流転 四十一章Ψ三の姫Ψ
暗い地下に造られた洞窟。
ゴツゴツした岩肌、地上から染み落ちる水の音。
岩の柱に、中央の水盤。
此処は玉梓の巣窟、この場から様々な手で八犬士達を邪魔していた。
ある時は身近な者を操ったり、大切な者を操ったり。
そして、の夢を操作した。
八犬士も揃い始め、玉梓も打つ手を考えあぐねていた所に
思わぬ幸運が転がり込んだ。
生まれた時、鷹に攫われ行方知れずになっていた里見の姫。
見つけ出せたのは幸運、上手く利用出来ると踏んで
女田楽の一行から攫ってきた。
義実にも、姫に対しても、揺さぶりが掛け易くなる。
「犬士のうち七人揃ったわ、もう1人が揃うのも時間の問題かもしれんぞ」
「此方にはまだ、切り札がある。」
「・・・切り札?」
駒として使い勝手のいい男、籠山逸東太。
八犬士が集いつつある事を知らせに来た。
その籠山に対し、落ち着き払った様子の玉梓が
先を進む先、柱の一つに拘束しておいた者を
此方の言葉に疑問符を浮かべた籠山に、自然な流れで見せた。
「この女は?」
「里見の三の姫じゃ、またとない人質だろう」
案の定、何も知らない籠山は目を丸くする。
玉梓は籠山に浜路を見せ、籠山も賛同してくれると思い
笑みを浮かべ、籠山の反応を待っていた。
が、籠山が発した言葉は、玉梓を裏切る物だった。
今まで寄せていた、知らずに寄せていた信頼も崩れるような言葉。
「ほお・・これは若くて美しい!」
「!?」
「助けて・・・っ」
「ほほっ、これはいい・・ほれ、もっと喋れ、顔を見せろ」
自分から興味を失い、若い娘に興味を示してしまった籠山。
やはり、男とはこの程度か――
「男とは、何と愚かな生き物よ・・欲に塗れその欲は留まる事を知らぬ」
「そなたこそどうなのじゃ、その愚かな男の富に縋り欲を貪る事のみが生きている喜びなのだろう?」
崩れた信頼、今まで会った男達の中で
籠山だけが玉梓を『美しい』と言ってくれた。
女として見てくれた、だから、玉梓は籠山だけは操ろうとはしていなかった。
自分と同じ目線で、理解してくれてると
妾も・・ただの女だったと言う事か・・・・
「哀れな女よのぅ」
籠山のこの言葉、弱い女と蔑まれてるような風に玉梓は取った。
目を見開き、カッと口を開くと
隙だらけの籠山の首筋に、鋭い歯を立てた。
引き寄せられ抱きしめられる寸前見せた、弱気な女の顔。
籠山にだけは、そんな顔をしてしまう自分が恨めしかった。
首筋に歯を立て、操り人形にした後・・憎しみしか残らなかった。
倒れ伏した籠山の首筋に、船虫と同じ蜘蛛の痣が浮かび上がる。
ほくそ笑む玉梓、それを見て怖くなった浜路。
駆け出した先には、回り込んだ玉梓が待ち構え
ハッと顔を上げた浜路へ、ニタリと笑って言うのだった。
「私から逃れられるものか」
両手首を縄で縛られ、上手く逃げられるとは思えない。
それに、籠山という男のようにされたくはない。
ジリジリと追い詰められる中、上の方から誰かの声が聞こえた。
浜路を呼んでるようには、思えない言葉。
「姫ーーー!!」
声が聞こえた途端、天井の脆い板をぶち破って
人が1人、転がり落ちてきた。
玉梓もコレには驚き、音のした後方を振り返る。
落ちてきた男は、錫杖のような物を手にしていた。
驚き、固まる2人の前で、ゆらりと男が立ち上がる。
玉梓は、その男に見覚えがあった。
嫌と言うほどに――
「金碗大輔・・・!!」
「――玉梓」
予想外の者の登場に、顔を引きつらせる玉梓の隙を突き
浜路は`大の方へと走った。
駆けてきた浜路を後ろに庇い、錫状を構えると
目の前の玉梓へ問いかけた。
「やはりこの呪い、全てそなたの仕業か?」
開き直ったのか、臆する事なく問われた玉梓は
`大へ、その通りよ・と吐き捨てる。
その解を聞くや否、玉梓へ立ち向かった`大だが
操り人形と化した籠山がそれを防ぎ、驚いた隙を突いて`大を弾き飛ばす。
石の上を滑り、柱にぶつかった大輔。
だがすぐに立ち上がって、籠山へ錫状を振り翳す。
籠山も応戦して、2人の一騎打ちが始まった。
そして、何度目かのかち合わせた時、籠山の刀を避け錫状を籠山の脇腹へ当てる事に成功。
くぐもった声を出した籠山、怯んだ一瞬の隙を突くと
後ろで見守っていた浜路を連れ、岩室の洞窟を抜けてその足で馬に跨り海辺へ出た。
同じ頃、親兵衛に知らせを受けた信乃も
一足先に、馬を駆って、その洞窟へと向かっていた。
ΨΨΨΨΨΨ
浜路にとっては、全然知らない人。
何故助けてくれたのかは分からないまま。
それでも、危害を加えそうな人には見えなかった。
だからだろうか、此処までついて来てしまった。
「あの・・貴方は」
「安房の、`大法師と申します。探しておりましたぞ、姫」
思い切って発した問いかけの言葉は、またしても聞きなれない言葉に阻まれる。
この人は、洞窟に現れる前もそう叫んでいた。
誰の事を指してるの?
この時点で、それが自分の事だとは
少しも思わなかった浜路。
「え?」
「貴女は、里見の三の姫・・浜路姫なのです。」
「姫?私が?」
「左様、身につけていた牡丹の守り刀が何よりの証」
今まで何も知らず、村長の娘として生きて来た浜路。
幼馴染のように幼い頃から接して来た信乃との結婚を夢見ていた、普通の娘御だった。
それが実は安房の里見の姫だと聞かされ、すぐに理解出来ない浜路だったが
ゆっくりと先を進めた`大の言葉に、懐かしい名を聞き
すぐに反応を示した。
「犬塚信乃殿も、貴女の帰りを待っておられる」
「信乃?信乃さまは生きてるのね?」
`大が信乃の事を知ってるのには驚いたが、浜路の不安は無事解消された。
嬉々とした顔で、`大の前に膝を付いた浜路に`大も笑みと共に頷く。
良かった・・と呟いた浜路に、大事そうに`大はある物を取り出し三の姫へ見せた。
見せられたのは、一の姫である伏姫が身につけていた数珠。
「これは・・亡くなられた姉上さまの物。」
自分が姫だと言う事も驚きだが、姉がいた事にも驚かされた。
`大に促され、形見の数珠を首に下げる。
その浜路に、更に`大は言葉を続けた。
「父上と二の姫さまも、早く会いたがっておられる。共に安房に参りましょう」
「――はい」
「二の姫さまは、記憶を無くされてはおりますが・・
浜路姫に会われる事できっと思い出されると信じております。」
浜路が頷き、の事を話し終えたタイミングで
静寂な海に異変が起きた。
浜路のすぐ後ろで、中規模な爆発が起こったのだ。
十手のような、鉤爪のような物を手にした黒ずくめの男達。
軽く数えても1人で相手するには多い。
だが此処で、里見の姫を死なす訳には行かない。
伏姫を失った時のような喪失感は、もう十分だ。
決意した`大を、クナイが襲い、浜路を庇って負傷。
「うっ!」
「`大さま!!」
自分を庇って負傷した`大へ、悲痛な声で浜路が叫ぶ。
クナイの1つは、`大の右胸の下に突き刺さった。
爆炎の煙が薄れて来た所で、姿が浜路にも見えた。
自分を攫った者達と同じ格好をした者達を。
「お逃げ下され」
「で、でも・・」
「お逃げ下され!」
負傷しても尚、浜路を逃がそうとする`大。
一瞬躊躇う浜路に、強い口調で逃げるよう促した。
自分の助けを必要としない、寧ろいる方が足手まといになると悟り
誰か人を呼ぶべく、`大の言葉に習い浜路は駆け出した。
浜路を追わせない為に、体に刺さったクナイを抜き取り`大は傷ついた体に鞭を打ち
構えた錫状の先端を手で掴み、そのまま引き抜いた。
其処から現れた鋭い切っ先。
「此処まで無駄に生き延びたこの`大、殺せる物なら殺してみよ」
これを合図に、黒ずくめの男達との攻防が開始された。