追想録 村正編
茶屋を出た現八と。
何やら口籠ったを前に乗せ、山間部へ馬を進める。
そう、行先はにとっての始まりの地だ。
突然地面に転がっていてたを不審がる事なく家に招き
一宿一晩を過ごし、食事や寝床を提供したまでか
名刀と妖刀を持つようにとへ差し出した恩人。
千子村正と名乗りし者の住む家へ向かっている。
がおじいちゃんと称するくらいだ
恐らく齢70は過ぎていたはず、何事も無ければ今も健在のはずだ。
馬で休み休み来たとはいえ、南房総の安房から今で言う北関東への旅は容易ではない。
詳しくは書かないが、既に旅立ってから2日ばかり経過している。
つまり、持たせてくれた弁当は・・・
まあ、実のところ道中少しずつ食べながら来ていたし
無事腐らせる前に弁当は空になっている(そういう事にしといてw
それと、出発する前には何を言いたかったのか。
山間の道を馬で駆けながらふと現八は気になった。
あれ以上好機の目に晒させたくないあまり、急かすように出発してしまった。
眼下のも先程言いかけた言葉の続きを紡ごうとはしない。
それもあってか、馬での旅路は思いの外早く目的の家へ到着した。
こっちで合ってるか?と訊ねれば返事はしてくれたので
迷う事もなく無事目的の人物が住む家に着く。
見た所妖刀を造る程の腕前の者が住んでるとは思い難い質素な家。
と言っても現八が住んでいた一軒家と大差はない。
刀鍛冶の老人の家は、近くを畦道が通り
澄んだ小川が流れる田園に囲まれ、家庭菜園が庭に在る生活感に溢れた所だった。
「家人は外出してるかもしれんのう、人の気配を感じん」
「あの・・現八」
「先程からどうしたんじゃ?」
先に馬から降り、気配を探るようにしてから呟くと
その現八をの声が上から呼ぶ。
さっきも何か言いかけておったし、何かを伝えようとしておるのか?
と見上げれば、降りるためか両腕を此方へ伸ばしてくる。
反射的に手を握り、手前へゆっくり引き寄せるようにして地面へ降ろす。
そのさ中も周りを窺うように現八は辺りを見渡した。
探してみるかどうかを聞こうとしたタイミングで
軽く衝突するような衝撃と重さを体の前に感じた。
「?」
視線を向けた先には、前から自分に抱き着いているの姿。
このような往来・・でもないが、人目を気にする必要のある場でからしがみ付いてくるとは・・・
軽く不意を突かれ、らしくないがドキッとさせられた現八。
片手をそっとの背に添え、平静を装って問う。
「どうしたんじゃ?お主にしては大胆じゃな」
「だって・・その、旅行だろう?折角の二人旅だから・・・」
「なるほど?人目を気にせずわしと睦言を交わしたいとな?」
「いやそれはまだちょっと私には上級者向け・・」
「(一応外じゃぞ?そのような所で男に抱き着いてる時点で上級者じゃと思うが)」
「最近・・・あんまり現八とこうしてなかった気がしてさ」
理由を訊ねればそれはそれでらしいささやかなものだった。
尤もらしく言ってはいるが、照れた顔で言ってるのだろう
頬を現八の胸に埋めているが見え隠れする耳が赤い。
「わしはゆっくり待つ、だから、お主は焦らず元気になってくれればいい」
何となく焦りのようなものを感じ取り
あやすような手つきでの髪を梳いてやりながら現八は言った。
するとどうだろう、少し剥れた赤い顔のが下から現八を睨む。
何故は不機嫌な顔になったんだろう?
初産を悲しい結果で終わらせてしまった事や、周りへの期待。
それらを一身に背負い、悲しむ間も、何もかも全てを飲み込んでいた。
此処へ来るまでの間に現八はまだ子を諦めていないとも伝えた。
恐らく様子を見る限りも同じ気持ちで居るのは間違いない・・
かと言って急かす気もないし焦らせる気もない。
その気持ちから現八は焦らなくても良いと伝えた。
普段それほど行動で示したりするのを恥じらうだからこそ
今の行動が、こちらの期待に応えようとするあまりのものだと受け取ったから。
「おや?お若いご夫婦がわしの家に何か用事かね?」
機嫌を悪くさせてしまった理由を聞こうとも考えたが
タイミングが別の声と重なり、問いは飲み込む事にした。
パッとも後ろを振り向く、既に現八からは離れていた。
むすーっとした顔だっただが、聞き覚えのある声に振り向いた瞬間
ぱぁっと花が咲いたような笑顔に変わった。
それは華やかな笑みで、見るものを一気に魅了する。
微笑みかけられた側の老人、つまりこの者が千子村正・・
彼も数秒だけをジッと眺めた。
そうする事数秒、少し眉を寄せるようにしている村正に対し
思い出して貰おうとは伸びていた黒髪を一つ纏めに結わえ、後頭部へ持ち上げる。
「村正!覚えてるか?俺だ、」
「お・・?じゃと?」
「そうだよ村正!」
「あのか・・!こりゃまたすっかり見違えて・・・」
「村正?なんだよぉ泣くなってば俺までつられるだろ」
袴姿じゃないから気づいてくれないかもと不安になったが
暫く目を真ん丸にして凝視していた村正だったが
数分後にカッと目を見開き、思い出してくれたのかへと歩み寄った。
が、その後言葉を詰まらせるとしわしわの目許を更にギュッと縮ませ
ぽろぽろと大粒の涙を零したのだ、これには驚いただが
こんなにも喜んでくれるとは思わなくて自分の目頭も熱くなる。
二人しておいおいと泣き始めてしまい、流石の現八も苦笑。
相変わらず小さな村正の肩を撫で、慰めようとした私だったが見事に失敗。
無事再会出来たのが嬉しくて覚えててくれたことが嬉しくて
涙が一気に溢れてしまった、誰かの記憶に残れてた事がこんなにも嬉しいなんてな・・
顔を覆うようにして涙した村正を細いの手が背を撫でる。
まるで孫と再会したかのような感覚だ。
あの頃は無理しながらも強がり、虚勢を張っていた里見の姫。
それが一年余りぶりに現れた姫君は、すっかり美しい女性となり
一人ではなく、傍らに立つ精悍な顔つきの青年を伴って現れた。
姿を偽るしかなかった姫君が、漸くありのままで居られる相手を見つけたのだ。
これほど喜ばしい事はない・・・長生きはするもんじゃな。
「お前さんが、・・いや、里見の二の姫姫様の婿殿じゃな?」
「――!」
「えっ、村正・・どうして俺が里見の・・・って?」
やがて気持ちが落ち着いたのか、顔を上げた村正は
先ず真っ先にではなく、傍らに寄り添うように立つ現八へと顔を向け深々と一礼。
しかもが里見の二の姫だと最初から知っていたような口ぶりで言う。
もこれには驚きを隠せず、少しだけ下にある村正の目を見つめた。
「バレてないとでも思っておったか?」
「うん」
問い質すはずがあっけらかんとした口調で逆に言い切られた。
だって声も低いしタッパもあったしさ
男童か?て村正も言ったから上手く誤魔化せたと思ってたのに!
悔しがるを苦笑混じりで眺めた現八。
改めて現八自身も村正へ挨拶すべく向き直り、一礼した後名乗った。
「某は、犬飼現八信道と申す」
「お前さんが伏姫の御子、里見の八犬士じゃったか」
「村正殿は伏姫、我々八犬士の母を存じてるんですね?」
名乗りを聞いた村正の表情が一層穏やかになる。
同じ関東とは言え、遠く離れた安房の小国の姫と八犬士の事を知る者は少ないはず。
にも拘わらず目の前の村正は安房の事をよく知るような口ぶりだ。
一体なぜ?と純粋に気になった現八と。
興味津々な若者二人へ村正は微笑むと
立ち話も何だから、と家の中へ入るよう勧めた。
妙齢な村正からすれば、立ち話は体に堪えるだろう。
気づかなくて申し訳ない気持ちになり
それは配慮出来ず失礼した、とと声を揃えて現八は謝罪。
若いもんは遠慮しなくていい、と村正は豪快に笑い
二人の背を押すようにして自宅へと招いた。
カラカラと乾いた障子の玄関を潜る。
土間を上がれば畳の敷き詰められた居間と囲炉裏。
去年と変わりない懐かしい村正の家を見ては懐かしそうに目を細めた。
「お邪魔します!てか変わってないなー!何だか実家に帰ってきたみたいな安心感」
「ほっほっほっ、それは何よりじゃ」
現八もお邪魔します、と口にしへ続く。
まるで自分の家みたいに安心する、と嬉しそうな。
もうその表情に不機嫌さは微塵もない。
自分の言葉の何で機嫌を悪くしてしまったのか分からず仕舞いだ。
謝るべきなんだろうが原因が分からず
何ともモヤモヤした気持ちで現八は足袋を脱ぎ、居間へ上がる。
藁で編んだ敷物(今で言う座布団)の上に座り
村正が居間に来るのを眺めている。
「姫様、現八殿も今日は泊って行かれるんじゃろう?」
ええまあ・・と言おうとした現八より先に
隣に座っていたが嬉々とした顔で勿論だ!と答える。
「そいじゃあ姫様、手数じゃが庭の畑から白菜と大根を幾つか採って来てくれんかの」
「お安い御用だ!それと村正、俺の事は姫とか呼ばなくていいよ」
「しかしお前さんは二の姫様じゃろう?」
「それはまあそうだけど此処に居る間は、ただので居たいんだ」
そう言って視線を伏せる。
あのような顔をされては村正も無理は言えない。
仕方ないのう、と呟くと
流石に男の童だと偽る必要もないだろうからと本名を呼ぶ事に。
気さくな言い回しで改めて用事を任せると
よっこらせ、と気合を入れ立ち上がり台所へ。
現八もただ座って待つ気はなく、村正を追うように台所へと向かった。
自分に続いて台所へ現れた現八を見るや、また嬉しそうに笑む村正。
村正は早くも夕餉の支度を始めようとしていたようだ。
「わしも手伝いましょう」
「これは助かるわい、現八殿は人参を切ってくれんかな」
「はい」
「何じゃかええのう・・孫夫婦と食事の支度をしてるかのようじゃ」
「・・・は(会釈)」
台所の正面には木枠で作られた簡易的な窓がある。
窓と言っても硝子などではなく
何本か立ち並ぶ材木の隙間から景色が見える仕様だ。
その隙間からは庭の畑が少し見える。
結構な数を運ぶ必要のありそうな作業を任せてまで
何故この老人はに自然と席を外させるよう仕向けたのか
何となくだが彼は自分に話があるのでは、と現八は感じた。
まるで現八が察するのを待っていたかのように
鍋へ水を張り、釜戸へ載せながら村正は口を開く。
「姫様と口喧嘩でもされましたかな?」
と、何もかも見透かしたような眼をして。
これも年齢が成せる技なのか、感服させられた現八は
自分の祖父に話すような不思議な感覚と共に
此処まで来る間に起きたやり取りも出来事も
包み隠さず横に立つ妙齢の刀鍛冶に話し始めた。