始まりの章
「掟」
『エイカ!』
もう会えないと思っていただけに、喜びも勝った。
あまり力の入らない体で歩み寄ると、エイカはごく普通の反応を見せた。
「此処へ辿り着けたようですね」
棺で顔が見えないせいか、酷く冷たい言葉に聞こえた。
乱れた棺を直し、何とか以前のように対応してくれないものかと考える。
どんなにその時を待とうにも、エイカの反応はもう此方へ向く事はなかった。
どうして?
私が戻って来なかった事を怒っているの?
縋るように見つめる視線を避けるかのように、エイカは歩みを進め過ぎ去っていく。
エイカが歩み行った先にいたのは、アシュヴィンが【サティ】と呼んだ人。
「もうよいのか?同族の者だろう?」
「はい、それを確認出来ただけでも十分にございます」
「そうか、お前も心の凍った奴だな。」
「勿体なきお言葉です」
少し離れた場所で交わされる言葉。
それは一つずつ確実に、幼いに突き刺さった。
見放されたと悟るまでに時間はかからず、大きな瞳から溢れた涙が頬を濡らして行く。
棺で顔は見えなかったが、遠目にもが泣いている事だけはアシュヴィンにも分かった。
どうもこの土蜘蛛の事が気に入らないと感じ、兄と談笑する男を睨みつける。
その幼くも鋭い視線に気づいたのか、その土蜘蛛はアシュヴィンを視界に捉えた。
『顔』のない目がアシュヴィンを捉える。
「これはアシュヴィン様にございますね?エイカと申します以後お見知り置きを」
「・・・・生憎だが、貴様を頼り縋る弱き者を無下にするような奴とは知り合いになどなりたくないな」
「アシュ」
「これは手厳しい、ですが同族とはいえ・・・掟も守れぬ者は同族ではないのです」
掟――
初めて聞いた言葉に、聴覚だけがやけに鋭くなる。
エイカはさして気にする様子もなく、淡々と掟の事をアシュヴィンに話した。
「忍坂を越えた常世の国への立ち入りを禁ずる、これが土蜘蛛族の掟・・・・」
一瞬エイカが何を言っているのかが分からなかった。
脳裏に蘇る里での会話。
ヒントだけ、とせがんだ自分にエイカは正にこう教えた。
―忍坂を越えた先の森になら、あるかもしれませんよ―
幼い頭で考えるには限界があった。
ただ分かったのは、掟破りをエイカが自分にさせた事だけ。
『・・・どうしてっ・・エイカが教えてくれたのに―――』
湧き上がる負の感情。
裏切り、嘘、悲しみ、怒り。
それらの感情が渦巻き、それは爆発した。
その瞬間、アシュヴィンには見えた。
血のような赤い目が。
衝撃波のような物が放たれたが、エイカという名の土蜘蛛が大きな鎌を一振りして防ぐ。
その後を見たが、赤き目はなく気を失ったの姿だけがあった。
チッと舌打ちし小さなへ駆け寄る。
抱き起こすと、息はあり眠っているだけのようだった。
簡単に防げる程度のものだったようだが・・・あの赤い目は?
よく分からないが、酷く禍々しくてよくないものだと言う事は分った。
「何者だ、あの娘」
「どうやらよくない物が憑いている様子・・殿下は近付かれない方が宜しいでしょう」
さも抜け抜けと言う土蜘蛛。
どちらかと言えば、この土蜘蛛がの何かを揺り起こしたようにもみえた。
わざと突き放し、絶望を与え・・・ショック療法で力を引き出す。
―末たき者にも命はございます、それを殿下は重んじて忘れなさいますよう―
ムドガラがアシュヴィンに指導した教え。
その教えが、上に立つものであろうこの土蜘蛛には欠けているとアシュヴィンは感じた。
「アシュ、その土蜘蛛の処分は任せたぞ」
「・・・・・・・」
「それでは殿下、御前を失礼致します」
白々しい・・あれではわざわざ今の事を見せに来たようなものだな。
どうゆう神経をしているんだ?
仮にも同族、あの様子を見た限りが掟を知っていたとは思えない。
森で会った時も、純粋に迷っただけのようだった。
何故あの土蜘蛛はコイツにこんな事を・・・・
「殿下、取り敢えずは褥に寝かせては」
「そうだな・・・あの土蜘蛛、解せん・・・」
「そうですねぇ・・あれではさんがお可哀そうですよ」
「ああ・・上に立つ者のするべき事ではないな。」
「殿下・・・・・」
気を失ったを抱え、寝ていた褥へ再び寝かす。
目が覚めたら聞きたい事が山ほどあるな・・・・・
出来る事なら辛い現実を知らしめさせたくないが・・
棺を脱がせ、薄水色の髪を枕へ乗せながらただ思った。
「あれがお前なりの確認の仕方か」
静かな回廊に響く少年の声。
それは斜め後ろを歩く土蜘蛛へ向けられていた。
己を慕い、縋る幼子に対する冷酷な対応。
ナーサティアにも、あの幼子が掟を知らなかった事は明白だった。
だがこの土蜘蛛はそれさえも自分が里を出る為の理由にと利用したのだ。
挙句の果てには憑き物が憑いていると言う始末。
ナーサティアは初めて謀を平然とするこの者に怖さを感じた。
同族さえも陥れると言う怖さを・・それはまた、王族と酷似している事にも。
「ナーサティア様はお気に召されませんでしたか?」
「・・・・・」
「お気に召されなかったようですね、ですがこれが私なりの思慮。」
「思慮、だと?」
「はい。あのまま里にいては、死する定めが早くに訪れていました。」
それを皮切りに淡々と話し始める土蜘蛛の長。
何がどう思慮なのかを見極めるべく、耳を傾けた。
「薬草を採りに行かせる事で、あの子の命を狙っていた者達から遠ざけ・・・
手出しの簡単に出せない地・・・常世へ行くよう導きました。」
「あのような幼子の命、何ゆえ同族の者が狙うのだ」
「先ほどナーサティア様もご拝見致しましたあの力です」
あの力、幼子の体から溢れ・・此方へ向かってきたあの禍々しい負の力。
その事をこの土蜘蛛は指しているのだろうか。
そう視線で問えば、微かに頷き肯定する。
「あの子には生れつきあったものです」
「自分たちの身を守るべく、あの幼子に掟破りをさせたのか」
「ああする他にあの子が助かる方法はありませんでしたからね」
「ふ・・聞こえはいいが、結局は己の為か」
「そうでございましょうね、少なくとも今の処は・・・・」
その黒い装束の下で、何を考えているのか装束の上からでは読み取れない。
あまりよくない事ではないかと、水面下でナーサティアは感じていた。
黒き力は眠り、白き力もまた眠る―