それは優しく押し当てられた。
孤独も悲しみも、何もかもを包み込むように
優しく触れる・・・・唇。







私をかどわかそうとしていた男の人から助けてくれた沖田さん。
漆器屋の時のお詫びと今回のお礼をしたいと言ったら
仕方ないな、と笑ってお茶屋さんへ私を導いた。

「あの、お代は――」
「いいよ、僕も暇だったからお礼とお詫びは僕に付き合ってくれる事でいいから」

でもそれだけでは、と言い掛けたのを
すっと細長い指が視界に現れて
ちょん、と私の唇にあてられる。

「僕がそれでいいって言ってるんだから、それでいいでしょ?」
「―――は、はい」

そっと触れただけなのに、心臓が駆け足で鳴り響いた。
まだたった三回しか会っていないのにどうしてこんなに意識してしまうのだろう。
口の中がカラカラに乾いてしまうくらいに・・・

「さっき何見てたの?」
「あ、えっと・・鼈甲の櫛とか簪です」
「ふーん?お座敷用とか?」
「・・・・そんな処です」
「・・・・・・」

向かい合わせに座り、お団子や和菓子を頼む。
先に出された湯呑みに手を添えた時に掛けられた言葉。

何気ない会話なのに自分の心臓の鼓動ばかりが聞こえる。
普段の日の為に、とは言えず言葉を濁した。

その間も注がれる視線。

僕が彼女を見つけたのは本当、偶然の産物だったんだよね。
丁度非番で、屯所にいても土方さんが煩いし
ゆっくり寛げないからさ、適当に町をブラついてた。

そしたらだよ、前から歩いて来る子の後ろを
周りを気にしながらついて行く怪しげな男を見つけたのは

ひょっとしなくても?って聞いたけど、本当は最初から気付いてたんだよね彼女に。
何かそれって悔しくてさ、分かったけど確信がないから聞いてみた風にしてみたんだけどね

暫く様子を伺ってはいた。
ほら、途中でつけられてるの気付くかもしれないから・・
あまり接点を持つのはいけない、だから彼女が男に気付けば立ち去るつもりだった。

なのにだよ?全く気付いてないし。
多分花町の花魁って知ってたんだろうね、大方路地裏に連れ込もうとかしたんだろう。
極めつけは男の口から出まかせをすんなり信じてしまったこの子かな。

花町にいればそれ相応に身についてるだろう警戒心。
身を売って、春を売って・・・数知れぬ男達の繋がりを体に刻み込んで生きて来ただろうに

どうしてこんなにも彼女の心は綺麗なんだろう。
太夫まで上りつめれば、男のあしらい方くらい分かってるだろうにさ
こんなに分かりやすく僕を見て顔を赤くしちゃって・・

「沖田さん?」

ぼんやりしている僕の視界に映るという太夫。
全く警戒してないのが分かる。

柔らかい唇、白い肌。
キョトンと首を傾げた仕草、思わず触れたくなった。
・・って左之さんじゃあるまいし

でも気をつけなくちゃだな〜・・・・
もう、会わない方がいいかもしれない。

「あ、ごめんごめん。お団子来たね」
「いえ、お疲れなのかと」
「大丈夫だよ、ちょっと考え事してただけ」
「考え事ですか?」
「うん。やっぱそうしてると普通の女の子みたいだなって」
「―――え?」
「花魁姿も綺麗だけど、普通の格好も可愛いよ」

心配そうに問い掛けて来た彼女には適当に誤魔化す。
花魁姿との違いとかは素直な感想だよ?
明るい太陽の下で普段着の彼女を見れたのは新鮮だった。

もうこれ以上会ったらいけないから。
ちゃんと覚えておこうって、しっかりと着物姿の彼女を目に焼き付けた。


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お代を本当に沖田さんは支払い、茶屋を出て行く。
此処は甘えさせてもらおう、と好意を受け入れ私も外へ出る。
挨拶を済ませてしまえばまた接点はなくなってしまう・・

いつ逢えるなんて分からない、分からないからこそ痛む胸。
ちくんちくんと、一定のリズムで痛む心・・・
どうして痛むのかが分からない、此処でサヨナラをしたらまた逢えるかも分からない。

ちゃん?」
「―――っ、はい?」
「ちょっと待っててくれる?」
「?・・・分かりました」

素直に頷いた彼女を残して往来を戻る。
理由なんて知らない、認めたくない。

けれど彼女に笑って欲しかった。
彼女との繋がりが欲しかった。
彼女に、僕を刻みたかった。

なんて陳腐な理由を並べてみたけれど、それこそ理由なんてなかった。
僕の心に生まれた甘い痛み、その痛みから目を逸らしたかっただけかもしれない。



突然来た道を戻って行った沖田さん。
広い背中を見送る、気配もなくなる・・・・
何か忘れ物だろうか?理由は分からないけど、また戻って来る感じだった。

姿が見えない。
声も聞こえない。
親鳥を待つ雛のように・・

莫迦ね、子供みたいな事
私を迎えに来てくれる人なんて、もう何処にもいないのに。



紙袋を手に、僕は茶屋へと戻る。
関わらない方がいいと分かりつつ、こんな手土産を買ったりしてる僕は
皆から見たらかなり驚かれるんだろうな。

自嘲の笑みが浮かぶけど、すぐにそれもなくなる・・
花魁の頂点に立つも、子供のように純粋で綺麗な心を持った彼女。
人を疑う事も知らない・・・きっと、初めての情事の時も生きる為と何ら疑う事もなく

この世界に足を踏み入れたんだろうなぁ
花魁らしくないよね、かどわかされそうになったり隙だらけの顔を見せたり

気付けば自嘲の笑みも、ただの笑みへと変わって行く。
自分にこんな顔が出来るなんて、そう思える感情もあった事を僕は初めて知った。