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古河に在る現八の自宅に来てが思い出した事。
「俺が現八を追って此処を出た後少ししてから、役人が押し入って行くのを見たんだ」
「恐らく成氏が仕向けた役人じゃろうな」
「うん・・だから家の中、もしかすると荒れてるかも」
が言いたいのはつまり、村正の所で話した際
姉上が守ってくれてるから大丈夫!の事だろう。
確かに守ってくれてたかもしれないが
思い出した記憶の中で、現八の家は役人が押し入り
残っていたはずのを探したり、刀も探しただろうから物が散乱してる可能性もある。
よく思い出しもせずに安易に大丈夫と言って期待させてしまったと考えた。
「それくらいなんて事もない、お主は気にしすぎじゃ」
寧ろ1年の月日が経過した空き家が、元のまま綺麗と言う方が可笑しい。
律儀と言うか義理堅いと言うか愚直と言ってしまえばそれまでだが
現八には無いこの真っ直ぐさと素直さが変わらず好ましいのである。
考えすぎだと言われてもまだ納得しきれない様子。
少し唇を尖らせ、むーん、などと唸っている。
として過ごしている時も色んな表情を見せていたが
あの頃はまだ感情を表す言葉と意味を知らずにいた。
だが今は記憶も全てを取り戻し、感情の意味合いを理解して表に出すようになっている。
まあそれでも意図せず煽るような顔をしたりする
そこもまた隙だらけで、何度も口づけたり触れ合っているのに
未だに真っ赤になるところもあるし、無垢な事に変わりはない。
無垢だとを称する現八も何だかんだアレだな
随分と人間味が出て来たんじゃないか?と言うか二人揃ってじれったい。
とかなんとか、毛野が居ればひやかしただろう。
「それは兎も角、入ってみなくていいのか?」
「――!!も、勿論入る!」
取り敢えずこうして話す為に来た訳ではない為
の注意を家へと戻してやれば
案の定パッと表情を明るくし、馬を降りたいというそぶりを見せた。
実に表情かな姿に、浮かぶ笑いを噛み殺した後先に馬を降りる。
それからの前に立ち、手を差し伸ばし
奥側に在る右手を取り左手も握って自分側へ引き寄せるようにして地面へ降ろしてやった。
地面に降ろされる際も、の頬は赤く染まり照れている事が分かる。
照れた顔のまま降ろしてくれた現八に有難うと呟くと
嬉しそうに駆け出し、現八の家の玄関戸の前へと辿り着く。
少し痛んだ戸と1年前から変わらない外観に、懐かしさはより一層増す。
来る時は覚えてなかったけど、戸の障子の感じは水瓶へ向かった時見て覚えている。
こんなにも竹林が近くに在ったのねーとしげしげ眺めてしまう。
「中に入ってみるか?」
荒らされてるかもしれんが、と前置きし現八は問う。
もとより中へ入る事が此処に来た目的でもあるからの。
問われたも、数秒だけ黙していたがコクリと小さく頷いた。
思い切って障子の取っ手に指を掛け、右へずらして行く。
カラカラ・・という乾いた音と共にと現八の前に室内を見せる。
踏み入る前に見えるのは薄暗い室内。
何かが倒れていたり散乱しているようにも見える。
やっぱり凄く雑に引っ掻き回して探したんだなあ・・と胸が痛む。
私を助けて手当をしてくれたばかりに現八の家は荒らされた。
中に入らず視線を落とし、肩をも落とす。
後ろに立つ現八にもそれは分かり、わしゃわしゃと頭を撫でた。
「わっ・・」
「すまん、の時の癖じゃ許せ」
「・・ううん、その名前でまだ呼んでくれるのが嬉しい」
「変な奴じゃのう、取り敢えず入れ・・荒れててもここはわしの家じゃ」
「うん、そうだね 私と現八が過ごした大切な家だ」
つい荒く髪を撫でてしまったのは、吃驚した顔のを見て気づいた。
1年近く男の姿のと接していた癖が今になって出てしまった事に自嘲。
乱した髪を直してやりつつ、中へ入るよう促した。
も荒らされたとは思いたくないが、役人が押し入ったのを見ているし
さすがに姉上も守れなかったかもしれないと、少し沈んだ気持ちで土間へ足を踏み入れる。
室内に入ったが先ず目にしたのは倒された家具。
ありとあらゆる家具の中やらを開いたり、ひっくり返したりしたのだろう。
押し入れや、衣類箱やらが特に検められたようだ。
探し方は私と私の持つ二振りの刀を探していた事を如実に語っている。
何となく無意識に散らばった家具や、抛られた衣類を片付けて行く。
此処に連れて来られた去年のあの日は、家の中をよく見る余裕はなかったな。
ケガもしてたし・・何より助けてくれた人の家の中を検分する事はしたくなかった。
今で言うなら広さ6畳くらいのスペースに間仕切りで寝室部分が作られ
残り3畳程度の場所が物置のスペースに使われていた。
12畳はある広さの真ん中に囲炉裏があり、一組の布団も残されている。
すっかり埃をかぶってはいるが・・この布団が何なのか、はすぐ分かった。
去年のあの日に一人目覚めた私が最後に畳んだ布団だ、忘れるはずもない。
「つい昨日の事みたいに感じるが、こうして見ると一年経っとるんじゃの」
埃を被った布団を見つめるの横で、しみじみと声で現八も懐かしむ。
此処を出てからは駆け足で様々な出来事が起こり、全ての事が走馬灯のように感じる。
それこそ息つく間もない程に、宿命や役目や怨念恨み等が一気に押し寄せた。
わしらはその波に押し流されないよう抗い、また、立ち向かった。
だからこそこうして平和な時を勝ち取れたのじゃろうな。
「現八の家の中って結構広かったんだね」
「狭いと思っとたんか?」
「だって薄暗かったし・・それにあまりウロウロ見て歩くのは失礼だろう?」
「・・・ふ、お主は変わらんのう」
しみじみ眺める横で、今更な問いをが発した。
まあ一応奉行所の役人と獄舎番を兼ね合いしていた事もあり、武士に相応しい広さの家ではある。
今の今まで見て回らなかった事を明かしたに対し
初見で感じた清々しい青年、という印象は変わっていない事に笑む。
警戒はしても、誰しもがやるであろう疑心と言うものがなく
粗を探し逆に取引の要素にしようなどと考えない辺りが実に清廉潔白だ。
常に真摯に在ろうと意識してる訳じゃないだろうに、相手に対して誠実で在ろうとする様が好ましい。
「なあ現八、この家はどうするつもりなんだ?」
自分の事で現八が感心してるとも知らないは思い浮かぶ疑問を言葉にする。
住む人間が居なくなったら家と言うものは簡単に駄目になる。
本当は現八が住むのが一番だけど、もう現八は此処ではなく滝田城に住んでいる。
安房の里見から下総国の古河までは簡単に行ける距離じゃない。
だから偶に様子を見に行ったり掃除をしたりする事も難しい・・・
私と現八が二人で初めて過ごした家だから、出来れば残したいのが本音だ。
しかし様子を見にも来れないし管理も難しいとなれば・・壊す外ない。
でももし使う道があるのなら、残しておきたい。
は残したいと考えているがこの家の持ち主は現八だ。
彼が残さずとも構わない、と言うのであれば私もそれで良い。
家の有無に対する決定権を持つ現八がゆっくり口を開いた。
「・・すぐに結論を出す事は出来ん、此処には思い出がありすぎる」
「うん・・・」
そう話す瞳がどこか遠くを見てるように感じた。
何となく、現八が口にした思い出がありすぎる・・という言葉の裏には
私が感じている気持ちの他に、別の意味合いが含まれてるような。
「には話しておらんかったが、わしは元々安房の生まれなんじゃ」
「――え?本当に?・・でも」
この家はがあるのは常陸と下総との関所近く。
現八自身も下総国古河に住み、公方足利成氏に仕官した身だった。
でもその実は、安房の生まれだと・・・
驚きはしたけど疑う余地はない。
他ならぬ現八本人の口からそう聞かされたのだから。
「じゃが、わしを生んだ母は産後のひだちが悪く・・そのまま帰らぬ人となった」
その後の暮らしは散々で、貯蓄に苦労した父糠助は
里見の禁漁区で魚を釣ってしまい、役人に捕らえられ死罪の判決を受けた。
処刑されずに済んだのは、偶々義実の妻、五十子と伏姫の三回忌が重なった為恩赦となったから。
安房を追放される形で恩赦を受けた現八と糠助。
何とか安房から下総国の行徳まで来たのものの
見知らぬ地での生活は思うように行かず、生きる事を憂いた糠助は
路頭に迷い、幼い現八と川へ身を投げようと試みた。
それがこの家のある辺りなのだと、目を細める現八。
静かに語る横顔はとても穏やか、そこに悲しみの色は見えない。
それでもは、現八の中に静かな悲しみを感じながら今はただ聞き手に努めた。
「身を投げる寸前じゃ、偶々通りかかった男にわしら親子は命を繋がれた」
話ながら現八は囲炉裏端の床の埃を払い、腰帯に引っ掛けていた布を取り出す。
ぼんやりとその布は茶屋で現八が私の座る長椅子に敷いてくれたものだと認識した。
心中を止めてくれた男の名は、犬飼見兵衛。
偶々安房の里見へ向かう途中だった見兵衛に命を救われ
糠助は自分の子、現八を恩人の見兵衛へ託し古河を去ったという。
初めて聞く犬飼現八というその人の半生。
母親と死に別れたばかりか、父親に下された死罪という罪状。
偶々恩赦となったが、三回忌の年じゃなかったら?
別の年だったら・・現八の実父は死罪となり、現八もどうなっていたか分からなかっただろう。
今までずっと旅の最中犬士達を見守り、導いてきた伏姫。
となると三回忌の年に現八の実父が罪を犯す事も定められていたのかもしれない。
この頃から既に、姉上は自分の息子達を見守っていたんだな・・・
現八はに昔話を聞かせるかのように語り
埃を払って布を敷いた上に座るよう促した。
「父と共に過ごした時間は短い、それでもわしにとっては忘れ得ぬ記憶での」
短い分、濃密で・・袂は別っても親子の縁は切れない。
罪は犯してしまったが、父は父なりに幼い現八の為と禁漁区で釣りをしたのだろう。
結果死罪となり恩赦にはなったが古河での暮らしも立ち行かなくなり死を選んだ。
どんな父親でも確かに現八にとってはたった一人の肉親で、父だった。
もう声を聞く事も語り合う事もなく、酒を酌み交わす機会もない。
見兵衛に現八を託したその後の足取りが分からない為、墓参りに行く事すらできない。
「今も生きていたら、この家へ住まわせてやりたかった」
「・・・・現八・・」
淡々と語る声や横顔が物静かで、深い悲しみを抱えてるのに顔にすら出さない。
でも実父糠助に対する深い愛情は言葉の端々から、柔らかい声から溢れていた。
何だか、自身の育ての親と重なり、胸が震えた。
私も現八も、二度と会えない家族がいる。
の場合は血の繋がりはない、でも育ててくれた親だ。
親孝行をしたくても、その人はこの世界に居ない。
糠助さんも生きていたら絶対喜んだと思う。
一度は死を選んだ自分の弱さで何も知らない幼子だった現八共々死ぬしかなかった過去。
でも命は繋がり、今や立派な若武者に成長した息子から一軒家を贈られる。
私が親だったら絶対嬉しいし、現八をとても誇らしく思うだろうから・・
「何でお主が泣いとるんじゃ」
今思った事を口にしたくても私は出来なかった。
その理由、振り向いた現八が苦笑するくらいに私が泣いていたから。
真摯で真っ直ぐな現八の思いを、もう糠助さんは受け取れないんだ
それでも現八はお父さんとの少ない思い出を大切にしてたんだよな・・
化け猫退治に来たあの日、どんな気持ちで現八は言ったんだろう。
わしは天涯孤独じゃ、いつどこで死のうとこの世に未練などない――
その頃の私は自分の気持ちと感情を取り戻す事ばかり考えて
現八がどんな気持ちであの言葉を言ったのかなんて考える余裕すらなかった。
誰にも話す事なく今の今まで現八は悩んでただろうし、常に心の片隅に父親の事があっただろう・・
そう思ったらもう堪らなくいじらしくて愛しくて涙がバカみたいに溢れた。