追想録 村正編2
一通り事の次第を話し終えると、聞き手の村正は頬を緩めた。
何ともいじらしいやり取りじゃのう、とばかりに。
「現八殿は、何故様が不機嫌になられたかは」
続いて問う言葉に現八は正直に首を振る。
またわしらの為に気を遣い、自分の気持ちを押し殺し
無理をして子供をまた身籠る為にと、あの行動に出たのだと思っている。
そう答えれば、少しだけ村正は眉を下げた。
緩やかに緩慢な動きで首を振るとこう続けた。
「そうではありませんよ現八殿
わしが思うに、様は現八殿の言葉と気遣いに
貴方様への想いを一層強く再確認されたんじゃな・・・
支えてくれる夫の存在、その優しさに触れ・・もう一度貴方様に恋した」
じゃから、その想いのままに触れ合いたいと
現八殿の温もりを感じたくなり、身を預けられたのでしょうな。
しかし現八殿は真面目で誠実なお人じゃ
女心を全て察するのは不慣れでしょう
でも、現八殿も現八殿なりに様の事を考えて口にされた。
偶々今回だけは、その気遣いが空振りしてしまっただけ。
優しく目を細めて話す村正へ、自然と問う現八。
「では・・どう行動するのが良いと思われますか?」
「若いもん同士悩みに悩んで答えを出すのが一番じゃ」
「・・・ふむ」
「先人として一つ言うなら、何事も後悔せぬようにな」
アドバイスのようなそうでないような言葉を口にし
煮立った鍋に現八が刻んだ人参を放り込んで行く。
後悔だけはするな、の言葉が現八の心へ刺さった。
確かにこのまま擦れ違ったままではダメじゃな・・
夫だろう?――滝田城で言われた時の信乃の言葉が脳裏に甦る。
悔しいがその通りだ・・・
このままで旅を続けても、との心の隙間は広がるだけだろう。
わしとて同じじゃ・・
八犬士として共に旅していたころから
そして夫婦となった今も、あの頃と同じようにを愛しておる。
わしとの子を宿した時、そして失くした時。
心を閉ざし、寝込む事なく周りを気遣っていた姿。
に言った通り、わしはこの出来事すら試練だと感じた。
子を亡くしてからは悪夢で魘される事もなくなって
食事を摂っていなかった割に、衰弱もしていない。
わしらの子を残したい気持ちも変わらない・・
二人で里見を守っていくと、約束したあの日からずっと。
村正殿の推測通りであれば・・
わしの言葉はの真っ直ぐな想いと行動を袖にした事になる。
犬塚のやつが今此処に居たら小言を言われ兼ねんな・・・
「お答えは出ましたかな?」
「・・・わしなりの答えは、出たように思います」
横で黙す現八の纏う気が、スッと澄んだ頃
目線を手元から正面へ上げたタイミングで声をかけた村正。
その村正に少しだけ虚を突かれるも、現八は返答を返した。
同時に合点も行った。
何故わざわざ用事を言いつけ、を畑へ向かわせたのか。
この老人は、自分達の間に流れる微妙な空気を察し
先ずは男同士、現八から話を聞こうと考え話し易い環境を作ったのだ。
何ともしてやられたのう・・・よく人を見ておられるお人のようだ村正殿は。
内心で現八は人生の先輩へ白旗を上げた。
+++
同じ頃、畑で野菜の収穫を任された。
一人になった途端、此処へ来るまでの事が脳裏を巡った。
現八の言葉に励まされ、前向きになろうって思えた。
何より現八もまだ子供を諦めてないって分かった。
相変わらずサラリと恥ずかしい事を言う・・
何度抱いても抱き足りない、なんて往来で言うか普通。
―上つ毛野 安蘇のま麻むら かき抱き 寝れど飽かぬを あどか我がせむ―
じゃあるまいし(
一応現代の世界で23まで過ごしたからそれなりに知識はある。
万葉集に載っていた、その時代の平民が詠んだ歌だ。
現八がこれを知っているとは思い難いが・・
この室町の時代にも万葉集ってあったのかな。
現代の歴史通りなら、今頃は織田信長が足利を都から追い出す頃だろう。
足利氏は衰退し、やがては戦国時代が幕を開ける。
生憎と里見八犬伝の知識は、2006年でTBS開局祝いに放送される際の特集のしかない。
それ用に編集されてるだろうから正式な彼らの背景ではないのだ。
何となく思うのは私が介入した事により、あの後の世界でどう放送されたのか気になる。
もし滝沢馬琴の原作まで創りかえられてたとしたら・・・
私の事はどう書かれてたのかな、馬琴が書いた頃から既にファンタジー要素全開だったしなあ
違う世界に生まれ落ちた人間が流転の末舞い戻り、八犬士と共に里見を救う
なーんて展開になってたりしてね、だとしたら馬琴は異世界物を始めに取り入れた人?
あの世界の事を考えるのは久しぶりだ。
永遠に戻る事のない世界だものね・・・
あの日図書館で南総里見八犬伝の本を見つけなければ
自分の姓と同じだなー、生まれたこの土地が舞台の話かあ
くらいにしておいたら・・今も私はあの世界で過ごしてたのかな。
あっちで普通に大学も卒業して友達とバカみたいな話したり
良い人に巡り合って普通の恋愛して・・・子供も生んでさ・・
そこまで考えた時に視界が曇った。
収穫しようとした白菜も白く霞む・・目の病気とかじゃない
ただ単に自身が泣いていたからだ。
だってさ、あの世界で妊娠して出産なら
考えても仕方ないけど・・死んでしまう事なく生めたんじゃないかって
そんな詮無い事を考えてしまうんだ。
向こうでも助からない時は助からない、分かってるよそんな事は・・・
それでも僅かでも可能性があったら助けられる命はある。
適切な処置もして貰えた・・・でも、ここは室町時代。
命を懸けて生む事、分かってるつもりだった。
母子ともに健康に生むという事がどんなに奇跡なのかも・・
この時代の女性は、それらを覚悟してそれでも子を残してきた。
だからこそ人の歴史は平成の世まで続いてる。
私は諦めたくない・・現八の子を生み、里見の血を残したい。
あの世界では架空の人達、だとしても『此処』に彼らは存在してる。
彼らが生きて存在した証を・・・私は残したいんだ。
運命に翻弄され、何度傷つき涙し、絶望しても
それでも前へと歩み続けた彼らの歴史・・私は後世に伝えて行きたい。
諦めたらだめだ、何もしないうちから諦めても何も生まれない。
亡き姉上も諦めなかった、玉梓に犬の子を孕まされても
己の命が尽きようとしていても・・呪いを希望に変えた。
「だから私も諦めないよ、姉上」
青く澄み切った空を、は見上げ亡き姉へ誓う。
負け戦に堪らず飼い犬八房へ戯れを口にした父、義実。
その義実の言葉を誠へすべく、大輔と別れ、犬へ嫁いだ姉。
あの世界ではその辺の設定が端折られてしまってた。
八房は玉梓の恨みの『気』に中てられた狸の乳に育てられた犬。
体に八つの房を持つ牡丹の花の模様がある大きな犬だったらしい。
玉梓の妖力は日に日に増し、伏姫と富山へ籠ってからも変わらず
妖犬と化した八房も伏姫に牙を剥いていたが
伏姫の読む読経に玉梓の呪いは祓われ
いつしか八房はただの犬へと戻る、だが八房の『気』で伏姫は妊娠。
入水自殺を図ろうとした伏姫と八房。
そこへ姫を探しに富山へ来ていた大輔の鉄砲に撃たれ
八房は死ぬが、伏姫も重傷を負う。
婚約者の大輔へ身の潔白を証明する為、自ら伏姫は割腹し八つの玉が飛び出した。
それが後の八犬士と言われている。
私の居る今の里見とはまた別の筋の話だ。
本筋の方も気になるけど、それはまた別の機会ね。
決意を新たにした。
野菜を収穫し終える頃には、何故現八に対して腹を立てていたのかは忘れていた。
まあ・・現八が女心に疎いのは元々だしなー。
逆に現八が女心に鋭かったら玉には選ばれてない気がする(酷い
でも多分、例えそういう人だったとしても惹かれたかもね?
同じ宿命を持っていれば、根本にある誠実な部分は同じだもの。
気づいてくれないならどんどん伝えればいい。
且つての私がそうしてたように
感じたままの気持ちを素直に届ければいいのよ。
女心に鈍くても私は現八だから愛した。
年月が経ってもこの気持ちだけは変わらない。
寧ろ共に居れば居るほど想いは強く、深くなるのだ・・
畑に居たが家の中に戻って来たのは数十分後。
手押し車に一杯の白菜や大根。
得意げな顔をし、服には土でつけた汚れ
手に土を付けたままの手で汗でも拭ったのか
頬や額にも土汚れが付いている。
これでも曲りなりに一国の姫君なはず。
それからとても晴れやかな顔をしていた。
土いじりをする事で心の整理がついたのかもしれない。
どんな答えが出たのか
どう理由をつけて気持ちを切り替えられたのかは分からない。
が出す答えなら、どんなものであれ受け入れるつもりでいる。
共に居るのが辛い、だから離れたい・・等だとしても。
そう感じておきながら、本心では堪えがたく感じる自分がいた。