2005年 6月 の Diary
6月1日(水) |
先日、前橋の高校へ、学園祭用の画材を届ける。 学園祭は今度の(土)(日)であるが、教室の仕事があって観にいけない。 残念だがしかたがない。 なんとか、みんなの作品が仕上がれば良いのだが・・・。 今日はもう一つの高校のクラブを指導する。 こちらは、8月に郊外展が控えている。なかなか活気があるが進み具合あまり良くない。 明日は専門学校の「体育祭」があり、仕事は休みだ。 少し制作したい・・・。 |
6月2日(木) | 今日は仕事が休みで、家で雑用をした。 先日は肥沼君から個展の案内が来たので、6日の月曜に東京へ行きたいと思う。 肥沼君は団体展の『国画』の会友である。多摩美の後輩で、油画と立体(共に具象の人物)を制作している。なかなか暖かい人物が画面に出て来て、楽しい作品だ。 そして、犬も彼のモチーフになっているようだ。 最近はバラがあちこちの庭で咲いており、思わず見とれてしまう。 ご自宅をバラ園として開放している人もいる。 花がある生活は本当に良いなあ・・・と思う。 毎日忙しくとも、花の中に自分の意識を投入すると、汚れた心が浄化されるようだ。 しかし、手入れは大変だ。澁澤龍彦の作品に、『フローラ逍遥』と言う本があったが、彼のように花の来歴や色、形に思いを巡らすと楽しくなる。 それから、・・・きりがないのでまた次回・・・。 |
6月5日(日) | 学園祭に午前中に行く。(行けないと思ったが、無理して短時間の見学をする) 前橋・高崎へ行くが、時間がなくて美術部を観ただけである。前橋の高校の入り口にあったのは、岡本太郎の大阪万博で作った太陽の塔の模作であった。 美術部の作品は少し小振りではあるが、書道部と合同の展示であった。 仕上がらなかった作品もあった・・・それは展示されず美術室にあった。 高崎の高校は入り口の門がすごいの一言。そして中庭の垂れ幕が、また凝っている。 高崎の高校は山口薫の『野の宿』1951年制作の油絵作品が、2階の玄関にある。 ここの通信制の講師なので、観に来たのだ。通信の展示で浅野君の作品を観る。 浅野君は私の過去に勤めていた高校の同僚だった、先生の息子だ。 呼んでもらい、そこでしばらく話す。 元気そうで良かった。 帰宅後、午後は工房の絵画教室の仕事をする。 |
入り口 | 美術部作品 | 美術部作品 | 美術部作品 | 太陽の塔の後ろ |
入り口 | 中庭、垂れ幕 | 中庭、垂れ幕 | 入り口 | 入り口裏 |
6月6日(月) | 今日は、幾つかの目的で東京へ出向く。 @ 荻窪の地で破布(はぎれ)を売っているお店を探すの巻き。 これが大変で・・・この暑い日に、やみくもに噂をあてに探すこと、30分・・・やっと探し出す。 すごい! すご過ぎる! 中国の金糸、銀糸の花柄は小さくても、かなりのお値段がする。 今日は3千円前後の小さい布を幾つか仕入れる。そこの女主人と少し話す。世の中にこんな美しい世界があったのか・・・すぐ感動する。 A 肥沼君の作品を観るの巻き。 展覧会初日で、彼と会場で会える。少し髪の毛が・・・。ここは後で削除 作品はフレスコ作品、ペン画、立体である。 相変わらず犬の背中に星座が貼りついている。 これは女性のファンがきっといるに違いがない。彼の作品はみんな、自画像的な作品にみえる。意識して形を漫画的(アニメ的)にしているのも若い世代の特有な表現なのだろうか。 B 宮崎進 展を観るの巻き この画廊は、京橋に移転してから一度も行っていない。 「ギャラリー椿」で聞いて、やっと辿り着くと・・・今日はすでに閉店していて、硬い鉄の扉が閉じていた。しばし、茫然自失・・・帰ろうとして諦めきれず、2メートル程歩き、また戻る。 (宮崎さんは、私が大学の頃に、非常勤で教えに来ていて、作品を観てもらったことが何度かあった。) その真摯な制作態度は何時も学ぶ所が多い。 ドアをたたくと、それでも誰も出てこない(当たり前ではあるが・・・)。 帰ろうとすると中から女性が出て来て、作品を観ることが奇跡にも出来た。 出会いと言うのは奇跡の様なものだ、しかし求める事無くして、奇跡は起こらない。 奇跡と言うのは、神様が努力をした人に与えた虹の様な物だ。(映画、猟奇的な彼女by韓国の映画からの台詞)なんてね・・・。 作品いついては後述する・・・仕事があるので、今日はこれまで。 |
6月13日(月) | 季節の変わり目になり、先日から梅雨に入ったと言う報道を耳にした。 先日の日曜に変わった彩雲が赤城方面に見えたと言うので、教室の仕事を終えて空を眺めたが、すでに空の饗宴は終わっていた。 そして、残り火の様な美しい夕焼けが、西の空に見えていた。もう少し早く気づいていれば見る事が出来たのに残念だ。しかし久しぶりに、美しい夕焼けを見る事が出来た。 彫刻家ロダンの言葉の中に、「自然を師とすべし」と言う言葉がある。自然は本当にすばらしい。 夕焼けで思い出すのは・・・。 帰路の途中、城南大橋を通って観音山が見える場所で眺める夕焼けは、本当に心が浄化される。色々な事で心が病んでいても、その夕焼けの美しさで、幾度も救われた事を思い出す。 夕焼けですぐに思い出すのは、黒沢明の映画の『生きる』の夕焼けの一場面だ。 あのシーンは今でも印象に残っている。 今日は夕焼けの話だけになってしまった。 |
6月26日(日) | 今日は亡くなった叔父さんの納骨の日で、箕郷町に行く。 最近、空梅雨でかなり暑い日が多い。 わずかの時間ではあるが、梨木香歩の小説を読んだり、ダ・ビンチ・コード関係の本を読むが、まだまだ読む時間が足りない・・・もう少し読む時間が欲しい。 梨木香歩の『家守綺譚』は中国の蒲松齢、著『聊斎志異』のような怪奇幻想風な作品である。『聊斎志異』は学生の頃読んで、その世界に一時圧倒されたことを思い出す。 浪人時代に共通した心境がその世界である。 梨木香歩の作品には植物の名前がかなり多いのだ。読むきっかけも、そこから来ているのだが・・・。先日ある書店で、数点彼女の本を購入した。 児童文学のコーナーにある本が多く。『家守綺譚』は大人向けである。 ダビンチ・コード関係の本では中見利男『ダ・ビンチの暗号を解読する』、荒俣宏『レックス・ムンディ』である。 色々な発見があり、歴史の隠れた面白さがある。 国立西洋美術館で観た、ジョルジュ・ラ・トゥール制作の『聖トマス』も関係している。 あまり詳しく言うと面白くないので・・・今日はここまで。 |