―何事も後悔だけはせぬようにな―

わしらの間に流れる空気から
歳の功で察した村正殿の言葉は・・
ご自身の経験から言っていたのじゃろう。

妙に説得力がある訳じゃな。
ご自身の経験を通して若輩のわしらに伝えていたのだから。

じゃが、村正殿のその言葉のお陰で
擦れ違いかけたわしらの気持ちや想いは再び結び直せた。
今この時を再び二人で迎えられたのは村正殿のお陰じゃ

時刻は戌の下刻(20時)
この時刻になると朝が早い百姓は床に入る。
現八らが居る家の持ち主、村正も囲炉裏のある奥の部屋で就寝中だ。
言うべきことのみを語り・・多くは語らず、感じ取らせる。

そう出来るのは歳の功もあるが、本人の人間性もあるのだろう。
言葉で伝えられる事は言葉に、振る舞いからも感じ取らせる事は容易ではない。
振る舞いや仕草だけで言葉に込められた真意を察せれる
察せれるに値する経験を村正は積んで来たんだと思う。

とか考えているだが、寝付けない。
目の前には現八の胸板と香る清潔な香り・・・
ずっと清潔な香りと思っていたが正確に言うなら清涼な香り、だろう。

この時代の人々が香を焚いた匂い袋を袖に忍ばせている
とは失礼ながら思えない(ぉぃ)
寧ろそれをやっていたのは室町時代より前の平安時代だろうし貴族の姫君らだ。
奉行所の役人で獄舎番も勤め、一時期は牢に入れられた現八が香を焚く趣味を持つとも思えない(失礼

それでも不思議と現八からは出逢った頃から変わらずこの香りがする。
若しかしなくても・・・・体臭・・?
ていうか現八=体臭ていう言葉が想像し難い。

ひょっとすると、姉上の神気に選ばれた人間だったから・・
神気を人が感じられる手段があの香りとかならまあ納得出来る。

香りの元がどこにあるのかなんてのはこの際どうでもいい。
この香りに包まれるのが好きだし、安心するんだ。
現八だー!て感じられるから凄くホッとする。

「なんじゃ?人の匂いなんぞ嗅ぎよって」
「あ、起こしちゃったか?」

勝手に何か現八は寝てるのだと思ってクンクンしてしまったわ(
存分に胸元へ頬を寄せ、スリスリしてたのがバレたと思うと何だか恥ずかしい。
でも、そうやって甘えたり甘えられたり出来る人がいるのって幸せだ。

顔を上げたらすぐ目の前にある端正な現八の顔。
互いの体温で温かい布団の中、甘えるようには現八の腰に腕を回して抱き着く。
村正の家で村正の使ってた布団だというのに関係なしに甘えてしまっている。

「元よりまだ起きとった」

いつになく甘える姿に、静かに応えを返し小さく笑む現八。
の行動は全て心が感じるままのもの。
無理をしている訳ではなかった、その事が今すんなりと現八は理解出来た。

無理をしてるように感じたのはでなく、わし自身が無理をしてたんじゃろな。
自身は何一つ変わっておらぬというのに・・
無理をして変わろうとしたのはわし自身だった。
人は変わろうとして変わる場合もあれば、変わらなくて良い時もある。

わしらは急ぐ必要などない。
必要になる日に心構えから変えて行けばいいんじゃ
今はただ、腕の中に在る存在を守れれば良い。

感じた気持ちのまま、現八も眼下にあるの背を抱き寄せる。
明日もまだまだ追想の旅は続く、眠れる時に休まねばな。

、明日此処を発つ」
「・・うん、軌跡を辿る旅だもんな」
「ああその通りじゃ、次は何処か・・・お主なら分かるじゃろ」
「村正の家・・茶屋・・・現八の家だね?」
「牢に入りに行った日以来戻っとらんからの、荒らされとるかもしれん」
「あぁー・・・でもきっと大丈夫!」

絶対とは言えないが不思議とは大丈夫だと感じた。
多分だけど、戦いが終わり痣と玉の文字が消えた日までは姉上の加護があったと信じてる。
言葉の理由を現八に伝えれば、確かにそうじゃな、と同意してくれた。

が言うなら間違いないじゃろう」

言いながら現八の大きな手がの髪を梳くように撫でる。
そうされるだけで胸はドキドキと高鳴り、胸はキュッと締め付けられるのだ。

ああ、私は幸せ者だ と心の底から感じられる。
城から離れ、懐かしい人と再会し
現八と二人だけで起点の地に立ち、互いの気持ちをぶつけ合えた。

そして今再びこうして現八の温もりに包まれてる。
これを幸せ者だと言わずして何と言うのだろう。

「ふふ」
「変な奴じゃの、明日に備え そろそろ寝ておけ」
「はーい・・」

寝てしまうのが残念と思う
不安な夢を見る事はなくなったが、それでも少しよぎる。

目が覚めたら現八が居なくて、一人残された自分。
遠ざかる姿に手を伸ばしても届く事なく空を掴み
名前を呼んでも振り向いてすら貰えないあの夢・・・

いかんいかん、折角そんな夢を見なくなったんだから思い返すな私。
変な事を考えないようにと現八にぎゅっとしがみ付き目を閉じる。

その様子を蝋燭の灯りだけだが見ていた現八は
自身の胸元に顔を寄せているの肩を揺すり
意識を此方へ向けさせると、器用に顔を寄せた。

まだ辺りは暗く、現八の表情を見れないのが残念だが
近づいてくる時の色気を放つ顔はすぐ脳内再生されるので顔に熱が集まる。
ちゅ、と軽く音をさせ現八の厚い唇の感触がひたいに落とされた。

瞬間音がするんじゃないかと焦るくらいに顔が熱くなる。
くっ・・口にされるのかなとか思った私変態かな?

「残念そうな反応じゃな」
「そそそんなんじゃないもん」
「口に欲しかったか?」
「う・・・・うん」

あっさりと現八に論破されてしまうが隠せる自信もない。
もう偽りを言いたくないのもあるし、貪欲になると決めたのだ。
だから正直に肯定すれば、少し意表を突かれた様子の現八の気配。

あれ?と思っていたら間を置かずに上から吐息が毀れる。
呆れたのかなと感じたが、続く言葉がそうではないと教えてくれた。

「全く・・無意識とは恐ろしいのう」
「えっ?」
「あまりわしを煽るな、寝かしてやれなくなる」

!!?

「唇にしてたら、わしは止める自信がない
村正殿の家とか関係なしにを抱いてしまいたくなるからの」

わあああああ////

ストレートな現八の物言いに口許が緩みながらも照れの境地に至った。
変わらず自分を求めてくれてるのが分かるだけに嬉しいのだ。
だってそれに・・私も、私だって現八が欲しい・・・

今伝えたら間違いなく現八の理性を飛ばしてしまいそうな気がするから我慢。
抱いて欲しい、それは間違いない素直な気持ちだ。
でも今は二人だけではないから、隣の部屋にいる村正を起こしてしまったら
もし気づいて見られもでもしたらと思うと恥ずかしすぎて死ぬ。

「現八・・、その・・・二人だけになった時は・・」

「私もその、現八と同じ気持ちだから」
「今は言うな、理性が飛ぶ」
「あうっ」
「二人きりになったその時に、改めて聞かせてくれ」

何とか理性を保ったままへ伝えた現八。
本当なら唇に口づけ、そのまま深くしてやりたかったのが本音だ。

ただな・・の唇の柔らかさはわしの理性を容易く砕いてしまうからのう・・・
それはもう去年経験済みだ・・、良い例が大角の用意した熱を下げる薬を
意識のないこいつに口移しで飲ませてやった時じゃな。
あの時も、やめるのが惜しいほど甘美で理性が揺らいだ。

欲しい気持ちを抑えるのが真、苦労させられる。
しかも自覚のない煽り方には参ったと言わざるを得ない。
あのように下から見上げ、顔を赤く染めた様は無自覚の色香を漂わせておるんじゃがのう

「うん、その時になったらちゃんと言う」
「楽しみじゃな、そろそろ休め」
「・・・現八」
「――!!・・いいから寝ておけ」

無自覚すぎるについて考えていると
改めてちゃんと言う、と約束したの声が自分を呼んだ。

横向きの体勢で体に掛けてある着物生地をの肩が隠れる位置まで上げてやり
視線をへ向けた現八に対し、恥ずかしそうな声では囁いた。

現八、大好きだ――

と。
不意打ちの不意打ちに、思わず声が上ずった。
全く・・心臓に悪いおなごじゃのう・・・
だが素直にその言葉が嬉しくて困った。

夜も更け行く中、口許が緩むのを堪えつつ
腕の中で寝息を立て始めたを抱き締めるようにして
朝が来てしまう前にどうにか現八も寝入る事が出来た。


+++


一方の滝田城では。

「そうか・・やはり姫の子は死産だったのじゃな」
「・・・はい、姫様は気丈に振舞われていましたが涙もながされておいででした」
「当然だろう・・・あれほど想い合った現八との子じゃ」
「その事なのですが殿、一つ奇な事がありましてご報告をと」
「奇な事だと?」

産婆を務めた篠目(ささめ)が呼び出され、義実に謁見していた。
実はと二人きりで話をした事もある女中、雪の母親だったりする。

何故今、改めて産婆を呼びつけたのか。
その理由は呼び出された産婆が握っていた。

妻の五十子(いさらご)を亡くしてのち、伏姫を亡くし
相次ぐ二の姫、三の姫の失踪という不幸に見舞われた義実自身も
漸く取り戻した娘の出産を心待ちにしていた。

里見全体が喜びに沸く中の死産。
これが去年起きた事だったら玉梓の呪いのせいに出来ただろう。
だが今参内した産婆は、そうではない別の理由を携え現れた。

「亡くなられた姫様のややこを埋葬する際」

篠目は一瞬だけ黙った後、参内した理由を話し始めた。
現八に伴われお産部屋を退室して来た

ショックから心此処にあらずのから亡くなっている赤子を受け取り
立ち去る二人を見送った後に篠目は気づいた。
例え死産でもきちんと体内で胎児の姿勢を取ったままだった赤子
お湯で綺麗にしている時には気づかなかった何かを握り締めていた。

奇形で変形したのではと思ったが、近くで見てみようと篠目は顔を近づける。
土気色をした小さな右手に視線を合わせ、よく見てみた結果。
それは奇形などではなく、梅干しサイズの塊だった。

土気色の小さな手には似合わない赤々としたソレ。
500年ちょい未来の平成の世なら、その塊が腫瘍だと判明していただろう。
産婆の経験から、何となくその塊は体内に存在してるのは良くない物だと感じた。

「なんと・・・」
「真相は分かりませぬが、きっと・・ややこの死産には意味があったのだと私は感じます」

その話が真なら、亡くなった赤子がの体の不調を取り除いた事になる。
姫、母親を救う為・・その塊を手に・・・いや
若しかすると、初めからその塊を取り除く為に宿った命だったのでは?

結果は悲しいものだったが、希望そのものは失われていない。
きっと伏姫も見守ってくれておるだろう――

知らせてくれた篠目に心からの礼を義実は告げた。
死産になってはしまったが決して悲しいだけの結末ではなかったのだ。
希望は残っている・・・里見の未来を託し、更に繋げて行く為の希望は在る。

そう確信し、今は現八と共に遠い空の下に居る娘を思いやった。