流転 四十六章Ψ死の呪いΨ
何処までも続く、朱色の波。
どんなに強い犬士達だとはいえ、体力に限りはある。
付近で戦っていた現八も、今では逸れてしまって見つからない。
辛うじて見えたのは、馬に囲まれた荘助を親兵衛が助けた所だ。
信乃に劣らない身のこなしで、敵を翻弄している。
開戦して、どれくらい経ったのだろう。
未だ数は増えるばかり、このまま終わる事のない戦いが続くのか。
の体力も、尽きる時が近づいている。
しかし、だからと言って此処で果てる訳には行かない。
約束したんだ、生きてこの地に戻るって。
それに俺は、皆に何も言わぬまま全ての記憶が戻らぬまま・・・
現八に、伝えるべく言葉を言わぬまま死ぬ訳にはいかねぇんだ!
心ではそう思ってても、実際はどうだ?
圧倒的な劣勢、士気の低さ、兵力の差これは歴然だ。
の目は、腰に差したままの『村正』へ注がれる。
姉である伏姫が、力を与えてはくれなかった方。
そして妖刀と名高い『村正』だ。
この時なんじゃないか?
使うべくなのは。そう心が問いかける。
同時に再び痛み出す首筋。
この痛みの意味は?
果てしなく押し寄せる敵、城門もこれ以上はもたない所まで来ている。
梯子を上ろうとした連合軍の兵士に気づき、隣で敵を食い止めていた毛野へ小文吾は叫んだ。
「毛野!!」
小文吾の意図を逸早く理解し、押し合いをしていた相手を倒すと
武器を手放した小文吾の組んだ腕に乗り、櫓まで跳躍。
上っていた2人の兵士を斬り捨て、難を凌いだ毛野は
櫓の上から、此方へ押し寄せる大軍に目を奪われた。
「まだいるのか!?」
そう口にしてしまいたくなる程、現れた数は尋常じゃなかった。
弓隊が上る櫓の上で奮闘していた大角も、夥しい数の敵を目に
どれだけ戦えば終わるんだ、と苦々しく洩らした。
呟いた後、櫓へ上ってきた敵を斬り捨てる。
櫓の板を壊して落下した兵士、次々と上ってくる様子に
近くに来ていた小文吾が大角へ合図、大角飛び降りた櫓を力技で倒してしまった。
信乃は馬で駆け、襲い来る敵を素早く倒して行く。
一方現八は、逸れたを捜しながら戦っていた。
この混乱の中では、簡単に姿を確認出来ない。
生きているのか、はたまた死んでしまったのかが分からない。
不安と何かが入り混じり、喉が干上がって行くのが分かる。
1人で生きてきた頃では到底味わえない感覚。
こんなに体が震える程の不安に駆られた事はなかった。
が、いや・・がいないだけで駄目なのはワシの方かもしれん。
最初こそは、ひ弱な男で差し料だけが立派な伊達男だと思っておった。
それから同じ痣を持つ、ワシと何らかの縁がある男と・・・
其処から目が離せぬ世話の焼ける者へと変わり、今ではどうじゃ?
手放したくない者へと変わりつつある。
女だと・・男と偽っていた背が、あまりに小さく細い物だと気づいた時。
を見る、ワシの見方が変わってきた。
犬坂がを『』と呼ぶ度に、胸に刺さるものが生まれ
細い肩で記憶のない恐怖と戦い
感情を取り戻しつつあるを気にかけるようになっておった。
何故こんなに・・姿が見えぬだけで、ワシは震えておるんじゃろう。
首筋に焼けるような痛み、それに耐えながらの戦いは難度を増す。
痛みのあまり、眩暈がを襲うのだ。
『村正』を意識した途端だ、共鳴するかのように痛む首筋。
発熱をしてるかのような倦怠感、頭に靄がかかったかのよう。
妖刀を抜く事で、戦局がガラリと変わる予感はする。
だからこそ、何かを引き換えに犠牲にして得るんだ。
それはきっと・・玉梓が望む物、この俺の――死だ。
痛みを堪え、正国を振るって戦う傍ら手を『村正』の柄へ伸ばす。
ズキーン!とまたひとつ激痛が頭を貫いた。
激しくなる痛みに、足元が揺らいで倒れそうになる。
「――!」
本名を呼ばれ、後ろから傾ぐ体がしっかりと支えられた。
驚きで痛みも忘れて勢いよく振り向く。
其処には息を乱した現八が立っていた。
髪も乱れ、呼吸も荒いが致命傷になりそうな傷はない。
その事にホッとしながらも、本名を堂々と呼んだ現八に怒鳴った。
「おい、本名は他に誰もいない時に呼ぶんだろ!?」
「誰も聞いておらんわ」
・・・・確かに、こんな状況で本名か偽名か何てやり取りを聞く者なんて人っ子1人いないわな。
分かってはいても、腹部に回された腕を意識せずにはいられなかった。
ΨΨΨΨΨΨ
馬を降り、村雨丸ともう一本の刀を駆使し
奮戦していた信乃だが、ふと見た滝田城に暗い雲がかかるのを見た。
何かよくない事が起こりそうな予感が、瞬時に信乃の脳裏を駆ける。
その予感は的中し、蜘蛛に扮した玉梓の姿も城内に在った。
「伏姫・・そなたが残した子供達は、里の為に立派に戦っている」
里見の総大将である義実は、亡き伏姫の部屋で婚儀で着るはずだった衣を前に
犬士達の報告をするべく、現れた。
背後に現る存在を知らぬが為、その眼差しも穏やかな物。
男装した、二の姫に似ているの事を口にするか否かの時
背後から女の声が重なった。
「其処にいたのか義実」
「玉梓・・・どうやって」
「どうやって?私はか弱き女蜘蛛の身、このような戦場では誰も構いはせぬ」
せせら笑うかのような話しぶり、平然と蜘蛛の身と明かした玉梓。
刀の柄に手を掛け、警戒しながら義実も向かい合うように立ち上がった。
死した時と、全く変わらぬ若く美しい姿。
血のように赤き衣も、その白い肌によく合っている。
刀を抜く体勢の義実を見ても、臆する事なく淡々と玉梓は言った。
「義実、とうとうあの日の呪いを完成させる日が来たぞ。」
あの日とは、30年前に起こりし処刑。
弱き女を演じ、一度は刑を免れかけた玉梓に対し
在りし`大(大輔)の言葉で赦しかけた刑を受けろと言った義実。
玉梓はそんな義実と、里見を呪って死んだ。
完成は、自分の死を意味するのだと義実は思った。
だからこそ、刀を置いて玉梓へ請う。
「ならば、私を殺すがいい。私を殺してお前の呪いが解け、この安房の地に平穏が戻るならばそれでいい。」
覚悟を決めて告げた義実に対し、見下すような目でそれを聞いていた玉梓は
何を言うでもなく、クッと喉を鳴らして嘲っただけだった。
「お前1人が死んだとて、何も変わらぬわ。この世からは、争いがなくなる事はない。
人は争いが好きなのじゃ、殺し合いが好きなのじゃ。」
「そうではない!」
玉梓の口から零れる嘲りの言の葉。
思わず義実は声を荒上げ、否を口にしていた。
「我等は、愛する者を守る為に戦うのだ」
こう言うも、玉梓は高く笑い反対に人を滅ぼすなど簡単だと言う。
そう言ってから語った言葉は、領地を欲する互いの者に甘い蜜のように囁き
ちょっとばかし、その欲望に火を注いでやれば後は勝手に自滅するという物だった。
定正も成氏も、その手で上手く操られてしまったのだろう。
「人は欲を貪る、それは新たな戦や恨みを生み。
その恨みや憎しみがまた戦を生む。人は何千年もそうやって生きてきた。
そなたも私も、その中の取るに足らない一粒でしかないのだ。」
黙っている義実の刀を手に取り、ニィッと笑うと鞘から刀身を引き抜いて
その切っ先を、義実の首の前へ晒した。
口許を楽しげに歪め、妖しく微笑むと目の前に刀を突きつけられた義実へ
冷めたような諦めさえも伺えるような声で呟いた。
「なぁ義実・・何やら虚しいな。
そなたに滅亡する国をあの世で見せる前に1つ余興を用意してみたのじゃ」
「・・・余興?」
怪訝そうに目だけ玉梓を捉えた義実。
玉梓が紡ごうとする言葉と、いよいよ『村正』を抜く決意をしたが交互に映る。
「私の気の影響を受けし、里見の二の姫。」
『村正』の謂れを知る現八の心配を蹴り、ついに柄を握った。
一層痛んだ首筋に、黒い痣が浮かび上がる。
「姫に何をした!?」
現八の目が驚愕に見開かれる。
その痣は、牡丹の痣何かではなく・・・・・
「妖刀『村正』、名刀『正国』を持ちし男装の姫。」
玉梓に操られた者によく現れた、蜘蛛の形をした痣だった。
そう・・・これには強い呪いがかけられている。
痛みは、その呪いと戦っていた牡丹の痣に込められし伏姫の力のせいだった。
「姫が『村正』を抜きし時、姫の命は削られその命は私に注がれるのじゃ」
「――!?・・何と言う事だっ」
この言葉で、義実はあのという青年が戻って来た姫だと知る事となった。
心優しきあの娘の事、きっと迷う事なく『村正』を抜くだろう。
そして今、その予想通りにはその刀を抜いていた。
玉梓が自分の死を望んでる事など、とっくに気づいてはいたが
こうゆう形で来るとは思ってもいなかった。
突然の苦しみに襲われる事となる。
抜いた刀は、物凄い妖力を放っていた。
それこそ、の力を奪い尽くしかねない程の妖力。
それでも俺は、戦うのを止めたりはしない。
これがきっと俺の力の全て、俺はこの為に村正からこの刀を貰ったんだ。
ごめん皆・・・俺、約束守れそうにねぇかも――
意識の遠ざかる中で、現八の叫ぶ声と周りの喧騒だけが微かに聞こえた。