洛陽動乱 前編
山の陰に太陽が隠れる頃。
金髪を風に靡かせ窓辺に座る一人の男は過去に記憶を馳せていた。
吉田松陰が塾を開いて1年のある日の記憶。
塾生が集まった室内に現われた松陰、記憶の中の彼は先ずこう切り出した。
『皆、新しい生徒を紹介する』
『松陰先生、それは何方ですか?』
『此方へ来なさい』
新しい生徒。
そう聞いて興味を示したのは木戸孝允(後の桂小五郎)。
体を横にずらして迎え入れたのは・・・
『宜しくお願いします』
12歳かそこらくらいの女の童(めのわらわ)
この時現われた童、童は松陰の娘で””と名乗った。
こうして再び会いまみえるとはな。
「運命の悪戯とやらか・・ふ・・・」
「ニヤニヤして気味わりぃぞ風間」
「・・不知火か」
「ああ、今夜なんだろ?会合」
「面倒だがこの俺も呼ばれている故出向く、貴様と天霧には外の警備を任すつもりだ。」
「警備ねぇ、ったく暇な事させやがるぜ」
細く笑みを浮かべたタイミングで掛けられた声。
さして驚く事でもない、既に声の主が誰なのか風間には分かっていた。
声の主はいつの間にか現われた不知火で、揶揄するような口調と表情を浮かべている。
不知火が確認したのは今夜開かれる会合の事だ。
と言っても参加するのは風間であって、不知火ではない。
場所も新選組らに突き止められてもかわせるように二箇所が挙げられていた。
寺田屋と、池田屋の二つに。
この場所の候補は、古高が捕縛されたのを機に急遽決められた。
会合に参加するのは、吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助に
剣客である風間と桂小五郎、他諸々の15名が御所焼き討ちを実行するかしないかを決める会合に集う。
「ふん、そう言うな。壬生狼共も動いている・・ひょっとする場合もあるかもしれぬぞ?」
つまらないと吐き捨てた不知火へ風間は細く笑うのだった。
そう・・・今宵此処へ来るのだ、松陰の忘れ形見が。
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戌の刻下刻(夜の9時)
揚羽を出発して30分、漸く指定された旅籠へは到着した。
の後ろには縦羽と胡蝶が控えている。
風間に指定された旅籠の看板には『池田屋』と記されていた。
何でも今夜此処で会合が開かれるのだとか。
その席で俳諧や舞を披露するのだ。
「これはこれは太夫殿ですね?皆さん既にお揃いですよ」
「そうでありんすか、皆、早速向かいますえ?」
「へえ」
旅籠の障子を軽く叩けば旅籠の主人、入江惣兵衛が現われた。
何やら左右を見渡して警戒した様子だった。
現われたのが達だと分かって、漸く主人の顔に笑みが差す。
旅籠へ足を踏み入れ、風間らの待つ座敷までは
惣兵衛の息子、彦助が案内した。
風間はの父親を知っている感じだった。
娘の本人ですらよく覚えていない父親の事を。
抜け落ちた過去の記憶・・・・風間の話を聞く事でそれらが埋められるのだろうか・・
晴れないもやもやを胸に、彦助の案内で達は1つの座敷に通される。
廊下からでも分かるくらいに室内からは大勢の話し声が。
「皆様お待たせ致しました、太夫の到着です」
「おお来たか、早速皆に酌を致せ」
「へえ・・それでは失礼しんす、縦羽、皆様にお酌を」
「へえ太夫」
彦助が襖を開け、達も三つ指付いて頭を下げる。
すると上座の男が手を上げて挨拶し、酌をするようにと言って来た。
も笑顔で応え、後ろに控えていた格子の縦羽へ命じる。
禿の胡蝶にはお酌はさせられない為、縦羽のみが従った。
酒は下の調理場へと取りに行く必要があり、彦助と縦羽は再び一階へ。
そしてはと言うと、上座の男の隣りにいる金色へと歩みを進めた。
胡蝶もトテトテ早足で付いてくる。
集った人数は15人。
話し合いは一段落したのか、皆既に寛いだ雰囲気だ。
その一人一人に会釈しつつ風間の隣りへ辿り着く。
蝋燭の灯りに照らし出される淡い金色。
炎よりも濃い、血のような紅色の瞳が近づいたへゆるりと向けられた。
「来たか」
「・・あちきを指名されたのは風間様でありますえ?」
「ふ・・・それもそうだな」
「何だ何だ?太夫殿を指名したのは風間殿であったか」
「葵屋で見初めたまでだ・・吉田殿も後で指名でもされるがいい」
「そうだな、風間殿の見初めた太夫殿だ。そうさせて貰おう。」
その紅が、スーっと細められる。
少しだけ心臓が跳ねた、それは沖田さんを見た時とは違う高鳴り。
これから父親の事がこの人の口から語られるのだと、そう思ったら心臓が跳ねただけの事。
風間さんは怖いくらいに綺麗な顔をしてる。
カッコイイ・・・とかは思うけども、それまでの認識しかない。
ぎゅーっと締め付けられて呼吸すらままならなくなるのは・・沖田さんだけだ。
新選組の幹部だと知れてから、彼は私を遠ざけた。
どんなに会いたいと願っても二度と会う事は叶わない人。
風間と男が話している間、の心は会う事の叶わない男が支配していた。
そして吉田との会話を適当に済ますと、いよいよ風間は口火を切った。
縦羽と彦助の用意した酒を回し、風間の杯に酒を注いだ頃である。
「しかしよく来たものだな」
「え・・・?」
「まあいい、その心意気を称して約束通り教えてやる」
そっちが来いと言ったのに、と言う言葉は内心で呟くに留めた。
風間は杯の酒を一口煽り、喉を潤してから語り始める。
「貴様の父は長州藩の藩士だった男だ。」
語られる父の話は、それはもう波乱の一生だった。
二度の養子を体験し松下村塾では藩主毛利へ御前講義をやってのけた程、優秀。
しかし24の頃、友人と旅行する出発日を守る為に脱藩。士籍剥奪。
その翌年1853年に黒船来航。
1854年にペリー来航、密航を申し出るが拒否され自ら自首。
死罪の話もあったが老中首座の阿部正弘の反対で助命され、野山獄に収監。
1855年27歳になった松陰、出獄は許されたが杉家に幽閉された。
そこで叔父の松下村塾を引き継ぎ、杉家の敷地にて開塾するに至る。
その頃だと風間は言う。
塾生として通う友人に強引に連れて来られた風間が、松陰の紹介したに会ったのは。
にもうっすらとだが、家の中が賑やかだった時があったような記憶がある。
「貴様の両親はどうしているか覚えているか?」
「いえ・・・父の事を思い出そうとしても、覚えてるのは・・・・真っ赤な・・」
それきりは黙り込んでしまう。
真っ赤な、血・・・か。
恐らくは斬刑の事かもしれぬな。
それを目撃したか何かで記憶を失くしたのだろう。
こうして花街へ辿り着いた、と言う事か・・・・・
父親が長州藩の出身、となれば娘であるもその藩に属していると言う事になる。
新選組と敵対しているのは長州藩・・つまりと沖田は敵同士。
沖田にとっては幕府に逆らう逆賊で、倒すべき相手・・・。
これも・・さだめと言う事なのでしょうか・・・・
会ってはならない人だったのですね・・きっと・・・
酷く胸が締め付けられた。
座敷でなければきっと泣いていたかもしれない。
突き付けられた現実は、の心を切り裂いた。
何か耐えるように俯いたを静かに眺めていた風間。
ふと僅かな変化を察知し、視線だけを外へ向ける。
時刻は亥の刻上刻(夜22時)、僅かだが風間は外の気配に複数の数を捉えていた。
こんな時刻に外をうろつく人間となると限られてくる。
そしてその目的地がこの旅籠であるならば、外の気配が何なのかは容易に知れた。
「壬生狼共が血を求めて集う・・か」
誰にも聞こえないその呟きは、長州藩士らの笑い声にかき消される中
一人全てを悟った風間、傍に控えたの腕を己の方へ引き寄せた。
同時に階下で障子の開け放たれる音が響く――