何が原因だったのだろう。
それまで確かだった物があったのに
些細な事で簡単に壊れてしまうなんて

思いもしなかったね。
この幸せはずっと続くものだと思ってたのに。

何で

どうして・・・


死んじゃったの?お母さん――



壊れた歯車



此処は淀んでた。
空気は濁ってる。

灰色の空。
それが晴れる事も
陽が射す事もない。

家族なんてありもしない
例えるならば『牢獄』。

そんな処に、私と妹は暮らしていた。

逃げる事なんて叶わない。
此処で生きるしか術がなかった。

亡くした影を求めて、それは家の中を歩き回る。
愛した人の姿を求めて家の中を歩き回る姿は、まるで亡者。
虚ろな目をしたそれを、私は父親なんて呼びたくもなかった。

それがかつて父親と呼べた頃、私達家族は幸せで・・・
家の中は常に笑顔が絶えなくて、両親は優しく父親は深く母親を愛してた。

でもその幸せは長くは続かなかった。
今から3年前、私が15の時に母は事故で死んだ時から
其処からこの地獄のような日々が始まったんだ。



□□□



全ての始まりは・・・母の葬式の夜。
当時7歳だった妹の蓮は、母が恋しくて夜はいつも泣いていて
父が最初は寝かしつけてた・・。

その日から・・父は父ではなくなった。
私も・・・・私ではなくなったかもしれない。

妹を守る為、私は父親に従うしかなかった。
心を殺す事でしか、自分を守れなかった。

いつしかそれがクラスにバレ、全校生徒に広まるには時間がかからなく
私の周りには常に男子の目が向けられるようになり
何度か脅されては・・・従う事でその場をやり過ごすしかなかった。

友達も親友もいなくなって、学校では孤立し
卑しい目的の男子しか近づいて来なくなった。
もう・・・・消えてしまいたいと思った。

私なんていなくなってもいい、母の処に逝きたい。

けれど、それを赦してくれない一人の男の子がいた。
学校では生徒達から一目置かれ、教師にすら恐れられていた人。
今では名前すら思い出せない。

『そっから飛んだら一瞬だけでも鳥になれそうだよな』

死を決意して屋上へ来た私。
上履きを脱いで柵を上ろうとした背中に掛けられた言葉。

止める気なんて更々ない感じ。
振り向いたらその人がいた。
縁がなかったはずの部類・・・

その人は屋上のタンクの上にいて、寝ていたのか上体を起こした態勢でこっちを見てた。
黒髪だけど襟足にメッシュが入ってる。

人がいるなんて思いもしなかったけど
気持ちは深く沈んでて、もう言葉すら口にする気力もなかった。

『何だよ、口もきけないのか?』
『・・・・・・・・』
『ちっ、つまんねぇの。別に邪魔なんかしねぇから飛びたきゃ飛べよ?』
『・・・言われなくったって・・』

何処かに行って欲しいのにその人は話し掛けるのを止めない。
そのくせ勝手に話を切り上げるし、飛ぶのは邪魔しないとか言い出す。
飛び降り自殺するトコでも見るつもりなの?

悪趣味すぎる。

その悪態が顔に出て、ムスッとした顔のまま呟き
堂々と死んでやるつもりで私は柵に座った。

『つーかすげぇなアンタ』
『――は?』
『アンタだろ?噂になってるって』

いざ、と言う時にまたしても掛けられた言葉。
凄いとか言われて拍子抜けした処に広まってる噂の事をその人は口にした。
瞬間体に緊張が走る。

この人も噂聞いて此処にいたのかもしれない。
また脅されるのかもしれない。
この人・・結構悪い噂あるから、今までよりももっと酷い目に遭わされる。

そしたら煉(れん)にまでも危害が及ぶかも――!!

『――だったら何よ!アンタもアイツ等と同じ?』
『は?アイツ等?』
『それなら最初からそう言いなさいよっ!好きにすればいいじゃない!』
『いや、だから何言ってんだよ』
『私はどうなったっていい・・・妹には・・煉には手を出さないで!』
『煉・・・?つーかあんま暴れんなよ――』
『――!?』

妹を守らなきゃって思ったら、もう相手が誰であろうと気にならなかった。
不安定な柵の上で上体を右に向けてその人に食ってかかる。

対する青年も、先程までと様子が一変したを見て目を丸くした。
しかも何か勘違いしてるようで、会話が噛み合っていない。

柵の上で興奮する様は、あまりにも危なっかしく・・・・
前傾姿勢になった私は、勢いあまってバランスを崩した。
ふわりと浮いた体、時間がゆっくり流れて行くように思えた。

視界に見える空。
このまま行けば死ぬ事が出来る。

そう思っていたのに、凄く必死な顔で私の方へ走ってくるその姿から
私の目は逸らせずにいた。
大きく後ろに傾いた自分の重み、柵に掴まろうと伸ばした手は力いっぱい誰かに引っ張られ

そのまま屋上のコンクリートの上に倒れ込んだ。
けれども、叩きつけられた筈なのにちっとも痛くなかった。
そっと目を開けて、思わず私は固まる。

『ってぇー・・・・』
『―!?―』

そう・・私の手を引っ張ったのも
下敷きになってくれたのも、さっきまでタンクの上で会話してた人だった。
展開の速さについて行けなくなって頭がパニくる。

その人の片手はしっかりと私の腰に回されてて
顔は凄く近いし、お・・おし・・押し倒してる!?

カーーッと顔に熱が集まって、退こうとしたのにその人は手を離してくれない。
それどころか少し呆れた顔でこう言うのだった。

『何か勘違いしてねぇか?』
『何も勘違いしてないわよ』
『俺さ、アンタが噂になってんのは知ってっけど・・理由知らないぜ?』
『――なっ』
『まあ・・・勘違いしたアンタがさっき喋った感じで大体分かったけどな』

人の下でニッと笑ってくれちゃってるこの人。
その笑顔が・・何処か眩しくて、噂通りの人とは思えなかった。
勘もいいのにクラスの男子と違う反応。

どうして脅さないんだろう。
面白がってるの?
それとも油断させて後で脅すのかも・・・

『さっき・・』
『あ?』
『何が凄いのよ・・噂の事でそう言ってるなら――』
『ちげぇし』
『何がどう違うのよ』

いやぁな考えが浮かんだ私は、それを祓うように質問を切り返す。
飛び下りようとした時にこの人はそう言ったのが気になったから。

それに、早くこの誤解を招きそうな体勢から解放されたいのよ。
つい結論を急ぐ私に、嘆息したその人はさっきみたいに笑ってその理由を口にした。


『そんな処から飛べるんだろ?其処らの奴より度胸あんじゃん』


だからすげーって言ったんだよ、そんな風に言う人は今まで身近にいなくて
暗く淀んでた私の世界に、初めて飛び込んできた人だった。