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平成30年7月豪雨被災地救援ボランティア活動報告1
平成30年7月豪雨の被災地に災害ボランティアぐんまから4名が派遣されました。
■期 日:平成30年8月27日(月)~平成30年8月30日(木)
■場 所:岡山県倉敷市真備町
■内 容:被災地での災害ボランティア活動及びボランティアリーダー育成研修
平成三〇年八月二十七日から四日間岡山県へ災害ボランティア派遣の一員としてついて行きました。当初の計画では八月の盆の前後を考えましたが、募集期間や宿泊の予約等で月末なってしまい、仕事の関係で行けない人もたくさんいた事と思い大変申し訳ない気持ちです。宿泊地は岡山市だったのですが岡山市では八月末をもってボランティアセンター(以下ⅤC)を閉鎖する予定と知り急遽岡山市から倉敷市へ通う事にしました。(◆これも臨機応変のひとつです。)
さて岡山市の渋滞を抜けて高速道路を利用し一時間以上かけて倉敷市VCに着き、訓練どおりに受付をしてワッペンを貰いました。床剥がしの解体作業を別枠で募集していたので、ちょっとキツイかなと思いつつ多少の大工経験から応募したら一般のボランティアとは別の手続きでオリエンテーション(以下OL)もマッチング(以下MT)も省略して岡田サテライトへ行く指示を貰いました。一般のボランティアがOLを受けているにも関わらずです。そのサテライトこそマスコミに多く登場した真備町だったのです。
道路の土砂は片付いていて心配した土埃も少なく、サテライトに着くとVCから連絡が届いていて四人一組の携帯番号一覧表を提出しました、付箋などは書きませんでした。(◆OLやMTなどボラに対しての指示は全てVC本部に一元化されていてサテライトでは道案内と道具の貸出しと接待だけです。)
活動表にある派遣先は一階の天井下二十㎝くらい下まで濁流に浸かった家で、土壁は水に濡れた部分は落下して小舞竹がむき出しになっていました。我々は床下を乾燥させる為に床を剥がしました。(◆ネットでのVCの注意書きもにあった一般ボランティアでの床剥がしでは後の工事に支障が出るような困った作業もあるとのこと、それなので技能経験者を優先に募集したと思われます。)
最高気温を記録した頃よりも多少下がってきたとは言えまだ三十五度で蒸し暑い家の中での作業は五分もすると汗が滲み出て十五分後には長袖シャツもズボンも濡れてきていました。(◆これでは本当に熱中症も出るだろうなと納得しました。)床剥がしと簡単に言うけど、リニューアルしたらしく二重に張ってあります。下の化粧合板の腐朽が始まっていて中々乾燥材のように綺麗には剥がれません、糊が剥がれて単板となってしまい、手古摺り、釘は錆びていて頭がくびれて抜けません。なにしろ道具はバールとハンマーだけで、鋸もありませんでした。
剥がした床材は道路に面する門扉の傍に搬出すると夕方には九州から応援の収集車が来て廃棄材を撤去してくれるので交通の邪魔にはなりません。三日目の家では清掃隊として一般ボランティアも後から到着して残材を片付けてくれました(◆これらも今回の合理的な一面だなと勉強になりました。ただ解体できるボランティア隊が少なくて時間がかかっているのだろうなと推測し、もっと職人さんの参加をお願いしたいと思います。)
午後三時にサテライトへ戻り報告書を記入しました。氷水の水槽で冷やしてくれたタオルが超キモチ良かったです。災害から時間も経っていることもあり、待遇も気配りもすごく良いと感じました。 倉敷VCに戻り、明日もサテライトでの作業を確認してボランティア証明書と帰路高速料金免除の交付を受けて、また一時間以上かけて岡山市の宿に帰っての繰り返しをしました。
二軒目は床剥がしと石膏ボードの壁剥がしとの指示でした。床は合板がふやけていて昨日同様に綺麗には剥がしにくいが壁はもっと大変なことで、石膏ボードではなくベニア合板にクロス貼りでした。しかも合板は糊付けしてあるので、バールで穴は簡単に開けられても糊付け部分は剥がれなくて下地に破れ残ってしまいトゲとなります。(◆下地の判断は技術者でないと難しいし、作業も一般ボラでは難しいなあと感じました。)
宿の朝食は七時からということでしたが、我々の目的を理解してくれて十五分ほど早くしてくれたことも有難かったです。夕食は出ないので各自が町へ出て行って好きな食べ物を食べたと思います(揃って宴会などはしません、先ず寝るのが先でした。)
倉敷VCは産業能力開発大学校の体育館にあり、中は今までと同じような配置をしていましたが、ボランティアの為の簡易シャワー(幕付きのテント)や五年前に水害のあった岩手県西和賀町からはソフトクリーム車も来て作業の終わったボランティアに無料で配っていて美味しくいただきました。資材庫のテントは見張りもなく自由に必要な道具を探して持ち出せました。(◆テントなので錆てる道具が多い。)
サテライトでは住宅地図に依頼宅が赤ペンで表示され、本日の予定宅に付箋が貼られていました。終了した家には色塗りがされていて工夫の跡がうかがえました。
既にボランティアが入ったご近所さんも様子を見に来て感謝と労いの言葉を我々にもかけてくれました。(◆「まさか災害が少ない岡山でこんな大災害が起こるなんて」とTVで見たインビューと同じことを言っていました。群馬も安心安全ではないと強く感じて聞いていました。)
そしていつも思うことは、人は願っても叶わないことが多いのにこうして「ボランティアがしたい」と言う願いを受け入れてくれたVCスタッフやプライバシー丸見えを耐え忍んでボラの願いを叶えてくれた被災者にこちらも感謝すべきということです。その感謝の気持ちと感謝感激を贈られたことでもう少し長生きしようかなと。
■期 日:平成30年8月27日(月)~平成30年8月30日(木)
■場 所:岡山県倉敷市真備町
■内 容:被災地での災害ボランティア活動及びボランティアリーダー育成研修
活動報告
「西日本豪雨災害の被災地へ行って」 太田市 細金 義光平成三〇年八月二十七日から四日間岡山県へ災害ボランティア派遣の一員としてついて行きました。当初の計画では八月の盆の前後を考えましたが、募集期間や宿泊の予約等で月末なってしまい、仕事の関係で行けない人もたくさんいた事と思い大変申し訳ない気持ちです。宿泊地は岡山市だったのですが岡山市では八月末をもってボランティアセンター(以下ⅤC)を閉鎖する予定と知り急遽岡山市から倉敷市へ通う事にしました。(◆これも臨機応変のひとつです。)
さて岡山市の渋滞を抜けて高速道路を利用し一時間以上かけて倉敷市VCに着き、訓練どおりに受付をしてワッペンを貰いました。床剥がしの解体作業を別枠で募集していたので、ちょっとキツイかなと思いつつ多少の大工経験から応募したら一般のボランティアとは別の手続きでオリエンテーション(以下OL)もマッチング(以下MT)も省略して岡田サテライトへ行く指示を貰いました。一般のボランティアがOLを受けているにも関わらずです。そのサテライトこそマスコミに多く登場した真備町だったのです。
道路の土砂は片付いていて心配した土埃も少なく、サテライトに着くとVCから連絡が届いていて四人一組の携帯番号一覧表を提出しました、付箋などは書きませんでした。(◆OLやMTなどボラに対しての指示は全てVC本部に一元化されていてサテライトでは道案内と道具の貸出しと接待だけです。)
活動表にある派遣先は一階の天井下二十㎝くらい下まで濁流に浸かった家で、土壁は水に濡れた部分は落下して小舞竹がむき出しになっていました。我々は床下を乾燥させる為に床を剥がしました。(◆ネットでのVCの注意書きもにあった一般ボランティアでの床剥がしでは後の工事に支障が出るような困った作業もあるとのこと、それなので技能経験者を優先に募集したと思われます。)
最高気温を記録した頃よりも多少下がってきたとは言えまだ三十五度で蒸し暑い家の中での作業は五分もすると汗が滲み出て十五分後には長袖シャツもズボンも濡れてきていました。(◆これでは本当に熱中症も出るだろうなと納得しました。)床剥がしと簡単に言うけど、リニューアルしたらしく二重に張ってあります。下の化粧合板の腐朽が始まっていて中々乾燥材のように綺麗には剥がれません、糊が剥がれて単板となってしまい、手古摺り、釘は錆びていて頭がくびれて抜けません。なにしろ道具はバールとハンマーだけで、鋸もありませんでした。
剥がした床材は道路に面する門扉の傍に搬出すると夕方には九州から応援の収集車が来て廃棄材を撤去してくれるので交通の邪魔にはなりません。三日目の家では清掃隊として一般ボランティアも後から到着して残材を片付けてくれました(◆これらも今回の合理的な一面だなと勉強になりました。ただ解体できるボランティア隊が少なくて時間がかかっているのだろうなと推測し、もっと職人さんの参加をお願いしたいと思います。)
午後三時にサテライトへ戻り報告書を記入しました。氷水の水槽で冷やしてくれたタオルが超キモチ良かったです。災害から時間も経っていることもあり、待遇も気配りもすごく良いと感じました。 倉敷VCに戻り、明日もサテライトでの作業を確認してボランティア証明書と帰路高速料金免除の交付を受けて、また一時間以上かけて岡山市の宿に帰っての繰り返しをしました。
二軒目は床剥がしと石膏ボードの壁剥がしとの指示でした。床は合板がふやけていて昨日同様に綺麗には剥がしにくいが壁はもっと大変なことで、石膏ボードではなくベニア合板にクロス貼りでした。しかも合板は糊付けしてあるので、バールで穴は簡単に開けられても糊付け部分は剥がれなくて下地に破れ残ってしまいトゲとなります。(◆下地の判断は技術者でないと難しいし、作業も一般ボラでは難しいなあと感じました。)
宿の朝食は七時からということでしたが、我々の目的を理解してくれて十五分ほど早くしてくれたことも有難かったです。夕食は出ないので各自が町へ出て行って好きな食べ物を食べたと思います(揃って宴会などはしません、先ず寝るのが先でした。)
倉敷VCは産業能力開発大学校の体育館にあり、中は今までと同じような配置をしていましたが、ボランティアの為の簡易シャワー(幕付きのテント)や五年前に水害のあった岩手県西和賀町からはソフトクリーム車も来て作業の終わったボランティアに無料で配っていて美味しくいただきました。資材庫のテントは見張りもなく自由に必要な道具を探して持ち出せました。(◆テントなので錆てる道具が多い。)
サテライトでは住宅地図に依頼宅が赤ペンで表示され、本日の予定宅に付箋が貼られていました。終了した家には色塗りがされていて工夫の跡がうかがえました。
既にボランティアが入ったご近所さんも様子を見に来て感謝と労いの言葉を我々にもかけてくれました。(◆「まさか災害が少ない岡山でこんな大災害が起こるなんて」とTVで見たインビューと同じことを言っていました。群馬も安心安全ではないと強く感じて聞いていました。)
そしていつも思うことは、人は願っても叶わないことが多いのにこうして「ボランティアがしたい」と言う願いを受け入れてくれたVCスタッフやプライバシー丸見えを耐え忍んでボラの願いを叶えてくれた被災者にこちらも感謝すべきということです。その感謝の気持ちと感謝感激を贈られたことでもう少し長生きしようかなと。