芝居屋らいぶ ヨロコンデ  人生の先輩たちのために


        芝居は そこに居合わせた人たちといっしょにつくりあってゆくものです。その観点に立って 「らいぶ」 を するのが
      芝居屋らいぶです。
      どんどん、客席に語りかけて進行してゆくのが 芝居屋らいぶの特徴です。

        まず 唱歌「ふるさと」ハーモニカの演奏をいれながら 歌います。そして 自己紹介。自分の両親の話をします。

        「自分の親父は大正9年生まれ お袋は昭和2年生まれ。ふたりとも他界しています。親父は乙種合格で 赤紙がきた
      のが終戦に近い頃で 宮崎の海岸線に穴を掘って 手榴弾を握って待っていたそうです。それで生きて帰れて 私が生ま
      れることができました・・・・・・・」

        こんなふうに 語りながら すすめていきます。

 
        歌を歌う時、なぜ この歌を歌うのかを 話ます。
       たとえば 「リンゴの歌」
       「この歌は 昭和20年の秋に公開された 松竹映画『そよかぜ』の挿入歌でした」

        ここまでは どんな人でも 話されると思います。ここからが ヨロコンデらしさなのです。
 
         「昭和20年の秋ですから 終戦が8月15日。その数ヶ月後だったんです。
   
         赤いリンゴに唇寄せて
         だまって見ている青い空
         リンゴは何にもいわないけれど
         リンゴの気持ちはよくわかる
         リンゴかわいや かわいやリンゴ

        若いメンバーがね、『ねえ、これは 青森県の歌?』なんてきくんですよ。そんな時には、あるデイサービスで 利用者の
        方から教えてもらったことを 若いメンバーに伝えます。
         『あのね、赤いリンゴの 赤いはね、若い女の子の ほっぺのことなのよ』

         彼女のほっぺに唇寄せて
         だまって見ている青い空
         彼女は何にもいわないけれど
         彼女の気持ちはよくわかる
         彼女かわいや かわいや彼女

        『青い空だから 昼間よね。若い男と女がほっぺにキスしたりしながら 並んで青い空を見ているの。これが 8月15日
        以前だったら 大変なことよね。怒られちゃう、非常時なのに何をしているのか!!って。でも 戦争に負けて、若い男女
        が青い空の下で並んでいてもよくなったのね。平和になったのね』
        そんな話を 若いメンバーに するんです」


          唱歌をなぜ 憶えているのかという話もよくします。テレビもラジオもなかった時代、蓄音機はお金もちしかもっていな
         かった時代。歌は人から人へと伝わっていった。学校の先生、家族、近所の人たち。自分の身近な人から教えてもらい
         歌った唱歌。だから 忘れないのではないか。だとしたら 唱歌を歌ったり聞いたりすることで 家族の記憶 友人の記
         憶などが蘇ってくるかもしれない。そんな話を らいぶ中に よくします。

          「桜井の別れ」という唱歌があります。楠木正成親子の歌です。これを芝居仕立てでやったりしています。その中で 
         親が子を想うということを うきあがらせようとしています。

          
          歌 を歌ったり聞いたり、芝居をみたり 紙芝居を見たりすることに よって いろんなことが 共感されてゆく。
         いろんなことを想い出す。いいことも 悪いことも。
          歌には そんな力があるんだと思います。そんな共感の場をつくってゆこうと ヨロコンデは考えています。
 
          音楽療法という言葉がありますが ヨロコンデがめざしているのは 歌や芝居、紙芝居、一人芝居 ハーモニカ演奏
         などの間に はさみこんでゆく トークによって 共感の場をつくり 笑ったり泣いたりしてもらうことです。
          これは 他の芸能慰問とは違うと自負していますし、そのための努力をいっしょうけんめいしています。
 
                                                             ヨロコンデ  岩渕健二