始まりの地へ
馬を走らせる事数刻が経過した頃
過ぎゆく景色が次第に懐かしみを帯びて行く事に私は気づいた。
近くを流れる川とその先に見える・・・城。
見覚えがある、この角度と言い外観と言い・・
川を渡る渡し船や、小さく作られた川岸から延びる板の橋。
忘れもしない・・・此処はあの川だ、去年大輔と再会したばかりの自分が
古河の御所の屋根より川へ落下した現八と信乃を探して必死に走った武蔵国。
でもどうして?何故この地に?
旅行に行くと言っていた現八・・もしや目的地は此処なの?
不思議さと懐かしさ、当時の現八を慕う感情までも思い出して知らずに胸が締め付けられる。
私を残し、私から目を逸らさせる為に御所へと戻って行った現八。
家から出るなと言われてたけど、どうしても心配で不安で・・・飛び出したんだったね・・
行き方すらも分からないのに・・・あの頃の私は親鳥を探す雛そのものだった。
時折困ったような顔を現八はよく見せていたっけ・・。
困った顔をしながらも私を気にかけ、時に守ろうとしてくれてたね。
そんな貴方だったから、私は愛してしまった・・・
どうしたのかな、最近私は泣いてばかりな気がする。
いや、久しぶりに溢れる感情に身を任したせいだ。
「この辺でいいじゃろう」
滲んだ涙を素早く瞬いて散らし、現八の声に顔を上げる。
現八が馬の足を止めたのは小さな山間に在る茶屋の前。
山間の茶屋は真昼の日差しを受け明るく映る。
茶屋の正面には深々と茂った森の木々と、道沿いに植えられた茂み。
右手奥は、関所へ続くと思われる山道が伸びていた。
先に馬から降りた現八が、自然な動作で馬上にいる私へ手を差し出す。
もう1年以上共に過ごし、何度も同じ馬に乗ったのに私は照れてしまうんだ。
下から見上げる現八の放つ無意識の色気に(
照れながらも待たせたら悪いと思い、差し出されている手に自分の手を重ねる。
すると優しく握り返され、横座りしていた体が前へ引き出される。
するりと滑り降りるようにしてストンと地面へ降ろされた。
その光景は茶屋や街道を歩く人々の目に映り、道行く女性陣から羨望の眼差しが注がれる。
いいわねぇ、とか 新婚さんかしら等々。
なんだか無性に恥ずかしくなるが、同時に誇らしくなった。
他の女性からうっとりした目を向けられても、当の現八は意に介さずその精悍な眼差しは私だけに向けられてる。
その事が照れてしまうけど嬉しくて幸せで、頬が緩みそうになるのを何とか堪えた。
身重ではないのに現八は私の事を気遣い、自然な動作で歩く私の手をさり気なく握り締める。
揺れる左手へ、歩きながら掌を包むようにして握られるそれ・・貝殻(恋人)繋ぎ・・・・!
現世では叶わず憧れに終わったその繋ぎ方を今まさに現八にされてるんだ。
どうしよう、落ち込んでたはずなのに・・辛くてたまらなかったのに
こんな風に大切に扱われてバカみたいに喜んでしまう私が居る。
我ながら単純だ、と思うと同時に気持ちは現八への溢れる想いで満たされていく。
「らっしゃいご両人!注文が決まったら呼んどくれ!」
「ああ、そうさせてもらおう」
馬から降りて茶屋の椅子に腰かけるまでの時間が永遠に続くかのように長く感じられた。
街道に面して置かれた茶屋の長椅子に現八は向かい、嫌味のない爽やかな顔で此方に声をかける店主へ応え
それからすぐ、私が腰かける位置に何処からともなく手拭いを出すと敷いた。
何だそのスマートな動きは!
嬉しいのに物凄く照れる・・・私は周りの目を気にしつつも気にしないようにして敷かれた手拭いの上に腰かけた。
「ここらで一息つくぞ、食べたいものはあるか?」
現八の行動と動作の一つ一つに一々照れてしまいながら、開かれたお品書きを眺める。
持たされた弁当を食べるには此処では目立ってしまう。
ならば、と軽食感覚でみたらし団子1つと抹茶を選んだ。
現八は同じく抹茶と、餡子を載せた団子を注文。
注文したものが届くまでの間、何となくぼんやりとは空を見上げた。
この世界に戻ってきた日も、こういう晴れた日だったなーと。
雷に導かれ、村正に出会い・・一宿一晩世話になり里見へと旅立った。
名刀と妖刀を初めて会ってすぐの怪しい小僧に気前よく持たせてくれたっけ・・・
元気にしてるかな、村正・・・何となく勝手におじいちゃんみたいだなとか思ったりしてたけど
本当にそう感じてもおかしくないくらいに温かで、安心する目をしてた。
それから関を超えて・・丁度此処みたいに山間部の街道に出て・・・
目の前に在るみたいな茂みからガラの悪いやつらが・・・あれ?
「どうしたんじゃ?」
ふと感じた既視感に、ついその場に立ち上がる。
それに気づいた現八が横から声をかける。
その眼差しは少し笑みが含まれていた。
「なあここってもしかして・・・」
「ああ」
周りを見渡しながら自分を振り向いたの顔から
懐かしさと頭の中に在る記憶とを照らし合わせてるのだと眺める。
もう少しで記憶と今が重なりそうだ。
「俺と現八が?出逢った場所?」
「そうじゃな、正確に言うならが気を失った後対面したから違うかもしれぬが」
「ううん、だとしても確実に始まりの場所・・ではあるよ」
「確かにそうじゃな、あの日わしが此処を取り締まってなければわしらが出逢う事ももう少し先じゃったろう」
そうだね・・もし、私がこの街道を一つ前の日に通っていたら此処は出逢いの場所にすらならなかったし
現八の家に運ばれる事も無ければ、大輔と川岸を駆け回る事もなく・・・
古那屋にも立ち寄らないままだったかもしれない。
ここでの出逢いがなければ、現八と今みたいな関係とは異なる未来を迎えてたかもしれないのだ。
そう考えると益々奇跡とか運命じみたものを感じてしまう。
「私が着いたその日にここを通ってたら現八にすら出逢わなかったんだね・・でもどうしてここへ?」
互いの出逢いが如何に運命の導きと奇跡が重なったかを論じた後
現八の横に改めて座り直してから問いを向ける。
でも答えを聞くまでもなく薄々予感がして来ていたから、そわそわしてしまう。
問いを向けられた現八もそんな様子から、が既に察してるのだと分かりながら問いに答えた。
始めからそれが目的だったかのように。
「わしとの歩んだ道、今までの旅の軌跡を辿る旅行にしようかと考えたのよ」
「私と現八の、歩んできた旅の軌跡・・・うん素敵だ凄く良い!」
「じゃろ?立ち寄った場所、通った道・・それらを追体験するのが今回の目的じゃ」
「そうなると・・もしかして仲間の皆とも会えるね!」
「勿論じゃ、久しぶりに元気な顔でも見せてやるといい」
胸がじんわりとあたたかくなるのを感じながら私は現八へ微笑んだ。
もしかしなくても、現八は元よりそのつもりだったのではないか
確かに城に住むようになってからは仲間の皆と気軽に会えなくなったし会いにも行けなかった。
だから今回の事を機に、旅に出たいと信条に背いた口実まで作り城を出た。
私を、元気づける為に?
なんか悔しいな・・私ばかり現八に気を遣わせて、嘘までつかせて・・・
やがて頼んだ団子2串と抹茶の椀が2つ運ばれてくる。
横の現八が二人分を受け取るのを視界に捉えながらは考えた。
どうしたら現八の役に立てるだろう、どうしたら現八の支えになれるのだろう等を。
だって夫婦なんだぞ?夫に支えられっぱなしで迷惑しかかけてない妻とか情けないじゃんか
ぎゅっと膝の上で拳を作った両手を開いてみる。
このちっぽけな手で、私は何を掴み取り、何を手に入れたのか。
手に入れたのは大好きな人との日々と、7人の仲間に失くした記憶と取り戻した家族・・
ほんの些細な幸福・・でもそれだけで私は満足だ。
後は手に入れた大事なものを守れる強さを、身に着けたい。
そうしたいならいつまでも下ばかり向いてちゃだめだ。
私は、彼の・・・現八との子供が欲しい。
見下ろした両手と膝だけの視界に、ふと横から大きな手が伸びて来た。
伸びて来た手は私の手の下から、手の甲ごと支えて包むようにして握る。
パッと見れば、横には現八の姿。
目が合うと穏やかに微笑んでくれる。
当たり前に傍に居てくれる事と
微笑む現八を見たら胸がキュッとなった。
「何じゃ手なんぞジッと見て、頼んだ団子が来たぞ?」
「あ、ああ・・うん!」
そう答えたの顔は泣きそうなように見えた。
辛いからとかではない、違った意味の心の動きからそうなったんだと思う。
握り締めたの手を開かせ、運ばれてきたみたらし団子の串を持たせる。
持たされた団子をしっかりと握り、パクッと1つ目を頬張った後の破顔。
まっこと美味そうに幸せそうに食べるやつじゃな
と、自然に口許に浮かぶ笑み、こんなに自然と笑えるようになった自分
始めこそその事を戸惑い、律しようとしていた過去の自分。
気の緩みだと感じていたそれは、が傍にいるからこそ齎されるもので
がわしにくれた人間らしい感情だと認めてからは
笑う事怒り、悲しみ、揺れ動く感情を隠さず認めるようになった。
出逢った頃からこいつは何一つ変わっておらん。
相変わらず真っ直ぐで嘘がつけなくて、時に気を遣いすぎる節もある。
自然体で他者を惹きつけ、容易く心の中に入り込み閉じた心をも開いてしまう。
そのくせ自分の事には無頓着、それは元々の性根なのだろう。
だから、何度肌を重ね・・この手で抱いても
根本の真っ白さは何も変わらず、それらは現八を惹きつけて離さないのだ。
常に自分の事より相手の事を考え、飛び出して行く。
まあ・・だからこそ目が離せないんじゃがな。
「漸く笑ったな」
「あ・・・うん、その・・何か色々情けなくて恥ずかしい姿しか見せてなくてごめん」
「謝る必要などない・・お主の本音、聞く事が出来てわしは嬉しかった」
「――・・・」
「偶にはああして本音をぶつけて来い」
「・・呆れてない、のか?」
「わしが?呆れたりなどせぬ、今までもお主はわしらに本音をぶつけとったじゃろ」
「私?そんなに明け透けに言ってたかな・・思った事は伝えなきゃ伝わらないとかは思ってたけど」
そんなに遠慮なかったかなあ、と口を尖らすに思わず現八も笑う。
思った事は真っ直ぐ言葉にしてきた。
今はそれが成りを潜めてる、恐らく失くしていた感情を取り戻したからじゃな。
思った事を、敢えて全て言葉にせずとも良い時もある。
そういう気の回しめいたものをするようになった為だ。
人と関わるうえでの気遣いは必要最低限、だが、の場合は気を回し過ぎていた。
「辛いものになってしまったが、わしは良い経験になったとすら思っておる」
「・・・・死産、がか?」
「命を宿す事の奇跡、命の大切さ・・再認識が出来たからのう」
「現八・・・」
言葉は悪いが、心構えが身に付いたのは確かだとも感じた。
現代とは違い文字通り命がけの出産・・
死産という結果を迎えてしまったが、母体に何ら影響がなく健康というのも奇跡的だ。
不思議とあの日以来体は疲れても長引かなくなり
食事すら避けていたのに今久しぶりに団子を食べても吐き気を感じたりしない。
思いつく限り体の不調は無く、頗る健康体である。
変な夢も見なくなったし・・・丹田辺りに感じていた変な違和感?も消えていた。
まるで、腹の中で亡くなってしまったあの子が・・
悪いものを全て持って行ってくれたかのように。
「うん・・そうかもしれないね」
滲んでしまいそうな涙を散らし、は残る2つの団子を頬張った。
名前を付けてあげる事も出来なかったあの子に
多分・・・私は助けてもらったんじゃないか
母親になる覚悟と心構えを身に付ける為の試練をくれたのかもしれないと感じた。
茶屋で過ごす事数刻、太陽は真上を過ぎ時刻は寅の刻(午後14時)辺り。
持たされた弁当も早めに何処かで食べないとだな〜
とが感じている頃、茶屋の主人に代金を支払い終えた現八が戻って来る。
「、出発するぞ」
「ねえ現八・・」
「何じゃ?」
「その・・・」
木の幹に繋いでいた馬の手綱を解き、此方を見る現八。
その傍に向かいながらそわそわしつつ呼ぶ。
優しく問い返され、チラチラと山間部を見たりしながら口籠る。
何とも可愛らしい仕草に口づけしたくなるのを我慢して
傍に来たへ手を差し出し、馬に乗るよう手伝う。
全く可愛らしいのう・・
茶屋にいた男どものふしだらな目からわしが如何に隠していたのか知らんのか?
躊躇いながら?も馬に乗ったを隠すように素早く現八も馬に乗る。
が町娘らの目線を気にしているのと同様に
茶屋にいる男客や行き交う人々(男)の目から現八もを守るようにしていた。
相変わらずに自覚は無く、目を惹くのは現八だけだと思っている。
彼女は知らないが、の容姿も大変整っており
伏姫に並ぶ、いや、ひょっとするとそれ以上に美しく整った容姿をしているのだ。
妹の浜路も可憐で可愛らしい容姿だが、の場合
行き交う人々誰しもが足を止め、何度も振り返るくらいの美しさ。
それが残念な事に本人は無頓着と来たもんだ。
現八としてはヤキモキするし落ち着かない。
それに拍車を掛けたのは間違いなく男装だろう・・
折角美しい容姿をしているのに気にしないのだ。
この旅行が終わったら毛野のやつにでも化粧仕方を指南させるべきか
などと考えつつ現八はも予期した通りの場所へ馬首を向けた。