人魚姫 6
ぬーやがよあれ・・ぬぅで、永四郎と?
見たのは偶然だった。
心臓の鼓動が煩いくらいに鳴り響いてる。
がいない事に気付いたのは少し前だった。
モヤモヤと葛藤するのが嫌で、自分が裕次郎を誘ったのが数十分前。
あれから数分くらいしか経ってない僅かな間に、はいなくなってた。
永四郎と会ってから顔色が悪かったのは知ってた。
けどまさかいなくなるなんて――
一年まで通ってたとは言ってた、一年の何学期までいたのかは知らない。
でも少しくらいなら校内の知識はあると思う。
それに、遠くに行ってしまう気はしなかった。
少なくともは、一人で勝手に姿を消したりするような子には見えない。
あんなに柔らかく笑んで、わんを見て嬉しそうに笑って・・・綺麗な涙を流す子だ。
記憶の混乱はあるだろうが、不義理な性格には見えなかった。
そもそもそんな性格だったらこんなにモヤモヤしてないさー・・・・
行き先は大体予想も出来たしなー・・
裕次郎にも校舎の裏を見に行かせた凛。
自身はテニスコートを左手に、表側から校舎へと早歩きで向かった。
色白で華奢な、淡く笑う笑みは時折凛を不安に駆らせる作用がある。
ふとある日、突然消えてしまうような錯覚に捉われる。
こんなに自分を不安にさせるような女の子には、今まで出逢った事がない。
最初の出逢い方のせいなのだろうか?
そもそも海に漂流してて、今の今まで自分の家で眠っていたのだ。
元気になったとは言え、気が気ではない。
早く見つけて今日は家に帰そう。
家は知らないが、案内させて自分が送り届けよう。
そうすれば安心出来る気がした。
こんなにも訳の分からない不安とモヤモヤも無くなるんじゃないかって。
だからこそ、早足で正面玄関に向かってた己の視界に飛び込んで来た光景に目を疑った。
て言うか、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような、そんな感覚に襲われたんだよ・・
何を話してたかなんて知りたくない。
状況が全く飲み込めなかったが、が必死に永四郎を引き止めてるのは分かった。
何よりも凛を驚かせ、その場から動けなくさせたのは
永四郎を止めようと進行方向の先に回り込んだが
前から抱き締めるみたいにしてしがみ付いた事。
そしてそんなを見る永四郎の柔らかい眼差しに言葉はヒュッ、という風のような音にしかならず
辛うじてその場を離れる事しか出来なくて、逃げるみたいに立ち去るしかなかった。
何ではあんなに必死に永四郎を止めてたんだろう・・
何で永四郎は、あんな柔らかい目でを見ていたんだろう?
「あ゛ーーくそっ!あんしイライラする!」
理由の分からない苛立ちに心を支配される。
永四郎が柔らかい眼差しでを見ていたから?
自問自答しても答えが出て来ないやァ・・!
あんな止め方してまで、永四郎と話したかったのか?
・・・・・好きなのか?
『覚えていてね?』
窓際で淡く笑んだの言葉が重なる。
目覚めた時、凛と目を合わせたは泣いた。
初めて会う赤の他人を見て、普通は泣いたりしない。
まあの場合、凛と甲斐を知っていたし?
でも裕次郎と永四郎を見てもは涙を零さなかった。
目を合わせて泣かれたのは凛だけ。
その事は何を物語っているのか。
今の凛に、そんな事を考える余裕はなかった。
+++++++++++++
足の向くまま無意識にテニスコートに戻って来ていた凛。
其処には探しに出た裕次郎の姿はない。
恐らくまだ探してるんだろう・・・・
思案する頭が重い。
原因があの光景だと再確認するだけで苛々が募った。
表側を探した数分前の己を呪いたくなった。
少なくとも其処を探さなければ見なくて済んだ光景だったしな・・
かと言って、仮にあの場に出くわさなかったとしても
自分が知らずに済むだけで、ああなっていた事に変わりもある訳でもなく・・・
どっちみち嫌な気分になる未来は変わりそうにない。
・・・・なますぐ家んかい帰りたくなったさァ・・・
凛がそうぼやいている頃より数分前。
木手は必死に押し留めてるの腕を解き、そっと離させると目線は合わせず余所を見たまま
「そろそろ戻ってあげた方がいい」
淡々とした口調に柔らかさも含ませた声でへ言った。
戻った方がいいのは分かっている。
幽体離脱なんて初めてだし、戻り方はあんまり分からないけどもまだ此処から離れたくなかった。
「病院にはまだ戻りません・・」
「そうじゃありませんよ」
「?」
「探してるんじゃないんですか?さっきまで平古場君達に案内して頂いていたのでしょう?」
「・・・あっ!そうでした・・・・」
「俺は約束は守る男ですよ、だから安心して彼等の所に戻りなさい。」
「にふぇーでーびる(ありがとう)」
何とか言葉で納得して貰おうと、言い縋る。
が、視線をから外して木手が口にしたのは
病院に戻れ、と言う事ではなかった。
二人を待たせたまま此処に来ている事を思い出させ
心配させないうちに戻りなさいと言う事だった。
もう木手の目は穏やかな色になっていて、目を合わせても怖いと感じなかった。
その目が、二人には言わないから戻れと言っている。
さっきまではあんなにも訳も分からない不安に駆られていたと言うのに。
我ながら現金な物だと思いつつも、そんな木手の言葉が嬉しくて素直に頷き
軽く一礼するとテニスコートの方へと駆け出した。
その背を見送る木手、自らもテニスコートへ向かうのかと思えば
左側の植え込みを一瞥し、その視線をへ戻しながら一言。
「もう彼女は行きましたよ甲斐君。聞いていたんでしょう?」
溜息が聞こえてきそうな声音。
すると植え込みが揺れて、バツが悪そうな顔の甲斐が現われた。
視線を漂わせ、目が泳いでいる所を見ると
立ち聞きしてしまいました、と聞かずして分かる。
ガサッと植え込みから踏み出して来た甲斐は、遠慮がちに出て来ると
慌しくコートへ戻って行くの背中を見送った。
小走りだが走れていると言う事は、大分具合も戻ってきたんだろう。
そんな姿が校舎の影に消えた頃、視線を木手へ向ける。
偶然とはいえ、聞いてしまったのだ。
物凄く信じられないような事を。
「さっきの話、しんけんだばァ?木手。」
「聞いていた通りですよ。嘘を言った所で我々には何のメリットもないですからね」
信じられなくて思わず尋ねれば、やけに冷静な口調で切り返される。
動じない奴だとは思ってたけどここまで動じない何てなー・・・
淡々と答えた木手を見つつ思う甲斐。
「まあそうだけど・・不思議な事もあるもんやさや(だな)・・」
今現在も意識不明の昏睡状態だなんてな。
わんにはいっぺー(とても)信じられねーんぜ(ないぜ)。
こぬ事、凛や知ってるんやんやーか(だろうか)?
そう視線で木手に問えば、緩やかに木手は首を振ってみせる。
つまり、知ってるぬやわったーだけって事か。
内心で納得した甲斐に、さり気なく木手が釘を差した。
くれぐれも平古場には言わないように、と。
不思議そうな顔で「木手がそんな事言うなんて珍しいさー」と揶揄すれば
「約束してしまいましたからね」
とだけ涼しい顔をして答えた木手。
その口許に、彼にしては珍しく柔らかな笑みを携えて。