優美なソレが、の心に響く
の姓と同じ名の舞は、

『コエ降ろし』の為だった。


§懐麓殿§


聴遠の獣人と喪月の居る部屋をが出て行った後
一人残った喪月、先程獣人が持って来た依頼書に目を落とす。
その書類には修繕する本の題名と著者の名が記されている。

ごく偶に分厚い本が送り込まれて来る事がある。
まあこれをいきなり修繕してみろ、と言われても新米御言葉使いには無理だろうな。
喪月も其処まで横暴ではなかったりするらしい。

一人書類と向き合う姿に、先程のような表情豊かな色はなく
静かに佇む様はまるで彫刻。

ある意味それも異質な光景・・・・
いや、異質と言うより『違和感』の方が合っているかもしれない。
は知らないが、彼等にとって色のない表情は当たり前の在り方だ。

誰もその『違和感』に気付く事無く存在しており
だからこそ、此処でのの存在は『異質』なのである。
その事に自身も薄々気付いてきてはいた。

ただそれを問う事をしないだけ。
確かに目の前に存在している彼等を、否定するような言葉は避けていた。



過度な情報は与えるべきではない
この空間に存在する自分達ですら全体像を把握していないのだから


把握する必要がないから。

「嗣鏡眼の司殿」

考え込む喪月に、突如何もない空間から声が掛かる。
だが喪月に驚く様子はない。
彼は驚く必要も、その色を浮かべるやり方すらも知らぬのだから。

視線を向け、徐に指で声のした場所に円を描く。
するとその円が描かれた場所がズレて
空間の歪のようなものが現われ、中から一人の人物が現われた。

「何だお前か、監視ご苦労さん」
「ご挨拶ですね」
「事実だろ?負屓(ふき)お前わざわざこんな所まで来て監視かよ」
「違いますよ。息抜きです。」
「サボリか。椒図(しょうず)に見つかったらどやされるのが関の山だな」
「心外ですねぇ・・何よりも書簡を管理する事が天職のこの私がサボリなどと言われるのは」

なら何しに来やがったんだコイツ←
無表情で続く言葉の掛け合いの中、喪月が内心で毒づく。
姿を言葉にするならば、外の世界にある中国とやらの文官の姿をしている。

文官は文官でも、三国時代みたいな服装だと思えばいい。
異空間に居る喪月が具体的に例えを挙げられるのは
過去に幾つもの本を修繕してきたからである。

つまりは自然に身に付いた現世(うつつよ)の知識とやらだ。

空間を渡って喪月の前に現われたこの負屓は
異空間にあるこの場所で過去幾度となく行われた修繕
その修繕をした報告書をまとめて管理している管理人なのだ。

懐麓殿(かいろくでん)と言う場所を管理しており
先程名前の出た『椒図』は、懐麓殿の門番をしている。
門番としての職に誇りを持っている男で、融通の利かない奴で負屓とは相性が悪い。

喪月の言葉に心底心外だとボヤクその横顔を嫌そうに眺めた。
腹の中が見えない男だからだ。

この男には報告書管理人としての任の他に、別の任がある。
それは嗣鏡眼の司である喪月の監視だ。

監視される理由は分からないが、監視されてる事は確かである。
創り手の威を借る嘲風(ちょうほう)の塔に、喪月を住まわせている事がそれを物語っている。
嘲風の意味合いは、嗣鏡眼の司・・と同等。

どちらも『遠くを見るを好む』と言う意味だ。
嗣鏡は他者には見えぬ、ありとあらゆる空間の世界を視る者とされ
嘲風も高い所から遠くを視る、と言う意味で嗣鏡と同等視される。

格は嘲風の方が負屓より上。
頂点は創り手で、その下が喪月、その喪月を補佐するのが聴遠の獣

知れていないが獣人の上に存在するのは
嘲風、負屓、椒図、残り六人を加えた竜生九子である。
彼等は創り手の使いだとそれていたりするが、知られていない。

「まあ聞いて下さい、武官として司殿の傍らに聘緘(へいかん)をつけます」
「はあ?何の為にだ?この平和すぎる空間に武官なんざいらねぇだろ」

怪訝そうな喪月の問いに、負屓は笑みを浮かべるだけであった。

「取り敢えずこれだけ置いて行きます、目だけでも通しといて下さい」
「何だコレ」
「見ての通り、過去修繕依頼のあった『世界』を纏めたリストです」
「んな事は分かってる、何の為にコレを寄越したのかを聞いてんだよ」
「見れば分かります。ただ少し気になっただけですから」
「フン・・」

笑みを浮かべた負屓は、腕に抱えていた数枚の書類を机に置き
曖昧な答えを返しただけで再び空間を渡って行った。
渡る空間は、喪月と以外限られている。

異空間に存在しているこの場所の中のみだ。
この空間の中であれば、移動手段など使わずに移動出来る。
ただし、移動術を使うのは竜生九子達のみだがね。

文司や文木霊らは移動する必要がない為、空間移動術は用いない。
異例になるとしたら、仮修繕を行いに行く時だろう。

当たり前だが、御言葉使いの代わりが出来るのは
喪月と文司のみである。
代役をするには空間を移動出来なければならない。

それはさておき、釈然としない喪月も
わざわざ負屓が持って来たその書類が気になり
何の表情も伺えない顔で、事後報告書ならぬ過去依頼リストの表紙を捲った。

「ふーん?これはまあ・・負屓が気になるのも分かるかもしれねぇな」

過去に修繕依頼を受けた『世界』がまとめられた文面には
明らかに気になる数字が書かれていた。

この数字に何らかの意味があるのかは現時点では判断出来ない。
だが記録として頭に置いておく必要性を感じた。
これが後に、この空間を脅かす物となるとは・・現時点では誰も知る由もなかった。


+++++++++


気になる点と言えば、喪月にはもう1つあった。
他でもない、御言葉使いとして此処へ呼ばれた少女の事である。

表情をあまり変えないのだ。
現実離れした世界へ突然放り込まれ、獣人を見ても驚きを示さない。
冷静と言ってしまえばそれまでだが、何となく喪月は心に引っ掛かったていた。

俺達と同じ、と言う訳でもない。
奴は『生きてる人間』だ・・此方の住人と『同じ』なはずはない

ふと扉の外に気配を感じた。
どうやら奴等が戻って来たらしい。

そして早速扉を開ける為に喪月が動く先には
負屓の残して行った聘緘が現われ、ノブを回して扉を開いた。
いつ形となり、控えていたのかは一切気にしないでおこう。

「只今戻りました―――・・?」
「よう、遅かったじゃねぇか」
「喪月様・・この方は?」
「武官だとよ」
「武官・・・ですか、何ゆえでしょう?」
「さあな、俺も知らん。竜生九子が置いて行きやがった」

獣人と共に、文木霊を引き連れて喪月のいる塔へ戻ったのだけども
ノックをして獣人が扉を開ける前に扉は内側から開けられた。

獣人さんも驚いたような感じだったけども
最も驚いたのは扉を開けた人物の姿に。

これもまた人間ではない。
だってさ、耳がないし・・・・
この硬そうな鹿みたいな独特のこの耳と言ったら

「ひょっとしなくても『龍』よね?」
「・・・・そうとも言うが・・お前随分と冷静だな」
「だって向こうで生活してる時とかそういう本読んだ事あるわよ」
「ついでに聞くが、俺達を見ても驚いてねぇのはソレか?」
「そうね、物凄く驚いたのよ?ただちょっと上手く表情に出せなくて、寧ろ逆に冷静にならなきゃと思ったから」

ほう・・・・まあ一理ある。
ギャーギャー喚いてパニックになられても面倒なだけだしな。

「すんなり受け入れたのも理由があんだろ?」
「こんな感じの展開は本でもあるし、本の世界に入る事になるとは思わなかったけどね」
「成る程?こいつらが怖いとは?」
「思わないわよ。だって彼等は」

一呼吸で喪月の問いに答えて行く
今更そんな事を聞かれるのは分からないが、怒鳴られないうちに答えを返した。

怖くないのかと聞かれた時、は心の中で思った。
私と言う生身の人間は、獣人を見て怯えると思われていたのだろうか?と

生憎だが怯えるような可愛い性格ではない。
向こうでは本が友達のような物だったし
人間の友達はいたけれど、百合香を除けばそれはただの集まり。

仲良くなる為に媚びたり、探り合い、伺い合う。
特に女同士は輪をかけてめんどくさい。
仲が良くても何処かで壁を作ってる。

時にはケンカしたり、ぶつかったり。
グループがどうたらこうたら・・・・

でも彼等は違う。

「人間じゃないしね、それに獣人さんは可愛いし」
「・・・ああそう(」
「顔色とか伺って来ないし、何より無条件で受け入れてくれるから」
様」
「そんな彼等を怖いとは思わないよ。質問はそれだけ??」
「・・・・・まあいいだろう」

喪月はふとの闇を垣間見た。
明るい性格で物怖じしないが、人間に対しては何処か冷めた部分を持っている。

それがあの一瞬見せた無の表情。
獣人ですら声をかけるのを躊躇われるくらい。

『生きてる』ってのは面倒な事もあるみてぇだな。

漸く喪月は獣人からの問いに答えた。
その説明には誰もが口を開ける事となった。

「あまり知られてねぇが、この空間には『創り手』の使いがいるんだよ」
「『創り手』の?」
「こいつと残り八人、総称は竜生九子と呼ばれる。位置的には俺の下か其処等だな。」

喪月が言うには
『創り手』は修繕空間の管理人として喪月を据え

喪月の補佐役として、獣人を据えた。
竜生九子は、空間の管理人である喪月を裏から補佐している。
『創り手』が使わした九匹の竜だとか?

主な役割としては、この場に居る聘緘(へいかん)は悪人を裁く事を好む竜。
力を好む竜でもあるので、武官として此処に使わされた。

そして、負屓(ふき)と言う竜が聘緘を連れて来たのだが
この負屓の職を聞くや、獣人の顔色が変わった。

「それは・・私も初耳でしたね・・・」
「懐麓殿って所があるんだが、其処で修繕記録の管理をしてる」
「つまり、依頼書と報告書のですか?」

「理解が早いな、その通りだ。修繕記録全般の管理。
あそこに行けば、どの『世界』のどの部分が何度修繕されたのかが分かる」
「修繕記録の管理人って所?」
「まあそんな所だ。さて、文木霊は連れて来たな?」
「はい、此方に」

獣人も初耳だったらしい。
いきなり『創り手』の使いと明かされ
しかも自分の上司がいたとは・・・・・

直属の上司は喪月だが、獣人としての上司は九子になる。
驚きが隠せない様子で喪月の話を聞いていた獣人。

で、聘緘を擬視。

どうして此処の住人は、顔が整ってるんだろう。
まるでエルフみたいね。
とは言ってもこれは御伽噺ではない。現実。

傾いた意識を喪月へ戻す。
そのタイミングで喪月が再び説明を始めた。

「今日は初日だから俺が手本を見せる。」
「うん」
「修繕をする記述の場所はこの依頼書に書いてある」
「えーと・・・・これ辞書?」
「流石に分かったか。お前の世界ではよく知られてる広辞苑だな」
「やっぱ辞書であっても古くなったら修繕しなきゃだもんね」
「まあな、辞書クラスは本来ならまだお前には無理になる。教材として手本を見せるには丁度いいだろう」
「そんなに難しいの?」

修繕にはクラスがあるらしい。
一番簡単なのは文庫の小説で、次に書籍。
そして最終クラスがこの辞書だ。

つまり本の厚みと内容の難しさによってランクが分かれる。
今回教材として用意された辞書の修繕は広辞苑。
喪月の言う様に、一番ランクの高い修繕のクラスだ。

の問いに喪月は視線だけくれると答えた。