祈り



後に続くはずだった言葉を封じるみたいに押し当てられた唇。
橋の欄干に背中を預け、その唇を受け止めた

そのキスは凄く優しくて、優しい事に驚いて言葉も暴れるのも封じられてしまう。
時間にしたら数秒、だけど俺にはそれが永遠みたいに感じた。
涙の残る目を隼人へ向けるが、隼人は目を合わす事はなく力の抜けたを残して熊井さんの後を追って行った。

追いかけたかったのに、俺は脚が立たなかった。
隼人のキスが、凄く優しくて・・唇を通して気持ちまで伝わってくるみたいで・・・
橋の欄干に寄り掛かった姿勢のまま、俺はぼんやりと隼人の背を見送った。


何とかを置いて来る事に成功した隼人は、ビルの入口付近で熊井と合流。
先程とは違う顔つきの隼人、それからの姿がない事に熊井は自然と問いかけた。

「・・・・良かったのか?矢吹」
「俺は決めたんです、大事なもの・・・・守れる奴になるって」
「そっか」

階段を上りながら短く言葉を交わす。
其処で熊井は、隼人にとっての大事なものと言うのが嘩柳院の事だと合点が行く。
頼もしい返答に、少し力が沸いた気がした。

―何でそうやって置いて行くんだよ・・いつもいつも・・・俺は――隼人の傍にいたいのに!―

階段を上る隼人の脳裏に蘇るの言葉。
あれって・・そうゆう事なのか?
そう思っちまってもいいのかよ。

泣きそうなの顔が浮かんでは消える。
強引に塞いだ唇・・・感触の残る自分の唇を、そっと指でなぞった。


□□□


1人残されたも、ぼんやりと景色を眺めていた。
今頃もう乗り込んでしまってるだろうな・・・とか
乱闘になってたりしたらどうしよう・・とか

よくない考えばかりが頭を埋め尽くす。
俺にも守らせろよ・・って隼人は俺に言った。
今一番守りたいのは・・・・俺だ・・って。

初めてされた時とは違う、強引でも気持ちを無視したものでもなく
ただ・・・酷く優しいキスだった。

もう何なんだよ隼人・・・何で今日に限ってそんな優しいキスなんかすんだよ
少しでも強引とかだったら文句言えたのに・・こんな優しいんじゃ、待ってるしかないじゃないか・・・

川のせせらぎが心を落ち着かせる。
時計の針が午前10時を刻む頃には、人通りもポツリポツリと見えてきた。
座り込んだままだと目立つと思い、ゆっくりとビルへと歩き出す。

中には・・入らない、隼人は今・・・俺や皆の意思を背負って一人熊井さんと乗り込んだ。
俺を守りたいって言ってくれた気持ちを裏切りたくなかった。
待ってるだけがこんなに辛いなんて・・こんなに不安になる物だなんて思いもしなかったよ。

「――嘩柳院!!」

ビルのガラス戸を背に、玄関の段差に座り込んでいると
切羽詰まった声が自分を呼んだ。

パッと顔を上げた先には、髪を乱したヤンクミ。
眼鏡は外されていて、戦闘モードに入ってる格好だ。

「二人はどうした?」
「ビルに・・・」
「分かった、後は私に任せろ」
「・・・・ああ」

だけが此処にいる事に驚いた様子だったが
すぐ隼人達が中にいると確認し、の頭を撫でて
微笑んで見せると、ヤンクミはビルへと入って行った。

ヤンクミが来てくれたなら、もう大丈夫かもしれない。
さっきよりは安心出来たは、入口前の段差に座り直す。
どれくらい待ってる時だったろうか、そんなにヤンクミと変わらないタイミングで威厳のある老人が現れたのは。

でもにとっては初めて見る顔ではなく、その人はヤンクミのお祖父さんだった。
優しく俺の頭を撫でて、君は心配しなくていい
安心して待っていなさい。と、そう言ってくれた。

誰かが呼びに行ってくれたのかもしれない。
今回ばかりは、ヤンクミだって危険な事に変わりがない事だったから。



皆は無事だろうか、お祖父さんが入ってから数分は経っている。
ちょっと中の方でざわついた感じはしたけど、それっきり何の気配もない。
終わったんだろうか?それとも・・・・?

まさか間に合わなかったんじゃ?
そんな事ない、変な方に考えたら駄目だっ
信じて待つ・・・そう決めたんだから。

寒空の下、膝を抱えて座り そのまま俯く。
無事を祈ることしか出来ないのが堪らなく悔しかった。

一方地上げ屋のオフィスでは、駆け付けた久美子の祖父のおかげもあり
無事権利書を取り返す事が出来た。
殴られて怪我を負った熊井と隼人、その二人も久美子とお祖父さんに支えられビルを出る。

「矢吹、お前・・嘩柳院は置いてったんだな」
「・・・・アイツはあんなトコ行ったら駄目なんだよ、それに・・女だし」
「・・・そうか、それでこそ男だな!偉いぞ矢吹!」
「ってぇ!おま・・俺怪我してんだから止めろよ!」
「有り難うな、嘩柳院の事・・・守ってくれたんだろ?」
「・・・仲間・・・だし?」

玄関先で一人不安そうに待っていた嘩柳院。
駆け付けた久美子はすぐに察した。

矢吹が巻き込まない為に置いて行ったって事。
アイツなりに、女の身である嘩柳院を守ったんだろう。
大丈夫、その気持ちはちゃんと・・嘩柳院に伝わってるさ。

男子としての立派な態度に、嬉しくなって頭を撫でれば
怪我をしてる隼人がすぐに不満そうに抗議する。
その姿も今は可愛げがあって微笑ましく見えた。



□□□



―ガチャ―

膝を抱えて待つの耳に、ガラス戸の開く音が届いた。
パッと顔をあげて振り向けば、ヤンクミに肩を貸してもらっている隼人と
お祖父さんや熊井さんの姿が映った。

やっぱり殴られたりしたんだ。
二人とも傷だらけ、だけど無事な事に変わりはない。
無事な姿にホッとして、泣きそうになる。

色んな感情が溢れて来そうで、ギュッと拳を握ったを見て
久美子はそっと隼人の背中を押し、振り向いた隼人にただ微笑むと
クマを支える方に回り、先に行ってるぞと残して立ち去った。

残されたのは押し黙ったと傷だらけの隼人のみ。
・・もしかして怒ってるのか?

あんな事して、置いて行ったからかも・・・・
だってあの時は必死だったんだよ、ああでもしなきゃ残ってくれなさそうだったし。
が何か言う前にと、口を開いた隼人。

「ごめんな、あんな事して・・けどあれはお前を――」
「謝るなよ」
「いや・・怒らせたかと思ったから・・・」
「怒らねぇよ!」

いや、さん・・怒ってるだろ(苦笑
声を荒上げた、やっぱ怒ってるじゃんと思いながら
視線をへ向けて隼人はハッとした。

声だけ聞けば怒ってる、だけどの顔は怒ってなかった。
それどころか、真逆で・・・泣きそうな顔をしてた。
引き止めた時と同じ・・・・・

「そんな殴られて・・怪我して、命の危険冒してまで・・・守られたくない!」
・・」
「どれだけ心配したと思ってんだよ!!置いてくなって・・・言っただろ!!」
「ごめん・・・」
「俺・・隼人に何かあったらどうしよう・・って」
「!?」

今にも大粒の涙が溢れて来そうな程潤んだ瞳。
守るどころか不安にさせてしまったと、少し胸が痛んだ。

置いてくんだよ、いつもいつも・・・ってあの時言ってたよな・・
そんなつもりなくても、そう感じさせちまってたんだな。
ふと反省して考え込めば、ふわりと芳しい香りが鼻腔をついた。

ハッとして眼下を見ると・・・
自分に抱き着くの姿があった。
余りに驚いて一瞬頭が真っ白になる。

さんざ抱き締めたり、キスとかしちまったりしてたのに
から抱き着かれるのは初めてで、どうしていいのか戸惑った。

「ごめんな、もう・・置いてったりしねぇから」
「俺こそ詰ったりして・・・・ごめん」
「別に?が俺の事心配してくれてるって分かって嬉しかったし」
「子どもっぽいとか思っただろ」
「んー?・・・・もうが泣くのは見たくねぇし、まあ・・可愛かったから問題なし!」

やっとを抱きしめ返して、耳許で優しく囁いてやった。
腕の中の存在が愛しい、我慢されるよりもああしてなじってくれる方がいい。
だから、俺は嬉しくて仕方なかった。

が俺の傍にいたいって、言ってくれたのが。
もう俺は・・・を置いてったりしねぇから・・・・