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太田市立 新田荘歴史資料館
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常設展示

近世

天正18年(1590)徳川家康は関東に入部すると、江戸北辺の要地である館林に徳川四天王の一人榊原康政を配置しますが、市域の多くは館林藩領となっています。

榊原氏の白河(福島県)移封後、館林藩領の多くは幕府直轄領となりますが、その後慶安4年(1651)5代将軍となる綱吉らの御部屋領となり、寛文元年(1661)には再び徳川綱吉の館林藩領となっております。しかしながら、延宝8年(1680)徳松(綱吉嫡子)の早世により、館林藩領は解体され、その多くは旗本領となっております。一方、寛文12年(1672)、代官岡登景能により、用水が開削され、大原宿も設置されています。

また、金山城主由良氏移封後、浪人であった岩松氏は慶長12年(1607)に徳川家康に召し出されますが、家康が先祖筋として遇する予定であったものの、不首尾により身分取り立てがかなわず、わずかに屋敷地20石を市野井感応寺曲輪に拝領し、慶長18年(1613)には世良田の陣屋に住居を移されました。天海の知遇を得た岩松秀純の身分取り立てがかなったのは寛文3年(1663)で、3代将軍家光13回忌の特赦によってであり、100石を加増され、120石で下田島長福寺林に屋敷と知行地を得ています。
岩松氏は、小身の旗本ではありましたが、その由緒をもって交代寄合格に準ぜられ、格式は大名に匹敵するほどでありました。このため、年始登城等参勤経費の財政負担は大きく、由緒出入りの者の編成や温純代以降の絵画の作成など、経費の捻出に腐心したことが推察されます。特に岩松氏の画いた猫絵は「八方睨みの猫」などと呼ばれ、養蚕業の盛んな当地域では蚕の守り神として、またネズミ除けとして信仰されました。

なお当地域は、利根川の水運や、日光例幣使道(木崎宿・太田宿)及び足尾銅山街道沿いにあり、交通も栄えており、江戸や京都などの文化も流入しています。こうしたなか明治維新の先駆者ともいえる勤王思想家、高山彦九郎が輩出されています。高山彦九郎については、太田市細谷町の高山彦九郎記念館で詳しくご覧いただけます。
また、徳川家康によって、先祖とした新田義重をまつる大光院(呑龍様)が、慶長18年(1613)金山の南麓に建立され、世界に2つの縁切寺満徳寺など、特異な存在の寺院が所在する地域でもあります。満徳寺は明治初めに廃寺となりましたが、太田市徳川町の縁切寺満徳寺資料館で詳しくご覧いただけます。

木造 天海像
(世良田町長楽寺蔵)

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間引き絵馬
(市指定重要文化財/岩松町青蓮寺蔵)

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紙本墨画 猫図
(新田徳純画/当館蔵)

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