流転 二十章Ψ玉梓の計Ψ
次の日は、何ら変わりなく訪れた。
廃墟となった寺の木枠から、朝の光が入り込む。
初夏の初めとはいえ、朝の空気はひんやりしている。
微かな寒さを感じ、は目を覚ました。
最初に目に入ったのは天井。
廃墟になってはいるが、しっかり組み込まれた柱の天井。
それから視線を右へと動かす。
其処で眠っているのは現八、その隣りに信乃。
荘助、小文吾と続いている。
「・・・・整ってんなぁ」
隣りの現八を眺めながら、聞こえないように声を潜めて呟く。
キリッとした眉、鼻筋の通った顔。
程よく厚みのある唇・・・
ドキドキしてる、顔も火照ってる。
けどこの感情が何なのか分からないから、そのまま眺める。
まだ2つしか、感情の意味を知らないから
周りが慌てるのを、不思議な心持ちで見てるだけ。
意味が分かったら・・・どんな気分になるんだろう。
「殿、早いな。」
「――信乃か、オマエも早いな。」
明け始めた空、まだひんやりしている寺に
を呼ぶ声がかかる。
パッと振り向けば、上半身を起こした信乃と目が合う。
解いた髪を縛りながら、信乃はを見ていた。
髪を結う姿というのは新鮮な物だな。
「あのさ、信乃。」
髪を縛り、手拭いを持った信乃を立ち上がりながら呼び止める。
呼ばれた信乃は、すぐに此方を振り向いて言葉を待っていた。
機敏な反応に感心しつつ、手拭いを持って隣に行き
気になっていた事を、ストレートに口にした。
「昨日決めただろ?俺達は兄弟なんだって。
俺はそうじゃないけど、皆には普通に呼んで貰いたいんだ。」
イヤじゃないけど、壁を感じて気持ち的に落ち着かない。
『殿』なんて、付けなくていい。
もっと気軽に呼んで貰いたい。
そんな気持ちを込めて、は言った。
それを聞くと、少し緩んだような柔らかい笑みを浮かべ
歩くのをに促してから、信乃は口を開く。
「そうだったな、不快にさせてすまない。どうもそうなってしまう。」
「不快だなんてとんでもない、少し何かこう・・・」
「『寂しかった』のか?」
「――うん、そうだ。胸がキリキリするってゆうか。」
こうゆうのが『寂しい』って感情なんだな。
説明に困ってたを助けるように、芽生えた感情を指摘した信乃に対し
はそう言って笑った。
――こうして笑うのを見ると、何故か心がホッとする。
安らぐと言うべきか?理由は・・・分からないが。
そう感じてるのは・・・俺だけではないだろうな。
信乃はを見て笑い返し、先ず近くの川原か井戸まで行く。
目的は顔を洗って眠気を完全に払う為。
寺からそんなに遠くない所で、井戸を見つけ
無事顔を洗う事が出来た。
「戻ろうか」
2人とも洗い終え、信乃がへそう促す。
も頷き、人が出て来る時間前に戻ろうとした。
そのつもりだったのだが・・・・
「其処のお若い侍さん」
「え?」
信乃に続いて歩こうとして、持っていた手拭いが落ち
拾う為に戻った、信乃が先に戻ると言ったので
手を上げて答えたタイミング、別の方向から女の声がを呼んだ。
誰だろうと思い、手拭いを拾って顔を上げると
占い師風の女が1人、布を敷いた台の後ろに座っている。
その女は、顔を隠すかのように目深く布を被っていた。
「俺・・ですか?」
「ええ、何やら悪い相が出ているから見て差し上げますわ。」
戸惑いながら問うと、女は布の奥で微笑み
見てあげます、とを招いた。
何やら少しだけ嫌な気がしたが、一瞬だけだった為足を進めた。
が近づいて来るのを僅かな隙間から見ていた女
布の奥で、女は妖しく微笑んでいた――
ΨΨΨΨΨΨ
この日から3日程前。
暗い洞窟で、1人水瓶から何かを得ようとしていた玉梓。
しばらく何も映さなかった水瓶に、1つの興味深い景色が映った。
しかも、憎々しい里見の屋敷。
この私を、処刑しくさった里見の畜生共。
「私にまたこの屈辱を味わえと言うのか・・・ん?」
玉梓にとっては、二度と見たくもない景色。
苛立たしげに、水瓶から目を逸らそうとした時。
思わず水瓶に見入った。
自分が呪いを掛けた里見の姫、伏姫。
私が処刑されるのを、目を見張って見ていた女。
その後ろに、もう1人いる事に気づいた。
「これは・・里見の姫か?」
伏姫が隠すように立っている。
だから、私には見えなかったのだな?
此方も伏姫に見劣りしないくらい、若くて美しい。
皆に守られる姿を見て、腸(はらわた)が煮えくり返る気がした。
微動だにせず見ていると、自分が処刑され
呪いの言の葉が飛散し、伏姫の後ろにいた姫に纏わり着くのを見た。
それを見て、玉梓は笑いを隠せない。
「この姫・・妾の気を受けておるな・・・これは好都合だ。
里見を苦しめる術がまだあったとは。」
手を口許に添えてほくそ笑むと、水瓶に向けて手を翳す。
それから水面の上で、手を左右に動かしてみる。
そうしてから待つ事しばし、過去の景色とは変わり映し出されたのは・・・・
――現在、その姫()がいる場所の風景だった。
ΨΨΨΨΨΨ
そして今に至る。
警戒した素振りは一瞬で、すんなり自分の前に来た。
呪いは強くない物からじゃ・・忌々しい伏姫の守りが
どの程度なのかを見定める為の軽い物。
それでもこの者を苦しめるには・・・十分な物よ・・・・・
「俺に見える悪い相って・・・どんな物なんだ?」
一瞬怪しいと思った女占い師だが、悪い相と聞いては
他の仲間に影響を与える物だとしたら、俺としては嫌だ。
祓えるものなら、祓ってもらった方がいい。
疑う心を知らないに、占い師の女の口が笑い
不気味だと感じる気持ちがない。
そんな俺に、不気味なくらいの笑みを浮かべた口が言った。
「健気にも、男に成りすましているのじゃな・・里見の二の姫よ」
信じられないが、女は俺本来の姿を見抜いた。
あまりの事に、言葉を失ってしまう。
しかも・・・この声、何処かで聞いた事がないか?
思い出せない、知ってるはずなのに。
「だがそなたは、とんでもない事を過去にしておる」
「――とんでもない事?」
「そうじゃ、そなたはな・・・・」
「――!?――」
突然告げられた言葉。
それは、の心を揺るがし 感情を崩落させるような物で
小さな呪いにしては十分に、の心を壊し始めた。
しかし、これはほんの始まりに過ぎない。