衝動



茶屋で過ごす事数時間、気付けば日は暮れかけている。
もう揚羽に戻らなくてはならない。
少し後ろ髪を引かれる気がした。

また会えるのだろうかとそんな事を浅ましくも思う自分がいる。
花魁に身を落とした自分なんかが願ってはいけない願い・・・・
意識し始めたのだと、気付いても気づかぬようにした。

どのくらい待っただろうか、視界に入った赤茶の着物。
人混みを歩いて来るのに沖田さんだけがすぐに見つかってしまい

不意に視線が交わる。
柔らかい笑みの中に見える鋭さ、それでも綺麗で見惚れた。

「ごめん、待った?」
「あ、いえ平気です・・・・」
「気付いた?そ、これを買いに行ってたんだよ」
「ええ・・これは?」
「歩きながら話そうか、送るよ」
「でも、それでは沖田さんが遅くなってしまいます」
「少しくらいなら上手く立ち回るよ、夜になると物騒だからね」

近づいて来るにつれて気付いたのは彼の手に乗せられている袋。
家族の人達へのお土産か、それとも彼自身が必要な物なのかはまだ分からない。
尋ねると歩くように促され、しかも送ると沖田さんは口にした。

それは流石に申し訳ないからと断ろうとしたのだが巧くかわされる。
時々飄々としていて捉え処のない時がある人だなと私は感じた。

空にある雲を掴もうとするようなそんな気持ち。
だからなのか不安に駆られた。
もう逢えないような、そんな―――――

だがこれはやがて現実へとなる。

++++++++++++++

賑やかな町並みを抜け、一層深くなる闇。
それでも少しも怖くはない、運命の悪戯か何かかで私の隣には沖田さんがいる。
ただ歩いているだけなのに安心してしまっている私がいた。

近くを川が流れる砂利道。
水音とせせらぎを聞きながら歩いていると、ふと沖田さんが口を開いた。

「今日は本当、偶然だったね」
「はい、本当に」
「次から町へ出る時は後ろにも気をつけてね?」
「分かってます」
「ははっ膨れた、可愛い。」

冗談なのか本気なのか、沖田さんは私を可愛いと言って下さる。
上手く流そうとしているのに一々心は反応するのだ。

知っていてそんな事を言うのだろうか。
からかってるのか本気なのか、見極めようとしても見極められない。
怖いのかもしれない、自惚れになってしまうのが。

――掻き乱される

「沖田さんは女の人を扱うのが慣れてるんですね」
「え?まっさかー左之さんじゃあるまいし、僕は嘘は言わないよ?」
「左之さん?」
「ああ、最初にいたでしょ?背の高くて髪の毛がツンツンしてた人」

記憶を探る、ツンツンした髪の人・・・・・・あ・・あのお腹に何か巻いてた人かしら
正直あの時は沖田さんとの再会でパニックになっていたから・・

他の方々など目に入っていなかった。
とも言えないので、思い出したと相槌を入れておく。

砂利道を歩くうちに、少しずつ辺りの風景が変わってくる。
道は砂利から少し整えられ、闇に浮かぶ提灯の明かりが灯って
赤塗りの壁や花魁の姿が見えてくる。

「そろそろこの辺で・・・・今日は色々と有り難うございました」
「もう着いたんだね、お礼なんていいよ」
「もしまた機会がありましたら・・揚羽へ顔を出して下さい―――」
「・・・・・・」
「・・・?」

背中に女郎屋の灯りを受けながら振り返り、お礼を口にした。
やっぱり沖田さんはお礼はいいよと笑う・・・

自然になるように心掛け、何とか御贔屓にと店の事を言った時
沖田さんの顔に陰りが差した。
瞬間に察し、思わず目を逸らしそうになる。

だがその私の視界の端に、袋を開ける沖田さんの姿が映った。
中身が気になっていたのもあり、逸らしかけた視線を再び戻す。
私の目の前で沖田さんは無言のまま中身を取り出した。

「・・・・・それは?」
「簪、可愛いでしょ」
「はい・・とても、桜の飾りがついていて可愛らしいです」
「そう思う?それなら良かった、やっぱり喜んで貰いたいしね」
「ええ・・・・何方かへの贈り物ですか?」
「そう、贈り物」

細長い指が取り出したのは、桃色で統一された簪。
大きな桜の華がアクセントで、花弁が幾重にも飾りとして吊るされている。
贈り物?と聞けばそうだと彼は肯定した。

少しチクンと痛む誰かの胸・・・・・客観的に感じるフリをして痛みをはぐらかす
お気に入りの花魁に渡すのだろうか、それとも恋人の方だろうか・・・・
ぐるぐると幾つもの考えが巡る。

少し伏せた目、どうしてかその時の沖田さんの悲しげな表情が今も頭から離れない。

すっと自然な動きで髪の毛に何かが差しこまれる感覚で我に返った。
差し込まれた何かを確認しようとした指先が、大きな手に触れる。
思わず手を引っ込めれば、思っていたより近くに立っていた沖田さんと目が合う。

「驚かせちゃった?」
「あの・・いえ・・・今何か髪に」
「うん、今ちゃんの髪に簪を差してあげてたんだ」
「―――えっ?私に?」
「その簪はちゃんにと思って買ったから」

驚いている私に構わずサラリと言う沖田さん。
ニッコリと笑った沖田さん、けれど笑顔は淡い物へと変わり
飄々とした顔で言うのだ。

「贈り物は最初で最後かな」
「・・・?」
「多分もう君の店に行く事はないし、僕も忙しい身だしね」
「・・そうですね、さっき言った事は忘れて下さい」
「・・・・うん、そうしとく」

ちくんちくん
言葉を聞きながらも絶え間なく痛む胸。

気付かれないように笑顔を作る。
困らせないように泣いたりしたくないからと懸命に振舞う。
風に煽られた髪が簪を緩めた。

「風で簪が曲がっちゃったね、仕方のない子だなあ」

『仕方のない子だねぇは、ほらおいで直してあげよう』

「―――――っ」
「直してあげるから動かないでね?」
「ごめん・・なさい・・・・」
「謝らなくていいよ、今のは風の――――・・・」

延ばされた指、仕方なさそうででも優しい声。
息がかかるくらい近くにいる沖田さんの整った顔・・・・
其処に古い記憶が重なった。

優しくて大きな愛で包んでくれた父。
厳しくも大らかだった母。
もう会えない、父と母・・戻らない幸福な日常。

誰も出迎えてくれない冷たい部屋。
そして出逢った沖田さん、今までの客とは違って私を個として見てくれた人。

古い記憶を思い出さないくらい、気付けば心を占めていた。
こうして言葉を交わすのは最後だと彼が言ったのに
こんな時まで沖田さんは優しくて、私の心を乱す・・・

心はもう許容範囲を超えて混乱していた。
もう逢えない、こうして話す事も出来ない
両親にも沖田さんにも、もう逢えない――

気付けば濁った視界、きっと沖田さんを困らせてしまっている。
分かっているのに私は泣いていて、簡単に涙を止められなかった。

けれど、そんな私の視界に陰りが差し
温かくて柔らかい何かが、自分の唇に重ねられた。