流転 二章Ψ伏姫と姫Ψ



轢かれたかと、思っていた。
ぶつかる瞬間に聞こえた姉の声。

それと同時に現れたあの光、それに包まれた事までは覚えてる。
その先は・・・?

「争いのない未来は・・・きっと、来る・・」

意識の覚醒したの耳に、またも聞こえた姉の声。
でも今度は、弱々しい声音だった。

ハッと目を開けると、其処は何処かの川で
すぐ先に、胸に深く刺さった矢をそのままに
大輔に抱かれて話す、姉を見つけた。

今すぐ状況を理解しろと言われても無理だ。
今までの夢とかが全て正しければ、この人は本当の姉になる人。
その人が、たった1人の姉が 今まさに息を引き取ろうとしている。

俄かには信じ難い光景。
姉を抱く大輔の顔は、悲しみと後悔に溢れ目には大粒の涙を浮かべている。

『姉上・・』

震えそうな唇で呟いた言葉。
実際、泣いていたかもしれない。

言葉を口に出していても、大輔は気づいてないようだった。
死んだのかな、自分・・。

悔しい事に、何も出来ずにいると大輔の前で
たった1人の姉は、微笑みを浮かべ
短い生涯に幕を下ろした。

「姫ぇえええっ!!」

1人残された川辺に、大輔の嘆きの声が響き空気を揺らした。
自分の見た夢と酷似したあの資料には、大輔は姉の婚約者だったと。

大切な者を亡くした悲しみ、それは相当の物だろう。
けれど、には余り想像出来ない。

悲しいという感情も、誰かを愛しむ感情も忘れてしまったから。

姫・・私の愛しい妹。』
『あたしが、貴女の妹?』

死した姉は魂だけの存在になり、へと言葉を掛けた。
ドラマとして流れるあの中に、出て来ない自分の名前を呼ぶ姉。
不思議そうに、信じられないという顔をしたへ伏姫はゆっくり頷いて見せた。

それから、自分の亡骸を抱いて悲しみに暮れてる恋人を見
ゆっくりと視線を空へと向けた。
姉の動きに合わせ、も黙って上を見上げる・・・

『あの玉は?』
『あれは、私の生んだ子供達・・きっと里見やこの国を救う力となるでしょう。』

八房はいないが、犬の子として八つの善の魂を姉は生み落とした。
その顔には、玉梓への憎しみは伺えない。

母の死を悲しむかのように、その八つの玉は頭上に輝いている。

姫、貴女の生まれた地はこの国です。』
『それはどうゆう事ですか?』
『貴女は、里見をその子を孫を恨み 呪いをかけた玉梓の力に影響を受け此処ではない何処かへと姿を消してしまったのです。』

悲しそうな瞳を伏せながら話す姉の言葉。
言われた言葉と、自分の見てきた夢を照合させる。
そしてすぐに、姉の言葉が真実だと気づいた。

だからと言って、すぐには信じられない。
今までの暮らしは?里見という人間は?

本の中に作られたに過ぎない存在が、其処から出て
逆にその話を読む側に生まれるなんて在り得るのか?

『お願い、姫。私と里見に力を貸して欲しいの。』

混乱する記憶や言葉を整理するに、強い言葉が掛かった。
思わず考えるのも止めて、姉を見つめてしまう。

視線を姉へ向けた際、既に大輔の姿はなかった。

『私の子供達を助けて欲しいの、貴女にはそれだけの力があるのです。』
『姉上の御子達を?それに、あたしにそんな力は・・・』

真摯に向けられる姉の視線。
首を振って否定しかけたが、姉に手を掴まれ
否定の言葉を止められてしまった。

真剣な様子に呑まれ、先の言葉を失った
姉は更に言葉を続けた。

『もう時間がないのです、私はもう助けてあげられない。
貴女にしか頼めないのです・・・』

姉上?どうして?声が聞こえなくなってしまった。

心なしか、景色が揺らみ始めた。
それに気づいた姉も、驚きの表情に変わっている。

それでも姉は、何かを伝えようと口を動かしていた。
読み取れたのは上の言葉と、安房で待っておりますという言葉だけ。
再びそれを最後に、あたしの意識は闇に落ちた。



ΨΨΨΨΨΨ


ピピッ・・・ピピッ・・・・

次に目を開けた時聞こえたのは、川原の水のせせらぎではなく
機械的な電子音だった。

?気がついたのね?」

隣から聞こえる自分を案じた者の声。
ゆっくり首を動かすと、其処にはこの世界での母がいた。
その奥には、同じく父の姿も在る。

2人の表情は、あたしを心配した物だった。
この2人は、本当の両親じゃない。
ましてあたしは、この世界の生身の人間ですらない。

それでもあたしを、実の子のように心配してくれてる。

「時江、すまないが花瓶の水を替えてきてくれ」
「え?あ、そうねそうして来るわ。」

両親に微笑みかけるでもなく、ただ天井を見つめる娘を見て
父は母に理由を付け、席を外させた。
母は何の疑いもなく頷き、花瓶を持って病室を出て行った。

パタンとドアを閉まるのを見ていた父。
しばらく沈黙が訪れたが、数分間を置いてから父は口を開いた。

「寝言を聞いた」
「寝言?あたしの?」
「ああ、それとオマエが持ってた本で 話す時だと思ってな。」

寝言と本、それを父の口から聞き
あたしも父が何の話をしたいのかを悟り、小さく笑みを作った。

父がベッドの上のあたしに見せたのは
ついさっき図書館で借りた、里見八犬伝と南総八犬伝の本。

「あのさ、あたし最近何度も同じ夢を見たんだ。」
「・・・・里見の里の夢か?」
「――知ってたの?」

の呟きに、すぐさま答えを返した父。
娘の問いかけに黙って頷いた父は、やがて口を開いた。

「時々魘されてるのを見かけたし、極めつけはオマエの鎖骨だ。」

まず父に魘されてるのを見られていた事に驚き
次に指摘された鎖骨を、病室の鏡で見て更に驚かされた。

今までなかった物が、鎖骨に浮き出ていたから。

「牡丹の・・花?」
「そう、それは物語に出て来る里見家の家紋。」

吃驚しながら鏡と見つめ合ってる
父は淡々と言葉を続けた。
この家は、代々八犬伝を言い伝ええて来た家柄で

八犬伝が書かれた時代に、生きていた先祖がいるとも聞かされた。

「子が生めない時江は酷く落ち込み、笑顔のない日々を過ごしていた。
そんな時、私達は玄関先に残されていたオマエと出会った。」

それから父と母は、神からの贈り物だと感謝し
大切に大切に、愛しんでを育ててきたと言う。
笑顔をなくしていた母にも、笑顔が戻った。

どんな運命が作用して、作られた話から
現の世界に赤子として落ちたかは分からない。

誰の子かも分からない自分を、2人は大きな愛で育ててくれた。

「オマエの名は、身に付けていた産着から付けた。
そして首筋に現れていた牡丹の痣・・私は八犬伝を知っていたからまさかと思ったよ。」

父は話しながら淡く笑い、組んだ腕を解き話を続ける。
何かを決意したような、悲しそうな目で。

「呼ばれているんじゃないか?オマエの宿命に。
オマエが真に向こうの者なら、何れは戻らねばならんだろう?
私の心は決まっている・・時江は嘆くだろうがな。」

父は何を言おうとしてるんだろう。
あたしにはすぐ分からなかった。

でもきっと、母には聞かせたくない内容なんだろう。
その予感は現実となり、少し声を震わせた父が告げた。

「死した事にしたとしても、私達はきっとオマエという娘の事を忘れない。
私達が愛して育てたオマエの事を、きっと忘れない。
私達の元へ来てくれて、本当に有り難う。」

そう・・本来在るべき場所へ旅立つ娘へと。

の瞳からも、一筋の涙が零れた。