追想録 幕間



里見の地で重要な事が判明した翌朝。
朝日が昇り始める頃、は夢を見ていた。

一週間と少し前に出て来た滝田城が現れ
城壁の中に在る庭で寛ぐ自分と現八。
良かった、一人ぼっちの夢じゃない・・・
置いて行かれる夢でもなければ、声が届かない夢でもない。

いつもとは違う幸せな夢の様子に安堵。
夢の中の自分達は縁側に面した廊下の端に腰かけ
庭の方を笑顔で眺めながら寄り添っている。

庭を見る自分達の目は優しく、愛しむよう・・
一体庭には何が?と夢だというのも忘れ見入る。

『母上』

ふと夢の中の自分達に見入るに幼子の声が聞こえる。
それは庭の方からで、視線をやれば3人のわらしが無邪気に笑い合っている。
しかも母上と呼んだ声はそのわらし達・・・

駆け寄る相手も私と現八・・え?これってまさか
頭に浮かんだ1つの可能性に夢を見ている側の自分の胸がドキドキと高鳴った。
夢の中で自分達に駆け寄り楽しそうなわらし達は
よく見れば自分や現八と似た面差しが感じられる・・

若しかしなくても・・彼らは私と現八の子だ――

男の子が二人に、女の子が一人。
私・・・三人の子供の母親になるんだね?
でもこれは夢だから、現実になる訳じゃなかった・・

ただ夢とは言い切れないくらいにリアルというか
まあ、子供が欲しいって気持ちから見た夢かもしれないし
これは夢で一つの可能性くらいに思っとこう。
自分自身の願望が見せる夢だ、と考える事にしたは目が覚めるまで堪能する事にした。

男の子二人は私似かな、女の子の方は間違いなく現八似ね。
死産という形だったけど・・無事生まれてたらあの子もこんな風に私に似てたのかなあ

少ししんみりした気持ちになりながら三人の子供を眺める。
その時不意に男の子のうち一人が此方を見た。
と言っても夢だから私を通した別のものを見ただけだと思う

くりくりとした黒い目が此方を見つめていて何やら可愛らしい。
私の後ろの方に気になるものでも見つけたのかしら。
他二人の子供は全く意に介さない為、何があるのだろうと振り向いてみる。
しかし振り向いた先には何もなく、小さな子供が興味を示すものは何もない。

だったらこの子は何を見てる?

やがて外れる視線、不思議な感覚だけを残し
夢の世界は白くぼやけ、自分の意識が覚醒するのを感じた。


+++


近くで聞こえる話し声で意識が覚醒
ゆっくりと瞼を開ければ人の気配が近くに在る。

話し声のような囁き声は聞こえるが中々に近い・・
あんなにしがみ付くようにして寝たのに現八はもう起きてるんだろうか?

「起きたか

少し残念に思いながら薄目を開けて驚いた。
やけに近くで聞こえるなあと思ってはいたが
声の主、現八はまだ自分と同じく褥の上で横になっていた。

相変わらず寝起きの色気が凄まじい・・・
まあその・・全部が好きなんだけども、中でも好きなのは現八の声だ。
普段話す時の囁くような話し方も良いし
その際に少し掠れる時もあったりと耳に心地いい声なのだ。

本人に自覚がないのもまたタチが悪い。
昨日現八に似たような事を言われたが
から言わせれば、無自覚の色気を振りまく現八もタチが悪いと言える。

それは兎も角、今何時くらいだろう・・
現代と違ってこの時代には時計なんてものはない。
現八の問いにおはようと返しながら視線だけ外へ向けた。
視界に捉えた外の色は白み始めている。

陽が完全に昇っていない事から日の出前なのは分かった。
なら大体卯の下刻(午前6時)辺りかな?
それから思ったのは話し声がした割に、この場には村正も居ない。
現八は誰かと話してるものだと思ったから少し不気味だなーと・・・

「なんじゃ?まだ寝惚けとるんか?」
「そうなのかな、起きる寸前現八が誰かと話してるみたいな気配がしたから」

これがもし気のせいなら、夢の延長かな?と思う事にしよう
村正もまだ寝てるのかな?
と考えるの髪を現八は笑みを浮かべて撫でる。

白い褥に揺蕩うように広がっていた黒髪を指で掬い
一房だけを流れる動作で自分の口許に引き寄せ口づける。

勿論それはにも見えている為
みるみるうちに顔に熱が集まっていくのが手に取るように分かった。
実に反応が素直で飽きない、と内心で思いながら現八は口を開く。

「いや、その感覚は正しいな」

えっ?と真っ赤になっていたが驚いた顔をする。
つまり寝惚けていたのではなく、現実に現八は村正と会話していたという事に。

「村正、もう起きてるの?でも今居なくないか?」

だって起きてたなら、結構近くで会話したって事だよな?
私と現八が寝ているこの場所は個室なんてものじゃない。
土間を挟んだ居間、食事をしたあの居間だ。

間仕切り代わりの衝立を、村正の居る奥の部屋と此処との間に置いただけ。
つまり私達より早起きな村正は、当然此処を通る訳で・・・・

「わああああああもう恥ずかしくてお嫁に行けないいいい」
「何を言っておるんじゃ、はもうわしの――」

「そうなんだけど確かに妻とかいう照れる立場なんだけどもいやちょっと待ってプライバシーなさすぎでは!!?」

「ぷら、ぷらいばしぃ?兎に角落ち着け」
「落ち着けると思う?!」

だってだよ?思い切り私現八に抱き着いて寝てたし
起きた今も抱き着いたままだったし?
それをだよ?早起きな村正に間近で見られたって事でしょ!?

それこそあーた!もし、もし昨日の流れでそのあの
えっえええええっちとかしちゃってたりしたら
はだ、はだかのままの寝姿とかを見られてたかもしれないわけでしょ!!!!?

その可能性もあったなんて知らなかったし気づきもしなかったけども!!
1年ちょいも戻って来てから生きて来たから知るべきなのも分かるけどもよ!!!

私よりこの時代の家の構図に詳しいんだからそれ先に言えよおおおおおお

ガバッと布団(とは呼べない簡易的な褥)から起き上がり
頭に?を付けた現八を感情に任せてゆさゆさと揺さぶる。


一方の現八は、今まで静かに寝息を立てていたを先に目覚めて眺め
起こさない程度の力を籠め、楽な姿勢に変えてやったりしていた。
何故そうしたのかと言うと寝ているが何やら眉宇を寄せたから

起きてるみたいに自然なソレ、訝しむような表情。
もう既に玉梓の呪いは解け、安房の国には平和が戻っている。
だからこそ余計に気になったのかもしれない。
悪い夢に魘されているなら安心させてやりたい、その一心だった。

「おや・・何かあったのかね?」
「――村正殿、いえ・・・の寝顔が少し気になったので」
「ほう?しかしよく見てますな、さすが姫様が選んだお人じゃ」

しがみ付いたままの腕を解き、仰向けにしてやり
乱れた前髪を直してやる現八を静かな声が頭側から聞こえた。

パっと顔だけ向けると、蝋燭の灯りだけを手に起きて来た村正を見つける。
家主の村正だと知らない者が見たら幽霊だとか騒ぎそうな登場の仕方だ。

内心失礼な感想を抱いた現八。
対して起きて来た村正は、嫁より先に起き
且つ僅かな寝顔の変化を見つけて案じている現八に感心している。

現八が言ったように眉宇を寄せている・・が、魘されてる感じはしない。
そうだとしても元八犬士の夫は心配なのだろう。
と言うか、仲睦まじい・・ほんの些細な変化すら気に掛けるという事は
とても深くを愛し、また想っている事の現れだ。

この若者になら、姫様を任せる事が出来る。
血の繋がりはないが、村正は孫娘を婿に託す心持ちでいた。

「見ていないと・・己の事より他人を優先しがちで目が離せんのです」

そう言いながらを見つめる現八の目は優しい。
寡黙そうだが誠実な若者だ。
姫様は良き御仁を見つけ、伴侶に選ばれましたな。

「現八殿は様が起きるまで傍にいてやって下され」

若い夫婦の強い信頼関係を微笑ましく感じながら言い
村正は起きたその足で台所へ向かい、顔を洗う。

それから畑へ行ってきますぞ、と現八へ言い残し
まだ薄暗い家の外へと畑の様子を見に出て行った。

が目を覚ましたのはその数分後。
パチッと目を開き、先ず間近にいる現八を見て目を丸くした。
おおかた既に起きていると思っていたのだろう。

それから再度現八を見て、何やら顔を赤らめる。
朝からまた可愛らしいのう・・・
何度わしを煽るつもりなんじゃは・・

互いに互いの事で悶々とし合ってるとは露知らず
顔を赤くしたは、次いで少しキョロキョロし始める。

視線を外へ漂わせた事から、今の刻限を確認したのだろう。
幸いまだ起きて出発するには早い時間帯だ。
だが時刻を確認しただけにしては、不思議そうな顔をしたままの

気になって聞けば、誰かと会話してる声がしたとのこと。
まあ確かに現八は自分達より早く起きた村正と話をしている。
別段隠す必要もないのでに答えたんだが・・
現八には理解が難しい言葉を使ったが何故か取り乱し始めたのである。

ぷらいばしぃ、とかいう不思議な響きの言葉。
それだけでなく、何故か起き上がったその手で
横向きの体勢を肘枕で支えたままの現八の胸倉を掴んで揺さぶったのだ。

??一体どうしたんじゃ?」

これにはさしもの現八も驚き、揺さぶられるまま問う。
だがその傍らの顔が赤い事にも気づき照れている事は察した。

なるほど?取り敢えず錯乱とかではなく、村正殿にこの有り様を見られた事を恥じらっておるようだ。
未だには戻ってくる前に生きていた世界の言葉を使う。
今発したぷらいばしぃというのも彼方での言葉なんだろう・・

男装していた頃の言葉遣いは直ったが
偶に今のように照れの境地に達すると男っぽい喋り方になる。

数分取り乱した様子だった、はっと我に返ると現八の着物の袷から手を離す。
それから驚いた顔の現八に気づくと、何だか気まずくなってきた。

「ごめん現八」
「別に気にしとらん、久しぶりにの照れる顔が見れたしの」
「もう・・!」

やがてごめんと口にした
中々正直に謝る事が年々出来なくなるのが人間だがは変わらず素直だ。

素直な気質もの美点、現八も好ましく思っている。
そのまま気にしすぎてしまわないようにと本心とからかいを込めて答えるが
思うところがあると見えるは、頬を膨らませて拗ねた後
そのまま数秒考え込み、ポツリと言葉を紡ぎ始めた。

「あっちでの生活も人生も捨てたはずなのに不思議だなぁ・・って
23年生きたからそれなりに染み付いてるのかな
向こうの事とか言葉とか考え方とかが」

そう言いながら話す顔は望郷にも似ていた。
時折思い出す事はあっても、あまり話そうとはしない

「・・・生まれはここじゃとしても、育ったのは彼方だから懐かしく思う心は当然あるじゃろう」

向こうへ帰りたいと強く望む事もせず
予め覚悟して此処へ戻って来たんだと思う。
分かっているからこそ現八も聞かずにいた。

あまり話そうとしなかっただけに、現八の内心はザワつく。
今になって帰りたいと考えるのも自然だと思うから。

だから、そう言い出したら・・聞き入れてやりたいと思う自分も居て
半面帰したくないと思う自分も居て、の言葉を待つ間が永遠のように感じられた。