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ハンセン病に関る著作物の紹介


●ハンセン病を理解するために

画像 タイトル 著者 出版社 内容
ハンセン病重監房の記録 宮坂 道夫 彩流社  1907年に制定された「らい予防法」によって強制的に療養所に隔離・収容された日本のハンセン病患者たち。1916年法律が“改正”され、所長には患者 の懲戒検束権が与えられ、反抗的とされた患者を監禁所と呼ばれる科刑の場に拘束することができた。さらに草津・栗生楽泉園には「重監房」という事実上の監 獄が設けられ、正式な裁判もないまま収監された患者たちは苛烈な懲罰に苦しみ、命を落としていった。死を意味した「草津送り」に光を当て、封印されたハン セン病患者の受難史を浮き彫りにする。
ハンセン病絶対隔離政策と日本社会 (無らい県運動の研究) 内田 博文、
徳田 靖之 他
六花出版  私たちは、現在もなお「無らい県運動」の社会を生きているのではないか

患者の人生を奪い、人権を踏みにじった「無らい県運動」の実態を明らかにし、現在もなお続くハンセン病元患者やマイノリティへの差別構造を考えるための書

ハンセン病とキリスト教 荒井 英子 岩波書店  「零の生」に追いつめられた者の目から、近代日本のキリスト教「救癩」史を批判的に見直し、信仰と人権、宗教と国家をめぐる根源的な問いを投げかける。「救われる側」の視線を組み込んだ近代日本の「救癩」史。
知っていますか?ハンセン病と人権一問一答 神 美知宏、牧野 正直、 藤野 豊 解放出版社  非道な強制隔離収容、肉親との離別と棄郷、断種手術など、厚い偏見の壁を築いて、ハンセン病患者を嫌い、棄ててきた社会に反省を迫る。ハンセン病の基礎知識とこれまでの差別を解説する。国賠訴訟勝訴以降の現状なども紹介。
ハンセン病をどう教えるか 『ハンセン病をどう教えるか』編集委員会  解放出版社  ハンセン病をめぐる裁判で国の隔離政策は断絶された。しかし、正しい情報と知識はまだ完全に普及していない。ハンセン病の歴史、医療、福祉、人権などをさまざまな角度から検証した、人権教育に適した一冊。
開かれた扉 ハンセン病違憲国賠訴訟弁護団  講談社  ハンセン病療養所。それは人が人として生きられない場所だった。「強制隔離というのは植木に巻かれた針金のようなものだ。針金はしだいに植木に食い込んで いく。気がつくと心の中までずっぽりと隔離の暮らしになじんでしまう」―そうして生きてきた元患者たちが「人間回復裁判」に立ち上がった。
医務服を着た郵便局長3代記―ハンセン病国立療養所栗生楽泉園とともに 埼玉新聞社 埼玉新聞社  1942年冬、ハンセン病国立療養所に小さな郵便局が誕生した。草津栗生局である。心の窓といわれた郵便局を守りとおした親子3代の郵便局長。偏見をものともしない実直な郵政人生は、希望を失った入園者の灯であった。
ハンセン病国賠訴訟判決―熊本地裁 解放出版社 解放出版社 わが国のハンセン病政策は、患者に対するいわれのない恐怖と非難を人々の心に植えつけ、社会中に偏見を助長した。2001年5月の熊本地方裁判所での原告勝訴判決文の「主文」「事実および理由」を読み解く。
証言・日本人の過ち―ハンセン病を生きて 森元美代治・美恵子は語る 藤田 真一 人間と歴史社  1996年4月、らい予防法は廃止された。しかし、患者の多くは未だに差別や無理解にさらされている。1世紀にわたる偏見と迫害の実態を、患者が初めて実名で証言。それに対し、我々のなすべき償いとは何かを模索する。
ハンセン病療養所隔離の90年 全国ハンセン病療養所入所者協議会  解放出版社  偏見・差別の中で地域社会から隔離されてきたハンセン病患者たちは、療養所の中で、ひっそりと、あるいは前向きに生きてきた。全国13の療養所の現在の入所者達の姿と、過去の生活をモノクロ写真で紹介する。
リーかあさまのはなし ハンセン病の人たちと生きた草津のコンウォール・リー 中村 茂 (著)、 小林 豊 (イラスト)、 斎藤 千代  ポプラ社  いまから100年ちかくまえ、群馬県草津町に、ひとりのイギリス人宣教師がやってきました。それから20年にわたってハンセン病の人たちによりそい、「かあさま」としたわれた、コンウォール・リーの物語。
朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島 滝尾 英  未来社  日本統治時代の朝鮮総督府による「救癩事業」とは何であり、朝鮮人ハンセン病患者はどのような支配と迫害を受けたのか。数度に及ぶ踏査と聞き取り、資料から初めて明らかにする。
栗生楽泉園入所者証言集 上・下 谺 雄二 
黒坂 愛衣
福岡 安則 (編集)
栗生楽泉園入所者自治会  国立ハンセン病療養所、群馬県草津温泉郷・栗生楽泉園でハンセン病隔離政策を生き抜いた51人の証言
ハンナ・リデルと回春病院 猪飼 隆明 熊本出版文化会館  回春病院の開設及び維持運営に非凡な力を発揮し、数多くの患者に救いの手をさしのべたハンセン病患者救済の母、ハンナ・リデルの伝記。イギリスの現地を歩き、数々の資料を駆使してその実像に迫る。
ガイドブック菊池恵楓園  菊池恵楓園の将来を考える会 花伝社  現在は公園や豊かな自然に囲まれ、きれいに整備された恵楓園。だが、入所者はかつて理不尽な監禁生活などを強いられ、人権侵害と向き合って生きてきたことが分かる。工藤会長(79)は「私たちにとって百年は隔離の歴史。施設の実情を知り、差別や偏見について考えてほしい」と話している。
風雪の紋 栗生楽泉園患者50年史 栗生楽泉園患者自治会    

 

●元患者たち自身の、あるいは元患者たちをテーマにした作品

画像 タイトル 著者 出版社 内容
風のうた 三たび 藤田 三四郎 新葉館出版  「風のうた―偏見と差別解消が芽吹きする」「続・風のうた―偏見と差別解消の蕾萌え」に続くシリーズ完結の第3弾。
令和2年3月に94歳で逝去。最後の瞬間まで詩人であり俳人であり川柳作家、エッセイストであり続けた、多才な創作活動が一冊に纏められた鎮魂の書である。
てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人 権 徹 彩流社  らいになって良かった。ハンセン病(らい病)は、桜井哲夫から手を奪い、光を奪い、声帯を冒し、家族も奪った。「てっちゃん」の愛称で親しまれた詩人・桜井哲夫は、59歳で詩作と出会い、ユーモアあふれる魂の叫びを詠い、多くの人々の心をつかんだ。こんなにも喜び、笑い、見つめ合い、はしゃぎ、泣いたのか。講談社出版文化賞受賞後初のフォト・ドキュメント
桜井 哲夫詩集 桜井 哲夫 土曜美術社出版販売  おふくろさん あなたがくれた左の目は 酸性杆状菌が奪っていったよ だけど残った右の目から 温かい涙がでます 13歳でハンセン病の発症があり、17歳で草津栗生楽泉園に入った詩人の、魂の詩集。
きみ江さん: ハンセン病を生きて 片野田 斉  偕成社  山内きみ江さんは、1934年生まれ。顔に神経麻痺がありますが、そのためかえってしわが目立ちません。体も小さいから“かわいいおばあちゃん”に見えますが、じつは“やる気十分の勝ち気なばあさん”です。かつてハンセン病患者が受けた「差別」と「偏見」、そして「いじめ」。
そんなきみ江さんの生い立ちから現在までを、報道カメラマンである著者がその姿を追って描くノンフィクション。
いのちの初夜

北条 民雄
   (※)

角川書店  二十四歳で生涯を終えた著者は、生前苦悩の彷徨を虚無へ沈めず、絶望によりむしろ強められた健康な精神を文学の上に遺した。独英訳など海外にも知られ、強い感動を与えている。(川端康成/光岡良二)

北条民雄の遺族が、彼の実名公表を承認したのは2014年のことでした。没後実に77年も経っています。

鈴木時治画集 生きるあかし―ハンセン病療養所にて 鈴木 時治 皓星社  私は心で絵を描く。私にとって絵を描くことは生きる証。人間としての自分の証明だ-。「らい予防法違憲・国家賠償請求訴訟」の原告の一人として立った著者のエッセイを添えた画集
輝いて生きる―ハンセン病国賠訴訟判決から10年 八重樫 信之 合同出版  らい予防法のために1996年まで、隔離され、人間性を奪われてきた元ハンセン病患者たち。人権侵害を問うため国家を訴え、元患者たちが勝訴したハンセン 病国賠訴訟判決から2011年5月で10年を迎える。この10年の間になにが変わり、なにが変わらなかったのか。日本・台湾・韓国の元患者たちへの取材を 通し、彼らが新たな人生を歩き始めた姿を映し出した、渾身のフォトルポルタージュ
風荒き中を―ハンセン病療養所で送った青春 沢田 五郎 皓星社 10歳でハンセン病を発病した著者が、栗生楽泉園での60年以上の療養所生活のうち青年期までをまとめる。先に発病・入園した兄・沢田二郎、短歌会の仲間、「療養生活」の実態を独特のユーモアで綴った自伝。
死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集 谺 雄二 (著)
姜 信子 (編集) 
みすず書房  本書は、谺雄二の生涯にわたる詩・評論・エッセイ・社会的発言・編者による聞き書きを収める。
戦後、特効薬プロミンの出現によりハンセン病は治る病となったが、後遺症は残り、差別や偏見は続いた。
生存への違和感を昇華させた谺の言葉には普遍の響きがある。
ライは長い旅だから 谺 雄二、
趙 根在
皓星社  カメラマン・趙 根在が各地の療養所を巡り、ライフワークとして撮りつづけた衝撃の写真。
草津の栗生楽泉園に在園する詩人・谺 雄二による、こみあげるような詩。
ハンセン病文学全集 加賀 乙彦(編集) 皓星社  文学をするとはどういうことか?偏見差別に抗して生きるとは?療友の作品への批評は?隔離100年の思索の跡をたどる。
趙根在写真集―ハンセン病を撮り続けて 趙 根在 草風館  「らい予防法」が廃止されて5年、政府による隔離政策は日本の近代化と共に一気に20世紀を駆け抜けた。負の遺産ともいえるハンセン病と闘った患者と寝食を共にし、撮影し続けた趙根在の写真集。
多磨全生園・「ふるさと」の森―ハンセン病療養所に生きる 柴田 隆行 社会評論社  国の隔離政策の中で、ふるさとから切り離され、過酷な歴史を生きざるを得なかったハンセン病患者・療養所入所者たち。みずからの生活の場をより良いものと するために、自分たちの手で作り出した森。それは閉鎖された空間を、近隣住民を含む市民に開くきっかけをも与えた。一本一本の木に刻まれた、生きた証しと 願い。療養所入所者のオーラル・ヒストリー
生きて、ふたたび―隔離55年ハンセン病者半生の軌跡 国本 衛 毎日新聞社  日本が武力をもって強制的に併合した朝鮮民族の一人として無礼・迫害を受け、さらにハンセン病患者として非科学的な「らい予防法」に苦しめられた国家賠償請求訴訟の原告が、これまでの人生を語る
いのちと愛の詩集 塔 和子 角川学芸出版  十三歳でハンセン病を発病、十四歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった。人間とは?生きるとは?命とは?愛とは?―自らの生の根源を見つめ、闇の中から希望の光を見出し問いかける、次代を生きる若い人々へ託すメッセージ。高見順賞を受賞し、映画「風の舞―闇を拓く光の詩―」で紹介された詩人が贈る、いのちと愛の言葉の花束
とがなくてしす 沢田 五郎 皓星社  隔離撲滅政策の象徴である栗生楽泉園の「特別病室(重監房)」の実態を、自らの見聞に基づき後世に伝える執念の記録。
明石海人歌集 明石 海人 岩波文庫  明石海人(1901-1939)は25歳のときハンセン病と診断される。病が進行していく中、表現者としての研鑽を昇華させて数年の間に秀逸な短歌を残した。「もし長寿を保ったなら、昭和時代を代表する大歌人となったろう」(大岡信)。隔離された生活の深い絶望を超えて生み出された、歌集『白描』はじめ文学性豊かな作品を集成する。
小島の春 小川 正子    小川 正子(1902〜194)は日本の医師。手記『小島の春』で知られる。
1932年、希望して長島愛生園に勤務、光田健輔の指導を受ける。ハンセン病在宅患者の収容にいきその状況を『小島の春』に書く。

 その文学的価値は高く評価され、評判となり映画化された。物語は絶賛され、「小島の春現象」を産んだ。しかし、ハンセン病をこわい病気とし、無らい県運動に加担したという批判がある。

あの頃僕は(音楽CD) 宮里 新一   宮里新一さんは、沖縄県宜野湾市出身のシンガーソングライター。
8歳の時ハンセン病を発症し、沖縄愛楽園へ入園。16歳の頃、衝撃的なギター引き語りの場面と出合い、弾きながら歌うことができるような自分になりたいと無我夢中に独学で歌を作ってきました。
20代にハンセン病の後遺症で左手の小指・薬指が弦を押さえられなくなったにもかかわらず、ほかの3本の指を工夫してコードを弾きこなしています。

宮里さんのホームページは↓ここです
http://www5d.biglobe.ne.jp/~naoko-k/

マイペンライ(音楽CD)

※マイペンライとはタイ語で「大丈夫、気にしないで、なんとかなる」等々の意味があり、多くの場面で使われます。

 

●映画

画像 タイトル 監督 主演/出演 内容
熊笹の遺言 今田 哲史 谺 雄二
浅井 あい
鈴木 時治
吉田 大基
 群馬県の国立ハンセン病療養所、栗生楽泉園で暮らす人々を追った記録映画。訴訟に勝訴し、社会復帰可能になりながらも、長い隔離生活からの不安に苛まれる人々の思いをとらえる。
ふたたび Swing Me Again 塩屋 俊 財津 一郎
鈴木 亮平
 50年ぶりに仲間と再会するための旅に出た元ジャズ・トランぺッターと孫との姿を、往­年のジャズナンバーと共に描く心温まるロードムービー。ハンセン病に冒されて50年以­上もの隔離生活を強いられた主人公をベテランの財津一郎が演じる。友情や家族とのきずな、愛など、人生で大事なものに今一度向き合う主人公の姿が胸に迫る。
あん 河P 直美 樹木 希林  『殯(もがり)の森』などの河瀬直美が樹木希林を主演に迎え、元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマ。

 樹木が演じるおいしい粒あんを作る謎多き女性と、どら焼き店の店主や店を訪れる女子中学生の人間模様が描かれる。原作は、詩人や作家、ミュージシャンとして活動するドリアン助川。

あつい壁 中山 節夫 多々良 純、桜井 純子、笠 智衆  昭和28年の夏。岡本初江が勤めている熊本のある小学校。彼女の担任の五年生に太田信次という陽気で、快活な少年がいたが、彼の父親がある日意外にもハンセン病の診断をくだされ、ライ療養所「恵楓園」に収容されたために、信次の家庭は音をたてて、崩壊しはじめた。やがて・・・
熊本で起きた黒髪小学校事件を骨子に、一市民一家の悲劇を通して、ハンセン病への偏見と差別を告発した作品。
新 あつい壁 中山 節夫 趙 a和  駆け出しのルポライター・卓也は、ホームレスの友田から、55年前に熊本で起きた殺人事件の話を聞かされた。「俺は、その犯人のせいにして盗みをはたらいてな。ところが後で、その犯人が死刑になったって聞いた。無実かもしれねぇという話も…。」 これを取材すればいい記事が書けるかもしれない。軽い気持ちで取材を始める卓也。犯人とされたのはハンセン病患者。卓也は熊本へ向かった。
こんにちは 金泰九さん ハンセン病問題から学んだこと 岩波映像   第33回全国中学生人権作文コンテストで方大臣賞に輝いた作文を大ホールで朗読する、後藤泉稀さん(広島県福山市・盈進中学2年)の姿を捉えて、後藤さんと元ハンセン病患者・金泰九(キム・テグ)さんとの交流を紹介する。
もういいかい ハンセン病と三つの法律 高橋 一郎    かつて隔離施設に送られたハンセン病患者たちについてそのあまりに不条理な法律と劣悪な環境での生活を取材し、100年にわたるハンセン病の歴史をひもと くドキュメンタリー。

 故郷や家族と離れ、特定の場所に隔離され、牢獄(ろうごく)のような施設での生活を強いられたという、ほとんど知られていないハンセ ン病患者の真実を現地での取材や当事者へのインタビューによって明らかにする。

 

(おことわり)
・「内容」はAmazon等の紹介文から引用させていただきました。
・版を重ねた場合、表紙の写真等が異なっていることがあります。
・ここに紹介した書籍等は、ハンセン病に関る著作物の一部にすぎません。


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