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ともに生きる会ホームページ

療養所の生活


ここでは一例として東京都東村山市にある多摩全生園の風景を中心に紹介します。
これらの写真を見て、何を思われるでしょうか。

●入所

 

多摩全生園収容門(大正時代)
患者はここから入った

病室の様子(1930年 多摩全生園)

 

重病とされた患者用病衣
(1940年代後半 駿河療養所)

左 ブリキ製の義足(1930年代?)
右 現在の義足

 

●作業

療養所における「作業」は、入所者の「仕事」として強要されました。
政府は患者たちに負担をかけ、治療・療養より患者の「撲滅」を優先させたのです。

ゴミ回収(長島愛生園) 床屋(大正時代 多摩全生園) 農作業(1930年 多摩全生園)

 

印刷所(1930年 多摩全生園)

洗濯場(1937年 多摩全生園)
使用済みのガーゼや繃帯を洗濯

繃帯を煮沸消毒(1930年ごろ 多摩全生園)

 

●楽しみ

七夕飾り((1936年 多摩全生園) 盆踊り(1932年 多摩全生園)

キャンプ(1930年代 多摩全生園)

 

●時には慰問や講演もあったが・・

音楽会((1933年 多摩全生園) 軍人による講演(1931年 多摩全生園)

お前達がお国のためにできることは唯一つ。
早く死ぬことだ、という人もいた

 

●死

火葬(栗生楽泉園)

火葬も患者達の「仕事」だった

納骨堂内部(多摩全生園)

 

資料:癩院記録、ちぎられた心を抱いて(国立ハンセン病資料館発行)


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