うのだった。

「向こうへ着いたら戦禍となって戻れなくなるかもしれない、そうなった時は浮、兄弟達を頼むわよ」
「太守たる私が万一戻れそうになければ、明日の職務は南郡の都尉に伺いに行け」
「父上・・母上・・・」
「長子たるお前に全てを任せる事態になるのは心苦しいが、家と兄弟達を頼む」
「・・・はい」

浮の心は不安と胸騒ぎで脈打つ鼓動が大きく、自分の耳朶に響く程だったが驚くほど確かに二人の言葉が届いた。
噛み締める様に承諾の言葉を口にし、頷き返した息子に、もう1つ重要な事を永は託した。

「もし、万が一・・この家が絶える事になった時は」
「何を言うんです、父上」
「いいから聞くんだ」
「・・・」
「その時は―――」

いつも自信と慈愛に溢れ、家や家を大切にして来た父らしからぬ発言に思わず浮の語尾が厳しくなる。
立ち上がりかけた息子を落ち着かせ、一語一句噛み締めるようにして続けた言葉。
告げられた浮の切れ長な目が、これまでにない程大きく見開かれ・・そのまま静かにその言葉を告げた父親を見つめた。

「頼んだぞ」

全てを伝え終えると、ただそれだけを言い曉へ向かう為の支度を開始する。
董氏も外出着へと着替えにこの場を離れた。

席に座ったままの浮の前で飲まれる事なく置かれたお茶は、注がれた茶器から湯気だけを漂わせていた。
この時はにわかに信じられなかった浮、家が無くなる?何れそうなるとしてもまだ先の事だと遠い事のように感じていた。


**


父と母が出立して数時間後、遠くに聞こえる鬨の声やら叫び声が起こり
そして、それらが止んだ静寂を経て、いつもより赤い色の朝日が昇った。
朝まで寝ずの番をした浮だったが・・結局両親はどちらも帰宅せず。

胸騒ぎはなりを潜めたが、代わりに感じるのは焦燥。
兎に角県令として出仕しなくてはならない気持ちに駆られるのだ。

卓の上に広げたままだった伝令書をくるくると丸めて紐でまとめる。
もう既に夜は明けた、赤かった陽は大分高く昇り地上を照らしている。
呼び出されて出仕した両親が戻れないという事は、暁や宮中にも被害が出て後処理に追われてる可能性が高い・・
なら、その太守や都尉の下に控える自分が、県令として補佐に回らねば。

責任感から浮は身だしなみを整え、まだ寝ているであろう兄弟を起こさぬよう玄関へ。
玄関代わりの戸に手を掛けたタイミングで浮の背後に気配が現れる。
ハッとその気配に気づき、自分でも驚くほど瞬時に後ろを振り向く
そして目を丸くして自分を見ると視線がぶつかった。

「兄上、もしや朝までずっとこちらに?」

目を丸くしながらも状況を正確に悟り、見合った問いを向けてくる妹。
本当に聡い子だ。

彼女は十にも満たない頃から変わらない。
正確に状況を理解し、その場に見合った言葉を口にする。

近所の子供らと大勢で遊ぶ時も然り、他の子供らが配られる菓子に喜ぶ中
だけは騒がず静かに場を眺め、自分より幼い子らが菓子を貰えるよう前の方に並ばせてくれと口にした。
これには騒がしかった子供らも一斉にを見やり、自然と列を作ったのである。
何事も慎ましくこういう時はこうあるべき、という資本を示せる子供だった

決して強制的でなく、示された側が倣える自然さだ。
こうして鉢合わせた今も、今の状況を読み解き、見合った言葉を発するのだろう。
冷静に状況を読み取り、正しい言葉と判断が出来るというのはとても重宝される人材だ。

「昨夕に届けられた伝令書ですね、父上も母上も居られぬという事は出仕を要する事態が起こった。
且つ今現在も戻られて居らず・・・さしずめ戻らぬ父上の代わりに南郡へ向かわれるといったところでしょうか」

やはりな、と無意識に浮は肩をすくめてみせた。

「流石だその通りだよ、私は今より出仕し各太守方に昨日の確認と郷や里への指示をしなくてはならない。」

感心しながらの頭を撫で、努めて分かりやすい言葉で説明をした。
県令構成についてに説いても、そういった世界に疎い者には理解しにくい。

何より県令である自分が太守らに確認をする事は無いに等しい。
郷や里にも長となる者、三老、里正(村長または役人のような者)たちが存在し
更に下位の、亭(農村)に配置された亭長(治安・控訴担当)らからも掛け合いの報告が届くだろう。

彼ら亭里郷からの報告は、県令より先に警察行政乃至軍事行政を管轄する県尉に届く。
県尉が更に県丞(県令の副官)へ届け、漸く県令の元に届くのだ。

「状況を確認し次第、必ず戻るよ」
「私たちもいつ何が起きてもいいように動ける支度を整えておきます」
「うん、
「はい?」

安心させようと努めて笑顔で話す兄、他人から見れば安心するかもしれない。
でもは気づいてしまった、笑顔の兄の発する声が微かにいつもと違う事に。
言葉で説明するには些末すぎる違い。

だからは判断した、変わらない日常は昨夕から少しずつ変化し始めている。
父も母も、そして兄も暫く戻れないのだと。
人見知りがあり、生まれながらの令嬢育ちな姉にこれからの状況は重すぎる。
幸い自分には深窓の令嬢は似合わず、経典や儒学、兵法書を読む方が合う。

先を生きて来た頼れる父や母、兄も不在となれば少しばかり度胸がついてしまった自分が後に続かねば。
しっかりしなきゃ、状況に振り回されてはダメ。

あれやこれや思い浮かぶ範囲の対抗策を講じようと頭を回転させていると
一層柔らかいと感じる兄の声と、自分より大きな手がもう一度の頭に乗せられた。
頭に触れる兄の指先から伝わる体温が、昂り騒がしくなっていた心を鎮めてくれる。

「お前は本当に聡く、聡明だ。恐らく私以上に今の状況を理解してるだろう・・もしもの時は家を頼む」
「・・・・・はい」

顔を上げればそこに、常時より険しさを滲ませた笑みの兄が。
顔を見てしまうと焦燥に駆られる。
されど不安だと引き留めてはいけない、だからは静かに頷いた。

そこで兄も安心したのか眉宇を下げ、微笑。
戸に手を掛け、奥へ押し開き 一度だけこちらを振り向くとコクりと頷いて馬屋へと向かった。

咄嗟にその姿を追い、も庭へと駆け出る。
馬屋を見れば一頭の黒馬に跨った兄浮。
足早に駆けるを見つけ、馬上の人となった浮は視線を寄越すと改めて告げた。

「行ってくるよ、もしもの時どうにもならなくなったら 家の遠戚を頼りなさい。」
「兄上、どうか気を付けて」
・・いや、戻れた時に話す」
「――はい」

遠戚を頼れと言った後、ふと父から言われた言葉も思い出したが
今告げても時期ではないと思い直し、不思議そうに見つめるにもう一度笑んでから馬の腹を蹴る。

陽の高くなった道を、兄は南郡へ向け、駆けていく。
もうその背は遠く、こちらを振り向くことなく駆けて行った。


魏帝の徒花
2019/2/21 up
気持ちがノッてる(≧▽≦)早くも1話を更新。
序章の時も書きましたが、正史で起きた事件やら出来事の時系列を作品用に入れ替えて発生させてます。
この中で起きた反乱も、正史で言うならばまだ先の未来に起こるものです。
全ては媛珠と曹丕を出逢わせる為!!序章とこの話の途中までは第三者側から見た目線の書き方にしてみましたが
後半からは媛珠から見た目線の書き方に変えてます(管理人の文才がないのでそう見えないと思います・・w)
次回も気楽に待っててやって下さい(・∀・)
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