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戻って来たから村正が数本の大根と白菜を受け取る。
此処に来た時とはうって変わり、は笑みを浮かべ村正と話している。
女は強い、と耳にした事があるが確かに強い。
どんなに悩んで泣いて落ち込んだとしても
左程間を空けずにはまた前を向くのだ。
凛とした何かをそこに感じる瞬間も何度かあった。
花のように儚いのに、通う芯は強い。
もし別々の道を歩む事となっても
なら一人でも大丈夫だとすら思う。
寧ろ独りではダメなのが己の方だろうとも・・
女も情けも武芸の腕を鈍らせる
などと息巻いていた頃に戻るだけじゃ
そう心に言い聞かせると、恥ずかしい事に手が震えそうになる。
奉行所の役人を務め、数々の裁かれた罪人と接し
時に拷問の取り締まりすらしていたこのわしが・・
視線を落とす両手は微かに震え、とてもじゃないが笑えない。
わしは一体何を手に入れたんじゃろう。
一家は離散し、母は死に・・疲れ果てた父と心中する手前
里見家に仕える男に託され、その養い親の伝手で奉行所の役人に納まり
更には獄舎番も務めたし罪人を捕らえては捕り物に明け暮れ
武芸の腕を磨く事だけを考えて生きて来たのだ。
高みへ昇る為ならと、一切の関りを断ってきた。
家族も友も作らずにただひたすら。
そのような生き方しか出来なくなっていた時
あの山間部にある茶屋前で盗賊を捕らえるべく潜んでいた日
わしは、己の考え方全てを変えてしまうやつに出逢った。
化け猫退治に行った時の信乃の言葉を笑えないくらいに
今のわしには、の居ない未来など考えつかぬのじゃ・・
黙する現八にも気づいた。
眉宇を寄せ、ジッと佇み考え込む姿。
旅をしていた頃からその悩み方は変わっていない。
畑から持ち帰った野菜は、使う分だけ荷車から下ろし
ザッと流し台で泥と土を洗い落としたものを村正に預けると
台所の片隅で立ったまま己の両手を凝視したままの現八へ向き直る。
その姿は茶屋で自身もしていた仕草だ。
何だか妙な所が似たもの夫婦だなあとか思ってしまう。
ニンマりと笑ってしまうのを堪えつつ
「村正、夕餉まで時間あるか?」
てくてくと現八の方へ歩きながら背を向けて下拵えを開始した村正に問う。
問われた村正は、包丁で大根を輪切りにしながら応を返した。
「そうじゃな、夕餉まではまだ半時(一時間)くらいあるかのう」
「半時か、ちょっと現八とこの辺一回りしてくる!」
「??」
「それならお主が寝転んでた辺りにでも行ってみるといい」
「あ〜あそこな!サンキュー村正」
「おい?・・・っ?」
一時間もあるなら十分かな、と考えた。
一回りしてくる!
と口にしながら茶屋で現八がしてくれたのと同じように
上を向いた現八の掌を自分の手で包むようにして握り締めた。
スッと視界に現れた白くて綺麗な手。
少し土で汚れてるとはいえ、自分のより一回り小さいの手だ。
掴まれた現八はというと、一瞬の既視感と共に
全く予期していなかったの行動に目をぱちくり。
対する村正は手元を見たままお勧めの行先を教える余裕っぷり。
目の前のやり取りを聞くだけの現八には分からない所だ。
当人同士は分かっているらしく、合点の行ったが村正へ礼を告げた。
このやり取り、全て立ち止まらず歩いたり動いたりしながらの会話。
左程付き合いが長い訳でもないのにこの息の合ったやり取り。
大して口も挟めないまま現八は
スタスタ歩くに手を引かれて外へ連れ出された。
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村正の家を出てみれば、幾分か陽は傾きつつあった。
目の前に広がる田園風景も斜陽が掛かっている。
緑かな自然が広がる景色の中を、現八の手を引いたままは歩く。
が初めてこの地に降り立ったという場所へ向かってるのだろう。
恐らくこの世界へ来たばかりのと村正が出会った場所か
何となく面白くない気持ちになりながら
何処まで歩くのかをに訊ねようとした時、は足を止めた。
が足を止めた場所、それは田んぼが並ぶ区画。
田んぼと田んぼの間に通る細い畦道に囲まれた場所だった。
彼方から呼ばれたは・・この場所に・・・
今時分となると、全く人の気配が皆無になる。
わしと逢ったあの茶屋、あそこへこいつが現れたのはまだ陽が真上に在った。
運よく昼間で幸いしたんじゃな・・もし今時分であればどうなっていた事か・・・
「現八」
と考えていた所を呼ばれ、視線だけをへ向ける。
視界に捉えたの表情はやはり晴れ晴れとしていた。
は何を言わんとしているのだろう・・
このような事になって、すぐには立ち直れぬのでは・・・
それともやはり、わしのもとから去ろうとしておるのじゃろうか
小さな肩をして線の細いだが、心根はとても強い。
この晴れ晴れとした顔からして、既に前を向いて歩き始めてるようにも見て取れた。
それこそ、わしの手など必要ないかのように・・
旅をしていた頃とはまるで真逆じゃな。
「私、さっき一人で考えてみたんだ」
「・・・何をじゃ?」
「死産は本当にショックで、身籠る事から怖いって思った」
言葉の続きを聞くのを恐れる自身に、且つてのを重ねた。
己の性別がわしらに知れた時、置いて行かれる事を恐れ
わしの顔色を窺い、同時にわしが言う言葉を恐れていたと・・
まだわしにも恐れる心は在ったようじゃな・・・
などと自嘲気味に笑い、が言わんとする言葉を待った後
は少し間を取ってから、怖さを感じた事を素直に話した。
わしとて怖い・・子を望む限り、死産の恐怖と悲しみは避けて通れない。
その気持ちをまた体験させてしまうのではないか
抱かれる事すら怖いと感じさせてしまうかもしれない
ただその事だけが心配で、更に続く言葉を黙して待つ。
内心現八が緊張した面持ちで自分の言葉を待っているとは
露にも思わない、くるりと振り向いて視線を合わすと
空いている方の手で現八のもう片方の手を握り締めた。
大きくて筋張った現八の手の感触。
現八のこの手でどれくらい助けられ、守られて来ただろう。
私は現八の手がとても好きだ・・触れられ、抱き締められるだけで幸せ。
「でも・・逃げたくない、だから諦めないよ」
徐に現八の両手を握り締めたが静かな声で口にした。
何をじゃ?なんて聞かずとも、何の事なのかを察せた。
の言葉に、握られた手から視線を上げて行く
そうするとやがて強い意思の宿ったの目と合わさる。
過去何度かこの目をしたを見た事があるが・・
この目をした時のは愚直なまでに頑なになる。
どんなに不利だとしても意思を曲げない目だ。
「私・・現八の子供、諦めたりしない」
「・・・」
「これからは貪欲に生きる事にしたの」
「わしも、諦めるつもりはない」
「里見の血を、私が生きたあの時代まで・・ううん、ずっと先の未来まで繋げたいから」
「・・・そうじゃな」
そう語るの目に悲しみの色は無い。
わしの助けなくともは自分自身で乗り越え
今こうして前を向いている・・
らしくないが、現八は少し気持ちが沈んでいた。
との子を設け、次世代へ繋ぎ 里見と安房を守りたい
だがその道を選ぶという事は
再び子を身籠り出産するという事をしなくてはならない。
死産の経験を追体験するかのような事をさせたくないと思いながらも
現八はとの子を望み、片時も離したくない。
に頼られる夫でなければならぬというのに・・・
だというのに・・想いは強くても結局は自分の支えなしで前を向いた。
偉そうな事を言うだけで立ち直る時の支えになれていないと感じていたのだ。
何ともいじらしい在り様に、毛野辺りが見ていればニヤニヤしていたかもしれない。
兎に角らしくないくらいに現八は沈んでいた。
もその微妙な空気を感じ取った。
普段から現八の声は穏やかで、落ち着いた低い声。
そこに+色気も孕むもので危険なのだが・・今はいつもより低い。
つい漸く視線を合わせてくれはしたが、今は伏し目がち。
色気があるのは変わらずだけど・・・どこか距離を置くようなものを感じた。
どうして?何となく・・私から距離を取ろうとしてる?
いや違う・・・この視線を合わしてくれない感じ・・
旅をしていた頃の私と似てるんだ。
置いて行かれないように、足手まといにならないようにと
現八の表情から考えている事を見逃さないように窺ってた頃の私と――
いつも堂々としてて迷いのない目をしていた現八。
こんな顔をするようになったんだ・・ううん、私がさせてしまってるんだ。
安心させてあげたい、そう思うとすぐ私は行動していた。
握ったままの現八の右手を引き寄せ、その甲を自分の右頬へあてる。
すると少し沈んでいた現八の纏う気が若干乱れた。