太極拳


2015.9



 2010年12月から太極拳を始め、気がつくと太極拳を丸4年やっている。もう少しで5年だ。


上へもどる

生活習慣病

昔は体育の日だったなぁ

2013.10.10



 10月10日が体育の日では無くなってしまって、何年経っただろう。ハッピーマンデーとか云われて、月曜休みにして連休が増えたというが、私の仕事的にはいい迷惑で、月曜休みになると火曜日の朝の仕事が凄まじいものになる。出来れば月曜休みにするくらいなら水曜日辺りを休みにして欲しい。

 手術をきっかけに体のコントロールをすることの大切さとコツが少し分かり、体重も落とし、体力も付けて、自分の体に自信を持ち出した矢先に職場の異動があり、仕事三昧の生活をしていたら、手術前の体型と体質に半年経たずに戻った。それ以降、気にしてはいるのに改善出来ず、数年の月日が流れた。仕事の圧力と精神的な「慣れ」というのは、ものすごい力があるんだなとしみじみ思った。
体型や体質を変えるという事は生き方を変えるという事だと、成功していたときに凄く実感したのだが、生き方というのは個人の決意とか意志だけで何とかなる訳ではなくて、自分を取り巻く社会による影響が関係してきて、それは無視する訳にはいかないのだと思う。「自分の体の事なんだから、自分で何とかするしかないんだ」という言葉は真実ではあるが、全てではないと思う。言い訳かもしれないけどね。
 まぁ、私自身の物事を継続させていく力と意志の強さが足りない事は間違いない。割と私もヘタレだなぁ。

 そんな私でも2010年の冬から太極拳を始めた。もうすぐ3年になるのか‥‥‥!
 週1回の練習では自分の体質が変わる程の運動量ではないため、体重は減るどころか増えてた3年間なんだけど、一応3級試験も受かっていて、今は2級習得に向けて頑張っている。簡化24式は覚えて、3年過ぎた頃から88式を教わる予定。筋力もつけていかないときちんとした形をつくれないから、体重も落として、筋力と持久力もつけていく自主練習を生活の中に入れていこうと思案中。パソコン観ている時間が長過ぎるんだよな〜(笑)。
 計画としては、
*毎朝と寝る前の体重測定を怠らず、しかも記録につけること。
*最近また出てきた「勿体ない」という理由で無駄に食べる癖を無くすこと。
*量を作りすぎないようにすること。
*外食は控えて、出来るだけ料理をつくること。
*毎日1回は動く時間をつくること。
(これは週3回でもいいんだけど、私の場合、一度休むとだらだら休み癖がつくみたい。一応毎日にしておかないとやろうという気持ちさえ起こすのが面倒になるので、習慣づける為にも毎日としてみた。実際保険請求残業期間中は、寝る時間を確保するのが精一杯になるので、毎日は絶対できないってわかってる。本当に問題はこの保険請求期間なんだよな〜)

娘と一緒に頑張ってみるか。


太極拳、楽しいです。

上へもどる

体のコントロール

いろんなものとつきあう

2010.09.11



 気がつくと手術から半年以上が経っていた。
 手術後、せっかく下がっていた血圧は仕事を再会した途端に跳ね上がり、また薬の世話にならないとダメかな~という値になった。仕事のストレスってすごいんだな~と改めて感じた。そんなにキリキリと仕事をしていないつもりだったのに。
 ただし体重に関しては術後から食事と運動によって少しずつ落としてきていて、手術前に比べて7kg痩せた。体重が落ちれば血圧だって下がるはずなのだが、精神的ストレスが原因のためか、段々手術前の血圧みたいに上がってきている気がする。休みの日にはちゃんと下がっているのだが、病院に仕事に行くと上がってしまう(笑)。これは私の気持ちの部分で解決する事なんだろうか?

 ま、とりあえず元気である。
 血圧はダメだが貧血のほうは目に見えて良くなった。5月に行われた職員健診で貧血のところにD判定(要治療)が付かなかったのは15年ぶりくらいだ。
 それに月一回の月経がないというのは凄く楽だ。
 もっとも出血が無いというだけで排卵などはちゃんとあるので、月経にまつわるイライラ感や腰痛、胸が張るなどの症状は来る。特にそれが楽なったと云う印象は無い。なので、無意識にそろそろだな~と準備を始めてしまう自分が居る。で、ああ大丈夫なんだ~と思う。
 手術後の傷は実はまだ完治していない。
 帝王切開で双子を産んだ時も、術前にずっと抗生剤を点滴した所為もあってか、傷が治らずMRSAだの緑濃菌だのを出して、酷い目にあった。それこそ術後半年くらいは病院に通い処置をして、最終的には麻酔無しで切開をし、イソジン原液を流し込んで感染を抑えたという過去がある。(<野戦病院かっ!!!)今回の手術をしてくれた医師もその時の医師と同じなので、今回こそは何事も無く済ませようと手術も、その後もいろいろ気に掛けてくれていたのだが、どうも縫った後の糸が原因で瘤みたいなものが出来て、今でも灼いてみたり取ってみたりして通院を続けている。そういう体質なんだな~と諦める他は無い。

 今回の手術を困難にした原因は体質だけではなくて、実は私の太った体にも問題があった。手術後医師からも、私の脂肪の厚さがどれだけあったのか、その脂肪がどんなに邪魔だったのかをいっぱい聴かされた。実際1時間半くらいだと云われた手術は大幅に伸びて8時間近くかかってしまった。(脂肪の厚さだけが原因じゃないのよ!)出血量も半端じゃなくて術後は上半身を起こす事が出来なかったくらいなのだ(でもトイレは自分で歩いて行かされたけどね。良く倒れなかったな~。頑張ったな~と自分でも思う)。とにかく血が足りないってこういうことか~としみじみ思った。それでも私はずっと貧血だったので、血が足りない事に体が慣れていたから頑張れたらしい。通常だと輸血をする出血量だったらしいのだが、輸血をせずに済んだとか。
 結局大変な手術になってしまっていた訳だ。そんなわけで、手術後は結構大変だった。あまりに大変だったので減量する事が楽に感じたのだ。

 体がいつも通り動かなくなったり、不調を訴えたりすると健康というものの有り難さに気付く。ただ起き上がれる。ひとりでトイレに行ける。歩ける。ご飯が食べられる。そのことがどれだけ有り難いことか。
 毎日毎日少しずつ回復して行く自分の体。出来る事が増えていくということが嬉しかった。たぶんダイエットも同じなんだと思う。今、私はあのころの気持ちの続きで食事を満腹になるまでは食べない様にしたり、少しでも運動をしたりし続けていられるのだと思う。
 仕事や生活に意識が行き過ぎて、自分の体のことを考えるゆとりが無くなったら、また手術前に戻る。8月がそんな感じだった。自分の体と向き合う意識が薄れて、その場の雰囲気とか刹那的な欲望とか、そんなことが前に出てきて自分をおろそかにしてしまった。
 太るのって簡単なのよ、私にとって(笑)。
 また今あの頃の気持ちに戻って自分の体と毎日向き合う様にしている。


 自分の体との対話の仕方を手術後随分学ぶ事が出来たのは、本当に良かったと思っている。


1年かけて10キロ減量という目標を立てて、ちゃんと減量して、更にもう10キロと思っていた所で職場異動があり、それこそ今まで私が肥えてきた机の上でひたすら頑張る職場に戻ってきた。そうしたら半年経たないうちにもとの体重に戻った。生活習慣病とは良く云ったものだと思う。生活習慣が全てなのだ。

上へもどる

人生4度目の入院

子宮取っちゃうってよ

2010.01.08


 点滴だの入院だのというものにとんと縁のない生活をしていた。22才まで。

 私ってば臆病な人間で、注射だの薬を飲むだのといったことをやる前から想像だけで泣き出すタイプ。逃れられないことならば、体の力を抜いて素直に受け入れた方が、痛い思いもしなくて済むことが多い。と、人生の半分くらいは生きてしまったであろうオバサンになった今の私も、頭では理解している。しかし、頭で理解してもついて来ないのが感情というものである。

 健康優良児であった私はせいぜい学校で行われる集団接種で(今はないけど)、予防接種を打たれるくらいの経験しかない、病院には全く縁のない生活をしてきた。それが、何故か病院で仕事をするようになった途端、病院のお世話になることが増えた。働くまでは、外来(がいらい)の意味も分からず、内科と外科の区別もつかず(といっても「ないか」「げか」くらいは読めたけど。病院に来る患者さんのなかには外科を「がいか」と云う人も居たりして受付しながら、知らないのは私だけではないと安心したものである)、病院と医院の違いも分からなかった。その私に対して、実際に教えてくれようとでもしたのだろうか。就職したその年にいきなり入院というものを経験した。
 骨盤内腹膜炎。
 こういう病名。腹痛と嘔吐と高熱で大変だった。原因は未だによく分からないが、人生で初めて点滴というものを行い、絶食をした。入院は結局1泊2日で済んだが、その後も毎日2回抗生物質の点滴をすることになった。

 2度目、3度目の入院は出産のための入院。これについては「出産」の項で詳しく書いているので、興味のあるかたはそちらを読んで欲しい。

 さて、今回2010年2月に入院する病名だが、子宮内膜筋症。
 この治療方法はいろいろあるのだが、今回は最終手段となる子宮の摘出を行う。
 これはホントの最終手段。もし私がもっと若くて子どもも産んでなかったら絶対選ばなかったであろう手段。私の「女」を最後まで診とって欲しいと願っていたMac使いの産婦人科医が選んだ手段。

 —————女を診とるのが10年以上早かったぞ、先生。

 この子宮内膜筋症は月経がとにかく大変。でもって子宮が肥大化する。もう何年も月経がひどくて仕事に支障をきたすので、ホルモン剤を投与してコントロールをしようとしてきたが、もう打つ手は全て打ったと産婦人科医は判断した。
 最近の状態でいうと月経が始まったら2日間寝たきりになってしまう。出血量もものすごいし、動悸もする。めまいが始まり、体を起こすことが出来なくなる。横になって寝ていれば大丈夫(笑)。でも当然下腹部はものすごく痛い。
 毎月こんな調子なので、仕事の方も大変だった。月経の前後は残業になる。大事な会議が月経と重なるとどうしようもない。生活の全てが月経周期に合わせるようになる。
 ところが最近はこの月経周期が乱れて来た。初潮からほとんど乱れの無かった月経が、ひどく不規則になって来たのだ。こうなったらもう仕事の段取りもつかない。いつ来るのか、何時まで続くのか分からない。その度に産婦人科に受診しなければならない。だけど、全国的に産婦人科医が不足しているため、受診はえらく面倒だったりする。外来の枠は少ないわ、待ち時間は異様に長いわで、受診の度に一日仕事を休むか、勤務時間が終わった後に仕事に行ったりしなければならない。
 私も疲れちゃったけど、先生も疲れちゃったのかも(笑)。

 ま、そんな理由があって手術に踏み切ることになったのだ。

 だけど、これってやっぱり抵抗がある。子どもをもう産む気が無い私でも抵抗がある。
 「女は子宮でものを考える」って言葉があるけど、何となく否定出来ない。
 「女はヒトである前に女でありたいと願う」。これも何となく否定出来ない。
 そんなに自分が女らしいと思ったことは無いのに。


摘出した子宮の写真をみせてもらいました。小さいものなんですね。でもって、何だか泣きたくなりました。

子宮は取りましたが、卵巣などは残っているので、ホルモンバランスが極端には崩れません。月経は無いけど排卵痛はあるんだな、これが。
この子宮に関しての執着は男の人には分からないでしょうな。                        上へもどる

ぎっくり腰

くしゃみをしてもぎっくり腰にはなるというが

2008.11.15



 生まれて初めてぎっくり腰というものになった。
 今になって冷静に思い返してみても、どうしてもなった理由に思い当たらない。まぁなるときはくしゃみ一発でもなるとうちの医師は言っていたから、きっと大した理由はなかったのだろう。

 腰痛や肩こりというのはもうあるのが当たり前となっている日常生活。立ちっぱなし、座りっぱなし、運動不足、食生活の乱れ、などなどわざと腰痛肩こりを作っている様な生活習慣なのだから、もうあきらめていた。それでも以前はちゃんと鍼灸に通ったり、体操やウォーキング、Wii Fitなどを意識的にしようとしていた。ところがここ3ヶ月くらいそんな余裕が全くなかった。時間的余裕もそうだが、精神的にゆとりが持てなかったのだ。何かに追いまくられるように仕事をしていた。夢の中でも仕事をしていた。(しかも自分がミスをして怒られる夢ばっかり)ちょっと赤ちゃんの子育てをしていた頃に似てたかなぁ~??みっちりと濃厚な時間だったのだが、あまりに夢中すぎて振り返っても何をしていたのか思い出せない、みたいな感じ。それでも子育てのときは育児日記をつけていたけど、今回は習慣であった日記を付けることもできなかった。

 まぁ疲れていたのだろう。

 机に向かって仕事をしていて、立ち上がろうとしたら痛くて立ち上がれない。変だな~と思いつつも無理矢理立ち上がると痛みは少し治まる。そして今度は座ろうと思っても痛くて座ることが出来ない。何度か繰り返しているとどんどん痛みが酷くなって来た。
 こりゃあいかんと、半日で仕事を切り上げ、かかりつけの鍼灸院に行こうとしたのだが、車の運転が出来ない。仕事中のダンナに事情を話して迎えに来てもらって、ダンナの車で鍼灸院へ。
 その時には車の振動すら腰に響いて辛くなっていた。車の乗り降りもダンナの介助付き。
 鍼の先生に診てもらったら、腰の筋肉が素人目に診ても腫れてると言われたが、自分の腰なんて健康なときだって見ることは出来ないんだから、へ~と他人事。だけど、「一旦横になったらもう立ち上がれないな~」とか言われた時にはちょっとビビった。
 横になったら立ち上がれないからと座ったままで鍼を打つ。
 先生に「貧血が起きるかもしれないからダンナさん隣に居て支えて」と言われ、ダンナも隣に控える。

 ひさしぶりの貧血だったぁ~

 双子がお腹の中にいた時、不正出血があって診察を受けた際、医師に悲鳴を上げられた状態になったことがあった(「こども」の出産を参照)。その時に医師からの状態説明を受けている時に起きた貧血以来のものすごい貧血だった。傍目からも顔色が真っ青になるのが分かったらしい。吐きたくなる様な気分の悪さと幽体離脱でもしそうな気が遠くなる感覚が一気に襲って来て、ぶっ倒れたい~とか思うのに、横になれない。ダンナもそんな私の状態を見るのが2度目となったが、しきりにどうしようとか言っていた‥‥‥気がする。

 たぶんほんの数分の出来事だったと思うが、しばらくすると復活して、その後オキバリといって鍼を埋め込まれて(ピップエレキバンみたいなもんだ)取りあえずの治療は完了。あとはひたすら安静にしているようにと言われた。
 腰を傷めたのは金曜日だったので、その日と、土曜日の朝、少しだけ仕事に行って(やっぱりダンナに送り迎えしてもらった) その後すぐに寝て、日曜日も一日中寝ていたら、月曜日には何となく動けるようになって普通に仕事に行った。
 一日中寝ているのは退屈だろうと職場の内科医師が安定剤をくれたけど、疲れもあったらしく、薬の力に頼ることなくひたすらに眠っていた。昼間もたっぷり眠ったくせに夜もちゃんと眠れた。合間に、ちょっとDSでゲームしたりなんかしたけど、すぐに眠気が襲って来て、遊んでいる暇すらなかった。

 今日で一週間経った訳だけど、大分いい感じだ。もう階段も上り下り出来る。良かった。
 やっぱりそこそこ休みは取らないとダメね。

この後もなかなか良くならなくて、結局は仕事復帰を優先して整形外科に行き、注射してもらいました。それも4回は打ったかなぁ。トイレに行くのも大変だったです。

ぎっくり腰には安静が一番。動いちゃいかん。一度ぎっくり腰をすると癖になるといいますが、これは本当です。無茶はいけません。元気になったら腰を鍛えましょう。

体を柔らかくするストレッチと腰回りの筋肉を鍛える事が大事です。

上へもどる

鼻から胃カメラ

当病院に鼻から入れる胃カメラ導入

2006.07.19


 ここのところ潰瘍が出来たと周囲に言っていたが、実はまだ胃カメラを飲んでいなかった。
 でも潰瘍の薬が効いていたし、症状がそうだったので「ストレス性潰瘍」と言う病名がつけられて、対処してきたのだが、やっぱりきちんと検査しておこうと昨日、仕事をしつつ胃カメラを飲んだ。
 こういう時病院勤めは便利なんだか、そうじゃないんだか。

 前日の夜8時以降は固形物は一切口にせず、朝も当然朝食抜きで仕事をし、患者さんの検査の最後、昼近くに検査を行なった。
 食事を抜くこと自体が私に取ってはストレスだったのか、検査の前の晩はうっかり食事をしてしまい、胃カメラが飲めないという夢を3回も見た。そんな夢ばかり見るものだからすっかり寝不足だったが、妙な興奮をしていてあまり気にならなかった。

 私も一応職員健診で定期的に胃カメラを飲まなければならないお年頃になっているので、胃カメラは既に2回。バリウムを飲む透視検査を一回経験済みだ。そのうちの胃カメラの一回はまだそんなお年頃じゃなかった頃、骨盤内腹膜炎になった時、嘔吐が止まらなくて診断のために飲まされたのだから、健診ではカメラとバリウム一回づつということになる。

 私は胃カメラが大の苦手で、胃カメラ飲むくらいなら胃がんになって死んでやると思うくらい辛い。
 カメラが入っている間中嘔吐が止まらないし、吐き出そうとするのでカメラのチューブを食道が締め付けて傷がつくし、健康だった胃があれる気がする。胃カメラなんて病気をつくる機械だとハッキリ断言出来るほどだ。
 バリウムはそんなに苦しくない。げっぷを我慢するのが辛いと他人は言うけど、私はもともとげっぷをあまりしないので、辛いとも思わなかった。ただ、あれは放射線を長いこと浴びるのが何となく嫌で、積極的に受けたくない。(実際は全然大丈夫な放射線量なので、何も心配いらない)
 で、今年はどっちも絶対しない!と断言していたのだが、具合が悪いんじゃ仕方が無いかと思って、胃カメラを飲むことにした。

 もうひとつ今回検査をする気になったのは、今年から当院に鼻から胃カメラを入れる機械が導入されたことにある。
 口から入れるのは絶対嫌だけど、鼻からなら何とか我慢出来るかもしれない。
 そう思ったのだ。

 で、まだ一般の患者には実施していない鼻から胃カメラを実地訓練もかねて私に行なうことになった。

 病院の職員というのはいろいろ大変だ。
 新卒の看護師の採血の実験台には必ず職員があたる。そりゃもう何度も刺される。
 次は点滴。点滴の方が採血より難しい。血管の中に針を通さないといけないのだから。こっちの方がもっとたくさん刺される。右腕にさんざ刺した後、入らなくて左腕。それでも駄目なら手の甲。最後には足にまで刺される。
「てめぇらみんなミシンで縫ってやるぞ!」と言いたくなるときがある。

 今回の鼻からカメラも似たようなもんだった。
 妙に綺麗なマニュアルがでんと置かれ、まずそれを複数の看護師が読みながら「こうかね~」「ああかね~」と言いながら私に処置を施す。本当は口から飲むはずの薬を鼻から入れられたり、行程を飛ばされたり、いろいろだ。こういう経験があって患者のみなさまに安全な医療が提供出来るようになるのだ。うんうん。

 前処置の段階で鼻からいろんな液を入れられたのだが、(本当は麻酔も含めて2種類で良かったようだが、私は妙にたくさん、しかもすごい量入れてもらった。別に身体に害のあるものは何にも無かったから大丈夫。)それで右と左、どちらの鼻の方が通りが良いのか選ばなければならない。最終的にはどっちの穴かを決めて、片方に麻酔を入れる。(私は両方入れられたけどね)
 これを決めるのはみんな簡単なんだろうか。
 私は両方の鼻の穴に何度も入れられたのだが、「どっちが良い?」と訊かれて非常に困った。


分からへんやん。

 最終的には適当に右と決めた。
 男の人より女の人の方がどうやら鼻の穴は狭いようだ。
 私は鼻の穴がでかいので大丈夫と思っていたが、やっぱり人並みだったのか、なかなか入らなかった。
 鼻から入れるカメラは口から入れるカメラよりもずっと細いのだが、鼻からものを食べたことも無い私はどうして良いのか分からない。看護師には「鼻歌を歌え」と言われたが、こんな時には何の曲も思い浮かばない。
 そのうちに真面目で一生懸命な看護師は「♪ぽっぽっぽ~はとぽっぽ~」と私の背中に回って歌い出した。
 私にもそれを歌えというのか。
 しかも鼻歌で。

 もうやけくそで一緒に歌う。
 するとハトの歌がきいたのか「お!入った!!」と医師がぐいぐいと突っ込んできた。
 やっぱりうげえとなった。
 口から入ろうが鼻から入ろうが喉を通るのには変わりがなかったと気がついても後の祭り。
 先生はゆっくりと慎重に、しかし止まることなく「苦しいですか~?」と気休めの声をかけながらどんどん中へ入れていく。
苦しいって言ったって「我慢してくださいね~」って言うだけのくせに。

 もう苦しいよ~。胃まで行ったよね~?と思ったのに「今食道ですよ~」という医師の声。
 もういっそのことぐいぐい突っ込んでさっさと終わらせてくれ~と泣きそうになる。<いや、実際泣いてた。

 口から胃カメラと違うのはカメラが入りながら話が普通に出来ること。口で息が出来て話が出来るっていうのは身体のこわばりを解くのに役立つ。看護師も先生もとにかく「話して」「歌って」を連発。
 歌うって言ってもはとぽっぽじゃな~と思うと、後は話すんだけど、こっちはよく知っている職員だからつい恨み言になる。愚痴を言いながら胃カメラ。
 そのうち他の医師が様子を見に来たりなんかして(私が心配とかじゃなくて新しい機械を見に来ただけ)、私の目の前でピースサインなんか送ってよこす。こっちはうげうげしながら泣いてるのに。

 でも胃まで到達したあたりから楽になってきた。
 こつが呑み込めたというか、管が気にならなくなってきたというか。
 そうすると後は普通にしゃべって普通に息が出来た。最終的には口から胃カメラより遥かに鼻から胃カメラの方が楽だということになった。

 結局、潰瘍は見つからなかった。
 私のこの症状はもしかしたら胆のうから来ているのかも。ということで今度は超音波の検査をする予定だ。

 まだ薬は飲んでいるし、症状もなくならない。
 でももうどーでもいいやという感じ。
 病気が見つかったところでやっぱり残業は減らないし、検査をすることになっても仕事は休めないし。
 胃カメラが終わったすぐ後、まだ検査液が鼻から垂れてくる状態で仕事に戻って、その日も残業となった。<だけど肩こりが辛くて途中で残業を止めて鍼に行ったけど。

 ま、大した病気ではないことはこれで分かった。
 そもそも痩せないし。

 いい経験が出来た。

 でも来年職員健診でやっぱりカメラを飲むかどうかはまだ分からないけどね。

ちなみにその後は、2年に1回くらいの割合で胃カメラ飲んでます。やっぱりやっている最中に話が出来るというのがすごく楽ですね。緊張も解けるし。段々飲むのに慣れてきたら、抵抗感もなくなってきました。

地域では結構早めに鼻から胃カメラを導入したので、結構広い範囲の近隣地域のみなさまから問い合わせを受けて、鼻から胃カメラは繁盛しました。今ではすっかり当然みたいになってますね。

鼻から胃カメラでも小さいポリープ切除くらいなら出来ますが、病気が見つかって癌の切除とかになるとやっぱり口から入れないと駄目ですけどね。                                              上へもどる

出産

出産は病気じゃないというけど

2005.11.21


 今回は出産について。
 私の出産体験はちょっと普通じゃなかった。 妊娠、出産は病気じゃないというが、かと言って元気に仕事して、すかっと産んで、その後は何事も無かったかのように元気な身体に戻るかというと、結構怪しい。
 でもそうやって元気な人もいるのだから、それが普通なのかもしれない。とするとやっぱり私の出産は普通じゃなかったと言える。

 よくドラマでも漫画でも出産で母が死んでしまうというシチュエーションが使われるが、あれはあながちあり得ない話ではなく、結構出産は命がけの部分があるものなんだと思った。実際、ダンナには主治医からいざという時、私の命と子どもの命、どちらが優先したら良いのかと問う話が前もってあったと言う。もっとも誰に対しても医師がそんな話を気軽にする訳ではなく、必要がある場合に話すんだろうけど。(つまり私の場合は必要があったっつーことだ。)

 私の場合は仕事をずっと続けていたし、ストレスも大きかったので、まぁ大変だったのかも。割とくよくよ悩むし、気は小さいし、か弱いしな~(笑)。<誰も同意せんぞ。
  妊娠が分かった瞬間から不正出血をしていて、すぐに切迫流産の診断が下った。お腹が張るのを抑える薬を欠かした事が無く、切迫流産が過ぎると切迫早産の診断へと切り替わり、安定期というのを迎えた覚えが無い。それでも仕事は何となく続けていたんだから不思議だ。

 そんな私の初産は、一応普通に出来た。普通にというのは子どもを産道を通して産む事が出来たという事。二回目は双子だった所為もあって、帝王切開となった。この双子の出産がなかなか大変で。私は思わず報告書を描いてしまうほどだったのだ。
ちなみに出産報告がこちら↓。誤字がいっぱいありますので暖かい心を持ってお読み下さい。一応分かっているので、改めて私にメールなどを出して「間違ってます」等と云わないように。









前項の報告では長過ぎるので、短くまとめたものがこれ↓。


でもって出産後の双子の様子を記したものがこちら↓。









 まだパソコンで何でも作る時代ではなかったので、(モバイルパソコンも持ってなかったし)子どもを保育園に預けながら、保育園で描いた記憶がある。

 あの頃はマメだった‥‥。

やっぱりその後の双子報告は出ませんでした。双子が入院していたり、自分が育休だった時は何とかなりましたが、育休も1年間取る余裕が無くて、子どもの通院と自分の通院が落ち着いたらすぐに職場復帰しましたしね。とにかく子育て大変で、あの頃の双子を思い出しても可愛いと感じるゆとりすらなかった気がします。代わりに今の子どもたちは可愛いです。

昔は育休中の社会保険料は職場へ収めなくちゃいけなかったんですよね。休んでいる間給料は出ていないのに、お金を支払わないといけなかったので、経済的に大変で、育休をあまり取らずに職場復帰ということが当たり前みたいでした。ちなみに育休中に支払った社会保険料は後から戻ったような気も‥‥‥。今は支払う必要が無くなっています。

ついでに保育園に預ける料金のことで。保育園自体は結構ありましたし、0歳児を受け入れてくれるところもあったので、そこは安心でしたが、保育料がとにかく高かった。3歳を超えると安くなるのですが、未満児というのは保育料が高かった。当時1ヶ月一人当たり7万4千円でした。うちの地域では2人目は半額。3人目は無料。しかも3人が保育園にいる場合という制限付き。(今は一番上の子が卒園したとしても2人目は半額になりますが、当時は1人目が卒園してしまったら、その次の子が全額支払いとなってました)なので、子どもは間を開けないで産んでしまわないと保育料が大変だと先輩たちに云われて、第2子をつくったのでした。懐かしいなぁ。

上へもどる

胃透視

健康診断にてバリウムを飲む

2003.05.17

 15日、職員検診で胃透視をした。
 これからは毎年、胃カメラか胃透視をしなければならない年になったわけだ。

 生まれて初めての胃透視だったが、心配だったのは、バリウムは果たして美味しいのか、という事。また、飲みきれるのかという事。
 シェイクのようなものだ、と経験者は語っていたが、実際は石灰を飲んでいるようだった。粉っぽい。
 胃透視をするためには、まず、注射を行う。これは胃腸の動きを抑えるため。
 その後、胃をふくらませるための粉薬を飲む。これがホントにふくらむんだ。ゲップを出してはいけないと言われるのだが、私はもともとゲップはあまりしないので、問題なし。
 で、バリウム。
 初めは食道を撮影するため、一口ずつ数回に分けて飲む。結局はLサイズのコップ一杯のバリウムは全部飲まなくちゃいけないんだけど。
 いろいろな角度から撮影するために、回転する台に身体を預けて放射線技師さんの言われたままにする。
 本当にありとあらゆる場所を撮影するようで、結構時間がかかった。バリウムを混ぜるためなのか、何回か台の上で回転したりもした。
 しかし、辛かったのは最後、機械に胃を押されて撮影した時。あれは痛かった。

 経験者に胃透視は検査後が辛いんだと言われた。
 バリウムの中に入っている下剤が、検査後お腹を痛くするって。
 私は基本的に便秘はしない。なので、普通の人の半分量の下剤にして貰った。で、ダイエット中だけど、検査後は多めの食事を取った。今のところ、それで問題はない。

 検査が全部終わった後、やっぱり胃カメラよりは楽だったかなぁ‥‥‥と思う。

バリウムは、後が大変。胃カメラは終わったら終わりだけど、バリウムは終わった後、飲んだバリウムを外で出さなくちゃ行けない。この作業が結構地味に不快で、それが2、3日は続いた。今はすっかりカメラ派になっている。鼻からカメラを飲むなら喉の麻酔もしなくていいので、検査が終わればすぐに飲食出来るようになっているし。

透視検査は病変を探すのに、肉眼に頼るカメラよりも発見しやすい場合があります。もっともそこで異常が見つかればカメラを飲みましょうという話になるんですけどね。あと、透視検査は放射線を体に浴びることになるので、いわゆる被爆をします。ま、健康に害のあるほどの量ではないのですが、神経質な人は気になるようです。

上へもどる