戻った現八の手に握られていたもの、それは――

「これは、わしが様に託した・・」
「『村正』と『正国』」

そう、現八が取りに戻ったのは
一年前のこの場所で、安房に旅立つ
刀工村正が託した、名刀と妖刀の二振りの刀だ。

戦は終わり、里見は平和になった今
この二振りの刀は、持ち主の村正へ返すべきだと現八が判断した為
に断りなく密かに持参して来ていたのだ。

武士として里見に召し抱えられたばかりか
今や滝田城の次期城主という立場の現八は兎も角
一国の姫という生来の立場に戻ったには不要となる。
刀を手放す事で、本当の意味での戦いの日々の終わりとなると現八は考えた。

「安房の地に平和が戻った今、わしが勝手ながら村正殿に返すべきだと判じました」

に刀を使わす事を、わしはしたくないのです。
そう、真摯に現八は村正へ伝えた。

この地で村正に託された正国は、伏姫に神力を与えられ
妖刀村正には、玉梓の呪いが宿っていた。
今はそれらの異なる力も消え、普通の刀に戻っている。

刀も役目を終えたと思って良いと現八は感じ
此処へ持参したのだ、と村正に経緯を話した。

「そうかあ・・わしの持たせた刀に、伏姫様と怨霊の呪いがのう・・・」
「でもね村正、この刀があったから村正が持たせてくれたから私にも役目が出来たんだよ」
「役目とな?」
「そう役目、この正国に姉上が力を宿して下さったから私は犬士の皆と居られたし役に立てたの」
「この刀が無ければ、わしとは関所で出逢ってすらいなかったでしょう」

「村正がこの刀を託してくれなかったら、今の私たちはいないんだ」

この刀が、私と里見を繋ぎ、現八達との縁を引き寄せてくれた。
少なくとも私も現八もそう思ってる。

「有難う村正、私と彼らを引き合わせてくれて・・現八と出逢わせてくれて」

笑って言いたかったのに、声が震えて視界が滲んでしまう。
此方の生まれだから戻れたとは言え
この刀が無ければ、私の此処での役割はもっと違っていたはずなんだ。

だからこそ、村正にそれを知って欲しかった。
この結末と未来を手に出来たのは、村正が二振りの刀をくれたからこその結末なのだと。

浮かんだ涙を拭うと、現八から二振りの刀を受け取る。
私の助けとなり、また、超えるべき壁となり
旅の終わりまで共に在った刀は、私の手で村正へ返したかった。

有難う、二振りの名刀と妖刀よ――

村正へ差し出す前に一度だけ名残を惜しむように私は二振りの刀を胸に抱く。
これを返した瞬間、私の中のという姿も消えるのだ。

あれ程妖刀村正を敬遠していたのに
いざ返すとなったら胸が締め付けられて涙が溢れてくる。
名刀と妖刀は、確かに私の一部になり、旅を共にしたんだなあ・・って。

、ありがとうな・・この二振りの刀もお前さんの役に立ち
共に在った事を誇らしく思っとるじゃろう」
「村正・・っ」

泣きながらの返却となったが、村正は神妙な顔つきから笑みを毀し
己の手に乗せられた二振りの刀を誇らしげに眺める。

「確かに、正国と村正を受け取ったぞ」

二振りの刀を受け取った時の男名を口に受け取る村正の心遣いに
の涙腺が崩壊するのは時間の問題だった。

もう二度と、と名乗る事も刀を佩く事もない。
何だかその事が今更ながら寂しく感じ、刀の重さを懐かしく思った。
今この時を以て、と名乗り皆と過ごした日々は幕を閉じる。


+++


涙が落ち着く頃、現八に手伝われ馬へ乗る。
巳の下刻(午前10時)を迎えた空は晴れやかだ。

刀の返還と村正との再会も果たし
死産を経験してから二人の間に在った気持ちの整理も着き
新たな決意とスタートとなった筑波平原での2日間。

「村正、行ってきます!」

今度こそ笑顔で、馬上から手を振りは声を張った。
この時代だとはしたないと叱られかねない素肌を晒し

袖が捲れるのも気にせず、村正が見えなくなるまで私は手を振った。
次第に小さくなる姿を、瞼と脳裏に焼き付けるかのように。

村正も二人が見えなくなるまで手を振り続けた。
一回りも二回りも大きくなり、気高く美しくなった二の姫と
同じ時間を連れ添い、一年越しに手元へ戻った二振りの刀と共に。


と現八が再び馬で来た道を戻り、街道前の茶屋を過ぎる頃
滝田城ではまた別の来訪者が訪ね来ていた。

門番が驚いた表情と、喜びの表情で出迎えた相手。
それは里見義実に似た面差しの男。

「殿!義成様が参られました!」

城仕えの武士達が高揚した口調で知らせる者。
それは、伏姫の実弟 里見義成の事だ。
伏姫が亡くなった頃はまだ幼く、五十子の実家へ預けられていた息子。

今や無事成長し、齢32に成長を遂げていた。
実は去年の関東合戦の頃、僅かだが稲村より援軍を寄越し
父義実を助けていた息子は、既に結婚し、2人の息子と8人の娘が生まれていた。
今回の訪問はその事を報告に来たらしい。

「おお・・義成!」
「父上!お会いしとうございました!」
「立派に成長した姿が見れて父は嬉しく思う・・そなたの姉、伏を守ってやれず すまぬ」

はつらつとした青年に成長を遂げた息子の姿に
ずっと気にしていたであろう義実は涙を浮かべて喜んだ。

「いいえ父上、姉上に会えない事は悲しいのですが
姉の伏と私とは一回りの歳の差があったのです」

義実は姉の死の事を悔いていたが
肝心の義成は正直な所、幼い頃実母の実家へ預けられた為
生前の姉の事はよく記憶していなかった。

伏姫が自刃したのは歳の頃26歳、その頃義成は16歳。
二の姫にあたるもその頃20歳。
恐らく三の姫浜路は0歳または生まれる前だったと思われる。

この時代だからこその歳の差が横たわっていた。
冷静に考えたら伏姫と妹の浜路とは、親と子ほどの歳の差がある事になるのだ。

「それもそうだな・・・無理もない」

幼かったばかりか、五十子の実家に早くから預けられていた為
二人の姉の事も一人の妹の事も覚えてないのは無理もない。
そう考えた義実は改めて伏姫の事を忘れてはならないと感じた。

伏姫の死の発端を作ったのは自分なのだから。
あの時自分が言葉を違えなければ、玉梓の呪いを受ける事も無かっただろう・・
隣国、安西景連に攻め込まれた際も もう少し機を見ていれば・・と悔やまずにいられない。

その自責の念は今考える事でもないなと切り替え
本来の目的を息子へ訊ねた。

「して今日はどうしたのだ?」
「はい、最近耳にしたのですが父上は里見を救った八犬士に関八州をお任せされるとか」
「ああその通りだ、彼らは伏姫の遺した希望の犬士・・見事里見を救った彼らへのせめてもの礼だ」
「今回伺ったのはその事で私からも彼らに礼を尽くしたいと考えたのです」

ふむ?と息子の発案とやらを座して待つ義実。
一呼吸吐いてから義成は笑みを湛えながら提案した。

「里見を救いし八犬士達を我が子、八人の姫達の夫とするのは如何でしょう」

名案でしょう?とばかりに自信満々に口にした息子を見て
まさに名案だ!とは如何せん言い難い義実であった。

八人中三人の犬士には既に共に生きて行くべき伴侶がいる。
ふうむ・・・八人の姫達には申し訳ないが
仮に八人と五犬士同士で選ばせた場合、内三人は嫁げないという事に・・

義実はまだ知らないが、実はもう一人の犬士も身を固める相手を見つけたとか?

取り敢えず現時点で自身が把握している犬士三人の事を息子へ説明。
予め息子が八人から五人を選び、その五人と犬士五人を引き合わせてみたらどうかと。

「なるほど、そうでしたか」
「姫達には申し訳ない事をしてしまうかもしれんな」
「いえこれもこの世の常です、理解はしてくれるでしょう」

娘の自由な意思を尊重してやりたくとも出来ないのが今の世。
戦いを終わらせても尚、その辺りの不遇は変わらないのだ。

そんな中で自身が愛する者を見つけ、且つ結ばれた二の姫と三の姫は幸運だったのだろう。
姫という身分でありながら心の底から愛する者と結ばれたのだから。
この時代の姫としては稀な例だろう・・寧ろ民達の方が恋愛面は自由だった時代だ。

それでも望まない結婚を強いられている民や姫達は多からず存在する。
誰もが幸せになり、心の底から愛した者と自由に恋愛出来る世が
一日でも早く訪れる事を、小国安房から義実は願わずにはいられなかった。


同時刻、と現八は懐かしい物を目にする。

馬で駆ける事数十分、街道と竹林を背に立つ一軒家が現れた。
見間違う事もない、常に記憶の中には在った姿。

今目の前に現れた瞬間、朧気だった記憶はハッキリと蘇り
一年前と何一つ変わらない姿でと現八を出迎えた。

少し周りの雑草は伸びて茂っているが、荒らされたりした様子はない。
やっぱり姉上が暫く守ってくれてたんだね。
あの時も現八は私を連れてこんな風に馬で駆けてくれたのかな。

この街道を少し進んだあたりで大輔殿と再会し
この家に役人が入って行くのを見た時は、不思議と悲しい気持ちになった。
そうだ役人が押し入ってたから・・もしかすると荒らされてるかも?
と思うと心が急いで、もぞもぞとしてしまう。

「どうした、あまり動くと落ちる」
「思い出したんだ現八」
「何をじゃ?」
「現八が役人と御所に向かった後、俺、言い付けを破って現八に逢いに行く為に家を出た」
「・・お主、やはり家を出ておったんじゃな?」
「ぐっ・・・だって、現八が酷い目に遭うんじゃないかと思ったらいてもたってもいられなかったんだ」
「わしは牢に入れられたぐらいじゃ、そのお陰で犬塚と出会ったようなもんじゃしの」

落ち着かないに気づいて注意すると
は去年この場で起きた事を思い出したと称して口にした。

顔を見れば隠していた事を申し訳なく思っている風な表情をしている。
わしからすれば今更と言うか、の性格からしてジッとしてるような性質でない事は把握済みだ。
は口約束だとしても大事な約束として認識している風もある。
現八から見るとその辺もまた可愛らしい美点、何と言うか『信』に通ずる考え方だ。

しかもわしの身を案じての行動だと言われたら、赦すしかない。
の場合、こう言えば許してくれるはず と考えて口にしたとかではなく
本当に心でそう感じて行動し、言葉にしているから自然とこちらも折れたくなるのだ。

計算でしてない辺りがまた厄介というか、現八が勝てないと感じる部分。
思い出したとは、約束を破った事を謝らねばという意味なのか
取り敢えず別の意味合いも含まれてる予感に、馬を進めつつ現八は待った。