眠り姫
嫌な事があって、常世へ逃げ込んだ。
逃げる為に利用した
現実から目を、逸らしたくて
恐れもせずに暗い黄泉比良坂を歩く者。
自ら望んで入口を潜った。
現世から離れられれば何処だって良かった。
利用したと言われても構わなかった。
比良坂を抜けた者、それはアシュヴィンとも親交のある凌という名の者。
目的もあった、この常世を治めている皇に会う事。
何でもいい話がしたくて。
この心の霧を晴らしてくれる者。
少なくとも凌はそう思っている。
平和になり、何も危険のない常世の国を歩いて行く。
荒廃していた景色も、緑が溢れ花が咲き乱れている。
その景色を眺めているだけでも、沈んでいた心が軽くなる気がした。
岩蔵へと続く二又の道をひたすら南へ歩き、根宮を目指す。
此処へ来る事は、勿論誰にも言っていない。
リブでもいれば話が分かりそうだけど、誰もいなければただの怪しい人になってしまう。
今の心境的には、それでもいいやと思っていた。
少し自暴自棄になっていたのかもしれない。
目の前に大きな城門が見えてきた。
根宮への最初の入口。
禍日神を倒す前は、この門がどれ程恐ろしく見えた事か。
だが今はその面影すらない。
時が変われば、この門も違った風に見えてくる。
平和になったんだ、この国は。
それなのに自分はこの平和になった常世に相応しくない気持ちで来ている。
ただの逃げでもいいのに、惨めな気持になるんだ。
暗く沈んだ気持ちで根宮へ向かい、入口まで来た辺りで予想通り呼び止められた。
視線を向ければ、強面の門兵さん。
「女、此処から先は皇のおあす場所。通行許可書はあるのか?」
「私そんな物持ってません、アシュヴィンさんとは知り合いですから」
「そんな物だと?しかも皇を軽々しく名前で呼ぶとは・・・益々怪しい」
根踏みするようにジロジロ見られ、こっちも益々嫌な気分になる。
疑われても仕方ないけど、このままだと牢に入れられ兼ねない。
どうにかして入れてもらえないだろうかと思案。
兵士の先にある入口を見てみても、見知ったものの姿はない。
短気そうな門兵さんでは、きっと牢に入れるだろう。
やっぱりアポとっとけば良かったか・・・・・
門兵の尋問めいた言葉にうわの空で考えていると、ついに門兵のおっさんが強硬手段に出た。
「服装も怪しいし捕えて厳しい尋問でもしてやる」
「叩いたって何の埃も出ないってば!」
「そういう奴程埃が出るんだ」
「少しは人の話も聞きなさいよおじさん!」
双方喚きながらの言い合い。
門兵は凌の腕を掴んで問答無用で牢へと進み始める。
この人の話も聞かないとうへんぼくじゃ、一生出してもらえなくなる
其処でやっと事態の深刻さに気付いた。
向こうが嫌で逃げてきた。
どうにでもなれ、そんな風にヤケになった。
だけど、だけど・・・!
このまま惨めに一生を終えたくなんかない!!
「アシュヴィンさんいるなら助けてよっ!!」
この期に及んで他力本願な自分の言葉に呆れつつも
精一杯の大声で叫んだ、公衆の面前だとか恥晒しとか色んな言葉が浮かんだけどそんなの無視!
体裁に構ってる場合じゃなかった。
再び主を馴れ馴れしく呼ばれた門兵、黙らせようと手を振り上げたその時だ。
何か黒い影のような物が現れ、兵士を突き飛ばしたのだ。
兵士は悲鳴を上げつつ押し倒され、わたわたと慌てふためいている。
持っている槍で必死にそれを攻撃するが、軽くあしらわれてしまう。
「え・・・」
ギロッと金の目で睨まれた兵士は、恐縮し自分の身を守るので精いっぱい。
そしてそれは、呆然としている凌へ目を向けた。
蛇に睨まれた蛙、とは正にこれを言うのだろう
体が動かなくなる。声も出ない、どっから現れたのかなんて問題にならないくらい。
パニックになりそうなのを堪えながら、それでも睨みかえす。
ただでは死ぬもんか、そう思いながら目線を外さずにいると
近くまで来たそれ、黒い・・・・豹
一歩踏み出せば軽く命を奪えるだろう黒豹は、凌へ向かって頭を垂れた。
それから傍に来ると、体を摺り寄せてくる。
全く動けない兵士を他所に、黒豹は凌に体を寄せる。
何を意味しているのか分からなかったが
何故か乗れと言ってるように感じた。
乗っていいのか分からないけど、信じられる気がした。
遠慮しつつ黒豹の背に乗って掴まると
怯えて何も出来ない兵士の横を走り去り、城の中とは逆へ走った。
さっき自分が歩いてきた方向だ。
だから凌は、この黒豹が現世へ帰れと言っているのだと思った。
心地よい振動に揺られ、不思議と眠くなり意識は闇へ沈んだ。
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近隣の諸国から戻った俺を、リブが上機嫌で出迎えた。
何かいい事でもあったか?それともいい酒が手に入ったか・・・・・
だが口を開いて言った言葉はどの予想にも当てはまらなかった。
「お帰りなさいませ、皇。」
「ああ、留守の方ご苦労だったな」
回廊を歩きながら交わされる普通の会話。
何処かそわそわしたリブに、仕方なく此方から聞いてやる。
「何をそんなにそわそわしている」
問われたリブは、分かってしまいますか?と聞き返してきた。
分かったから聞いてやったんだろう。と腹の中で言っておき頷く。
「皇はいつの間に黒い豹を飼われたのですね」
「・・・・黒い豹?」
「おや、違ったのですか?私はてっきり皇の豹かと思いまして」
「普通の豹しかおらんばすだが・・・何故そんな事を聞く」
黒豹は変異種だ、此方では聞いた事も見た事もない。
それが何故常世に、しかもこの幽宮にいる?
「皇のではないとすると・・・何なんでしょうね」
「それは此方が聞きたい、取り敢えず部屋に戻る」
「はい、あ〜皇」
真相を確かめるべく歩きだした俺を、リブの間延びした声が呼びとめる。
早く用件を言えとばかりに見やればあのそわそわした顔で言う。
「その黒豹が連れてきた異国の方がいらっしゃいました、きっと皇の客人かもしれませんね」
客人?招いたつもりはないぞ?
それについて論ずるよりも、その黒豹が何なのかが興味をそそり
自分の部屋へと急がせた。
静まった部屋、特に怪しい気配はない。
入ってすぐの応接室(つまり仕事部屋でもある其処)にはいない。
野生の豹だとすれば、元からいる俺の豹と一悶着があっても不思議ではないが
争ったような形跡はない。
ゆっくりと、だが警戒したまま寝室へ・・・・・そして目を疑った。
「黒い豹・・・・」
驚いたのはそれだけではない。
その黒豹が守るように寄り添い眠っている人物。
現世で交流を持たせてもらっている凌だった。
元々飼っていた二頭の豹も、凌に寄り添い此方を見ている。
驚いたな、凌は動物に警戒心を解かせる何かを持ってでもいるのか?
飼っている豹の頭を撫で、黒豹を見つめながら傍へ行く。
危険がなさそうではあるが・・・・凛とした気を感じるな・・・・・・
「凌、起きろ・・」
軽く揺さぶろうとした手を、黒豹が軽く押さえて止める。
不思議と敵意は感じない。
驚いた顔をした俺の前で、黒い豹が眠る凌に顔を寄せ何やら呟くようなそぶりを見せる。
その光景を見ているだけのアシュヴィン。
眠っていた凌が、まるで黒豹に起こされたかのように目を覚ます。
その様はまるで異国のお伽噺、眠り姫のような光景だった。
目を覚ました凌は、黒豹に驚く事もなく笑いかける。
「誰か来たの?」
「断りもなく俺の褥で眠るとは、大胆なのか抜けているのか分からんなお前は」
「アシュヴィンさん!?」
「お前、何故此処にいる?いつ常世へ来た。」
此方に背を向けていたせいか、暫く俺に気付かず黒豹の毛並みを撫でてていた凌。
声を掛けた途端飛び起きて顔を赤らめた。
押し黙った凌に、黒豹が擦り寄り二頭の豹も寄り添う。
何故だか凌を気に入ったようだ。
外套を外し、寝覚めた凌に冷たい水を用意させ長椅子に腰かける。
あまり急かすと三頭の豹に怒られそうだと思ったからだ。
凌自身も、寄り添う豹達に励まされたかのように口を開いた。
「あのね・・・逃げてきたんだ、現世から」
逃げてきた、の言葉に口を開きかけたがそれは理由が判明してからだと先を促す。
意図が分かったのか、凌も少しずつではあるが話を始めた。
「少しね、嫌な事があって・・何処でもいい現世じゃない処へ逃げたかった。」
嫌な事が何なのかは分からないが、話す際の表情は酷く辛そうだ。
逃げたいが為に、あの暗い比良坂を1人で越えてきたとはな。
「常世じゃなくても良かったんだけど・・・どうしてか来てしまってて、だからアシュヴィンさんに話を聞いてもらうつもりだった」
「それが何故此処に?根宮にいるとは思わなかったのか?」
「思ったよ、だから根宮に行った。でもアポなかったし、捕まるかもしれないと思った。」
「・・・・・」
「実際・・どうにでもなれってヤケにもなったよ・・・・」
アポとは何だ、と疑念が沸いたが後ででもいいかと思い頭の隅に退かす。
少し震えた声と俯く凌、励ますかのように黒豹が頭を擦りつける。
足もとの二頭が擦り寄れば、くすぐったそうに笑って凌が顔を上げた。
笑っているが目尻にある涙に気づく。
豹達の体を撫でながら、再び凌は話し始めた。
「色々行き詰ってて、苦しくて・・・何処でもいいから逃げたくて・・でもね牢へ連れて行かれそうになった時・・嫌だと思った。」
「・・」
「あれだけどうにでもなれって思ってたのに、牢へ連れて行かれるのは嫌だと思った。」
「誰かに助けて欲しくて叫んだら・・・・この子がいて・・アシュヴィンさんの?」
ずっと頭を撫でていた黒豹を指して問う。
先程リブからも聞かれたが、黒い豹など常世には存在しない。
「生憎だが常世には存在しない」
「え・・・じゃあ・・・・」
「お前について来たんじゃないか?現世から」
疑問を向けられそう切り返せば、まさか!と言いかえす凌。
先程より表情は明るい、少し元気になったと言う事か。
チラッと黒豹を見やると黒豹も此方を見ていた。
不思議な目、全てを見透かすような。
だかこの目を俺は何処かで見た事がある気がする。
「先程の話だが、人は生きている限り壁に当たるものだ。だからと言って己を止める事は出来ん。」
「・・・・・・・」
「どれも越えねばならん壁だ、逃げてしまったら越える機会を失する事になる」
「必ずしも逃げるなとは言わん、逃げたくなったら此処へ来い。」
「いいの?」
「お前がまた前を向いて歩けるように話くらいなら聞いてやる。」
「忙しいのに?」
「俺が来るまでこいつらがお前を励ますさ、気に入られたみたいだしな」
采女が持ってきた水を受け取り、凌へ手渡す。
一口、二口と口へ運び黒豹と飼われている豹を撫でたりし
終いには抱きついて戯れ始めた。
全ての悩みは解いてやれない。
己で考え乗り越えねばならんものもある。
どうしても突破口が見つからなくなったら此処へ来ればいい。
常世の者もお前を快く出迎えるだろう。
この自然も人も、全てがお前に微笑む。
全てがお前を受け入れる。
だから安心していればいい、一時の安息しか与えられずともお前にとっての安息の地となれば幸いだ。
再び眠った凌。
水の入っていた容器を片付け、共に眠る二頭の豹を眺める俺の傍らには黒い豹。
月の光を浴び、艶めく漆黒の毛。
月のような目が此方を向き、頭を垂れた。
そしてそれは一鳴きする。
光がそれを包み、光がなくなった後に現れたのは――
「やはりお前だったか、黒麒麟」
そう、漆黒の鬣を靡かせ金の目をした異形。
アシュヴィンとナーサティアの呼びかけにしか応えぬ麒麟。
生きる意志、負を克服した凌の呼びかけに応えたのだろう。
そして此処へ連れてきた。
人は皆、命の輝きを持っている。
意志は光となり、言の葉は力となる。
迷いは闇を呼び心を苛む。
迷いは一時、それを払うは己自身。
麒麟はその手助けをしたにすぎない。
だが最後は己の意志だ。
道を閉ざすのも、見つけるのも己。
麒麟はきっと、凌にその道を見つけ出させたかったのかもしれんな。
常世はお前の羽を休める場所となればいい。
迷った時の休憩所。
いつでも迎えられるようにしておこう、お前の為に。
fin