始まりの章
「常世」
ゆらゆら
さらさら
はらはら
色々な物が過ぎ去っていく。
過去も未来も
そしてこれから訪れるであろう未来。
『我の恩恵を――――』
沈んだ意識の中でふと聞こえた声。
それは深い声。
どうしてだろう、何処かで聞いた事がある・・・
『主の中に―――――』
私の中に?何を言っているんだろう。
でもどうしてか、何か自分の中に別の人格がいるような?
それは勝手に言葉を紡ぐんだ。
「そんな物はいらない、望んだりしない」
私じゃない私がそう言うと、不思議な声の主は言う。
『それは主の意志ではない――』
私も首を振る
『汝は望んだ、この――を』
何を望んだの?こんなの知らない!
夢のような景色の中の私は、どうして泣いているの?
その後違う面影を持つ私はその主の力を浴び
何か白い光があふれた処で夢は消えた。
ゆっくりと目を開く、最初に見えたのは知らない天井。
「やっと目が覚めたか」
状況を確かめるように目を瞬かせるにかかる声。
あの夢で聞いたような深い声ではなく、少し前に聞いた声だ。
其方を向こうとしたの頬を、すっと撫で何かを拭う指。
優しい手つきに安堵し、視線を向けると
森で出会った少年が其処にいた。
外套を脱いだのか、隠れていた部分がなくなって少年の服装も分かった。
先ず判断出来たのは明らかに人間だという事。
『お兄ちゃんは此処に住んでるの?』
音に出してそう問いかけるも、呪いのせいか言った事が分からなかったらしい。
どうやって判断したのか分からないが、少年は少ししてから答えた。
「此処は常世の国だ、俺はアシュヴィンと言う。土蜘蛛、お前の名は?」
『常世・・・人の国・・私は』
「」
聞こえないのに名乗っても仕方ないと思ったのに
名前だけがちゃんとした言の葉になった。
これには少年、アシュヴィンも目を見開く。
呪いの施された土蜘蛛の声は、土蜘蛛にしか聞こえぬはずなのに
名前だけは耳に届いた。
「ココロ、字は何と書くのだ?でか?」
『・・・・・・・・・・・うん』
番号の数字、とは言えずにただ頷いた。
ただの数字だった名前が、アシュヴィンに言われると優しい音になったのが嬉しくて。
だから頷いていた。
間を気にしたアシュヴィンだったが、深くは追求せずその顔を眺めた。
子供らしく笑う無邪気な笑み。
ただ、一つ気になった。
魘されていた時の様子が。
を守るように現れた神気と、飲み込もうとする禍々しい瘴気。
土蜘蛛がこのような気を持っているとは考えにくい。
10も行かぬ幼女が、だ。
凛とした神気と、何か蝕むような瘴気。
それが混ざり合ってを纏っている。
何よりも、初めて会うにしろ・・・・一瞬だけ懐かしさがこみ上げた。
生まれてこのかた、土蜘蛛に会うのは初めてのはず。
土蜘蛛に懇意にしている者もいない。
ならば何故?
「失礼いたします皇子」
背後から聞こえた声に、ハッと気づいて振り向く。
その先にいたのは自分の世話をしてくれているリブの姿。
また何か面倒事か?と思ったが、そうでもないらしかった。
「何かあったのか?」
「あ、いえ・・ナーサティア様の事で・・・」
リブが口にしたのは、自分の兄の事だった。
兄と言っても、実際血は繋がっていないのだがな。
言葉を待っているリブに、先を続けるよう促す。
を拾ってきたのを知っているから、べつだん驚く事もなくリブは言った。
「実は・・」
耳打ちされた言葉の内容に、思わずを見る。
目が合うと、不思議そうな顔された。
「お前と同じ土蜘蛛をサティが連れてきたとはな」
『え・・・』
思わず疑った言葉。
土蜘蛛は望んで人に力を貸さない。
ましてや自ら望んで来るなんて事もない。
誰だろう、誰?
そうだ・・エイカ・・・怒ってるだろうな・・・・
まだ待っていてくれてるかもしれない、そう思うと寝てられなくなった。
「おい?」
帰らなくては、戻らなきゃ。
それだけで起き上がろうとしたのだけれど
足が痛み、目眩も加わって後ろに倒れそうになる。
だがそれを素早く抱き留める腕があった。
「まだ寝ていろ、傷だらけのそのなりで里へ帰ろうと言うのか?」
顔をあげると、少し怒ったような顔をしたアシュヴィン。
怒っているけれど、何処か心配しているような声音。
何故だか逆らう気もなくなり、大人しくその腕の中にいる事にした。
が大人しくなったのを感じたアシュヴィンは、ゆっくりを褥に座らせる。
自分でも何故こんなにムキになったのかが分からなかった。
年若い彼の腹が、外の音に気づいて入口を見た時だった。
此処には滅多に来ないであろうその人物と、闇に溶けてしまいそうな装束に身を纏った者を。
「入るぞ」
若いが威圧のあるその冷淡な声に、とアシュヴィンも其方を向く。
其処にはアシュヴィンと同じ髪色をして、正反対の服に身を包んだ青年と・・・・
青年が伴って入ってきた者に、の視線は釘付けになった。
アシュヴィンとその青年が話する声も聞こえないくらい。
そして、その者の視線が此方を向いた時 は叫んだ。
『エイカ!』
土蜘蛛にしか言葉として聞こえない声に、その者も此方を見る。
よろよろと足元危なく駆け寄る姿を見ながら、あの時と同じ音だとアシュヴィンとは思った。
あの暗い森で出会った時も、は同じ音を口にした。
それは、サティが連れてきた土蜘蛛の事を指していたんだな。
嬉しそうに抱きつく様に、不思議な感情が胸に湧き上がる。
その頃のアシュヴィンは、その感情に気付かないふりをした。
いや、分からなかったのかもしれない。
確実に何かが変わってきている事に。
常世に来た事で、エイカとの運命も大きく動いていく。
その先に待つ死の予感、それさえも予測している者はいなかった。
そう・・・いないはずだった。