洛陽動乱 中編



「壬生狼共が血を求めて集う・・か」

誰も聞こえないように呟いた風間。
僅かだが、だけが怪訝そうな顔をした。
それもそのはず、何ら前触れもなく突然風間に腕を引き寄せられたのだから。

どうしたのだろう?と見上げてみるその綺麗な顔。
形の良い唇に浮かぶ色は狂喜?のようにも見て取れた。

「風間殿・・どうやら今宵は旗色が悪くなるような予感が致します・・・・」

が風間の表情に狂喜を見たのと同じタイミングで斜め後ろから声がした。
顔を向けた先にいたのは品のよさそうな男性。

優しそうな目許が何かを警戒するように戸口へと向けられている。
そんな男性を目を細めて眺め、お猪口に注がれた酒を呷ると風間は口を開いた。

「貴様の勘はとやらは冴えておるようだな、流石は逃げの小五郎・・・」
「では私は先に藩邸へ戻らせて頂く、後の事は任せますよ。」
「全く・・・・面倒事は俺任せとはな」
「そう言わないで下さい、後でお礼はしますから」
「ふ・・・高くつくぞ?」
「有り難うございます、風間殿。」
「いいから早く行け、裏口から急ぐ事だな。」
「では」

傍にがいるというのに、二人の男は淡々とでも親しげに言葉を交わした。
よく聞かなくても分かるが・・・この後危険が迫ってる事を匂わせている。
しかもそれを察知してると言うのに、風間も小五郎も仲間に伝えないつもりだ。

自身も何が起ころうとしてるのか、二人は何を危惧していたのかさっぱり分からない。
でも不思議と、何とかなるのではないかと感じていた。

いや・・・寧ろ、この先何が起きてもどうでもよかったのかもしれません。
天涯孤独の女が花町に身を落とし、体を売って春を売って太夫まで上り詰め
そして・・・・・・・・・沖田さんに出逢えた。

親切にしてもらって、気遣ってもらえて・・・もうそれだけで十分なんだと。
だからこの先何が起きても、今夜此処で死んでも・・・・・悔いは――
俯き視線を落としたの腕を、再び風間が引いた。

視線だけを向けたに、なにやら面白くなさげな顔で吐き捨てるように彼は言った。

「ふん・・死ぬ覚悟だけはあると言う事か?」
「・・・・え?」
「例え死が迫ろうと、最後まで足掻いて見せるのが人と言う生き物ではないのか?」
「・・私は、そのような・・・」
「死を覚悟した人間程厄介な物はない、少なくとも貴様の父親はそう言う人間だった。今の貴様の顔に其処までの覚悟は見て取れん・・もう少し愉しませろ。」
「わ、私は貴方を愉しませる為に生きてきた訳ではありませんっ」

吐き捨てたのは最初だけ、二の句はを煽り立てるかのような音だった。
何故私が死んだら風間さんがつまらないのか何て分からない。
ただ、簡単に命を投げ出すなと・・そう言われたような気がした。

・・・・父も・・死を覚悟したのでしょうか・・・
思い出そうとしても幼かった頃の記憶までしかなく、その先は真っ赤に染まるだけで何も思い出せない。
風間さんは父が死を覚悟したその場に居合わせたのでしょうか?

「これから壬生狼の狩りが始まる、既に此処は囲まれてるな・・」
「え?え?」

言い返したを見る目は、先程とは違い愉しげな色を浮かべていた。
全くもってこの風間と言う人物がどんな人物なのか分からない。
冷たいようでいて、迷子の私を助けてくれたり・・今も喝を入れてくれた。

親切なのか素っ気ないのか判断に困ります・・・
でもきっと親切な人なのではないかと思ってみたり。

が暢気にそんな事を考えている裏で
事態は確実に動き始め、風間とに迫っていた。


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同時刻、池田屋の周辺には数人の影が揃いつつあった。
その数ざっと7〜8人。
その中には、沖田の姿もある。

「当たりは池田屋だったか・・・」

数人の隊士の中でも威厳のある男がそう呟いた。
声音には焦りのような複雑な気持ちが込められているように思える。

それも当然と言えば当然なのかもしれない。
屯所を出た時は20数名いたが、候補が池田屋と四国屋の2つあり隊を二つに分けた。
どちらに長州の者がいるか分からない状況で、当たりを引き当てたのは人数の少ない近藤隊の方だったのである。

近藤隊10名。
・近藤勇
・沖田総司
・永倉新八
・藤堂平助
・武田観柳斎
・谷万太郎
・浅野薫(藤太郎)
・安藤早太郎
・奥沢栄助
・新田革左衛門

これだけの人数で、何人いるかも知れない池田屋へ押し入るのだ。
近藤は局長として隊士達の身を危険に晒す事を危惧していた。
不安がないと言ったら嘘になる、が、天子様の命を狙う陰謀を知った今応援を待つ暇はない。

覚悟を決めた近藤が振り向くと直ぐに沖田と目が合った。
彼の双眸に浮かぶのは嬉々とした色。不安は一切ない。

思えばそれが心強く感じ、揺らぎかけた近藤の気持ちと決意を定めさせた。
気持ちを引き締めるように口を真一文字に結び、隊士達へ指示を出す。

「俺と共に踏み込むのは先ず総司、それから平助と新八の四人だ。」
「当然の選択ですよ近藤さん」
「おう!やってやらぁ」
「新八っつぁんシーッ!!」
「武田さんには谷達を率いて裏口へ回って頂きたい」
「ふふ・・任されましたよ」

近藤の指示を当然のように受け取る沖田。
気合たっぷりに叫んだ永倉を慌てて藤堂が諌める。
戦闘を得意としない観柳斎、それでも現場に来たがる目立ちやがり屋には裏口へ数人を率いさせた。

そして近藤自ら沖田達を率い、池田屋の入り口に立つ。
1つ息を吸い込んでから近藤は戸を軽く叩いた。

誰も知らない――
此処に思わぬ人物がいる事を。
その予想外の出来事すら巻き込んで全ての結末が動き出す。

「我らは新選組、御用改めである―――」
「――っ・・!各々方!新選組です!!早くお逃げくだ――」

ガツッ!!

戸を開けた店主、入江惣兵衛は近藤の顔と浅葱色の羽織を見た瞬間。
脱兎の如く動くと二階へ通じる階段を中段まで駆け上がり叫んだ。
その行動の全てが、此処に長州の輩がいる事を裏付ける物で 彼らを逃がそうとする行動そのもの。

近藤は咄嗟に入江を追い、後ろから思い切り殴り倒し昏倒させる。
倒れ付し階段からずり落ちそうになる店主の肩を掴み、近藤は永倉を呼び付けて店主を縛り上げさせた。

「――くそ!新選組か!!うおおおっ!」

その最中、店主の声に駆けつけたと見える男が一人現われ
果敢にも近藤へと斬りかかって来たが

天然理心流の道場主である近藤は、無駄のない動きで剣を構え
男の剣筋をかわすと、上段から袈裟懸けに斬りかかって来た男を斬り伏せた。
それを皮切りに次々と現われる長州藩士達と、新選組は斬り合いを開始。

「総司!お前は二階へ向かえ!!」
「はいはい、近藤さんあんまり張り切り過ぎないようにね」

斬り伏せた藩士を越え戻ってくるなり一人の藩士の相手をしている沖田へ指示を飛ばした。
余裕の動きで刀を交えていた藩士を斬り伏せると、近藤を茶化しつつ沖田は二階へと足を向けた。
階段を上りつつもまた一人と斬り伏せ、数十人が待つ二階へと到着。

久し振りの斬り合いに嬉々とした表情を浮かべ、部屋を見渡した沖田は早々と抜き身の剣を振るった。
数人の血潮を浴びた浅葱色の羽織は赤黒く汚れていき、人の肉と骨を絶つ刀も脂で塗れていく。

そんな地獄絵図さながらの戦場。
やっぱり僕には、こっちの方が似合ってるよ左之さん。
何もかも忘れてしまえたらどんなに・・・・

密かに願う沖田の前に、運命は予想外の再会を用意していた。

「久しいな、壬生狼」
「・・・何だ君もいたの?鬼は人間の争いにまで関与するんだね」
「――――っ」
「仕方なかろう?剣客として呼ばれていただけの事・・」
「ふーん?でもね、見逃してあげるとか思わない方がいいよ――」

まさか?こんな所で・・・・?

「その顔・・やはり知り合いだったか」
「なん、で?」

もう二度と逢うまいと決めたのに。

「沖田・・・さん・・」

こうも簡単に巡り会ってしまうなんて――
見間違えであって欲しかった。
それでもこれは現実で、あんなにも泣かせて傷つけてしまった彼女が今・・僕の目の前にいた。

今宵この瞬間程、僕は呪った事はないよ。