大きなお屋敷と沢山の大人に囲まれた家庭で私は生まれた。
優しい父と、利発な母に育てられた幸せな日々。
蝶よ花よと大切にいつくしみ育てられた少女は、可憐に成長するだろうと周りも期待していた。
そんなある日大きな事件は起きた。
学習院から帰り、屋敷の庭の木の横で遊んでいた私は
メイドが荷物を屋敷に置きに行ったのと入れ違いに、後ろから声を掛けられた。
庭の木は道路道路に近く、入り口の門のすぐ横に生えていたから近所の人が声をかけたんだと思う。
お父さんはよく知らない大人たちとか、仕事の関係者と話していたし
近所の人達を招いたパーティーをしたりしていたから。
私自身も何人かの大人と顔見知りになったり道で会ったら挨拶も交わしていた。
でも、声を掛けられた後の事を実は覚えていない。
その後何かが起きて、家の中が騒がしくなって・・・・・
パトカーと警察の人が大勢来て、私は凄く不安で怖かった。
「もう泣くなよ、俺の父さんがお前の父さんと母さん呼んでるから」
不安におびえる私を、小さな男の子が傍で励ましてくれたのを覚えている。
目鼻立ちの整った私より幾つか年上の男の子、だったと思う。
その子の家も子供の私にとっては大きな家だったなあ・・
「迎えに来るまで俺が一緒にいてやる、だからもう泣くな」
「・・・・うん」
両親が来てくれる、どうして私はこの子の家にいたんだろう。
その事を順序だてて思い出そうとすると、拒むみたいに頭が痛くなって思い出そうとするのはその日以降やらなくなった。
ただ、その男の子が言葉通り傍に居てくれて、私の不安を取り除いてくれた事だけは覚えていた。
それから季節は巡り、7歳になった頃。
優しい父は私の世界の中から消えてしまった。
母が凄く落ち込んでいたから聞くのをやめていたが、並木道を散歩してる時に一度だけ聞いてみた事がある。
「お母さん、私のお父さんはまだ会いに来てくれないの?」
何故そう聞いたのかというと、私は母から父は仕事で少し失敗しその処理に追われた為
私や母を別宅である今の家に避難させた、と聞かされていたから。
2年経っても父は現れず、屋敷からの連絡すら来ない。
嫌な事を考えそうにもなっていたから理由を知りたかった。
けど・・そう聞いた時の母が、とても悲しく微笑んだからそれ以上聞けなくなってしまい
小学校を卒業する頃になると私自身父親は死んだのだと思う事にし、互いに父親について話す事はなくなった。
そうして何年かが過ぎ、母との二人暮らしが当たり前になった15歳の冬。
父について何も語らぬまま白雪の積もる日の朝、眠るように母は遠い空に旅立った。
葬儀に来てくれたのは母と関りのあった昔からの知人達。
それから仕事関係の人や、何処かの業者、または華やかな世界の人達多数が参列した。
母はたくさんの人に慕われ、愛されていたのだと私は感じたのを覚えている。
葬式を取り仕切ってくれたのは母の叔父夫婦だ。
身寄りがない私は叔父夫婦に引き取られる事になっている。
中学は卒業するが、その先を私は悩んでいた。
引き取って貰ったうえに高校へ進学したいなんて事は言えそうにない・・・
このまま働きに出ようかとまで考えていた。
そんなある日、自分の進路を叔父夫婦に伝えに行こうとしていた時
玄関のインターフォンが鳴り響いた。
01:白雪の日に
更に1年後、夏を過ぎた残暑の残る秋口。
私は真新しい制服に身を包み、入学の決まった高校へ向かっている。
そう、就職も考えそうするつもりでいたが・・進学する事にした。
去年私を訪ねて来た人の援助を受けた事、そして何より決定打になったのが生前の母が望んでいたからだと知ったから。
教えてくれたのは母の学生時代に教師をしていた女性、現在は高校の理事長を務めている。
理事長、レイニア・エールから母との関り、生前母に私の事を頼まれていた話を聞き
母の願いを叶える為・・後、純粋に興味があったから進学の道を選んだ。
恩師であるレイニア理事長に頼んでまで母がその高校に進ませたかった理由、そこまでしたかった価値を知りたかった。
閑静な住宅街を抜けた先、都心の一等地に建つ高校・・・・
其処は幼稚舎から高等部まで一貫された学校である。
敷地内には高等部しか確認出来ないが、とてつもなくデカい学校だという事は分かる。
その証拠に、自分と同じ制服を着た学生が周りに増えて来たし 道路には高級車が何台も走り抜けて行く。
服装は整っている者もいれば、少し崩して着ている者も見受けられる。
女子生徒は一律して黒髪が目立ち、黒いハイソックスや黒いストッキングを穿いていた。
よく考えなくても分かるが、母の通わせたかった高校は富裕層向けだと推察出来た。
何故このような高校に通わせたかったんだろう・・・母の意図が全く分からない。
それでもまあ・・高校に通わせて貰えるだけでも有り難い事よね。
レイニア理事長の計らいで、転校するタイミングは後期の初日にして貰えた。
変な時期に入るよりタイミングも良いだろうとの事だ。
幼稚舎からそのまま高等部へエスカレーター式で進んで来た者も多いだろう・・
その過程で培われた友情や絆は強い、その絆を持つ生徒たちの中に入って行くのは中々勇気が要りそうだ。
母の残してくれた進学への道、何としてでも卒業しなくては。
少しの不安と緊張を胸に、私は転入先の高校 St.プレジデントの門を潜った。
先ず校内に入り向かうのは理事長室。
しかし初めて来て分かる訳もなく、校内案内図を探す事に。
兎に角規模のデカイ学校だ・・校内には公園かと思う程大きな花壇がありベンチもある。
校舎は洋館のような佇まいだし廊下は木で出来ている。
木の廊下と言っても昭和の学校の木とは比べ物にならない丈夫な物を使っている。
過去通った事のあるどの学校の廊下とも違う・・・ただ、校舎の割に廊下の幅は狭い。
レイニア理事長が洋館を買い取ったのか、はたまた洋館風の校舎にしたかのどちらかだろう。
登校した生徒達が行き交う玄関でそんな事を思いながら案内図を探した。
周辺を数10分探してみたが見当たらず、仕方なく事務室のような場所を訪ね理事長を教えて貰った。
校内を進む事数分、校舎の2階奥に理事長室は在った。
先ず扉を軽くノックする。
反応はすぐ返り、上品な理事長の声が入りなさいと告げた。
室内は全体的に白で統一され、理事長の机は入り口から見て正面斜めに鎮座。
後ろの棚には数々のトロフィーが飾られている。
机の横のスペースに来賓を迎えるテーブルと椅子、テレビまでもが置かれていた。
「St.プレジデント学園高等部へようこそ、さん」
「この度は色々ご助力下さり有り難うございましたレイニア理事長」
「その事はいいのよ、大事な教え子であり貴女の母君である氷華さんの頼みですもの
それに、私も貴女に会ってみたかった。」
「・・・私に、ですか?」
「氷華さんは学生の頃から利発で才能に溢れた人で、私の自慢の教え子だったのよ」
生前私の事を自慢の娘だと話していた母の昔を知るレイニア理事長は、思い出しているのかとても穏やかな顔で話している。
私が知る母は昔から古美術商を営む家庭に生まれ 各地から父親が取り寄せる美術品に触れて育ったという。
職業柄多数のコレクターや富裕層とも繋がりがあり、顔も広かった。
利発で父親譲りの目利きの才能や審美眼で優れた品を見出す才能があった母は、多くの人に慕われ、羨望の眼差しを向けられていた。
その証拠があの葬儀にも表れている、多数の知人に友人、仕事関係者、富裕層からも参列があった事が証。
私もそんな母が大好きで、自慢の母だった。
いつも笑顔だった母が唯一見せた悲し気な微笑み・・・今はその笑みを浮かべた理由すら思い出せない。
理事長に挨拶を済ませ、転入するクラスに向かいながら亡き母をは思った。