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太田市立 新田荘歴史資料館
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住所:〒370-0426
群馬県太田市世良田町3113-9
TEL:0276-52-2215
FAX:0276-52-2208

常設展示

原始・古代

旧石器時代の遺跡は、丘陵部ばかりでなく、沖積地の低台地縁辺部でも確認できるようになり、市域では1万5千年前の旧石器時代後期まで足跡を遡ることができます。
代表的な遺跡は、焼山丘陵南東部の戸井口遺跡で、ナイフ形石器や尖頭器など1200点余を出土しています。

縄文時代の遺跡は、日本最古期の土器文化である爪形文土器を出土した草創期の下宿遺跡にはじまり、前期の間之原遺跡を経て、晩期の大道東遺跡まで、粗密の差はあるものの、遺構が確認できます。
しかしながら、弥生時代には大規模な集落遺跡はみられず、僅かに丘陵の縁辺部等に遺跡がみられる程度で、水田経営の普及はみられなかったようですが、古墳時代に入ると畿内大和政権とのつながりをもつ、東日本最大の勢力を誇る「毛野国」の中心地域として発展し、史跡天神山・女体山古墳をはじめ、1000基を超える古墳の存在は、その発展状況を如実に示すもので、出土遺物も全国唯一の国宝である飯塚町出土の「挂甲武人埴輪」や重要文化財「塚廻り古墳群第4号古墳出土埴輪群」など、貴重な埴輪が数多く出土しています。

また、、金山丘陵や八王子丘陵の山麓では、須恵器や埴輪窯跡が多数存在し、一大窯業地帯であったことが知られています。

さらに奈良時代には、全国最大規模を誇る史跡「上野国新田郡庁跡」(天良町)や7世紀末建立の「寺井廃寺」、並びに東山道遺構など、古代の郡郷制を知る遺構があります。窯業も古墳時代に引き続き行われ、新たに吉沢町で萩原瓦窯跡が営まれるようになり、仏教の普及に伴って建立された古代寺院の瓦が生産されるようになりました。併せて、市民のシンボルである金山は、この時期「にひたやま(新田山)」と呼ばれ、万葉集東歌には新田山の歌が二首見られます。

平安時代の終わり頃になると、新田義重は、浅間山の噴火によって荒廃した「空閑の郷々」と呼ばれた荒蕪地を開発し、久寿元年(1154)頃荘園を興し、保元2年(1157)に花山院藤原忠雅家領新田荘の下司職に補任されています。荘域は嘉応2年(1170)には新田郡全域へと拡大し、庶子家の拡大と相俟って勢力を広げております。また、金山東の山田郡域には久寿3年(1156)、園田御厨が成立し、併せて同じ頃寮米御厨や大蔵保など、伊勢神宮関係の所領が見られ、金山丘陵を介した所領経営の相違が見て取れます。

鷹匠埴輪
(市指定重要文化財/太田市教育委員会/太田市・個人蔵)

>> 詳細情報

 

世良田諏訪下遺跡 3号墳出土埴輪
(県指定重要文化財/ 太田市教育委員会蔵)

>> 詳細情報

 
太田市内からの出土品については、藪塚町にある藪塚本町歴史民俗資料館でも展示しています。

 

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