紙芝居をやっていると終わってから 公民館の館長さんとかが「自転車も用意したらいいのに」とかいってくださる。ああ、昔懐かしの紙芝居か〜〜と 思う。

昔懐かしの紙芝居では 子供たちは立ってみていた。よくみたくて立っていたということもある。100人も200人も集まってない。1時間もやってない。昔懐かしの紙芝居は駄菓子を売っていた。子供はお金を払っていた。

昔懐かしの紙芝居には 特有の「場」が存在していたのです。それをただ自転車を用意しただけで昔懐かしにはならんのです。

と 顔は笑顔で 心の中でつぶやくのです。

 

大昔 マイクやスピーカーがなかったころ 生声で祭りをやってました。三味線1本なら音は小さいけど たくさんの人たちで同時に弾いたら みたいなことを考えて規模が大きなまつりには対処していたのだと思います。生音で包み込めるスペースの広さを 主催者も参加者もいっしょに考えていたのであります。参加者の中には もし司会の人の声が聞き取りにくかったら  聞き取れるところまで近づこう!というような想いの人たちがいて 場に熱気を与えていたんだと思います。

ところが マイクやスピーカーができて きこえなかったらメモリを上げるということになっていきました。だから 参加者は耳をすましてきくとか 聞こえるところまで移動するとかがなくなってただ 眺めるという舞台と客席の場になっているということを 感じませんか?私は このごろよく感じます。このスペースで こんなに音響仕込む必要あるの?と思えるほど仕込んであることってありますよね。そんなことより 場 づくりが 大事なんやないかな〜〜〜

と、顔は笑顔で 心で つぶやく

その場が どんなことを大事にしたいのかを 考えてプランニングできたらいいですよね〜〜。  お店出している人とお客さんとの交流を大事にしたいイベントなのか、ステージの出し物を大事にしたいイベントなのか そのあたりをはっきり決めてプランニングできたらいいですよね。大きな公園を使ったイベントでたくさんのブースができました。中央のステージの音を公園のすみずみまで届けようと 音響さんは たくさんのスピーカーを公園のすみずみに仕込みました。その音がうるさくて ブースの人とお客さんとが大声でないと話もできないとなると ブースを出した意味ってなんだろうかと 思うひともいると思うんです。