比売女神
「リブ今日は国境まで見に行くぞ」
ブーツの踵を響かせながら回廊を歩く。
斜め後ろに控えて歩くのは腹心のリブ。
国が平和になったとはいえ、見回りは欠かさない。
先の戦で家を無くした者、村や国を追われた者などが溢れている。
そして時には、食う物に困り近隣の村や町を襲う不届き者も現れ
皇として、俺が直々に取り締まりに出向く羽目となった。
リブはそれに反対していたが、皇として無視は出来ないと言い含めてやった。
「皇が職務を全うして下さるのはいい事なのですが、兵に任せて下さっても宜しいのでは?」
「まだ言っているのか、俺の国だ。自分の目で見ようとして何が悪い」
「それはまあそうですが・・・・」
「俺がいいと言っている、お前はついてくればいいだけだ」
甘かったようだ、リブは簡単に黙るような男ではなかったな。
回廊を歩き、幽宮の奥まで向かう。
其処は客室で、その中の者に用があり扉を開けた。
「美都」
「アシュヴィン殿下!」
椅子に座っていたその者は、パッと慌てて立ち上がり俺を見た。
この者は俺が現世で懇意にさせてもらっている者だ。
今日此処へ客人として招いたんだが・・・・
「ご機嫌は麗しいか?すまないが、これから見回りに行かねばならなくなった」
「お陰様で、見回りですか・・平和になってもしなくてはならないんですね」
「まあな、平和になっても小さな村では色々問題も起こってな・・」
「そうですよね、私の事なら気にしないで下さい。待ってますから」
不機嫌になったりせず、健気にも俺を送り出す美都。
招いといて申し訳ないと謝ると更に慌てて笑った。
皇が平民に頭なんか下げないで下さい、と。
「なるべく早く戻る、それまで寛いでいてくれ」
「中庭へ行かれるのもよいかもしれませんね、自由に見て回って構いませんから」
「はい!お二人ともお気をつけて」
美都の笑顔に見送られ、俺とリブは国境へと向かった。
この後に起こる騒動を知らずに。
さて、留守番となった美都。
二人を見送った後、漏れた溜息。
本当は行って欲しくなかったなぁと漏らす。
自分に理由を話す際の、あの困ったような顔。
殿下にはして欲しくなくて、留守役を買って出た。
この広い幽宮に1人。
リブさんは見て回っていいと言っていたけど、変な処に入っても大変だし。
ほら・・・例えば妃殿下の部屋とか・・いや会ってみたいけどさ。
ちょっと羨ましいな、あの殿下に愛されるってどんな気持ちなんだろう。
一目惚れとかゲームでも言ってたし。
やっぱ綺麗だったり、凛とした人じゃないと無理だよね・・・・・
って、可能性なんて微塵もないのに何を考えてるんだろうな私。
そういう設定だし、ヒロインは魅力的な物なんだから。
それにアシュヴィン殿下もゲーム上の人だ。
今こうしてその世界に来られてる事自体が奇跡。
私はそれを楽しまなくちゃ、自由に見て回ってしまえばいい。
そう思うと行動は早かった。
部屋を出て回廊を歩き、馬鍬砦へ。
少し齧った事のある馬術。
乗りこなせるか分からないけど、一人で歩くより馬といた方が色々楽だしね。
馬鍬砦へ行くと、数頭の馬が繋がれていた。
栗毛に白、灰色に黒。
どの馬もきちんと世話が行き届いている。
先ず目を見つめた。
此方を見かえす瞳に、凛とした物や意思を見出すために。
一頭の見かえす瞳の中に、それを私は見つけた。
頭を撫でれば擦り寄ってくる白い馬。
この子にしよう、そう決めて囲いの中から外へ出す。
行先は・・根宮にしようか、そう馬の首を撫でながら笑いかければ頷くように嘶いた。
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そんな事を美都がしているとは知らない俺とリブ。
数人の兵達と共に、根宮へと南下していた。
目指すのは国境、当然黄泉比良坂だと思うだろうがそうではない。
其処は入口であり国境ではないのだ。
目指すべき国境は、根宮へと続く道の途中にある二股の道を岩蔵へと折れた先にある。
此処までの道中に変わった事はなく、順調に国境へと進行していた。
少し気にかかるのは、幽宮へ残してきた美都。
折角招いたのに悪い事をしてしまった。
戻った折には斎庭でも案内してやろう。
そう考えながら馬を進める俺は、その美都が馬で此方へ近付いているなどとは思いもしなかった。
近づく速度は速かった。
自然豊かな常世の景色、それを眺めながら馬を駆るのは気持ちよくて楽しくて
だから気付かなかった。馬が進路を変えていた事に。
辿り着いたのは丘のような処。
高い所にあるのか、とても見晴らしがいい。
此処で休もう、そう思って馬を下りる。
「何て見晴らしがいいんだろうー向こうじゃ見れない景色だよねっ」
開放的な気分になり、誰に言うでもなく気分が高揚。
丘に寝そべり空を見上げた。
鳥が舞い、心地よい風が走り抜け木々の葉が擦れ合う。
本当に平和になったんだなぁと実感。
目を閉じれば、向こうのような喧噪はなく風の吹く音しかしない。
此処にいればきっと、穏やかな気持ちで過ごせる事だろう。
だが今回は、それだけで終わらなかった。
連れてきた馬が、突然私の回りを回り始めた。
目を見るととても警戒しているのが分かる。
体が緊張してくるのが分かった。
「おい!此処に女が居るぜ!」
「変わった服装の女だな」
「売り飛ばしたらいい値がつきそうだぜ!」
「その前に色々とな、ぎゃははは!!」
丘を登って来たのは見るからに悪党と呼べるような男たち。
しかも人を根踏みしてる。
売り飛ばすとか言ってなかった?
色々って何するつもりよ。
頭では分かっていた、けどそれを言うのが嫌だった。
今は早く逃げなくちゃ!けれどどうも動けない。
情けないけど怖くて足が竦んだ。
今は誰も傍にいない、この子も危険に晒してしまう。
連れ出してしまってごめんね、嘶く馬へ心の中で謝った。
「こっちの馬も一緒に売り飛ばせば当面の飯には困らねぇぜ」
一人の男がそう言った瞬間、傍らにいた馬が高く嘶いた。
そして前脚を高く上げ、近づいてきた男に一蹴りお見舞い。
勿論油断していた男は見事に蹴り飛ばされ、気絶。
その光景に呆気にとられていた男達だが、仲間を気絶させられて噴気。
白馬を捕まえようと躍起になり始めた。
その白馬は、悪意が分かるらしく見事に捕まえようとする手を逃れ
男達を撹乱させている。
見守る此方としては気が気じゃない。
「駄目よ!戻って、おいで!!」
「馬なんかいいから女を捕まえろ!!」
私が呼び戻した事で、攪乱させられていた男達も私に気づき
再び私を捕らえようと此方へ向かってきた。
戻った白馬に跨り、手綱を引くより早く馬の方が勝手に走り出した。
何か目指す場所があるのかは知らないが、其方の方を目指して駆けて行く。
其処へ近付くにつれ気づいた、その先でも騒がしく鉄のぶつかり合う音がする。
どうしてそう思ったのか、その音の先にアシュヴィン殿下がいると思った。
この馬は其処を目指しているとも感じた。
けどちょっと待って?此処は丘で、その先は確か・・・・・
「おっ落ちるーーーーー!!!」
とまあ見事に馬は丘の崖(高さ20メートル)を駆け降りた。
一方俺達は、国境につく前に出会った盗賊と一戦交えていた。
其処へ聞こえてきた悲鳴。
思わず耳を疑った。
此処にはいないはずの声だったからな。
視線を向ければ崖を駆け降りる白馬。
背後からの物だった為、盗賊は度肝を抜かれて陣形を乱す。
その馬の背に跨り、鬣に必死に掴まっているのは幽宮にいるはずの美都だった。
これには常世の兵達も驚き、隣ではリブが呆気にとられている。
だがいつまでも見ている場合ではない、駆け降りきれば回り込まれて囲まれてしまう。
「リブ、少しこの場を任せるぞ」
「殿下?」
「馬を落ち着かせて来る」
言葉短く旨を伝え、混乱している盗賊の間を縫い
美都の馬へと駆け寄り、馬で並走。
「美都!」
「え・・あ、アシュヴィン殿下!?」
「お前は馬鹿か・・と言いたいが後にしてやる、早くこっちに飛び乗れ」
「で、でも・・っ」
「いいから飛び乗れ!俺がきちんと受け止めてやる、俺を信じろ」
手綱ごと鬣にしがみついたままアシュヴィン殿下を見る。
馬との距離は1ートル。
怖い、届かなかったら私は間違いなく死ぬ。
回りに響く喧噪、リブさんが取り仕切り賊を捕縛しようとしている。
真横には馬を並走させた殿下。
手綱を片手で操り、私を見ている。
その目には少しの揺らぎもなく、力強かった。
この人ならちゃんと受け止めてくれる、そんな気持が沸き上がって来た。
体を起こし、手綱を支えに少しずつ体の向きを変える。
横乗りの体勢に変え、アシュヴィンを見つめた。
彼の目が言っている、受け止めるから飛べと。
私は静かに頷き、馬の首を撫でてから腹を力いっぱい蹴って飛んだ。
ふわっと体が浮いて、次の瞬間重力で落ちる・・がその前に腕を引き寄せられた。
引き寄せられるままになり、ドサッと落ちた先はアシュヴィンの馬。
私の体勢は横抱きのようになっていて、抱きつくような感じで受け止められた。
受け止めた後、手綱を捌き馬の速度を落とす。
美都が乗っていた馬も、人がいなくなり落ち着いてきたのか向きを変えて此方へ戻って来た。
そしてアシュヴィンの乗っている馬に近づくと、黒馬が白馬に鼻を摺り寄せた。
「このじゃじゃ馬めが・・寿命を縮めさせるつもりか」
「ごめんなさい・・・まさかこんな事になるなんて・・・・」
「偶々俺がいたからいいものの、誰もいなかったらどうするつもりだった」
「根宮を見に行くつもりだったんですよ?一応」
ブツブツ小言を言い始めた殿下に素直に謝る。
根宮を見に行くつもりだったと言えば、額を指で小突かれた。
しっかりと腰に回された腕がこそばゆい。
意識すると顔が熱を持つ。
怒られてしまったけど、結果的には助けてくれたし・・・凄い体験をしてしまったよね。
「全く・・目が離せない奴だ、戻るぞ。リブも手を焼いているようだ」
「あ、はい・・・いても平気なんですか?また迷惑を――」
「怯える事も心配する必要もない、お前一人くらい俺が守ってやるさ」
思わず顔が熱を持つ。
そんな私を見て、笑いながら殿下は言った。
「先程の奇襲、存外役に立ったぞ?まるで戦女神の比売女神のようだったな」
馬を駆りながら笑顔で言われ、ただの事故ですとは言えず・・・
駈け出したのは白馬、今もついてきているあの馬の導きだったと私は思っている。
きっとこの黒馬と白馬は、縁の強い馬同士なんだろう。
私を結果的には、殿下の元へ導いてくれた。
戦女神か、きっとそれは偶然が生んだものだったけど
あの殿下にそう言われたのはとても光栄な事だよね。
例え実際違うとしても、向こうではただの人だとしても
この一瞬だけでも、貴方の比売女神になる事を千尋さんは許してくれるかな。