流転 七章Ψ犬飼現八Ψ
自分の言葉に安心して眠ったのを確認した後
犬飼は捕り物の名手として名高かったので、気が進まないが公方の所へ出かけた。
さっき青年を乗せて来た馬に跨り、手綱を引く。
この辺で名が知れてる自分の家に、自ら捕まりに来るヤツはいないだろうと踏み
を残して御所へ向かった。
古河の御所へ着いた犬飼は、拾った青年については何も告げず
盗賊を捕まえ、連行した事だけを報告するとすぐに発った。
無意識に急いでる自分、たかが小僧1人に何故そんなに急ぐのか。
自分でもよく分からない、盗賊に奪われかけた『村正』も取り返して土間の何処かに隠してある。
何も心配する事もないだろに、何故だ?
初めて覚えた感覚、腑に落ちないが馬をそのまま走らせた。
こうして帰って、障子を引いた途端。
う、わぁっ!!という間抜けな声が耳に飛び込み
目の前に人が倒れてきた。
何を考えるより先に、咄嗟に手を伸ばして倒れてきた体を受け止めた。
倒れてくる顔を見て 拾ってきたヤツだと気づく。
一方倒れ込んだも、家主だと気づいて
器用に体を反転させ、うつ伏せに受け止められるのを避けた。
だって、胸が当たっちまうだろ!サラシ破けてるんだから!
「お主、あれだけ蹴られて よく動けたモンじゃのう。」
ドサッと倒れ込み、呆然としている自分に掛けられる声。
その声には聞き覚えがあった。
意識が朦朧としていた自分に、濡れ手拭いを乗せ
安心させるような声で眠るよう言ったヤツの声。
「アンタが、此処の家主?」
「ああそうじゃ、にしても・・まだ痛むだろうに何をしようとしてた。」
「背中を・・・洗い流したくて」
そのまま抱えられ、布団へ連れて行かれる中
は乱れていた着物を、一生懸命急いで着直す。
その動きを、犬飼は見ていないようで見ていた。
「やっとその気になったか、もっと早く手当てしようと思ったんじゃが
中々させてくれなかったから出来んかった。」
「え?嫌がったのか、俺・・」
家主の男に答えながらも、理由は分かった。
きっと、サラシを取られて 女とバレるのを無意識に阻止してたんだと。
それはそれでホッとしたが、手当てしようとした相手には失礼。
は少し考えた後、家主に背を向けて着物の袷を握り
覚悟を決めて、景気よく着物の上だけを脱いだ。
勿論、破れたサラシも取り去る。
「助けてもらったのに、失礼な事をした・・この通り頼まれてくれ」
そう言って晒された背中、潔いというか思い切りのいい脱ぎ方に
呆気に取られていた犬飼だったが、妙に湧き上がる笑いを噛み殺すと
青年の背中を振り返った。
・・・・育ちでもよかったのか、日にも焼けていない白い肌。
だが血の気が悪いという訳でもない。
病人のようだ、というよりも白魚のような・・・
待てワシ、相手は男じゃぞ?その例えは在り得ない。
1人自問自答してから、水瓶へ向かい桶にその水を入れると
青年の所へ戻り、額に乗せていた手拭いを浸け
滴る水を絞って切る。
そうしてから見た背中は、小さな傷や擦り傷、切り傷が付き
所々腫れたり、血が出たりしていた。
大分膿んでしまってるのもあり薬師でもない自分に出来る手当てはたかが知れていた。
「かなり膿んでしまっておるな・・」
「すまない・・俺が診せようとしなかったから」
洩らした声に対し、背中を向けてる青年の肩が落ち項垂れる。
きっと気にしているのだろう、自分の取った行動を。
まあ・・済んでしまった事は仕方がない。
犬飼は背中越しに、気にするな と言い綺麗な水で傷口を洗い流した。
こうするだけでも少しは違うだろう。
青年に他の手拭いを渡し、腫れた手足を冷やすよう言った。
「あ、あの・・有り難う・・・えっと・・・・」
「ワシは犬飼現八信道という、手当ての事は余り気にするな。」
首だけで後ろを向き、自分の汗も拭っている家主に礼を言い
名前を言おうとして迷った。
まだ名乗っても、聞いてもいなかったから。
そうしたら家主の男が名乗ってくれた。
犬飼現八信道・・それがこの男の名前・・・
小麦色に焼けた肌、逞しい体躯。
意識が朦朧としてて、よく分からなかったけど
馬まで運んでくれたのも、胸に寄りかからせてくれたのもこの人だったと思う。
強いんだろうな・・・あ、名前名乗ってない。
「あの、現八さま。俺はっていいます、それと・・」
「ワシの事は現八でいい、畏まる必要もないじゃし。」
サラシはなくても、布とかないですか?
と聞こうとしたの顔に、包帯のような物がぶつかる。
それが下に落ちると、優しく笑っている現八の顔があった。
その笑顔に、一瞬胸が熱くなった。
何で胸が熱くなるのかが分からないが、照れるな俺!
今照れたら気持ち悪いって思われる。
わたわたしているを見て、小さく笑った現八。
笑われてるのが分かると、無性に何かこう・・・胸がキュッとした。
この感情は何なんだろう・・・此処に感情を忘れたまま向こうに行って
還って来た今、ちゃんと学んでないから分からない――
あ!今まで忘れてたけど、村正と正国は!?
ふと自分の腰が丸腰だった事に気づき、は辺りを見回した。
あれは、村正が俺なんかにくれた名刀だ。
まさかあの盗賊達に奪われちまったのか?
それは大変だ、あれはただの刀なんかじゃないのに――!
痛む体を何とか動かし、急いで渡された布をしっかり巻く
それから着物を着ようとして袖じゃないトコに手を通し
ひーーーっとなってパニくってると、現八の声が耳元から聞こえた。
「何を慌てておる、まだ寝ていろ。」
「――っ!・・いや、その、俺の刀がなくて・・・」
低音で色っぽい声に力が抜けそうになったが
それこそ変な風に見られそうなので、耐えながら刀の事を問う。
これで知らないと言われたら、村正に会わせる顔がない。
聞かれた現八は、うん?という顔をしたと思ったら
ポンポンとの頭を叩いて土間へと歩き出した。
何が何だか分からず、黙って現八を目で追うと。
「やはりこの刀はお主の物か、安心しろ2本とも無事じゃ。」
土間の奥から、黒塗りの鞘を2本手にした現八が戻ってきた。
どうやら現八が預かっててくれたらしい。
無くしてもなく、盗られてもいなかった事で
も安堵し、ヘナヘナと座り込んだ。
その前に、刀を持った現八が来て座り 俺に聞いて来た。
「まず聞きたいんじゃが、お主はこれがどんな物か知っておるのか?」
「・・・・ああ、俺が最初世話になった人に譲り受けた。」
「譲り受けた?見ず知らずのお主にか?」
驚いた風に反応した現八に、隠す事なくああと頷いてみせる。
真っ直ぐに、相手の目だけを見つめて。
嘘をついてるようには思われたくない。
それに、姉上もこの刀が俺を助けてくれると言った。
親切にしてくれた村正に応える為にも。
真摯に見つめる強い意志の宿った目。
氏を言わなかったが、何か繋がりというか関わりを感じた者。
訴えかける目から、偽りは感じ取れず
変わりに真っ直ぐな何かを受け取った。
「そうか、じゃあお主は何処へ向かおうとしておる。」
の言った言葉を、それ以上追求する事なく
現八は問いを変えると、再びを見た。
何かを見極めようとしてるような感じ。
何処まで話せばいいんだ・・もし、現八が里見を狙う側だったら。
でも、きっと首の痣は見られてそうだし
それでも俺を捕まえようとしないって事は、里見側?
「・・・、お主の鎖骨にある痣は ワシにもある。」
「――え?痣があるのか?じゃあ・・あの、玉もか?」
『玉』という言葉を口にした時、サッと現八の顔色が変わった。
マズイ事でも言っただろうか?でも痣があるなら玉があるはず。
だって、その痣と玉こそが姉上の御子である証拠。
迷っていたようだから、痣の事を言ったが
まさか玉の存在も知っておったとは・・・・
「お主も玉を持っておるのか?」
「持ってはいない、だが、俺はその玉を生み落とした人を知っている。」
「玉を・・・生み落とした?」
ほぼ同時に互いに問いかけた言葉。
ちょっと吃驚したが、現八の問いかけを優先し先に答えれば
間を置かずに問い返され、も頷いてから言おうとした。
「その人は・・・・・・」
――――ヒヒーン
の言いかけた言葉は、馬の嘶きで遮られた。